一つの世界を創った男⑤ 彼の世界



『ぐ……!』


 アカネとの協力によって神の拘束に成功したシズクだったが、彼女自身のコンディションは決して万全からはほど遠かった。

 ここに至るまでの過程で心身に負った傷は容易くは癒やされることはない。至極当然のことだ。ウルが言っていたように、彼女には休養と治療が必要だった。許されるなら、彼女は今すぐにでも休まねばならない。


〈――――――〉


 だが勿論、今このときばかりはそんなわけには行かなかった。

 世界を滅ぼす神、外の世界全ての人類の怨敵とでもいうべき相手が復活した。そして全てを滅ぼそうとしている。だから、なんとかしなければならない。彼女を突き動かしているのはそんな衝動と使命感だった。


『う、う……!』

《んにゃああああ……!!》


 しかしどれだけ使命感に燃えようと、恐怖に突き動かされようと限界は限界だ。

 銀糸を手繰る身体が震える。糸が巻き付いた指先に食い込んで、血が噴き出す。それは神がシズクとアカネの操る力を逆に支配しようとしている証明だった。糸そのものが、神をも破壊する力に満ちているが故に、即座の支配はなされないが、それでもシズクの意思に反して、拘束が解けていくのを感じ取っていた。


「月神!しっかりしてください!!!」


 真人達から励まされ、治癒と支援を受けるが、それでも身体は上手く動かない。

 分かっている。今、身体がちゃんと動かないのは傷の所為ではない。肉体の問題ではないのだ。一つの世界を創り出すほどの怪物を前に、どうこうしようという精神力が、もう自分には残されていない。


〈――――〉


 そんな彼女の嘆きを見抜くように、雷の矢が結界をも貫いて、シズクへと放たれ――


『しっかりなさい!!!』


 それを、ユーリが切り裂き弾き飛ばした。シズク以上にボロボロの姿となっているユーリは、それでもシズクよりも遙かに強い眼差しでシズクを睨み付ける。


『ユーリ、様』

『貴方は!!』


 それは叩き付けるような激励だった。そして信頼でもあった。短い間であるが、シズクと手を組んで活動し、そして敵対してから命と世界を賭けて争った道程、積み重ね、築き上げられた特殊な信頼が双方の間にはあった。


 そんなものではない。あってたまるか。彼女の言葉にはそんな怒りが込められていた。


『私、は』

『貴方が多く苦しんだことは認めますが!!嘆くのは、後になさい!!』


 再び雷が放たれ、ユーリが切り裂き、真人達が結界を修繕する。しかしそれでも神の力は圧倒的で、膨大だ。防ぎ損ねた力の破片がユーリ達を更に傷つける。だが、それでも彼女はシズクの前から退くことはなかった。


『アレを放置すれば、貴方が本当に護りたかったものも消えてなくなりますよ!!!』


 本当に護りたかったもの。

 もう、そんなものは存在しない。そんないじけたような言葉が漏れそうになった。だが、そうではなかった。護りたいものはあった。


 自分が仲間達と共に築き上げた聖域ウーガがあった。


 今、バベルの外で逃げ遅れた人々や戦士達を助けるべく賢明に動いているその聖域。だが、それすらも、目の前の神を打ち倒さねば消えてしまう。自分の命だってどうでも良いと、消えてなくなりたいと願ってすらいた彼女が、それでも此所だけは、と護ろうとしていたあの暖かな場所が消滅する。


『――――ぅ、う、ああ……!』


 失せかけていた身体に、力が僅かに戻る。さび付き、鈍り果てていた彼女の才覚がほんの僅かであるが輝きを取り戻す。その力をもって、まだ自らの支配下にある全ての銀糸にシズクは呼びかけ、叫んだ。


『銀糸、よ!!!』


 次の瞬間、解け、崩れかけていた銀糸が束なり、神を完全に拘束した。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



『よし!』


 ユーリは束となった銀糸の上に飛び乗ると、そのまま一気に駆けだした。この拘束が長続きするものではないというのはわかりきっている。シズクを激励したが、彼女が本当に限界ギリギリの瀬戸際に立っているというのは明らかだ。


 だから、時間をかけるつもりはない。

 ユーリは一気に神へと迫り、剣を構え、放つ。全てを断ちきる斬撃を。


「【終断――――!?】」


 しかし、次の瞬間彼女の“腕が”解けて消えた。

 ユーリは目を見開き、そして理解する。耳に響く鐘の音は【天拳】の破邪の音に似ている。消去魔術の類いで、ユーリの腕を維持する力ごと弾き飛ばした。


 全ての力を“台無し”にする灰炎を、消去の出力で上回った?


 だが、どのような理屈であれ、攻撃を打ち消されたのは事実だ。当人の言うように方舟にまつわる全ての創造者であるならば、こちらの用意した守りもなにもかも、全てを上回れるなんて、あり得る話だ。


『忌々――――』


 銀糸の拘束、その隙間から神の眼光が輝く。魔眼の類いかあるいは別の魔術か神の権能か、なんでもあり得る。目の前の存在は二つの神の力を取り込んだ創造主、ほぼほぼなんだって出来るだろうし、どのような手段であろうとも自分は殺されるだろう。ユーリは受ける衝撃に歯を食いしばり――――


「【狂、え!】っが!?」


 横っ飛びに、ウルが跳んできて、その力をはじき返した。

 が、反動だろうか、槍を振るったウルの腕は折れ曲がり、そのまま彼はユーリの前で倒れ伏す。だが、それでも神の力は尚止まらない。止める理由が向こうにはない。更に輝きを増していく。


「やりたい放題、ですね……!」


 だが、役割は果たした。

 ユーリはそのままウルをひっつかむと、弾けるように横へと跳んだ。なんの合図もしてはいなかったが、自分の後ろに追従している者の存在は理解していた。

 本人がどれほど否定しても、ユーリにとって唯一無二の剣の師。

 

「【魔断】」


 ザインの一撃が、銀糸に拘束された神の身体を両断した。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「――――」


 激痛に悶え銀糸からユーリと二人仲良く地面に落下したウルは、ザインの一撃を目撃した。このような修羅場の中であっても尚、全てを忘れそうになるほど静かな一閃だった。

 ザインの一撃は間違いなく通った。それは確信出来た。だが、


「……倒したと、思うか?」

『いいえ』


 痛みに堪えながらユーリに尋ねると、彼女は当然、というように即答した。

 

『全てを救えるはずだった、歪んだ救世主、容易ではないです』

「あいつらめっちゃくちゃ大変だったもんな……」


 傷や、へし折れた腕を灰炎で包みながら、なんとか身体を起こす。崩れていく神の身体を前に、ザインは姿勢を崩さず、剣を振るった姿勢のままだった。

 そして、無事か、とウルが声をかけようとしたその時だった。


「じいさん!」


 ぐらりと、彼の身体が倒れ伏す。限界が来たのかとも思ったが、違った。


「なん……」


 彼の身体は刃に貫かれていた。より正確に言えば、周囲の赤黒い肉の地面が変形し、まるで刃のようになってザインの身体を貫いていた。理解出来ず、しかし放置もできず、ウルは急ぎ、刃の枝を切り裂き、切り離した。


「なん……だ!?」


 治療を、と、そう思っている内に、更に変化が起こる。地面が激しく揺れ動いた。そして、“ずっとそこに存在しながらも、意識から外れていた存在”が動き出した。


〈此所は〉


 【廃棄孔】

 世界を穢し続けた全ての元凶、あまりにも異様なる巨大な瞳がパチリと動く。だがそれは、悪性感情を廃棄する本来の動きではなかった。周囲の地面に肉の壁が蠢き、盛り上がりながらか、形を作っていく。


〈私の世界だと、言ったはずだが?〉


 先ほどまで、存在していた創造主イスラリアと同じ形をした頭部が、こちらを見下ろしていた。

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