陽殺しの儀㉑ 最悪の更新


 真なるバベル空中庭園


「――――」


 スーアは、その異変を感知した直後、即座に動いていた。

 【神賢】の操作を即座に止めた。魔王の機神が放置されるリスクもあったが、無視せざるをえなかった。その力を自身の周囲にいる従者達に使うためだ。


「スーア様!?」


 驚きの声をあげるファリーナも無視して、スーアは即座に転移術を発動し、周りの皆をそのまま、地下の螺旋図書館へと飛ばした。あってはならない事態、【真なるバベル】に万が一があった時の為にあそこはシェルターともなる。何もかも崩壊したとて、あの内にいれば災厄からは逃れられる。

 全ての騎士、従者、神官達を飛ばし、そして無論スーア自身も即座に移動を開始する。

 否、正確にはそうしようとした。


「あ―――」


 気が付けば、細長い銀竜が、自分の身体にまとわりついていた。空中庭園に巡らされた結界すら反応できないほどに、恐ろしく弱い竜だ。それが此方の転移を阻害している。


 狙われた。

 敵は、シズクは、自分一人だけに狙いを定めたのだ。


 スーアはそれを理解したが遅かった。バベルの崩壊と浸食に巻き込まれ、自分の身体が沈んでいく。浮力の無い水の中に沈み込んでいくかのような感覚に溺れながら、スーアは空へと手を伸ばすが、既に視界は黒く染まった。


「おとうさん」


 何時もの厳かな呼び方で、父への言葉を残して、スーアはバベルへと飲み込まれた。 




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 大罪都市プラウディアの住民達はその日、”最悪”を更新し続けた。


 空から顕れた白銀の竜が動き出したこと。

 罪の迷宮が飲み込まれ、悪の迷宮へと至り銀竜をはき出した事。

 その悪の大迷宮が空から落ちて、1000年の歴史の街並みが崩壊したこと


 全て、最悪だった。

 彼等が経験したことの無い地獄そのものだった。これ以下の最悪は無いだろうと、そうであってくれと、そう乞うプラウディアの民達の願いは矢継ぎ早に破られ続けた。


 そして、とうとう、もっとも訪れてはならない最悪がやって来た。


「…………バベル、が」


 誰かが言った。真なるバベルが崩れた。

 否、崩れるよりももっと悪い。

 バベルの塔が竜達によって奪われたのだ。

 太陽の神ともっとも近い場所、天賢王のおわす筈のその場所が異形へと変質した。高く突く強い、神と精霊達と自分達をつないでくれていた筈のその場所が、歪に歪み、異形へと転じた。


 そして、凶悪なる七首の竜がその中央にて渦巻き、そして吼えた。



『G――――――OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!』



 強欲

 色欲

 暴食

 虚飾

 憤怒

 嫉妬

 怠惰


 7つの大罪竜の咆吼。

 聞くだけで内臓がひっくり返ってしまうようなそのおぞましい声は聞いた者全員の心を一瞬にして踏み潰し、ズタズタにして引き千切った。自分の住処を追われる羽目になっても尚、妄信的に天賢王率いる七天と、太陽神の勝利を疑わなかった住民達は、その信頼ではどうにもならない状況にあることを理解した。


 そして、空が更に割れる。


 残された青い空が崩れて落ちる。割れて、砕けて、落ちていく。銀の竜が出現してから今日まで続いてきた浸食が一気に加速する。イスラリアを覆っていた美しい青空が消えていく。それらが全て嘘だったかのように。

 残った空は、赤と黒の入り交じる悍ましい不気味な空だ。魔界の空がイスラリアの全てを覆った。ずっと自分たちを照らしていた太陽神の姿が、浸食されていく。


「月神シズルナリカよりイスラリアの民たちに告げます」


 その声は、プラウディアの地下深くに逃げ込んだ全ての民達の耳に届いた

 醜悪なる七首の竜の雄叫びと、負けず劣らずその声もまた恐ろしい。

 その声の主こそが今の地獄を生み出した元凶であると、それを耳にした全てのものは理解できた。その筈なのに、彼女のその声を美しいと思わずには居られなかった。耳を塞ぐことはできなかった。もっと聞いていたいと耳を立てずには居られなかった。救いようのない魔性が彼等の魂を呪った。


「世界から簒奪し、嘘をつき続けてきたその悪を、精算する時が来ました。」


 太陽の御姿、それ自体もまた、ひび割れていく。砕けて消える。イスラリアという世界の中にだけ存在した青い空も、太陽も、その嘘が剥がされる。真っ赤になった空に残されたのはただ一つ。白銀に輝く神が一体。


「これより、イスラリアを滅ぼします」


 終焉の月の神の宣告に、イスラリアの民達は恐慌状態に陥った。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 大罪都市プラウディア結界外


「やるねえシズク」


 眼前から巨神が消失したことで、ブラックはシズクの目論みが成功したことを悟った。


「まさか、まさか本当に、やったというのか……」

「おやおや、信じてやってなかったのかな?お前等の神様だろうによ」

「黙れ……」


 巨神の消失、そして目の前のプラウディアを覆う結界の揺らぎ。その二つを目の当たりにしてハルズは大きく動揺していた。

 理由はまあ、想像がつく。何せ彼らからすれば結界も巨神も、長い年月の間対処しようといくら試みたところでどうすることも出来なかった障害だ。イスラリアという方舟を盤石としたその要素があっけなく消えようとしている現実を、容易には飲み込めないのだ。


「まあ、そんなら試そうじゃねえか?なあ」


 人形は動き出す。

 プラウディアを覆い尽くしていた【神陽結界】、一切の悪意や害意を跳ね返してきた結界へと、機械の足は前へと踏み出す。


「――――!?」

「――――、――――!!!」


 足下のうろちょろしている兵士達も蹴散らして、結界に足をかけると、機神スロウスは酷くあっけなく、その一歩を踏み出した。 

 結界は、まるで脆いガラス細工のようにあっけなく、踏み砕かれたのだ。


「おお、おおおおおお……おおおおおおおおおおお!!!」


 無数の魔物達が砕かれた結界の内側に突撃していく。兵士達の抵抗もむなしく、彼らは内側に引き下がる他なかった。そしてそんな魔物や銀竜達を引き連れて、人形兵器スロウスは前進する。

 誰かが憩いにしていた酒場や商店、自宅、その全てを人形兵器は踏みにじり蹂躙していく。誰もが何かしらに文句や不満を告げたりもしながらも、愛おしく思っていたはずのそれらを、異臭と熱を放つ金属の塊が、跡形も無く粉砕していく。


「ははは!!やった!!やったぞ!!!方舟の最後だぁあ!!!!」


 その瞬間を目撃したハルズは喉を震わせ、あらん限りの声を振り絞び、驚喜した。


「たのしそぉねえ?」

「お前はどうだよ、ヨーグ」


 そして、そんな彼の同僚たるヨーグに、ブラックは愉快そうに尋ねた。

 どこか冷めた表情で見つめていた。何もかもを見透すような恐ろしい眼を向けられて、ヨーグは普段は逆の立ち場になっている自分に悦びを覚えつつも、答えた。


「―――達成感はあるわよ?でも、そぉねえ?…………少し寂しいかしら?」


 自分であってもどうしたって台無しに出来ないもの。忌々しいと共にどこか奇妙な信頼のようなものを抱いていた対象が、あっけなく壊れてしまうのは哀しい。


「ああ、でも――――ええ、それでもやっぱり綺麗よねえ……」


 しかし一方で、自分の性分は隠せない。

 絶対に壊れないと、そう思っていたものが壊れる。ましてそれが、おそろしい、太陽神の化身ともなれば、悦びも一入だ。ハルズのように叫んだりしないのは、この悦びを表現する手段が、ヨーグにはなかっただけだ。

 だが、口は歪み、ぐしゃぐしゃに壊れた顔になる。そのまま口が裂けてしまわぬように押さえるのに必至だった。


「他人の性癖には口を出さない主義だ。好きにしろよ……さてさて」


 そんな邪教徒たちの狂喜乱舞を、どこか冷めた目つきで観察を終えた魔王は、目の前のモニターの光景、プラウディアの終焉を眺めながら、囁く。


「そろそろいよいよ世界が終わるぜ?どうする?ウル坊」





              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






〈状態問題なし、目的地到着まで後10分〉

「な、なあ、コレ本当に大丈夫か!?本当に大丈夫なのか?!」

「大丈夫だろ多分」

「今“多分”って言った!?」

「仕方ないでしょ。ぶっつけ本番なんだから」

「嘘でしょ!?こんなことぶっつけでやってるの!?」

「本当よ」

「本当だってさ」

「嘘だと言って欲しかっだ!!!!」


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