陽殺しの儀⑳ 死霊術


「皆様!どうか落ち着いてください!決して道を逸れないで!!」


 騎士達の言葉を聞きながら、彼女はバベルの中を悠々と進んでいた。


「この先を直進です!!螺旋図書館は広い!十分に避難できますから!!!」


 彼女は誘導された道を直進せず、誰にも気付かれ無い内に右に曲がった。


「避難民をバベルに招き入れたのか!?邪教徒が混じっているかも知れないんだぞ!!」

「どうしようも無かったんです!!見殺しにするわけにはいかんでしょう!?」

「ああ!くそ!!いいか!決して目を離すんじゃ無いぞ!!不審者はすぐに捕らえろ!!」


 言い争いながら、必死の形相で駆け回る彼等の横を、彼女は至極当然のように素通りした。彼女が間近に通過したことに、彼等は全く気付くことは無かった。


 彼女は長い廊下を進んだ。

 彼女は階段を登っていった。

 彼女は幾つかの大きな扉を開いていく。


 彼女は進んだ。彼女は進んだ。彼女は進ん――――


「【破邪神拳】」


 次の瞬間、彼女の身体は金色の拳に打ち抜かれた。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 グロンゾンは星天の籠手によって少女の心臓を一瞬の躊躇も無く砕いた。


 会心の一撃だった。衝撃で骨が砕け、臓器を砕き、心臓を炸裂させる。それほどの一打だ。衝撃で、少女の身体は壁に叩きつけられ、骨がへし折れ血の海に沈む。

 血にまみれた少女の容姿は、彼女ではなかった。背丈、肌色、髪の色、何もかも違った。だが、しかし、グロンゾンは攻撃の構えを解くことはなかった。

 もし万が一にでもただ単に迷い込んでしまった一般人であったのなら、その時は自分一人だけが、その業を背負う覚悟だった。


「――――あ゛ら、グロンゾン様。お久しぶりでございますね」


 そして、結局グロンゾンの判断は間違っていなかったことがすぐに判明した。

 即死したはずの少女の瞳が、ぎょろりと此方を見つめたのだ。


「【喰らい、超えよ】」


 そして、彼女の身体は光に包まれる。砕け散った血と骨、肉片が彼女の内側に戻り、再生を果たす。通常の治癒術とは違った。真っ当な治癒術では、否、【神薬】であってもここまでの大ダメージを即座に治療することは出来ない。

 コレは―――


「相克……?嫉妬の権能を治癒に転用するのか!?」

「ダメージは負わねばなりませんし、消耗もきついのですが、ええ、やむを得ませんね」


 そう言い血を拭いながら、自分の血肉にまみれた酷く悲惨な姿で彼女はゆっくりと、グロンゾンに向かって頭を下げた。


「グリードぶりでしょうか。グロンゾン様、もうお怪我の方は大丈夫なのですか?」


 問われ、失われた左腕の代わりにつけられた義手を見て、グロンゾンは肩をすくめた。


「利き手を失ったユーリが前線に立っているのに、サボるわけにも行かんからな!」

「あら、元気ですね。とても残念」


 グロンゾンの言葉にシズクはクスクスと微笑みを浮かべる。そうしている姿は本当に優しげで、思慮深く見える少女のソレだ。しかし勿論グロンゾンには油断はなかった。


「避難してくる民達を利用するとはな」

「バベルには転移含め、あらゆる対策があって潜るのが大変でした。【消去】で容姿の誤魔化しが解かれぬよう、髪も直接染めて化粧もしたのですよ?」


 そういって彼女は自分の髪を指先で梳いて払うと、白銀の色がきらめいた。

 グロンゾンは静かに周囲に意識を向ける。真なるバベルは広く複雑な上、グレーレの仕事で空間そのものが歪んでいる。だが普段からここを利用する者達にとって、此処は庭に等しい。


「どうでしょう、グロンゾン様、交渉し―――」

「撃てぇ!」


 次の瞬間、グロンゾンの指示で集った神官に魔術師、騎士達の一斉放火が邪神を襲った。

 情け容赦の無い砲撃だった。対魔物、対竜に使うような兵器の一斉砲火で在り、竜殺しも多用している。邪神相手にどこまで有効であるかわからないが、


 だが、アレは傷を負い、その後治療を行った。治療しなければならないということは、ダメージがあり、それを無視できないということだ。それを信じて砲撃を続けさせた。


「【揺蕩い―――】」


 しかし、次の瞬間、空間が揺らぐ。

 飛び交った無数の魔術、竜殺し、弓矢に竜牙槍の砲撃、なにもかもが着弾する前に空中にとどまる。まるで、時間がその瞬間止まってしまったかのようだった。

 戦士達がどよめく中、グロンゾンだけは知っている。


「色欲――!!」

「【狂え】」


 次の瞬間、攻撃の一切が戦士達に跳ね返る。少女一人に向けた敵意と殺意の全てが、周囲へと跳ね返った。


「っぐああ!?」

「回避しろ!!!」

「中央への攻撃は防げ!まだ避難民を収容し切れてはいないんだぞ!!」


 戦士達の混乱の最中にも、彼女自身の姿も変化していく。

 塗りたくられた化粧も取り払われ人外めいた美貌へと変化した。魔力がドレスとも鎧ともつかぬ形に変わり自身の血肉で汚れた衣服の代わりに彼女を守る。


 【月の神シズルナリカ】

 あるいは【大悪竜フォルスティア】は真なるバベルに降臨した。 


 最悪の事態、か。


 その事実に、グロンゾンは歯噛みした。そして、


「だが―――!!」


 次の瞬間、彼は駆ける。両の拳を構え、そして跳んだ。

 ゼウラディアの完成によってさらなる神気を宿した籠手を、病みあがりの身で何処まで扱えるかは分からない。だが、今この場は紛れもないイスラリアという大陸そのものの存亡の危機だ。

 この命、燃やし尽くしてでも止める。その覚悟で彼は両の拳を重ね、【神拳】の権能を起動させる。


「ぬ、ぅぅああああ!!!」


 以前よりも遙かに増して凄まじい荘厳なる浄化の鐘の音に、自滅して吹き飛んでしまわぬよう全力で歯を食いしばる。そのまま全力で少女へと向かって、その拳を叩きつける。


「本当に、容赦が無いのですね」


 一方で、彼女もそれを身構える。【星剣】を構え、そして容赦なくそれを振るった。


「【破邪神拳!!!】」

「【揺蕩え】」


 荘厳の鐘と音、狂乱の鈴の音、二つが重なって、バベルそのものを揺らした。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 随分と早くに、見つかってしまいましたね。


 シズクはグロンゾンと相対しながら、静かに状況を見極める。彼女の耳は周囲の状況を捉えていた。瞬く間に他の騎士達もこの場所に集いつつあることを理解した。十二分に、外へと意識を向けたつもりではあったが、まだ尚、戦えるだけの戦力をバベルに残していたらしい。


 あるいは、此方の行動、作戦を見抜いていたのか。


 ともすれば、勇者が来るのも間もなくだろう。

 そしてそうなると、必然的に此方は不利になる。当たり前だが、ここは敵の本拠地なのだ。時間が経てば、猶予を与えれば、自分は数と暴力の利に叩き潰される。そうでなくとも、バベルの【神陽結界】が自分を外敵として認識し、押しつぶそうとしている。体中が軋み続ける。

 “敵”としてここにいることは、迷宮の中に単身で潜り込んでいるに等しい。


 だから、急がねばならない。そう確信し、シズクは【星剣】を地面に突き立てた。


「“時間稼ぎ”、お願いしますね、ロック様」

『カカカカ!!任せよ!!!』


 シズクの懐から飛び出した死霊兵、ロックは瞬く間にバベルの塔を埋め尽くし、兵達に襲いかかった。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 死霊兵、ロックの存在は勿論グロンゾンたちも認識していた。


 元は【歩ム者】に所属していたかつての亡霊。

 武術の能力が優れ、異形となったにもかかわらず精神は安定。冒険者ギルドからも魔術ギルドからも問題なしと判定された者。安定性こそ希有であるが、能力に特筆したところはない使い魔。

 使い魔としての能力が飛躍的に高いのは、術者であるシズクが卓越していたからだ。

 それが彼女らを知る者の認識だった。


『カッカカカカ、【骨芯化】』


 グロンゾンはその認識を改めた。


「なんっ?!」


 出現した大量の死霊兵達の形状変化。瞬く間に転じ、“悍ましい姿”を形作ったそれらは凄まじき速度で、一斉に全方位に襲いかかった。


「竜の、死霊兵?!」

「形だけだ!!!怯、っが!?」

『【咆哮・骸響】』


 一斉に咆哮が放たれ、一気に兵達が焼かれる。彼らとて、多くの戦いを経てきた熟練の兵達だ。その彼らが情け容赦なくたたきのめされる。グロンゾンは歯噛みし、前へと出て、再び神の権能を振るった。


「【破邪神拳!】」

『カ――――』


 一瞬にして、死霊兵は砕け散る。崩壊し、粉みじんに鳴って消えていく。やはり、死霊兵達の大半は魂すら込められていない。魔力によって構成された実体のない操り人形。迷宮から生まれたばかりの魔物と性質上は大差ない。

 だが、それはつまり


『――――――カカカカッカカ!!!』

「っちぃ!」


 魔力が尽きないのであれば、即座に再生することも出来ると言うことだ。

 砕け散り、風化した死霊兵達は瞬く間に再生し、襲いかかってくる。グロンゾンは再び身構える。身体が軋む。即座の連発は出来なかった。だが、やらねば―――


「グロンゾン様!!!」

「っ!?」


 背後から部下らの悲鳴のような叫び声が届く。まるで内容のないものだったが、意味は理解できた。明確な警告だ。ならばと即座に振り返り、闇雲に拳を振るうと手応えがあった。


『ふむ、惜しいのう?』


 自分の背後で密やかに精製されていた死霊兵の牙が、突き立てられる寸前だった。


「精製される場所に、制限はないのか……!」

『わざわざ敵の正面で形作るなんて、間抜けじゃろ?』


 言うや否や、至る所から死霊兵達が発生する。最初の出現は、こちらの意表をつくための牽制でしかなかったのだろう。


「っが!?」

「ひ、ひぃ!?気色悪!!」

「コンビを組め!!死角に回られるぞ!!」

「不味い、一匹逃げた!!避難民達の所やるな!!」


 戦況の混沌が加速する。兵達の統率の死角を狙い、こちらがやられると嫌なことを全て使ってくる。一体一体がかなりの脅威である上に、破壊してもまるでキリがない。しかも、隙を見計らって此方の目を盗み、バベルの避難民達のところまで行くそぶりすら見せる。


「避難状況は!?」

「六割ほどが!!」

「急がせい!!」


 グロンゾンはハッキリと理解した。

 コレは本当に、最悪の手合いだ。

 敵は異形であるが、魔物ではない。ヒトと同じように思考し、その上で此方がされて嫌なことを全てやってくる。人類の性質、心理を悉く狙ってくる。


「まともに相手なんてしていられんな……!!」


 グロンゾンは再び破邪神拳を放とうと身構え、不意にその構えを解いた。

 長きにわたった戦闘経験が、危険を直感した。


 時間を稼ごうとしている……?!

 

 敵の動きは、まさにそうだ。時間を稼ごうとしている。実際、現在前に出て戦いを繰り返しているのは死霊兵ばかりだ。肝心の恐るべき驚異、邪神は何一つとしてこちらに対してアクションを仕掛けてこない。


 何かを狙っている。だが、何を?!


 グロンゾンはシズクへと視線を向けた。なにを仕掛けるつもりなのか、それを見定める。そしてグロンゾンは死霊兵達が巻き起こす騒乱の影に潜むようにしながら、静かに目をつむる邪神シズクの姿を見た。


「【■■■―――――――――■■―――――】」


 彼女は、唄っていた。

 無論知っている。ただただ歌を歌っているのではない。彼女のそれは魔術の詠唱であり、彼女独自の術式の構築だ。邪神という力を身につけても尚、彼女はその技術を使うらしい。

 そして、彼女の紡ぐそれがただの魔術ではないのは明らかだった。

 それがなにかまではつかめない。つかめないが―――


「【破邪神拳】」


 それは止める。その覚悟と共にグロンゾンは拳を構え。放たれた矢の如く、一気に直進した。


『ッカァアーーーーーーー!!!!』


 次の瞬間、無数の死霊兵達は一斉にグロンゾンたった一人に向かい集中する。鐘の音で砕かれようと何が起ころうともグロンゾンの身体にしがみつく。その勢いにグロンゾンは確信する。やはり何かを仕掛けるつもりだ。そして、それはなんとしても止めねばならない驚異だと。


「【――――■風――――――魂――――隷】」


 眼前に迫る脅威に対しても、邪神の唄は微塵も揺らぐことはない。

 死すらも恐れぬように、淡々とその詠唱は紡がれ続ける。断片的に、魔術の意味合いがハッキリと聞こえ始めた。詠唱も終盤に入っている。グロンゾンは足下にまとわりつき、刃を突き立ててくる死霊兵を踏み砕きながら、更に直進した。


「――――――なあ、この唄って」


 その時、混沌とした戦場の最中、部下の一人が呟いた。この場においてもっとも若い彼は、なにかを思い出すように顔を顰めさせながら、脳から絞り出すように声を発した。


「死、霊術………なん、じゃ?」


 死霊術。

 無論、それはそうだろう。というのがグロンゾンを含めた全員の感想だった。

 彼女は常に死霊兵を自身の周囲に侍らせているし、今もそうだ。縦横無尽に暴れまくる死霊兵達はやりたい放題をしている。その死霊術を彼女が使わないわけがない。


 ―――だが、いや、まて?


 既に、彼女の周囲を護り蠢く死霊兵達は、独立して動いている。改めて、そこに更なる術をかける理由は無い。死霊兵、ロックの強化の魔術?だとしてもわざわざ敵に囲まれてからそれを行うのは遅すぎる。

 ユーリなどからも聞いた彼女の人物像を考慮すると、そんなもたもたとした行動を彼女が取るようには到底思えない。


 では、別の、新たな死霊兵を使役する?


 だが、その使い魔を創り出すための魂は――――


「――――――ッ!!??」


 次の瞬間、グロンゾンの全身に怖気が走った。


「全武装解禁!!」

「グロンゾン様!?」

「己ごと撃って構わん!!被害も考えるな!!!ありったけを打ち込めぇ!!!」


 避難民の安全確保が出来るまでは、無茶は出来ない。

 邪神を包囲する前、事前に取り決めていた方針を完全に投げ捨てるグロンゾンの強い命令に、部下達は驚愕する。が、その命令に逆らう事はしなかった。使用を控えていた魔術、兵器の類いを躊躇せず、解禁する。

 バベルの内部での破壊行為など、自滅も良いところだ。そのリスクすらも投げ捨てなければならない危機の侵攻をグロンゾンは訴えている。今日まで彼が部下達を率先して率いて、時に盾となってその命を守ってきた実績が、彼等から躊躇を消しさった。


「撃て!!撃て撃て撃て!!」

「神を殺せ!!なんとしても!!!」


 爆発が起こる。幾つもの魔術が炸裂し、バベルの塔が衝撃音で振動する。間違いなく、階下で逃げ遅れている避難民達はこの音に恐怖し、更に怯え、混乱し始めていることだろう。グロンゾンもそれは分かっている。分かっているが、最早一刻も猶予も無い。


「【破邪神拳!!!】」

『ッカー!!!!』


 連続して神の拳を放ち、骨を砕く。全身が凄まじく軋む。1年は安静にしていろと、そう言われていた身だ。それは分かっている。分かっているが、アレだけは止めねばならない。


『ガカ――――』

「ぬぅううううおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 砕く、踏み抜く。ふり下ろし、破壊する。死霊兵の剣や骨が身体を突き刺し、味方の攻撃が身体を焼き付いても尚、グロンゾンは前進する。拳を砂の山のようになった骨片に突き刺して、力の限り掻き分ける。中に籠もり今も詠唱を続けている彼女を引きずり出す。


「っがああああああああああ!!!」


 血が目に入り込み、見えづらくなっても尚、彼の視界は邪神の姿をとらえて離さない。その脳天を叩き割るべく、彼は最後の拳を振りかぶった。


「―――間に合いませんでしたね、グロンゾン様」


 邪神は、淡々と告げた。以前彼女が周囲に振りまいた微笑みではない。

 その心中の一切を覗き込むことのできない、虚無の表情だった。


「【竜魂転生】」


 次の瞬間、グロンゾンも、彼の部下達も、何もかも凄まじいエネルギーによって弾き飛ばされた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 ほぼ同時刻


「――――なんだ」


 バベルの塔、上空にてガルーダと共に旋回していたディズは、その異変に気が付いた。

 否、気が付かない方がおかしい。

 あまりにも膨大な竜の気配、精霊達をおびえさせる気配が、よりにもよって、バベルの塔から爆発したのだ。


「【竜魂転生】」


 次の瞬間、バベルの塔が


「――――――!?」


 ディズは目を見開き、言葉を失う。

 破壊は、その爆発は内側から起こった。遙か高く突き上がった偉大なるバベル。数百年、イスラリアの大陸の中心に存在し、世界を見守ってきた方舟の要石は、砕けていく。

 だが、全てではない。ディズ達の眼下で起こったそれは破壊では無く、変容だった。弾け飛んだ無数の塔の断片を、炸裂した力が飲み込んでいく。それらを取り込み、形を変え、全く違う新たなるものへと変質していく。

 うねり、渦巻いて、崩壊していく塔を中心に蠢くもの。


 巨大なる竜。

 その”7つの頭”の全てが、じぃっと、ディズを睨み付けた。


「――――大罪、竜」


 真人の少女、ゼロが震える声で囁いた。


 七つ頭の大罪の竜が、バベルの塔を依り代に砕きながら、今此処に蘇った。

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