目覚め

 人類救済の椅子取りゲームは始まった。


 無論、最初は誰もが冷静であろうとした。各国の首脳陣達は互い、冷静であろうと言葉を尽くした。自分たちは、自分たちは理性のある生き物であり、恐怖と欲望を自分たちでコントロール出来る筈だと宣言した。


 無論、それが口先だけのものであるとだれもが知っていた。


 平等や公平性は、富める者が分け与えても痛みが伴わない時にのみ許容されるものであり、ましてあまりにも露骨に示された椅子の数は、実に呆気なく人類を獣へと戻してしまった。


 星石を有した大国は【万能物質】の独占に走り始めた。


 他国から指摘されると、あくまで研究の必要分であり、正確に分配を行うためであると返答した。それが真実であるかどうかはハッキリとはしなかった。それが定かになる前に、その行動を批判した別の国が戦いをふっかけたのだ。

 

 戦争が始まると、歯止めはきかなくなった。自分たちが助かるために全員が死に物狂いで殺し合い、景品となる【星石】とそれを研究するイスラリア博士を巡って殺し合い、殺し合い、殺し合って――――そして、最後にその全員が敗者となった。


 景品であったはずの【星石】が、イスラリア博士が人類に反旗を翻したのだ。


 イスラリア研究機関のほんの数十人によるあまりにも小規模な独立宣言。それが起こった当時は誰もが冗談の類いだと思った。だが彼等と、彼等が新たに創り出した人類の反抗は瞬く間に人類を――――旧人類を圧倒した。


 無論、抵抗もあった。圧倒された旧人類は、皮肉にもイスラリア博士の反旗によって一つにまとまり、死に物狂いで抵抗を続けた。


 だが、それでも最後は勝利した。文字通りの方舟によってイスラリア達は世界を去った。彼等は勝利した。


 しかし、傷は残った。

 戦いは長く、あまりに多くが犠牲になり、仲間達を失った。


 そして何よりも、イスラリア博士自身にも傷が残った。肉体にでは無く、その心に。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 グレーレとザイン、双方に異常が発生したまさにそのタイミングで、ユーリもまた、異常と遭遇していた。


「…………?」


 グレーレが用意した木の根、彼の操る端子が神の混合体に接触し、それを包み込んだ直後に異常は起こった。神の混合体の光が強く、激しさを増していったのだ。ユーリは最初、それをグレーレの行っている作業に伴う現象なのかとも思ったが――――何か、違った。

 今日ここに至るまで、死線をくぐり抜け続けてきた彼女の直感が激しい警報を鳴らし始めた。このままでは危険だ、不味い、備えろ。そんな言葉が次々に頭に浮かぶ。


 無論、ユーリにはグレーレが行っている作業に対する知識はない。彼自身の人格は問題があると嫌悪していても、彼自身の有する技術力は超一流であることは疑いようもない事実なのだ。

 だから彼がしていることは分からないし、そのトラブルには対処出来ない。


 だからユーリは迷い無く、自分に出来る事を、剣を構えた。


《備えろ、トラブルが――――》


 そのほぼ同タイミングで、グレーレからの通信が届いた。想像通り、僅かに焦りの滲んだ声だった。ユーリは驚きも動揺もしなかった。


《――――来るぞ》


 次の瞬間、神の混合体を包み込んでいた“木の根”が、突如として黒く染まり、槍のようにユーリの方へと伸びた。より正確には、彼女の背後に眠る三人の方へと殺到した。


『【終断】』


 それら全てをユーリが灰炎の剣で切り裂くのはほぼ同時だった。

 剣の冴えに一切のよどみは無かった。疲労困憊であり、体力が限界にさしかかっても尚、彼女の剣に微塵の衰えはない。師であるザインの至った境地、どれほどの老いや疲労の中にあろうとも、剣を振るう動作は劣化しない。そんな境地に彼女は至っていた。


『っぐ……!』


 だが、痛みが肩に走る。傷は無い。純粋な限界を告げる骨と筋肉の悲鳴だった。どれほど色あせることの無い絶技を持っていても、再現するのはやはり自身の肉体だ。その限界は例えユーリであろうとも訪れる。


〈【制御装置:星鍵】を確認、回収〉

「……!?」


 そしてその隙を突くように、ディズとシズク、二人が使っていた【星剣】を異形が回収する。それを止めることはできなかった。身体が軋む。敵の攻撃を凌ぐ事はできるが、その動作を繰り返すと自分の体が自壊しかねない。休み、回復する必要はあった。だが、剣を握る手を離すわけにはいかなかった。

 なにせ、異常は未だに目の前で続いている。


 そしてその異常の根幹をユーリは見た。


「【廃棄孔】から……?」


 最深層にずっと鎮座していた巨大なる瞳、世界を穢す【廃棄孔】から、本当に、ユーリであっても目をこらさねば分からないほどの黒く細い糸が伸びて、周囲の“根”に繋がっているのをユーリは見た。そこから根の色が黒く変色し、更に“神の混合体”へとその触手を伸ばしていく。


 そして、奇妙な声が聞こえてきた。


〈緊急事態発生、【神】の管理者不在、直ちに管理者は【神】の保護を行って下さい〉

〈応答なし、監視者ノアに通達〉

〈応答なし、新約零条につき【廃棄孔】に設置された【安全装置セーフティ】起動〉

〈起動完了〉

〈方舟の現在状況を把握、方舟地表破損度80%に到達〉

〈外部侵略【迷宮】、方舟地下侵略度70%〉

〈【星石】の不正利用を感知〉

〈粛正機構接続〉

〈接続中〉

〈接続中〉

〈接続失敗〉 

〈粛正機構心臓部破壊を確認〉


 ヒトの声とも違う、奇妙な声が連続して響く。それは間違いなく、木の根が取り込もうとした――――そして今は、真っ黒い塊のようになってしまった神の混合物から発せられていた。


 ろくでもないことが起こっている。それはすぐに分かった。


 だがユーリは動かなかった。目の前で起きる現象、異常に対して自分が出来る手段は少ない。知識はない。あったとしても目の前の状況を処理する能力がない。これは自分の専門分野ではない。故に揺らがず、慌てず、グレーレ側の動きを待った。

 己は“剣”である。

 剣の役割は敵を切り裂くことにある。


〈神の管理該当者――――【勇者】の保護管理作業開始〉

『【終断】』


 更に黒い根の輝きは強くなった。同時に最下層全体が激しく揺れ、爆発すると同時に大量の根――――それに加えて周囲の血肉が手の形となって一気にディズ達に殺到する。それらをユーリは容赦なく両断する。

 爆発の影響か、降り注ぐ血と肉と骨の中、ユーリは剣を振るい続ける。ディズとシズクに降りかかる瓦礫を全て切り刻み、消し飛ばす。


「ごあ!?」


 途中、逃した小石が自分の主に直撃したが、まあ死にはしないだろう。というかさっさと目を覚まして欲しいのでもっと瓦礫が降り注いでも構わないくらいだ。

 地下からの爆発が連続して起こり、そして血の雨が吹き上がってくる。まるで此所よりも更に地下で誰かが暴れているかのように――――


「――――きゃぁぁああああああああああ!!?」

『……は?』


 と、思っていたら、その爆発に巻き込まれるように、本当に誰かが巻き込まれて吹っ飛んだ。

 流石にユーリも驚き、同時に剣を止めて吹っ飛んできた少女――――【真人】のゼロを受け止める。腕に収まった彼女は、まだ混乱しているのか手足をばたつかせた後、自分が抱き留められていることに気がつき、次に誰が自分を助けたかを見て目を見開いた。


『何をやってるんですか、貴方』

「天剣!?なんかちょっとエッチな格好になってません!?」

『余裕がありそうで何より』

「いだぁ!?」


 本当に余裕がありそうなので手放すと、尻から落下しゼロは身もだえた。

 元々の鎧はウルとの激闘でボロボロになり、今はウルの灰炎を鎧代わりにしているが、皮膚が露出しているところは【天剣】を纏ったときと比べ確かに若干多い。【灰炎】の出力が【天剣】のソレと比べて弱いのが原因である。

 つまり全部ウルの所為だ。文句なら彼に言って欲しい。


「っぐ!?」

「血まみれ、くさい」

「全員、無事か!」


 なんてやや気の抜けた事を考えていると周りにも【真人】達が落下してくる。ディズと別れ、動いていたのは承知していたが、随分と深いところで活動していたらしい。

 そしてその真人達と共に降りてきた黒い男が、何も言わずユーリの隣に立った。


『師よ』

「構えろ」


 師であるザインの命に応じて、ユーリは構える。


「最悪の事態は防いだ。だが、ここからだ」


 ザイン自身を含めて、不明な点はあまりにも多いが、ザイン自身の人格をユーリは信頼している。故に、彼の有無を問わぬ指示には従うべきだという確信があった。

 目の前の異常は続いている。先ほどの地下から起こった爆発の際、ザイン達と共に飛び出してきた肉塊――――両断された、臓器のような代物を黒い塊が取り込む。


〈粛正機構修繕開始――――不可能と判断、貯蔵魔力の吸収開始〉


「――――どういう状況?」

『見て分かりませんか?』


 背後から聞こえてきた、主の声にユーリは振り返らない。

 ユーリとて、全てを把握は出来ていない。いないが、全員の疲労具合と、目の前の事象、あらゆる状況をひっくるめるならば、適切な言葉が一つ存在した。


『地獄です』

〈方舟崩壊の危機継続と断定。【廃棄孔】内部で凍結中の魂を解凍〉


 奇妙なる声が続く。状況の変化、対峙する相手などまるで気にもとめぬようだった。そちらの方が遙かに重要であるとでもいうように。

 そして、一際に輝きが強くなると共に、


〈おはようございます。イスラリア・グランスター〉


 奇妙なるその声は、創造者の名を呼んだ。

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