スパイの軌跡②
J-04ドーム北東エリア住居区画地下3階層。
「…………」
星野仁は自分の家の前に到着していた。
といっても、果たしてこの場所がまだ自分の家であるのか怪しかった。冷静に考えればとっくの昔に彼女はこの場所を引き払っている可能性はある。自分を待っている者は誰もいないと考えるのが普通だ。
この場所を、世界を後にして方舟で活動してから十年以上は経った。
今更誰かが待っている可能性は無いに等しいと思っていた―――――が、見れば部屋の扉の前には、「星野」と名札が書かれていた。
まさか、とは思いながらも指紋認証を行うと、解錠される。
自分の登録はまだ残っていた。仁は奇妙な緊張感に包まれながら扉を開く。
「ただいま」
咄嗟に挨拶が出た。十年ぶりに戻ったにしては、あまりにも素っ気ない答えだった。
扉を開くと、すぐさま知った顔が出迎えた。
「――――――…………」
星野杏はこちらを見て、目を見開いていた。
変わらない姿、とはいえない。10年だ。シワが増えた。髪も短くなっている。苦労してきたのだとわかる。彼女は呆然となって、あるいは信じられないというようにこちらを目を見開いてにらんでいた。手に持っていた洗濯物がバサバサと地面に落ちた。
そして、
「――――――うおっしゃああああああああああ!!!!」
「おぶあ」
次の瞬間、顔面に拳が飛んできた。まるで痛くはなかったが、仁は勢いでぶっ倒れた。
「勝手に出て行って何年も音信不通にほったらかしにしてシレっと帰ってくるんじゃねえ!!!」
「すまん」
杏はぶち切れていた。そういえば彼女はこういう女性だったなと仁は懐かしくなった。懐かしんでいると拳がぶっ倒れた顔面に飛んできた。痛くは無かった。
「いきなり貯金にはすげえ金がぽんぽん振り込まれてるしこえーんだ!よ!!」
「すまん」
「置き手紙みてえな遺言みてえなのだけ残された気持ち考えたことあんのかボケェ!」
「本当にすまん」
「ふ――――――ううあああああああああああああ……!!」
そして、彼女の瞳からボロボロと涙がこぼれ出た。
顔面を殴られるよりも遙かに心臓が痛くなった。同時に、自分がこの場所に戻ってきたのだという自覚がようやっと湧き上がってきた。申し訳なさと、罪悪感と、どうしようも無い安心感で、ジースターも少し泣いた。
「死んじゃったかと思ったあああ……!!」
「すまん」
何度も殴られながら、ジースターはずっと謝り続けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「蜜柑は?」
杏が落ち着いた後、仁が訪ねる。杏は真っ赤になった目をこすった後、彼女の寝室へと案内した。十数年前と変わらない部屋の中で、彼女はずっとベッド―――というにはやや大きな機械の中で、眠りについていた。
「……変わんねえよ、この子は。こんな馬鹿でかい医療ベッド用意してもらったけどさ。仮死状態のまんまさ」
「ああ」
「っつーかいきなりこんなでかい機械運ばれて滅茶困ったんだからね……!?」
「すまん」
魔界に行く条件に、この医療機器の用意と維持を条件に加えていたが、約束は守られていたらしい。彼女は【禁忌生物】の襲撃で起こった事故で大けがを負い、昏倒した。治療が困難だった彼女を冷凍睡眠で保存して、そのままだ。
仁は彼女が眠る冷凍睡眠を操作し、彼女の姿を外に出した。
「ちょ、ちょっと!」
いきなりの仁の行動に杏は驚いたが、仁は無視して懐から薬瓶を手にした―――アルノルド王から報酬としてもらったもの、方舟でも極めて希少な【神薬】を蜜柑の口元に運び、飲み込ませる。
「これで治る」
「いや、そんなわけっていうか飲める訳――――――「…………ふあ…………ねむ」
効果は一瞬だった。
蜜柑は十数年前と変わらない寝ぼけ顔であくびして体を起こした。ボリボリと頭をかき、そして自分の状況に顔をしかめた。
「え、っていうかなんか寒いんだけど?てかこの機械何?父さんなんで私の部屋にいんの出ていって…………なんか老けた?え、大丈夫?」
「――――――」
杏は目を見開いたまま、ぐらりと卒倒したので仁が支えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「だからすまない。俺はこちらの世界でも裏切り者として扱われるかもしれない。おまえ達にも迷惑がかかる可能性が高い」
そして仁はすべての事情を話した。
方舟イスラリアに到着してからの旅路のすべて。本来であればこの世界でも禁忌とされる情報のすべてを包み隠さず説明した。正直言って話すべきことなのかもわからなかったが、それでも彼女たちにこれ以上何かを黙ることは許されないと思った。
かなり長い話になってしまったが、二人はすべてを黙って―――蜜柑はこちらの話に興味がそそられたのか度々口を挟んできたりもしたが―――聞いてくれた。そして、
「だから、必要ならば別れよう。二人が安全な場所は「馬鹿にすんなコラァ!!!」
そしてぶん殴られた。痛くは無かったがぶっ飛ばされた。ぶん殴った杏の闘気は竜よりもすさまじく見えたのは気のせいだろうか。
「次、勝手に自分だけどっか離れようとしたらありとあらゆる手段でアンタ監禁するからね……!!」
「はい」
有無言わせずである。ひとまず彼女の安全を確実に確保する方法については諦めた。もしも下手にやろうとしたら彼女はどこまでもついてきてしまうだろう。
「蜜柑は、どうだ。何か言うことはあるか?」
彼女にも尋ねる。冷凍睡眠で仮死状態にあった彼女は友人達とも年齢すら離れてしまった。目を覚ましたら何もかも環境が変わり、友人達は老けていたなんていう状況だ。何の理解も追いついていないかもしれないが、尋ねる。
「えーうーん……まあ、まだよくわかってないけどさあ」
口先をとがらせて彼女はうなる。昔やめろといったその癖も変わらず、本当に事故が起こる前からそのままぽんと復活したような彼女は、仁の顔を伺いながら、言う。
「お父さんがさ、めっちゃ頑張ったのはわかったよ。体とか、ヤバいもん」
「……ああ」
最初、仁の方舟での活躍に疑いを持った彼女の前に、魔力によって強化された肉体とその力を見せてやると、彼女は押し黙った。父親の半裸なんて見て気分でも悪くしたのかと思ったが、そうでは無く、少し顔色が青くなっていた。
魔物や竜達との戦いで残った傷跡を見たためかもしれず、不用意に晒したと仁は反省していたのだが、蜜柑はさらに続ける。
「でもさ、まだ戦いって続いてんだよね。その方舟とさ」
「……そうだな」
仁はうなずく。
戦いはまだ続いている。いや、正確に言えばようやく始まったのだ。長い長い泥沼の戦争、その最後の戦いが。シズクという一人の少女が魔界側のすべての戦力を背負って、方舟に対して戦いを挑んでいる。
その戦いの規模まで理解できていないのだろうが、自分と同じ年くらいの少女が戦っているという事だけは理解していた。
「私、それ手伝えないのかな?」
「手伝う?」
「え、だって……その、雫?その子が、一人で戦うなんてあんまりじゃない?」
「―――……」
ジースターは、言葉を咄嗟に返すことができなかった。
ある意味、世界と方舟、二つの異常な世界の当事者であり続けたジースターが麻痺していた感性だった。たった一人にこの世界の状況を背負わせる異常さを、当然のように彼女は指摘した。そして、
「だったら私も、自警部隊に―――」
「ダメだ」
ジースターは立ち上がり、蜜柑の肩をつかんで続く言葉を止めた。
蜜柑のそれが罪悪感からこぼれた言葉なのだと言うことはすぐにわかった。自分が眠り続けている間に、仁がどれほど過酷な旅路を続けてきたのかを痛いほど理解してしまったが故に出てきた言葉だとわかった。しかし、だ。
「それだけは、ダメだ」
「な、なんでよ。父さんだって無茶ばっかしたんでしょ!それに雫って子も!なんで!」
なんで?
家族だから、身内だから、死んでほしくないのだろうか。
いや、違う。この衝動は、この嫌悪感は、この怒りはそうではない。今の自分の内側でくすぶっているものは―――
―――子供達に、殺し合いをさせたくない
「約束したんだ」
「約束?」
「そうだ――――――友達と、約束したんだ」
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