全ての始まり



 山のように巨大な人体の頭部。


 というのを直接見ると、あまりの不気味さにウルは思わず引きつった顔になった。人体のサイズに対する脳の認識からあまりにも逸脱しすぎて、混乱が起きている。その顔の造形は整って見えるが、生理的な嫌悪感が先んじて溢れかえる。


 しかも、創造主の頭に対して、廃棄孔の瞳がやや歪に大きく、それが更に気色悪い。


 その瞳が、じろりとこちらを見下ろしてくる。生首の瞳だけが動いているかのような、どこか間抜けにも見える有様だが、当然、それだけでは済まなかった。


〈――――――〉

「う、お!?」

 

 大地が揺れ動く。激しく脈動すると共に、先ほどザインを貫いていた肉の槍が、膨大な量の槍が地面から発生し、ウル達を貫かんと伸びてきた。ウルはザインをひっつかんで飛び上がるが、尚も槍の量は増大する。


「無茶苦茶、か……!」


 色欲の力でそれを吹き飛ばす。だが、脈動は収まるところを知らなかった。


「むう!?いかんぞ!!」


 グロンゾンが叫ぶ。彼の言葉の意味はウルにも分かった。

 広い広い最下層の空間が、急速に蠢き、狭まってきている。肉の壁が土砂の如く押し寄せて、ウル達の居る場所に迫ってきていた。この空間そのものが、ウル達を圧殺しようとしている。天井も壁も地面も同様だ。全方位から、ウル達を押し潰すように押し寄せてくる。


「ふ、ざけんな!?どうする――――」

「ガルーダ!!!」


 ウルの叫びよりも早く、動いたのは地面に倒れ伏していたグレーレだった。掌を掲げるようにして叫ぶ。呼応し、旋回していた機械の鳥が真っ逆さまに地上へと飛び込んできた。同時に、グレーレが叫ぶ。


「全員、ガルーダの足下に集まれ!!!」


 是非もない。その場に居る全員が、背中に迫る肉壁から逃れるように、一気にガルーダの足下へ飛び込んだ。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「…………全員無事か?」

『はい』

『なんとかね……』

『《ちょーあぶなかった》』

『距離を置いて下さい』

「きついです」

「うむ!なんとかな!」

「むーむー!!」

「ウル!無事か!?」


 もみくちゃになりながら、各々が好き勝手しゃべりまくる。が、兎に角無事であるらしい。各々の顔を見る限り、最深層にきていたメンツは全員、この場所に逃げ込めたらしい。


《――――――》


 ウル達は今、空から降りてきたガルーダの翼の中に逃れている。機械の翼がウル達の周囲を護るようにして広がり、その周囲が魔力障壁を創り出している。更にその外は、真っ暗だ。光は無い。だが、脈動音が聞こえてくることを考えると、あの押し寄せてきた肉の壁が、ギチギチになるまで迫ってきたらしい。


「ガルーダが展開する臨時避難所シェルターだ。やれやれ、備えあればというヤツだなあ?」


 ごきごきと、自分の首をさすりながらグレーレが解説する。その解説に「なるほど」とディズは相づちを打った。


『他の避難所シェルターもこんな感じなのか』

「万が一、【方舟】そのものが壊れても無事なようになあ?」

「で、結局これはなにがどうなったんだ」


 更にウルが尋ねると、グレーレはやれやれというように肩を竦めた。


……こっちのプランを乗っ取って改変したな?全く、俺がアレを完成させるのに何百年かけたと……」


 グレーレの計画、即ち、【廃棄孔】そのものを含めて、こちらの望む形に改変することで【方舟】そのものの機能を改変するという発想の乗っ取り。バベルそのものを自分の肉体にしてしまったのだという。ディズはそれを聞いて顔をしかめた。


『……それはつまり、あの創造主が、廃棄孔みたいになったという事?』

「方舟の設計図そのものを改変する作業は、奴がどれほど天才であろうとも一朝一夕では終わらん。神の混合体が奴の魂の器であることに変わりはない」


 完全に何でもあり、だと太刀打ち出来ないが、明確な急所が存在しているというのならまだ戦いようはあった。だとしても、これまでの戦いの中でも最もとっかかりのない崖のような相手になるのは間違いないのだが。


「だが、これからどうする。何時までも此所には居られぬぞ」


 グロンゾンの問いにもグレーレは即座に頷いた。


「心配するな。この避難所の時空は外の世界と一致させている」

「わかりやすくおねがいします」

「外へと【転移】出来る、と言うことですな、スーア様。いや、今は貴方よりもそちらの女王に任せた方が適任か?」


 ウルと同じ灰炎を纏ったスーアではなく、スーアの背後で少しぷんすこになりながらその頬を引っ張っていたエシェルへと視線を移す。するとエシェルは表情を引き締め、即座に頷く。同時に自身の掌に、夜の鏡を創り出す。


「大丈夫だ、行ける」

「よろしい、ならば“お前達だけでも脱出すると良い”」

『……貴方は?』


 その言い回しにシズクが首を傾げる。グレーレは愉快そうに笑った。


「俺はやることがある。先ほども言ったが、最早バベルはヤツの体内、となると【星石】が完全に奪われるのも時間の問題だ」


 【星石】、方舟を維持する為のエネルギー源にして、この世界がこのような形となってしまった全ての元凶とも言うべき存在。確かにそれがバベルにあるというのならば、バベルそのものとなったイスラリアにはそれを支配するのは容易だろう。


「故に阻止せねばならないなあ?都合良く、この場所はヤツの体内だ。外部からよりは干渉しやすい!」

『かなり無茶に聞こえるけど?』

「無論、そうだとも。だが誰かはやらねばなるまい?そして同時に外部から神の心臓を貫く者も必要だ」


 そう言って、グレーレはウルを指さす。そこに何時ものニヤケ面は存在しなかった。


「お前達は外から攻めろ。挟撃といこう」

「だがな」


 一人で、神とも言うべき相手の体内に残る。それがどれほど危険な行いなのか、いくら知識のないウルでも容易に想像はついた。一人残すなど、見殺しのようなものだ。その場の全員、それを理解したのか、しかしまるで譲りそうにないグレーレの表情に何も言えなくなっていた。


「ならば、私も残ろう」


 すると、そんな全員の心中を察していたように、ずっと真人達からの治療を受けていたザインが身体を起こした。やはり顔色は何時もより悪いが、身体を貫かれたときよりはマシになっていた。


『師』

「傷は塞がった。心配するな。俺は随分と頑強に出来ている」

「かの天才を護るための最強の護衛だからな!カハハ!!」

「では、私たちも」


 続いて、真人達を率いたゼロも挙手をした。彼女も、ザインと同じように顔色は悪い。だが、それは傷を負ったりだとか、そういう理由ではないだろう。隠しているが、その表情には明らかな怯えがあった。しかし、それ以上に明確な決意があった。


『ゼロ』

「私たちは、その為にいるのです。その為に、だから皆、覚悟は出来ています――――」


 気遣う勇者の言葉も振り払うようにきっぱりと、ゼロは宣言し――――


「むにゃあ!?」

「いかんぞおまえ達!!お前達が死んでしまったら私は悲しくて死んでしまうからな!?」


 そのゼロの背後から、彼女を抱きかかえるようにして、いつの間にかこの狭い空間に男が現れていた。ゼロを優しく抱き留めたその男は、


「マスタ-!?」

「やあゼロ!皆!再会出来て嬉しい!!!」


 【真人創りのクラウラン】だった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「おおっと狭いなここは!!」なんて風に身体をよろけさせながら、結界の中心にクラウランがやってきた。想像もしていなかったのか、誰もが驚いていたが、その中でも真人のゼロは一番驚いていた。


「マスターどうして此所に!?いや、どうやって!!」

「真人同士の間の繋がりがあるからな!お前達の気配が外から感知出来たので、彼等に頼んで転移させてもらった!!」


 にっこりと彼は笑うと、なるほどなとグレーレは頷く。


「ガルーダの結界のなかで、外部と位相が合致したからか」

「そして話は分かった。ザインとグレーレとの付き合いは私がしよう。お前達は外に出なさい」


 そしてクラウランはきっぱりとそう言った。ゼロは大きな瞳を更にまんまるにする。一方でザインとグレーレの表情は「ああやっぱり」といった風だった。

 

「此所が彼の身体の中なら、人体は私の専門分野だ。知識もある。役立つはずだ!」

「知識と技術は疑わないが……良いのか?」

「無論!なに、今更気遣う間柄ではあるまい?」


 そう言うと、二人は顔を見合わせた。それだけだったが、それ以上クラウランに問いただすことはなかった。一方で、ゼロは気が気でないというように慌て、彼の身体を揺すった。


「マスター!無理です!貴方、走るだけで転ぶじゃないですか!!!」

「心配するな!戦うのはザインに任せるし、なにせ死ぬ気はさらさらないからな!!!」


 揺さぶられながらも、クラウランは身につけたローブを開く。すると、そのローブの下には、


『うわあ、ガッチガチ』


 ディズが少し呆れてしまうような程の量と、護符やら大量の魔道具やら魔法薬やらが備え付けられていた。どう考えても過剰装備だろうというくらいの守りだ。確かに到底、死にに行く者の格好ではなかった。


「冒険者として子供たちが稼いでくれた報酬は全部もってきた!神薬はそちらにもいくつか渡しておこう!!」


 そう言って、ディズへといくつかの神薬を手渡す。そしてそれでもまだ心配そうな顔をしているゼロの頭を撫でた。


「だから心配するな!彼等を死なせないためにここまで来たのだ!どうせ無茶をするだろうからな!グレーレは割と命に無頓着だし、ザインも無茶をする!」

「まあ、早々に蘇生術を使った手前、反論は出来んが、お前も似たようなものだろう」

「俺は護衛だ、傷を負うのは仕方あるまい」


 どこかムキになるように反論する二人を指さしてクラウランは頷いた。


「ほらな?私がいないと多分この二人は死ぬ!!!」

「……その方が良さそうだな」


 ウルは納得した。

 そのままエシェルに目配せすると彼女は頷き、【夜の鏡】を広げる。


「じゃあ、そちらは任せるぞ――――」

「ウル」


 移動しようとした、その前にザインがウルを見つめた。ウルは首を傾げ近づくと、彼はどこか珍しく、少しだけ疲れたような表情でウルを見ていた。


「済まなかった、ウル」

「は?なにがだよ」

「俺は、お前の生き方を定めた。それが今お前をこんな所においやった」


 それを聞いて、ウルは一瞬固まったあと冗談でも聞いたかのように思わず吹き出した。


「なんだそりゃ。らしくないことぬかすなよ」


 本当に、全くもってらしくない。まさかそんなことで罪悪感を抱かれているだなんて思いもしなかった。


「そりゃ、この生き方にゃ苦労も多かったさ。生きてくだけなら余計かもしれないものも山ほど背負った」


 ザインの教えは決して容易い道のりでは無かったのは事実だ。そこはウルだって否定しない。正道を進もうと自らを律することは決して簡単ではない。実際そうしようとして失敗して、無駄に怪我を負ったことは何度もある。だけれど、


「でもさ、じいさんは俺に「こうしろ」って命じた事はなかったよな」


 それを教えたザインは、ウルに強要することだけはしなかった。

 生き方や考え方を教えても、それをもってどうするかはウルに選ばせた。ウル自身が考えて、決められるようにと心がけてくれた。


 決してザインは、自分の思い通りにウルをしようとはしなかった。


 だからこそ、その教えは今も尚ウルの心に根付いている。


「そして俺が選んだんだよ」


 ウルは少しだけ膝を折る。いつの間にか、ザインの背丈をウルは超えていた。老いた彼の身体をいたわるようにそっと触れた。


「感謝こそすれ、アンタを恨んじゃいないよ。じいさん」

「……そうか」


 ザインはウルの言葉を噛みしめるように目を瞑る。そして目を開くと、ウルの肩を叩いた。


「そちらは任せる、ウル。どうか彼にを与えてやってくれ」


 もうそこには何時もの彼がいた。ウルは安心して笑い、そのままエシェルの鏡へと向く。だが最後に釘を刺すように言った。


「だから言っておくけど死ぬなよ!死んで償いなんてマジでいらねえからな!」

「マスター!!私もそうです!!!」

「グレーレ、貴方もね。聞きたいことは山ほどある」


 そのウルの横からゼロやディズも叫んだ。

 そうして、ザイン達を残して全員はその場から転移した。残されたのはザイン、グレーレ、クラウラン、そして彼等全員を守り続けたガルーダだ。グレーレはそのガルーダへと視線を向けた。


「さて、ガルーダ。付き合ってもらうぞ」

《――――――》

「良い子だ」


 瞳に当たる部分の水晶が応じように点滅し、グレーレは笑った。そのままガルーダは身体を少し起こすと、前方へと竜牙槍を向けると、肉壁を焼き払い、掘削を開始する。血と肉の跳ね返りを結界で守りながら、のっしのっしと進んでいった。


「ザイン、グレーレ、彼とは話せたか?」


 移動の途中、生まれたその時間にクラウランは尋ねる。その質問にザインはため息をついて、グレーレは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「一応は、な」

「会話とは言い難いがなあ?」

「つまり、全盛期の頃の彼か……」


 その二人の反応で、おおよそを察したらしい。クラウランも困ったように頭を掻いた。


「あの頃のあいつが、話を聞くわけもない」

「そうか、それでも話はしてみたいがな」

「ここから語りかけてみるか?」

「やめておこう。本当の彼とはもう、十分に話はしている」


 そんな雑談を繰り返しながら、三人と一体は血と肉に阻まれた闇の中を進んでいった。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 そして、その一方で


〈器達は逃げたか……ザイン達は【星石】…………だが〉


 同じく最深層の闇の中、創造主である男は状況を把握していた。結界により自分たちの位置を眩ましているようだが、それでもこの空間は既に自分の体の一部。動きがあれば、それを把握するくらいは容易かった。


〈逃げ場所なんて、存在しない――――【方舟よ】〉


 【廃棄孔】でもある自身の瞳を輝かせる、同時に、更に周囲の空間は蠢き続ける。生首のような彼の頭部も、その肉壁の中に徐々に飲み込まれていく。全てが隠れ行くその最中――――


〈言ったとおりじゃ無いか、シロ〉


 彼は小さく、囁くように言った。


〈君たちは、誰も僕には勝てないよ〉


 それだけ口にして、彼自身も闇に飲み込まれた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「どっわ!?」


 異様な感覚と、唐突な環境の変化にウルは驚き、思わず転げそうになりながら、地面に着地した。地面は固い。先ほどまでいた最深層の薄気味悪い肉で出来た地面ではなく、明らかな人工物の地面だった。ウルの後ろからも、全員が転移されてきた。


「こ、こは……」

「ウーガの中、司令塔の上だ」


 エシェルの説明で、ようやく理解出来た。ウーガ内部でも激しい戦いがあったのだろう。中々に混沌とした有様になっていたが、確かにウーガの内部の、もっとも高い建造物の上にウル達はいた。


 防壁を超えて、外の景観が見えた。今もウーガは真なるバベルのすぐ側を飛行していたらしい――――正確に言うならば、“元バベル”という方が正しいが。


「アレは……」


 ウルは一瞬言葉を失った。

 元は方舟世界の全ての要にして全ての人類の信仰の象徴、シズクによって乗っ取られ、七首の竜が纏わり付く魔塔へと変貌を遂げたそれが、更にその形を変えゆく。それはシズクの時のような生やさしい変化では無い。

 地の底から、血が噴き出す。バベルの最深層に存在したものと同じだとすぐにわかった。それがまるで天地を逆さまにした滝のように溢れ、塔を覆い尽くす。ぶくぶくと泡が吹き上がり、変貌しながら形を変えていく。


 そして血肉が徐々に形を成す。

 最深層でみた頭部、

 六つの腕が広がり伸びる。

 背後に生まれた複雑怪奇な光輪は、どこか強欲の竜が創り出しそれに似ていた――――否、似ているのではない。アレこそが原型オリジナルだ。


「…………創造主イスラリア


 【終焉災害】

 【救世の方舟】

 【全ての始まり】


 【イスラリア】がその姿を現した。

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