陽殺しの儀⑲ 選択肢の余地はなく



 時間を少し前後して


 【大罪都市プラウディア】天陽騎士のカレイは混乱のただ中にいた。


「どうしたのだこれは!?」


 この有事に対して、神殿を守護する役割を持つ天陽騎士団と、市井を守る騎士団との間には共同戦線が立ち上がった。彼らは共に協力しプラウディアを駆け回り、民達を守り、都市の内側に入ってくる銀竜達や魔物達の迎撃に追われていた。


 決して口には出来なかったが、てんてこ舞いだった。


 未曾有の竜、民達の混乱、耐えがたい静寂の時間、慣れと疲労による不満。そう言った全ての膿が最大にたまった瞬間を狙うようにして起こった銀竜達の大攻勢は、あまりにも容赦なく、人々を混乱のどん底に貶めた。

 魔物や竜達への対処のみならず、守るべき住民達の混乱も鎮めなければならなかった。それは騎士団にとっても、天陽騎士にとっても未知の戦いだった。


 【太陽の結界】という名の安全な場所。天賢王の腕の中。

 ここなら絶対に安全であるという保証が、今日までこの世界を守ってきたのだ。

 それを彼らは思い知った。


 それが崩れた今、彼らはとにもかくにも足を使って死に物狂いで走り回る以外選択肢は無かった。だが、そう思っていた矢先に、バベル周辺で大混乱が発生したのだ。


「避難施設に入れなかった者達が、ここに……」

「外部からの避難民含め、十分な数を用意した筈だろう?!何故こんなことになる」

「避難所までの経路を銀竜達に破壊されたのです!」


 騎士達の応えに、カレイは歯噛みする。


「無事な場所を探して移動させろ!バベル“も”危険なんだぞ!!」


 真なるバベルが最も危険である。と口には出せないが、事実そうなのだ。

 天陽騎士として戦い、神官として“陽喰らい”でも戦ったことのある彼は経験として知っている。敵が狙うのは常に【バベル】なのだ。ともすれば、イスラリアという大陸の中で最も危険な最前線と評しても差し支えないような場所だ。


 そんなところに住民達を避難させるのは、全く正気の沙汰ではない。


「っですが!」

『A―――――!!』


 だが、まさにそう言っている間にも銀竜達は更に迫る。至る所からあの美しい鈴の音を鳴り響かせる。心が震える程に美しい竜の大合唱は、住民達を震え上がらせた。


「お願いします!バベルに入れてください!!」

「子供だけでも!!!」

「怪我をした者がいるのです!神官様!!!」


 ……!?


 住民達の阿鼻叫喚を聞きながら、カレイは絶望的な気分になりながら思い知った。

 信仰の重要性を思えば、彼らを見捨てることは出来ない。彼自身の道義としても、弱り混乱しきった彼らを見捨てるなんて論外だ。だが、他の避難経路に移動させる余裕も時間もない。銀竜が迫る今、彼らを他の場所に移動させるなんて見捨てるのと同義だ。


 選択肢がまるで存在していない。


 そうする他ない状況に、誘導されたかのようだった。


 そして、その最中だった。


「み、見ろ!!!」


 空に聳える巨大な、銀色の神殿が球状に変化し、明滅を開始したのだ。あまりにも禍々しく、威圧的に光を増していくその姿に、避難してきた住民達は恐怖した。


「ど、どうなるんだ!?あれは」

「爆発するの!?死んじゃうの!?ゼウラディア様!」

「お願いします、中に入れてください!!!」


このままでは混乱によって彼らは自分たちを押しつぶして死ぬ。


「ッやむを得ん……!螺旋図書館へ移動させろ!!!」


 それを確信した彼は、苦渋の思いに苛まれながらも、【真なるバベル】の扉を開け放った。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 プラウディア中央区在住の都市民メイナ・レリーズン。彼女はプラウディアの都市民として生きてきて今日までの間、恐怖という恐怖からは無縁に生きてきた。


 夫は大手の商人ギルドの一員として勤め、彼女はその手伝いをしながらも、家庭を守っていた。休みはあまり取れないが、飢えや怪我、命の危機とは無縁の安寧の日々を過ごしてきた。愛娘も今日で5才になる。順風満帆とは簡単には言えないが、幸せだった。

 とはいえ勿論、全てのトラブルから無縁の日々を過ごしてきたかと言われたらそんなことは無い。例の陽隠しの時はとても驚いたし、泣き出す娘をあやすのに必死だった。大丈夫よ、と何度も娘に言い聞かせていたが、彼女自身不安でたまらなかったのが本当だ。


 でも、結局はその事も夫から「自然現象の一種」と説明を受けて、納得した。偉大なる太陽神だって、時には休みたくなることだってあるものだ。そう納得することにした。


 彼女は、これから先も続く安寧を決して疑うことは無かった。


「皆さん!!!避難してください!!落ち着いて、ゆっくりと!!!」


 その幻想は容赦なく崩れ、現在彼女は愛すべき家を捨て、避難を余儀なくされていた。


 人混みのただ中、怒声と悲鳴が彼方此方から聞こえてくる。案内をしてくれている騎士団の若い青年の声はその混乱に潰されて、よく聞こえない。お願いだから騒ぐのを止めて欲しいと願うのにそうはならない。

 多分、自分と同じようにそう願っているヒトがいるのだろう。その彼ないし彼女の罵声がまたもう一段、騒ぎを悪化させていくのだ。


 どうしてこんな事に?


 空が割れたあの日も、夫は混乱する自分を安心するようにと言って聞かせていた。ただ、今回の現象ばかりは自然現象だと夫も笑うことは出来なかった。なにせ、空にはあまりにも巨大な銀の竜が此方を見下ろしていたのだから。

 それでも、きっと七天の皆様が、天賢王がなんとかしてくださると、そう言って自分たちを励まして、それでも必要ないなら外には出ないようにと忠告して、夫は仕事場に出て行った。この異常事態に、商人ギルドも火が付いたような騒がしさになってしまったらしい。出来るなら家で自分たちを護って欲しかったが、生活がある。彼を見送ることしか出来なかった。


 懸念は当たった。騒動は収まること無く、ついに竜達がプラウディアを直接襲い出す事態になった。家で夫の帰りを待つことも出来ず、メイナは娘と共に避難する羽目になった。


 失敗した、と思ったのは、夫が帰るのを待つべきか否かで判断に迷ったことだった。結果、動き出すのが遅れた。結局彼は戻ることが出来ず、彼女が慌てて避難しようとした頃には、近所のプラウディアの避難施設はどこもかしこも一杯になっていた。


 幾つかの避難施設への道は銀竜達に襲われ、砕かれた。

 残された無事な場所はすぐに住民達が殺到し、いっぱいになった。


 他の都市から来たような連中は追い返せ、と口げんかする者もいたが、自分には余裕はなかった。手を引っ張って連れてきている娘のロロナも、プラウディアの彼方此方を出歩いてもうヘトヘトだった。


「そうだ!バベルへと逃げよう!」

「いや、バベルは戦いの戦場だ!危険だぞ!」

「外に居る方が危険だ!きっと王が俺たちを護ってくれる」


 誰かが言った。反対の声もちらほらあがったが、それよりも同意する者達の方が遙かに多かった。彼等は疲れていて、同時に恐怖もしていた。この状況下でなんとか安心できる場所にたどり着きたい一心だったのだ。自然と群衆はバベルの方角へと足を向けた。彼女もまた、彼等にながされるようにそちらへと向かった。


「バベルは危険です!!どうか別の避難所へ移動してください!!」


 出迎えた騎士が叫ぶ。だが、彼の言うことを聞く者はあまり居なかった。彼等は疲れ果てていた。広い広いプラウディアを馬車もなにもなく、足で右往左往し続けていたのだ。もう限界だった。

 他の場所と違い、騎士達が存在していたことが、彼等をこの場に縛り付けた。もう何のアテも案内も無く、浸食された赤黒い空を徘徊なんてしたくは無かったのだ。


 そして、その最中だった。空に聳える巨大な、銀色の神殿が、此方に向かって落下を開始したのは。


「ど、どうなっちまうんだよありゃ!?」

「誰か!!ゼウラディア様!!!」

「お願いだ!!中に入れてくれ!!!」


 バベルの周囲にいる群衆は暴徒へと変わろうとしていた。全員が助かりたい一心だ。自分も、彼等の叫び声に怯えて泣いてしまったロロナが居なければそうしていたかもしれない。生まれて初めて遭遇する未曾有の事態は、余裕を根こそぎにしてしまった。


「地下の螺旋図書館の避難所を利用する!!全員そちらに誘導しろ!!」


 やがて、天陽騎士の男がそう言った。苦悶の表情だった。メイナの目から見てもそれはギリギリの判断だったように思える。実際、もう既にメイナの周囲の皆の目は血走っていた。これ以上時間がかかっていれば、きっと彼等は騎士を押し倒して中に踏み入ろうとしていたことだろう。

 バベルへの門が開かれた。その瞬間、雪崩のように群衆が中に入ろうとするのを騎士達がなんとか制御する。最悪にならぬよう、全員が全員必至だった。


 押し合うへし合う状況下で、メイナは娘の手を離すまいと藻掻いていた。


「……!?ああ!!?」


 藻掻いていた、筈だった。必死だったのに、メイナはロロナの手を離してしまった。手を離すつもりは無かったのに。千切れてしまわないかと心配するくらい掴んでいたのに、汗で泥濘んだ手が、彼女の手を滑り落としてしまった。


「ああ!ロロナ!ロロナ!!どこなの!?」


 メイナはとうとう我慢しきれず叫んだ。

 ここまでずっと他の皆のように叫んだり喚いたりしなかったのは娘のためだ。彼女が理性の線を切らさずにいられたのは間違いなく娘のためで、娘のお陰だったのだ。

 夫とも合流できなかったことが彼女に多大なるストレスを与えていた。その上娘まで離れてしまったら、彼女は何を寄る辺にしたら良いのか分からなくなる。


 大丈夫、きっとロロナはこの塔の何処かにいるはず

 本当に?あんな小さい子、この人混みの中で本当に無事で居られる?

 蹴られて、のし掛かられて、踏み潰されたら?きっとひとたまりも無い!


 悪い想像が次々と彼女を襲う。発狂しそうな気分だった。目の前がグルグルと回るのが、周囲の人混みに押されてのものなのか、それとも自分の頭の中が混沌のただ中にいるのか、判断が付かなかった。


「もし」


 そんな時だ。そっと、肩を叩かれたことに彼女は気がついた。

 不思議とその瞬間、自分の周囲の騒音が静かになった気がした。彼女は涙でボロボロになった顔で振り返ると、そこには少女が笑みをうかべていた。


「娘さんはこちらの方ですか?」


 そういって差し出されたのは、確かにロロナだ!

 目をつむりぐったりとしていて、怪我でもしたのかと思ったが、よく見たらスヤスヤと眠っている。メイナは殆どひったくるように彼女からロロナを受け取ると、深々と安堵の溜息をついた。


「あ、貴方、ありがとう!ありがとう!!よかった!!この子が死んでしまうかと!」


 そして目の前の少女へとお礼を告げる。心からの感謝の言葉だった。きっと、彼女がいなかったら、本当にロロナとは離れ離れになっていたことだろう。冗談でも何でも無く、小さな我が子にとって命の危機だった。荒れ狂うように混乱する群衆は、時に魔物達よりもよっぽど恐ろしいと言うことをメイヤは賢い夫から聞いたことがあった。


「良いのですよ。ああ、無事で良かったですね」

「なにか、なにかお礼を」

「どうか落ち着いて、避難して下さいませ」


 そういって彼女は人混みに紛れて、すぐに見えなくなってしまった。本当に、なにかお礼をしたかったのだが、確かに彼女の言うとおり、落ち着いて避難しなければならないのはそうだった。彼女は再び騎士達の誘導に従うことにした。

 状況が落ち着いたら、また彼女を探そう。そしてお礼を言うのだ。

 名前も聞きそびれてしまったけれど、きっと大丈夫。


 あんな美しい鈴のような声をした少女、きっとすぐに見つかるはずだから。

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