一つの世界を創った男② 神奥

 彼は天才であり、社交性があり、平和を愛していた。

 卓越した頭脳と能力を持ちながらも、傲慢に振る舞うことをしなかった。まさに救世の使徒であった。だがそれは、濁流の様に溢れた人類の愚行を止めるには足りなかった。


 肉親が、その悪意に殺されたその時、彼の人類への愛は底を尽きた。


 世界を見捨て、自分の仲間達だけを助ける。そんな選択を選んだ。世界の全てを敵に回すという選択、狂乱としか言いようのない選択だった。だが彼はそれを成功させた。それほどまでに、【星石】のもたらした奇跡と、彼自身の頭脳は卓越していたのだ。


 だが、全てを成し遂げるのに時間は必要だった。


 その間に、彼は傷つき、老いた。そして歪んだ。傷も老いも、正しく向き合うことが出来れば力となるが、それも出来なかった。不穏、嫌悪、人間不信、かつて快活で輝く瞳と共に未来を見ていた男は、薄暗い闇に浸った。


 それを止めようとした者は、勿論いた。彼の仲間達は、元の彼を取り戻そうとした。彼の仲間達の多くは、【星石】に惑星救済の可能性を見いだした善性の者達だった。やや人格に尖ったところがあるのは否定しきれなかったが、それでも、元々の彼からかけ離れた姿を見るのは、耐えなかったのだ。


 それを正そうと、癒やそうと幾度となく試みた。躍起になった。


 だが、ダメだった。失敗した。


 彼の傷は想像よりも遙かに重かった。

 ならばせめてと、彼の暴走をあらゆる手段で止めようと抗った。

 そして、それすらも失敗した。その理由も至極単純だった。


 


 あらゆる手段を用いても、老いて傷ついた筈の彼に勝てなかった。彼は星を救うほどの天才であり、そんな彼にただの天才達は何も太刀打ち出来なかった。


 こうして、方舟転移後の数十年、方舟の中では地獄が展開された。


 止められない怪物、暴君と、ソレを止めるべく抗った元の仲間達による闘争。その争いの余波が、後々いくつもの形に方舟を割り、国を作り、差別を作り、混乱を招いた。


 幸運だったのは、彼が老い、傷つき、そして病んでいたこと。

 万能の魔術であっても取り返しの効かない程にその病が進行していたこと。

 その結果、戦いは終結した。勝者が自ら脱落したことによって。


 この戦いを知る者は殆どいない。記録にも残されていない暗黒期であり、紛れもない黒歴史だった。心神喪失状態に陥った救世主の暴走と、それを阻まんとしたかつての仲間達の血みどろの内ゲバなんて、誰も記録に残す気にはならなかったのだ。


 故に唯一、当事者達のみがその真実を抱えていた。今も尚――





              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 真なるバベル最深層


〈そういえば、そうだった〉


 その短い一言共に走った衝撃に対して、グロンゾンは眼を見開いた。


「雷……!!」


 衝撃と、激しい痛みからそれが雷の力であることは分かった。おおよその状況推移はグレーレから聞いている。あのヒトガタが太陽神と月神から生まれたものであるならば、そういった現象を引き起こすことも出来るだろうというのは推測出来た。

 だが覚悟していた以上に威力が凄まじい。当然のように竜と相対したとき以上の威力が放たれている。背後のスーアを護るために構えるだけで精一杯だった。


「【大地の精霊ウリガンディン!!】」


 精霊の加護で身を守る。それでも絶対不動の守護も通じていない。貫通した雷がグロンゾンの皮膚を焼き続ける。

 竜に近い性質も持っている……?


「む、う……?」


 その事をスーアも理解しているのか顔をしかめている。長くはもたない。それを理解したグロンゾンは即座に叫んだ。


「グレーレ!どう動けば良い!」


 恐らくこの場で最も状況を理解しているグレーレへと呼びかけた。途中合流してから、ロクに情報共有出来ぬまま戦いが始まってしまった。知識が必要だった。そしてそれを間違いなくグレーレは知っている。


「――――」


 だが、グレーレはグロンゾンの言葉に反応しなかった。彼の視線は激しく雷を放ちながら形を変えていく奇妙なヒトガタに向けられていた。どこか懐かしむような、悲しむような、彼らしからぬ表情を浮かべていた。


「グレーレ!!」

「ああ、すまない」


 だが、今は呆然してもらっていては困る。再び呼びかけるとグレーレも我に返ったのか、首を振ると声を上げた。


「やらなければならない事はシンプルだ、あの神を名乗る存在を破壊するだけだ」


 グレーレは雷そのものを逸らす避雷針のような術式をいくつも打ち込みながら答える。比較的、被弾はマシになった事に安堵しながら、更に尋ねる。


「良いのか!?あれは太陽神と月神なのだろう!?」

「七つの部品に別れるだけだ。そうすれば宿った魂は器を失う。問題は――――」


 そう言ったあと、一瞬言葉に詰まり、そして続けた。


「……慈悲?」


 奇妙な言い回しだった。そもそも状況的に、アレは敵なのだろう。その敵に慈悲など最初から期待するなんて考えはそもそも浮かばない。それを誰であろうグレーレが口にするのは奇妙に思えた。


「あれはヒトらしく振る舞うだろうが、精神構造は完全にソレではなくなっている。疑似人格となればなおのことだ。期待するな」

「……?」


 繰り返すグレーレに、スーアが不思議そうに尋ねた。するとグレーレは一瞬目を見開いた後、珍しく、恥じらうように表情を綻ばせた。


「見抜かれますか。いや、俺がわかりやすすぎたか」


 そう言って、隠すように口を掌で覆う。だがその手も、小刻みに震えていた。グロンゾンは否応なく、緊張を高めた。彼と出会ってから今日まで、自分の命を賭けるような激闘すらも好奇心を満たすための糧としか見ていなかった男の恐怖は、目の前の困難がどれほどのものであるのかを明確化させた。


「ご覚悟下さい。スーア様、我らが愛し子、新たなる王よ」


 グレーレは視線を異形のヒトガタから外さず、淡々と口にした。


「あらゆるを追い求め、好奇心の赴くままに、英知を探求した」


 語っている間にもヒトガタの形を変わる。先ほど一瞬見えていたような、形だけヒトをなぞらえているが故の奇妙な姿ではない。ヒトでありながらヒトでない異形そのものへと変質を続けていく。

 そして、


「だが、1000年経っても、先生にはついぞ、


 異形が変わる。天へと伸びた指先と共に、小さく言葉が唱えられた。


〈【術式コード・雷】〉


 その瞬間、雷の密度が跳ね上がった。

 グレーレが無数に創り出した避雷針が一瞬で焼き払われる。精霊の守りを受けていたグロンゾン達も強制的に退かされた。というよりも弾き飛ばされた。


「む、う……!?」

「スーア様!」


 スーアを守りながらもグロンゾンは敵の攻撃を観察する。デタラメに対して圧倒されるのではなく、即座に観察に移るのは彼が優れたる戦士であるが故だった。


 しかし目の当たりにした“異形”の攻撃は、グロンゾンの理解力の範疇を超えていた。


 極めて広いバベル最深層の地下空間、“その全てが雷で満たされたのだ”。否、超広範囲攻撃程度であればグロンゾンには経験がある。その程度であれば、竜のような怪物達は使ってきた。それは良い。

 だが、この攻撃は、”継続している”。


 この規模と威力が持続して、終わることがない……!?


「なん、だ!?これは!!」


 たまらず、叫ぶ。こんな馬鹿げた攻撃、ただただ防御したところでどうにもならない。早急に対抗策を見いださなければ圧死する!!

 そしてその問いに、グレーレはなんでもないような顔で答えた。


!」



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 グレーレは淡々と解説する。


「魔……!!?」

「【天魔】を流用しているのだろうが、神の力は使っていない。ただの魔術だ。そしてそれ故に制限がない」


 神の力には制限がある。人々からの信仰、“承認”を得た力で無ければならないという事実だ。敵意や殺意と言った負の感情、敬意や愛情といった正の感情、どちらにしても必要であり、これは一種の制限だ。神という道具を、不用意に扱えぬようにするための制限にすぎない。

 ならば、魔術の方が遙かに自由度は高い――――なんて事には当然ならない。机上の空論も甚だしい無茶苦茶な理屈だ。神はあまりにも卓越した道具だ。それを用いずに神を超えるなんて、人類が二本脚で車と競争して勝とうとするようなものだ。


 そう、普通は出来ない。


「魔術は精霊の模倣。精霊は神の模倣、


 だが彼にはそれが出来るのだ。


「【終局サード】の先、【神奥フォース】。全く、これだから天才は困る」

「お前が、他者を天才というとはな……!」

「アレと比べたら、俺など凡夫も凡夫よ。全く、堪らない」


 グレーレは彼を目指した。精霊に頼らず出来る限界を超えようとした。彼にとって【天魔】も道具に過ぎなかった。そうして数百年研究を続けたつもりだったが、それでも今、彼の足下に届いているか自信がなかった

 だが、だとしてもやるべきことはやらねばならない。雷の破壊音に負けぬように、声を張り上げながらグレーレは叫んだ。


「最悪のパターンその1,粛正装置の支配は阻止した!」


 方舟の監視装置、ノアに後付けされた最悪の機関、“粛正装置”はザインが破壊した。アレが利用されれば方舟中に「眼」が出現する滅亡の危機であったが、それはなんとか回避出来た。


「だがその2、【星石】を直接取り込まれればそれも最悪だ!プランが稼働できなくなる!奪われるな――――」

〈奪う、誰から奪うと言うんだ?グレーレ〉


 不意に、声が真後ろから響いた。

 激しい雷の嵐のなかで、見失っていた。いつの間にかイスラリアは自分の背後に転移していた。グレーレは息を呑んだ。


「【魔よ――――ッが!?」

〈アレは最初から私のものだ。誰にもくれてやった記憶はない〉


 首をつかまれ、吊り下げられる。

 神の姿は再び変わっていた。あどけない、子供のように見えた顔が変わっていた。酷く冷たい、感情の一切ない顔、一切を平伏させる君臨者の顔だ。グレーレの記憶の中でも、最もなじみ深い、最悪の神がそこにいた。


「全盛期かつ、最悪のこじらせ時期の記憶を転写した訳か……!地獄だな……!!」


 せめて、晩年の老い衰えた時期の彼であれば、まだ説得の余地はあったが、どうやら彼は自分の全盛期の頃の魂を神に書き込んだらしい。ハッキリ言って最悪の事態だ。


 あの頃の彼に、グレーレ含めた全ての人類は勝てたことが無い。


〈不思議だな、君、それほどの正義心を持ち合わせていたか?〉

「カ、ハハ、何、気が、変わったのですよ、先生!」

「ッぬぅ!!!」


 会話の最中も、グロンゾンが自分を助けるべく拳をたたき込む。が、それは不可視の障壁に阻まれた。なんの遊びもない魔術障壁。本当にそこらの一般魔術師でも使える代物だ。竜の力でも破壊出来ないほどの精度であるという点以外は。


 全く、本当にたまらない。そんな風に思いながらグレーレは自分の師へと笑いかけた。


「貴方が見捨てた星を救うのは、さぞかし気分が良いだろうと思――――ガ」

〈そうか〉


 首のへし折れる音と共にグレーレは落下する。地に落ちた彼の身体に無数の術式が走り、破損した彼の肉体の治癒を開始する。それを見つめ、イスラリアは眼を細めた。


〈蘇生。相変わらず泥臭い〉


 そして容赦なく片手をあげる。星天の輝きを放つ剣が彼の掌の先から出現し、なんの躊躇もなく切っ先が振り下ろされ――――


「【魔断】」


 それを黒い斬撃が切り裂いた。

 イスラリアはその結果にも何も動じなかった。そのまま視線を横にずらす。黒衣の老人を見つめ、つまらなそうにため息をついた。


〈ザインか、老い果てたな〉

「その時期のお前が変わり果てたのだ。痛々しい」


 ザインは一蹴し、そしてその剣をイスラリアへと向けた。


「お前との約束を果たすぞ。イスラリア」

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