終わりと始まりの戦い④ 最高の

 魔神が出現する、少し前、


〈【創世ジェネシス】〉


 光が満ちた。

 そのあまりに圧倒的で、無慈悲なまでの粛正の光を前に、シズクは抵抗することもできなかった。だけど、心のどこかに、僅かに安堵を覚えていた。


 終わる、今度こそ終わる。


 未だ、彼女の心は痛みの中にあった。溺死する寸前を引き上げられて、それでもまだ、これからどうすれば良いのか分からず心はさまよっていた。ウルという寄る辺に必死に寄りかかるばかりだ。息をするのも苦しいのは変わらない。


 休息と治療が必要だった。彼女の心は満身創痍だった。


 そして今、無慈悲の光が全てを消し去ろうとしている。抵抗の術は誰も持たない。焼き払われて、消えて失せる。今、自分の内側にある傷も痛みも全てが無くなる。その事にシズクはどこか、安堵していた――――その筈だった。


 だが終わらなかった。気を失っていただけだったようだ。その意識は浮上する。


 身体を起こすと、自分の身体はいくつもの浮遊する装甲の上に横たえられていた。何故生きているのか不思議だった。顔を上げれば、そこには――――


『――――――!!!』

「え?」


 竜、自分が生み出した魂を分けし子供、白銀の眷属竜が自分を護るように翼を翻した。


「どう、して?」

「私が、捕まえ、たんだ!!!」


 同時に、銀竜の横でエシェルが叫ぶ。彼女は死に物狂いで力を振るっていた。その力の先には、無数の天使達が存在していた。


〈KYAHAHAHAHA!!!〉


 その姿は異様極まった。中央に座する創造主が、なにやら異様なる動作と痙攣を繰り返し、そこから天使達が次々に生まれている。何か、創造主側にも異常が起こっているのは間違いなかった。

 だが、だとしてもこちらが窮地で在ることに変わりは無い。


「む、ぅぅ……!!」

『――――!!』


 エシェルがその闇で天使達の身体を削り取り、銀竜が咆吼を放って焼き払う。

 しかし、それでも尚、天使達の数は全く、減っていない。あまりにも出現している数が多すぎる。削れている数よりも、増える数の方が多い。


〈KYAHAHAHAHA!!!〉


 天使達がその瞳を輝かせるたびに、竜の咆吼のような光熱が放たれる。そのたびに銀竜が身を挺してシズクを庇う。鏡の源流としての力を有した銀竜は、自身へと放たれた力を奪う事も可能とするが、限界というものがある。

 シズクの創り出した銀竜は神に等しい力は持たない。ましてや、その力の大本であるシズクは今やこの有様なのだ。


「っぐ、あ、あああ……!!」

『――――!!!』


 堪えきれず、こぼれた力が双方の器を傷つける。血が噴き出して、ひび割れる。そのダメージに身もだえる悲鳴を聞いてシズクは自身が傷つけられたかのように顔を深くしかめた。


「やめて、ください。もう――――」

「五月蠅い!!!」

『――――!!!』


 何かを言う前に、双方から罵声が飛んできた。銀竜は言語ではなかったが、恐らく意見としてはエシェルと全く同じなのだろう。シズクが指示をだした以上、間違いなくウーガで殺し合っていた筈なのに、不思議と息が合っていた。


「シズクは何がしたいんだ!!!」

「私は、もう」

「嘘だ!!!」


 エシェルが叫ぶ。同時に夜が深くなる。彼女の激情が、ありとあらゆる感情が、欲望が、力となって夜を深め、月の輝きを更に強くする。シズクは目を見開く。傷つき、弱り果てたシズクの心ですらも、見入りそうになるほどの生きるエネルギーに満ち満ちていた。 


「絶対に、絶対に絶対に!あるんだ!!!」


 創造主の圧倒的な力にも一歩も怯まず、シズクの魂を揺るがすかのような強い声でハッキリと、エシェルは叫ぶ。


「生きている限り、願いは!!ある筈なんだ!!!」


 ――シズク


 その声に応じるように、内側から声が響く。



              ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「シズク」


 アカネが目の前にいた。魂の内側、ディズからシズクへと渡り歩いて自分を見守る事を選んだアカネがそこに居た。何時ものような小さな妖精の姿では無く、自分と近いくらいの年の少女の姿だった。

 彼女本来の姿だ。その姿で、アカネは優しく、シズクに問いかける。


「あなたは、どうしたいの?」

「わたし」


 問われると、やはり言葉は出ない。難しかった。負った傷が、痛みがあまりにも根深い。だけれど、月の神として、方舟を滅ぼすときよりも、随分と痛みはマシになっていた。

 ウル達がすくい上げてくれた。怨嗟の呪いを少しずつ、引き受けてくれた。

 致命傷に等しかった彼女の心に癒やしを与え、それが心の奥底に封じていた、彼女自身の“我”を取り戻してくれた。


「わたし……」


 それを、ゆっくりと、掬い上げる。

 生と死の間際、だからこそ、それを見いださねばいけなかった。


「ウル様に」

「様いらんて」

「そう、です?」

「いらんいらん。にーたんったらちょーおばかだもの」

「………――ウル……様に」

「慣れないかー、まあええや。そんで?」

「あやまりたい」

「うん」

「ありがとうっていいたい」

「うん」

「一緒に……いたい」

「うん」


 あまりにも、子供のように幼い願いだった。だけれどもそれこそが、歪に生まれ、使命を課され、罪を背負わされ、表に出すことも許されなかった彼女自身の願いだった。罪に捕らわれ、罰を乞うていた時とは違う、自分の願いだ。


「あの人が、好きなんです」


 アカネは、震えるようにそう言うシズクを優しく抱きしめた。死にそうな想いで、ずっと戦い続けてきた彼女自身のエゴを肯定した。そして不意に、優しげな表情を砕けさせて、おどけるように笑った。


「んーもーディズもシズクも、しゅみさいあくね?にーたんったらげきやばよ?」


 冗談のような言葉に、シズクも思わずつられてしまった。ぽろぽろと涙を流しながら、口元を抑えて笑った。


「それは、そうです」

「でも、まあ、いいのよ」


 泣いて、笑ったシズクをみて、アカネは満足そうに頷く。そして両手を広げて、力強く、ハッキリと断言した。


「あなたが、ちゃんとのぞむなら、あなたはそれをえらんでもいいの」


 それが善いものであろうとも、失敗する事はあるかもしれない。

 それが悪しきものであったならば、別の者から否定されるかもしれない。

 願いは絶対の保証ではない。

 賞賛されるものではない。

 正しさの肯定ではない。

 悪徳の免罪符ではない。

 願いはただのエゴでしかない。


 それでも願うことは、生きる者が許される権利だ。


 切実に、自身の心と向き合って、くみ取った願いであるのなら、それを望んで良いのだ。どれだけ不相応であろうとも、叶わぬ事であろうとも、願うことだけは許されるのだ。

 アカネはそう、シズクの弱々しくも確かな願いを肯定した。

 そんなアカネの姿を見て、シズクは眼を細めた。


「アカネは、やはり、ウルの妹ですね?」

「うーんふめーよ」


 口先を尖らせてそういう彼女は、年相応に見える。シズクはもう一度笑った後、小さく頷いた。


「やってみます」

「うん」


 アカネは頷いた。


「自分のやりたいこと、やってみます」

「うんやっちゃえやっちゃえ」


 アカネは頷いて、もう一度シズクを抱きしめて、笑った。


「ずっと、がまんしてたんでしょ?いやなこともしてきたんでしょ?ほんきでやっちゃえ!」

「……迷惑にはならないでしょうか?」


 最後、シズクは不安げに尋ねるが、アカネは親指を立ててニッコリ笑って、


「まあ、大丈夫!にーたんがんじょうだし!!!」


 兄に全部投げた。


「よかったです」


 シズクは安心した。



              ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 意識が戻る。


 未だ地獄は目の前にある。おぞましい歪なる天使達はこちらを殺そうと殺到している。しかしシズクはもう、その事に安堵も焦りも覚えなかった。心身は疲れ果てていても、不思議と心は静かで、落ち着いていた。

 あの白い聖域に居たときと同じように、軽やかだ。

 自分がやりたいこと、やらなければならないことは明確だった。


銀竜こどもたち、エシェル」

『――――――!!』

「な、に……!?どうしたの!!」


 語りかける。

 自分を護ろうとしている白銀の竜も、エシェルも、こちらを振り返る余裕は無い。必死に自分を護ろうとしながらも、それでもこちらの声に応じてくれた。シズクはその事に感謝しながら、小さく、それでもハッキリと告げた。


「お願い、手伝ってください」

「――――」

『――――』


 シズクの言葉に対して、起きたのは一瞬の沈黙だ。


「――――うん……!任せろ……!!」


 しかし次の瞬間、泣きそうな声と共に、夜の闇は先ほどよりも遙かに増して激しく、強くなって周囲の天使達を一瞬にして食らいつくし、


『――――!!』


 眷属達はこの上ない喜びの声と共に応じた。激しく光を放つと、シズクの身体を護る鎧のように纏わり付く。月の神として顕現していたときのソレと比べると危うく、完全ではない。それを灰の焰で補って、体裁を整える。


 不細工だ。でも構わない。


「【月よ唄え、銀糸を伝え!】」

「【宵闇よ、月を隠せ!】」


 銀の糸が迸る。同時にそれはエシェルが展開した夜の中に溶けて消えて見えなくなった。同時に、周囲の空間に無数の闇が創り出される。エシェルが展開した闇夜が空間に広がり、そこに隠されていた銀糸が縦横無尽に駆け巡る。

 瞬く間に、銀糸の結界が空間を包んだ。


「【灰炎よ!緋終と奏でよ!!】」

《まっかせんしゃーい!!!》


 シズクは躊躇わず、指先を動かし、銀糸を手繰る。同時に無数の糸に緋色の輝きが混じり合った。二つの糸は重なり、結びついて、竜の形のなって大口を開く。結界の外と内、あらゆる方向に竜の首は顎を開いた。


〈AAAAAAAAAAA――――!!!?〉

 

 灰の焰と緋終の光、神を殺す二つの光が縦横無尽に放たれ、天使達を焼き払った。だが、天使達の欠落を、新たな天使達がすぐに補おうと殺到する。本当に、どうしようもないくらいの圧倒的な物量だった。


 だがシズクは慌てはしなかった。敵の総数はもう知っていた。分かっていた。驚きも無かった。


「【反響せよ】」


 シズクは指を引く。同時に張り巡らされた銀の糸が光り輝く。放たれた竜の咆吼を受け止める。そこから零れた咆吼も、更にその奥で構える闇が受け止める。放たれた力の一切を、余さず受け止め、再び返す。


「【【【宵月咆吼】】】」


 吸収、反響、反射。

 シズクはまるで指揮者の如く、銀糸を操り手繰って天使達を破壊し続けた。傷つき、弱り果てた彼女の中にある天賦の才が、再び輝きを取り戻しつつあった。

 だが、尚も


〈KYAHAHAHAHAHAHAHHAA!!!!〉


 天使の数はまるで尽きることが無い。

 シズク達がどれほど効率よく、力を再利用して操っていたとしても、敵の数は最早無尽蔵に等しい。どうしたって、今の戦力ではどうしようもない。それがわかってしまった。


「それでも……!」


 でも、それでも、やりたいことは残っている。

 彼とまた、ちゃんと話したかった。これまでの旅路を話したかった、隠していた想いを告げたかった。これからのことを考えてみたかった。あれほどまでに死を望んでいたのに、終わってしまいたかったのに、不思議と尽きることなく、望みが溢れてくる。


 現金で、罪深く、本当に身勝手だ。 


 だけど、それでも


「貴方と、一緒に、いたい」


 そのエゴを燃やして力として、シズクは全力を振り絞る。


《あら、シズク、随分と本音でしゃべってくれるようになったわね》


 そして、そんなシズクの願いに応えるように、声が響いた。その声に真っ先に反応したエシェルは、心底嬉しそうに叫んだ。


「リーネ!!!」



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「うってつけの状況が用意されて嬉しいわ。実験体が山ほどいる」


 混沌の状況、荒れ狂う創造主、溢れ暴走する力、最早数え切れない程の天使達。

 この状況下においても微塵もブレる事のない、【転移】してきたリーネの姿を見て、ウルは呆れたような、安心したようなため息を吐き出して、問うた。


「研究、間に合ったのか」

「当然、待ってたかしら?」

「そりゃ待つだろ」

「この土壇場で、研究が完成するかもって?」

「勿論」


 ウルは即答し、ボロボロの身体をなんとか立ち上がらせると、浮遊する彼女を正面から捉えた。そしてハッキリと言った。


「出会った時から、お前が俺の想像を超えなかった事は無かったからな」

「――――」

「お前は最高の魔術師だよ、リーネ」


 ハッキリと、そう言い切った。リーネは目を見開き、一瞬うつむくと、大声で笑った。目尻に涙をこぼしながら歓喜に打ち震え、笑った。そして、


「だったら貴方は最高の王様ね!!!ウル!!!」


 喜びから、獰猛で、挑戦的な笑みに表情を変える。背の外套を外し、義手が蠢く。奇しくもそれは巨神と同じ六腕であり、それぞれが独立し、術式の構築を開始した。同時にリーネは自身の腕で杖を宙に叩き付ける。

 その瞬間、彼女を起点として、膨大な数の術式が凄まじい勢いで展開した。


「私に神を越える機会を与えてくれるのは、貴方だけよ!!!」


 魔法陣が立体に広がっていく。芸術家が創り出した工芸品の如く美しく、精密なる機械が組み上げた部品の如く、偏執的なまで精密に、目映い白の光が広がっていく。


「【我、レイラインの血と白の意思を引き継ぎし末裔】」


 組み上げたその術式と共に彼女は唱える。しかしそれは魔術の詠唱ではなかった。


「【神を創り、神を超える終焉の魔女なり】」


 眼前の巨神、創造主を前にして、微塵も揺らがず、彼女は宣告する。それは宣戦布告だった。創造の神、自分たちの世界を創り出した始まりの存在に対する、明確な宣戦布告だ。


 原初を終わらせる【終焉災害/白神の創造主】は宣告する。


「【開門・】」


 同時に術式を展開し、拡張し続けた。その場に居たウルはおろか、遠くあるウーガまで届く程の光が放たれ、力で包み込んだ。


〈――――前から思ってたけど、その女、反則じゃね?〉

「だろ」


 その光景を前に、少し、我に返ったようなブラックの言葉にウルは返した。

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