一つの世界を創った男④ 抗うための力


 ガルーダは困っていた。


 ガルーダは与えられた命令に従い行動していた。細やかな命令は与えられなければ出来ない。だから、自身を作った魔術師と人形遣いによって与えられた原初の命令を淡々とこなし続けた。


 即ち、人々を助けよ。という極めて根源的な命令をこなし続けていた。


 バベルの混乱に巻き込まれた連中を片っ端から拾い上げて、すくい上げ続けていた。備わっていた生命反応を感知して、逃げ遅れが一つもないように。

 そうして仕事をこなし続けて、すっかりバベルから逃げ遅れの者達を避難所に送り届けて、あとは残す数人を片付けるだけ…………と、言ったところで問題が発生した。


 至極単純極まる問題だ。魔力が尽きたのだ。


 本来ならば、迷宮の魔物達が行うような周辺環境からの魔力補給機能が、無茶な突入を重ねた結果、破損してしまったらしい。身動きが取れなくなっていた。

 とはいえ、自分だけが動けなくなるならば、自分だけ壊れれば良いだけの話だ。だが、困ったことに、今自分の足下には、逃げ遅れた子供達がいた。


「う、ぅぅ…………ど、どうなっちゃうの、にいちゃん」

「鳥さん……怖い……助けて……」


 恐らく避難所に向かう途中迷って、はぐれてその間に変動に巻き込まれてしまったのだろう。周囲に親も居ないことから、名無しだろうか。

 とはいえ、身分がどうだとかなどガルーダには関係が無い。護らねばならない。万が一の場合自分の体はシェルターになるが…………しかし、それでもこの場所は危険だ。せめて移動出来れば良いのだが――――


『――――――?』


 そんな風にガルーダが困っていたその時だった。凄まじい力、魔力を有した存在がバベルを一気に降下してきた。そしてそれは、こちらに気がついたのか向かってきている。ガルーダは咄嗟に足下の子供達を庇うように動いた。


「何をしている」


 それは、黒く、美しく、禍々しい力を纏った獣人の女だった。

 それが何者か、ガルーダは判断する知識を有している。自分を創り出したグレーレが制御術式に刻み込んでいる。現存する方舟の戦力の中でも、最も特異な存在。竜呑の女王だ。

 彼女はこちらを見つめ、その足下にいる子供達を見つめ、首を傾げた。


「逃げ遅れた者達か?」

『――――』


 返事はできなかった。ガルーダは人語を発する機能を有さない。代わりに首を縦に振ると。女王は片手を振るった。すると次の瞬間、ガルーダの足下にいる子供達は、突然闇に飲み込まれて姿を消した。ガルーダは驚いた。だが、死んではいない。それが転移術の類いだと分かった。


「安全地帯に送った」


 更に、足下から開いた闇から魔力がこぼれて、ガルーダに譲渡される。自由に動くに十分な魔力がガルーダに注がれた。その様子をみて、女王は一言命じた。


「一緒に来い。皆を助けるぞ」


 是非もない。ガルーダは一鳴きしてそれに応じた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 空から飛来した宵闇の女王、その背後から更に振動が起こり、巨大な鳥が周辺物を破壊しながら突き進んだ。勇者ディズがバベルへと突入するために利用した機械の鳥、ガルーダはその翼を大きく広げると、迷うことなく最下層に陣取るイスラリアへと向かって、備え付けられていた無数の竜牙槍を解き放った。


『――――――!!』


 拡散するように放たれた光熱を、イスラリアは特に退く様子も無かった。彼の身体を護る防壁は、咆吼の嵐などまるでものともせずに弾き飛ばす。そしてその渦中にあって、イスラリア自身の視線は攻撃をしかけてきたガルーダではなく、共にやってきた黒いドレスを纏った女へと向けられていた。


〈精霊……鏡……?だが……〉

「【宵闇よ】」


 闇が迸る。

 魔王が扱っていた【天愚】とも、違う。昏い黒が、のたうちながら、イスラリアを護る防壁へと迫る。咆吼と同じように、魔術障壁は変わらず主であるイスラリアを護るために輝き――――その光は一瞬にして消し飛んだ。


〈――――〉


 イスラリアは次の瞬間初めて回避行動を行った。自身が展開する護りが全く意味を持たないと理解したらしい。無数の転移を繰り返しながら移動するが、しかし闇はどこまでも追い回す。


〈呼びかけにも答えない……悪感情の影響か。しかし、これは〉


 焦る様子はない。だが、解せない、という顔だった。おおよそ、この世界そのものを創り出したと言っても良い彼をもってしても、その現象はあまりにも不可解極まった。

 そしてそのまま、指を一つ立てて、空の夜へとむけた。


〈【術式コード・光】〉


 光が放たれる。外で浮かぶ竜呑のウーガすらも超えるほどの範囲と威力を備えた衝撃は、まっすぐに、宵闇の女王はおろか、その背後で飛ぶガルーダすらもまとめて消し飛ばすほどの火力を秘めていた。しかし、


「ちょうだい」


 魔術の詠唱すらなく、再び少女の前に溢れた闇が、光を飲み干す。蛇が卵をまるのむような、どこか滑稽さすら感じられるほどに呆気なく、創造主の一撃は消え去った。


〈…………なるほど、不愉快だな〉


 攻撃を放ったイスラリアは、その一連の現象をつぶさに観察し、感想を漏らした。その言葉の通り、彼の表情は僅かに歪んでいた。出現してから初めて見せる、明確な嫌悪の情だ。


〈創造物を、勝手にここまで変貌られるのは〉

「私はお前のものじゃない」


 だが、そんな神から向けられた敵意に対して、宵闇の女王は微塵も揺らぐことは無く、更にその力を広げる。


「ウルのものだ」


 彼女の周囲で、更に闇が増殖する。鏡のように額に納まった昏い闇。夜を映す鏡が無数に彼女の周囲に旋回する。そしてその全てが、かつて自身を創り出した神へと向く。再びあらゆる力を飲み込む闇が暴れ狂う。


〈――――が〉


 イスラリアは再びの回避を繰り返す――――が、その最中に光が差し込み、身体を焼いた。それは彼が自ら放った光であり、それが無数の闇の中から放たれたのだ。


「【術式・光】」

〈――――歪でも、鏡の性質は残っているか〉


 闇と光、それが無数に交差する。

 初めて、創造主の動きに余裕がなくなったのが目に見えた。


「攻めろ!!!」


 同時に、様子を見守っていたウル達も動いた。神すらも殺す斬撃、ありとあらゆる攻撃、神というたった一つの存在を消し去る為だけに動き続ける。


〈ここまで歪んだもの、新しい世界につれてはいけない――――だが〉


 その最中であっても、イスラリアは特に動じる様子は無かった。たたき込まれる力と同規模の現象を瞬時に作り出しながら、襲い来る無数の攻撃をさばき、闇をいなし、時に転移術で居場所を変えながら翻弄する。

 そして、その攻撃の嵐全てを読み切っているかのように、ほんの一瞬の隙を突いて彼の姿はかき消える。そしてずっと、勇者達を守護すべく護っていた真人達の元へと転移した。


〈神を保管する器は、回収する〉

「――――!!!」


 神と相対したゼロは息を呑んだ。しかし戦うために剣を取ることもせず、振り返って、身を挺して勇者を庇うように飛びついた。それを意味の無い愚行とでも言うように、神は手を伸ばし――――


〈―――む?〉

『ここまでデタラメだと』


 その腕と共に、神の胴体に黒い刃が突き刺さった。あともう一歩で両断されそうなほどの深い傷を前に、流石にイスラリアも僅かに身体を下げる。ゼロの身体で隠れるようにして身構えていた黄金の勇者、ディズはその結果に小さく舌打ちした。


『不意打ちくらいしか手はないかなと思ったけど、厳しいな』

〈器が、満たされている?〉

『銀糸・灰炎』


 そして、それに呼応するように、銀の勇者によって神の周囲に【灰炎】の結界が張り巡らされた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




『銀糸・灰炎』


 苦難の果て、絶望のただ中にあって心身を疲弊させたシズクの体力は、現時点で限界に近かった。しかしその極限の状況下にあって尚精密に銀糸を操り、神を拘束することが出来たのは、偏に彼女自身の類い希なる才覚故だ。それに加えて――


《むに!》


 ――アカネが、彼女の補助に回っていた。

 銀糸に纏わり付いた緋色が、自在に銀糸の動作を操り、神を瞬く間に拘束した。そしてその力でもって、神の肉体そのものすらも浸食し始めた。


〈また、歪んだ精霊kkkkkkkkkaaaaaaaaaa〉


 神の声が、ひび割れて壊れる。うめき声ともつかぬ声が喉から漏れて、身体が痙攣を開始した。見るだけでゾッとするような異常な姿だが、それが何かしらのダメージは入っていると認識して間違いないようだ。


『アカネも有効か……!なら!』


 その隙を見て、ディズは灰焰の剣を構える。【星剣】が損なわれた代わりに生まれた昏い剣。【天愚】の力を改竄したそれを、迷わず目の前の神に向かって振り抜いた。


『【魔断】』

〈AA――――!!〉


 神の足が跳ね飛ぶ。無敵極まる魔力障壁を貫いて、ダメージが入った。やはり、神への抵抗手段として【天愚】は有効な一手の一つだった。アカネも同様だろう。神を殺せる武器は、この相手にも有効だ。


『それにしたって、正真正銘の神相手か!』


 ディズは苦笑をもらした。

 自分自身が、神なんて到底ガラではないと確信した直後に、本当の神と戦う羽目になるとは、まったくもってとんでもない人生だった。あるいは、これも彼の運命に巻き込まれた結果なのか、あるいは自分が巻き込んだのか――――ともあれ、今は考えている暇もない。


「シズク!ディズ!!」

『ウル!事情は大体把握している!!なんとか倒――――』


 こちらに気づいたウルへと答えようとしたその次の瞬間、シズクが拘束している神が突如として、強い発光現象――――というよりも爆発を引き起こした。全方位へと放たれた咆吼が、周囲の全てを焼き払う。

 その攻撃に遠慮もなにも存在しない。実にわかりやすく、目の前の“神”は存在する全てを焼き殺そうとしているというのがよく分かった。


「む、ううううう……!!!」


 ゼロ達真人らの結界に護られながら、ディズは身構える。神を拘束しているシズクはこれで護られている。この隙に自分は動くべきだが、問題は今、絶賛結界の外で依然として継続している破壊の渦のなかに飛び込めるかどうかと言うことだ。

 根性論など割り込む余地もない地獄だ。せめてもう少しウルからもらった【加護】を操れる様になれば良いのだが――――


「ちょうだい」


 だが、その懸念を一蹴するように、ばぐん、と目の前の攻撃が突如として欠損した。


「あはは!」

『凄いな』


 夜の女王が、神の攻撃を食らったのだ。ここに至って、【歩ム者】達は誰も彼も突出した存在へと至りつつある。本当に頼もしい事だ。だが、その皆にも頼っては居られない。


『【灰炎よ!!!】』


 神であった頃の感覚を引き出して、ディズは灰の剣を一気に振るう。ぽっかりと攻撃の隙間となった空間を灰炎が奔り、道のようになって周囲の攻撃を焼き払う。当然、長持ちするものではない。その時間を惜しむようにディズは飛び出した。


「うむ!好機か!!!」


 と、同時に、グロンゾンもまた、この時を好機と見て飛び出していた。


『グロンゾン!!!普通の打撃では――――』


 助言をする暇も無く、グロンゾンは拳を拘束されている神へと向けて突き出した。通常の攻撃では障壁すら突破は出来ない――――と、直前まで思っていた。


「ちぇぇいあ!!!」


 だが、彼の拳は一瞬、見覚えのある残影を纏い、目にも止まらぬ速度で結界を打ち抜いた。結界はひび割れ、僅かに砕け散ってみせる。その結果を見て、グロンゾンは豪快に笑った。


「うむ!なるほど!!これは難しいな!!!」

『さ、すが……!』


 【魔断】に近い現象を、拳で再現していた。

 その無茶苦茶な頼もしさに思わず笑みをこぼしながら、ディズも続く。


『【魔、断!!!】』

〈――――――〉


 再び身体をそぎ落とす。が、神の肉体は即座に再生する。

 無限の再生?キリがない?

 疑問がこぼれるが、動揺はしなかった。何せ、自分自身がついさっきまでこんな理不尽な存在そのものになっていたのだ。相手がそうなったからといって動揺はない。そして、自分も“そう”であったから理解している。これほどまでの理不尽な存在であろうとも、不滅などではない筈だ。


〈――――〉


 そして、それは神自身も自覚しているのだろう。されるままに攻撃を喰らうつもりはないらしい。再び神の身体は発光する。今度は先ほどよりも更に激しい。ディズとグロンゾンは身構える。だが、


『【灰焔・妖霊】』


 それよりも早く、灰色の焰が神の肉体を焼いた。

 ウルか、シズクの支援かと、ディズは攻撃の出先へと振り返り――――そして苦笑した。


『――――――――』


 そこには、灰色の焰をその身に宿したスーアがいた。





              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 神への対抗手段は限られている。というのはこの戦争が始まる前から、ザイン達に繰り返し教えられてきた。【魔断】【天愚】、それら限られた手札をどう使うかが勝負の鍵だと。

 そして、状況は想定と全く違ったが、神と対峙する事になって、ザインから教えられたその事実を改めてウルは実感する。

 通用する手札が限られている。特に守りはまだなんとか真人達の努力でしのげているが、攻撃はそうもいかない。強固極まるあの障壁はただの魔術でも物理的な攻撃でもどうにもならない。ガルーダが継続して攻撃を繰り返しているが、アレはあくまでも相手のリソースを僅かでも削るためであって、ダメージにはなっていない。


 上手く、神への特攻武器を当てる必要がある。


 だが、全員が突っ込めば、今度は対抗手段をもたない者達が耐えきれない。それが分かっているから今はウルは後ろに下がっていた。全員がまとまって突っ込んで、まとめてやられれば、その瞬間全滅が見えるからだ。

 ザインやユーリも、指示を出さずとも承知しているのだろう。ウルの対角から隙をうかがっている。ディズとグロンゾンの攻撃の切れ目、そのタイミングを伺っていた。


 今はひたすら、守りに徹する。特にシズクが狙われぬようにするために。


 だから、できるだけ集中したいのだが――――


「スーア様、どうされました」


 何故かウルの背中にスーアがひっついていた。というよりも、しがみついていた。いや、確かに今のスーアは精霊の加護すらもたぬ、無力な状況だ。そういう意味では下手に野放しになるよりは近くに居てくれた方が守りやすいのは事実なのだが、しかし何故しがみついているのか。


「精霊の加護が取られました」


 すると、その疑問に答えるようにスーアが口を開く。声の調子はいつも通り平坦であるが、なにやらそこに不機嫌さを感じるのは気のせいではないだろう。


「全部取られました」

「酷いヤツっすねえ……一個くらい残してくれれば良いのに」


 まあ当人……ならぬ当神から言わせれば、自身の創り出した創造物を勝手に使用していたのはこちらな訳で、それを回収するのは正当な権利と言われれば返す言葉もない。


「代わりの武器が要ります」

「神に通じる武器、そんなぽんぽんないっす」


 ないから今、有効打を持ってる皆でぐるぐると駆け回っている。こんなにも神殺しの力を有した戦力がこの場所に結集出来たのは奇跡に近い。これ以上の贅沢は言えないと思うのだが…… だが、スーアはそんなこと知ったこっちゃないというように更に続けた。


「ディズ達は使えてます」

「いや、あれは」

「こっち向いてください」

「あの」

「はやく」


 向いた。柔いのが当たった。同時に肉体的な接触とは別の現象が起こった。

 この戦争が始まってから散々、自分の身に起こった現象だった。魂の接触現象、その干渉が今起こった。それも、ウルが行うよりも劇的にスムーズだ。精霊との接触と対話をほぼ日常的に行っていたスーアは、魂の干渉という技術においてはウルなどよりも遙かに卓越しているのだという事をウルは今更に思い知った。


『【灰炎・妖霊】』


 そして、スーアの姿は変貌していた。ユーリやディズ達と同じく灰色の焰を鎧のように、あるいはドレスのように纏い、自在に操る。ほんの一瞬でウルから与えられた加護を自らの支配下に納めてしまったスーアは、その力でディズ達を、神の攻撃から護った。


『良いですね』


 その力に満足げにスーアは頷き、


「ずーるーい!!!!」


 そして夜の女王から雷が落ちた。ウルは気が遠くなった。


「今度幾らでも言うこと聞いてやるから後にしてくれ」

「後でね!!!」


 拝むようにそう呟くと、どの様にして声を拾ったのかは不明だが、凄まじい声と共にエシェルは宣言した。その間にも次々と夜闇の力がふりおちて、神の力を削り取っているあたり、絶好調ではあるらしい。


「エシェルテンションバカになってんな……ミラルフィーネの影響か?」

『それはそうとウル』


 と、スーアとバトンタッチで下がってきたディズは、振り返るとウルへとにっこり微笑みを浮かべた。


『スーア様親衛隊の皆には絶対に言わないようにね、死ぬから』

「言う気ねえよ、死にたくねえもん」


 ウルは即答する。と、今度は真人達に護られながら神を拘束するシズクが首を傾げた。


『あの姿見られたらどうしたってばれるのではないでしょうか?』

『そっか……じゃあ、死ぬしかないかもねえ』

「神よりも怖い」


 神より怖かった。


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