そして彼は / 開幕


 そして時間は現在に戻る。


 魔界 J地区 Jー04ドーム 新谷博士の私室にて。


「子供達を集団生活させて、衰弱死を強制した相克の儀によるうつわの強化……」

「正気の沙汰かよ……!?」


 新谷博士の私室。J-04ドームの僻地に用意された彼の自室には、招かれざる来客達が詰めかけていた。一人は自警部隊の一般兵であるのは間違いなかったが、残り3人は違う。

 一人はやや小柄だが、一般的な人類と体格に違いの無い少年だ。ただし、巨大な槍のような武器で扉をこじ開けて押し入った事から、間違いなく魔力による肉体強化が施されている。イスラリアの住民だろう。

 一人は女児のような背丈だが、顔に幼さが全くない。指先がやや長い。イスラリア内での精密作業を目的として生み出された人種、小人に違いなかった。

 更にもう一人、ヘルメットを外すと獣のような耳がのぞき見えた赤黒い髪の少女までいた。獣人、イスラリアのなかでも戦闘能力を重視して創り出された人種。ことごとくがイスラリアの住民達だ。


 イスラリアにおける雫の仲間


 そう名乗る彼らに、新谷は自分の部屋を制圧されていた。

 いうまでもなく、イスラリア人にとって新谷は魔物や迷宮をイスラリアに送り込み、雫をけしかけた元凶だ。ハッキリ言って、何時殺されても全くおかしくもない状況だった。


「……無論、狂気の産物だとも……当時の最深層はまともじゃなかった」


 だが新谷は、彼らが部屋に押し入った後、特に抵抗することはなかった。イスラリアで魔力を獲得し、超人化した彼らに対抗する手段がないと諦めていたのが一つ。もう一つは、元よりそうするだけの気力が存在していなかったというのがある。


「長期の研究の停滞、迫る資源の枯渇。不完全な延命手術による苦痛、様々な要因が彼らをじっくりと狂気へと誘った」


 とっくの昔に、彼の精神は限界を迎えていた。地下最深層から逃げだし、その後自分たちが生みだした雫があの惨事を引き起こした所を目撃したときからずっと、壊れている。


「世界のため、という大義を掲げていたけど、非道から目を背けるには足りなかった。だからこそ、最後彼女に飲み込まれて、命を捧げたんだ」


 決して、逃れ得ようがないのだと彼は悟った。だから無駄な抵抗はせず、淡々と自分達が行ってきた邪悪の所行を説明した。


「……そんなの、そんなことされて、俺たちを助けようなんて思うわけねえだろ!」


 少年兵が叫んだ。

 彼はイスラリア人ではないのだろう。だが、彼は最も動揺し、そして怒りを顕わにしていた。それも当然と言えば当然だ。空に浮かぶ黒球、イスラリアに全てのヘイトを押しつける形で現在の人類社会はコントロールされている。悪いことは全てイスラリアが元凶であると。

 なにも知らないドームの住民は、自分たちが加害者になることに慣れていない。


「よしんばイスラリアを滅ぼしたとしても、返す刀でドーム焼き払ったって何にもおかしくねえじゃねえか!そんなことされたら!」

「本来なら、継承完了後は対象者に安全装置は組み込まれる筈だった。思考を制御し、裏切れば拘束し、恙なく

「……っ!!」


 そんな彼にこのような事を告げるのは追い打ちに等しいだろう。 

 が、事実は事実だった。人道などというものは、あの場所には存在していない。


「もっとも、彼女に施されていたセーフティはもう存在していないがね。彼女が最深層を籠絡した時、全て外させたのだろう」


 こうして最深層は壊滅し、その後は生き残った新谷を中心に最深層は再構築された。

 そして雫は実質的な支配者となった。


 新谷は雫の望むままに全ての準備を進め、彼女自身の身体の調整を進め、そして雫を神の依り代として完成させて、転移装置を使いイスラリアへ転移させた。

 それは、あるいは自分の罪の象徴である彼女を遠ざけるためだったのかも知れない。だが、彼女は見事イスラリアで魔力を喰らった大罪竜達を回収し戻ってきた。


 逃げることは出来なかった。その時点で新谷は諦めていた。


「これが、私の知る限りの彼女の経緯だ。参考になったかい?」


 新谷は投げやり気味にそう告げる。

 語られた内容は、紛れもない蛮行であり、狂気の実験で生命の冒涜だった。聞くに堪えないという表現が相応しいその話を前に、自警部隊の少年兵は怒りを隠さず、小人と獣人の少女達はそろって顔を深く顰め、そして少年は最後まで黙って聞いた。


「…………あんた、これからどうする気なんだよ」

「別に、なにもしないさ」


 少年兵は問う。どう責任を取るつもりなのかと問うていた。新谷は自分の顔の筋肉を無理矢理引っ張るようにして笑みに形を変えて、応えた。


「彼女の慈悲に縋る。だめだったときはその時だ」

「ざけんなよ……!?」


 無責任な物言いに聞こえたのか、少年兵は新谷を睨んだ。彼の怒りは正しい。まさしく、自分は無責任なことを言った。


「だとしたら、どうしたらよかったんだい?」


 新谷は壊れた自分の笑みを更に深める。ふつふつと、内側の奥底から真っ黒に煮えたぎった感情がわき上がり、堪えきれなくなるのを彼は感じていた。


「僕が現状を理解したときには、この世界もなにもかも、ご覧の有様だったよ!誰も止まりようがなかった!!今更もうどうしようも出来なかったんだ!!」


 世界の平穏を望んでいた。苦難に満ちた世界にあって、自分に出来ることがあると新谷は思っていた。己の知識と才覚にうぬぼれ、世界の窮地を侮っていた。

 この世界の最先端、最も発展した技術を有する研究所に足を踏み入れ、その惨状を知ったとき、彼は絶望した。


「人道にもとる事の無い、素晴らしいやり方があったのなら皆それを選んでいたよ!」


 そしてその絶望は彼だけのものではない。あの最深層で働いていた誰しもが、その絶望に染まっていた。誰だってそうだ。子供を育てて生け贄に捧げる。そんな悪趣味で非効率なやり方を、人類の叡智を築いた賢者達が好んで選ぶわけもない。

 彼らの頭脳でもって、そんな外道しか残されていないと気付いたから、あんな有様になっていたのだ。


「ああ!!くそ!!せめて馬鹿に生まれたかったよ!!現実を知らない馬鹿にさあ!」


 そうであったなら、未来に希望を持てただろう。遠からず、資源が尽き果てて人類社会の維持が不可能になるという現実を理解せずに済んだだろう、生み出された子供達を贄として魔力を濃縮する手法を考え無しに批難することも出来ただろう。

 幸福でいたいなら、無知でいるべきだ。彼はつくづく思い知った。


「無茶苦茶だ……」


 開き直りと言うほか無い新谷の言動に、獣人の少女は首を横に振った。イスラリアからすれば敵の、責任者の人間にあるまじきヤケクソっぷりだった。醜態という表現がぴったりとくるだろう。

 彼らが堪忍袋の緒を切らして、自分を殺してもおかしくはなかった。あるいは新谷自身、無意識にそれを望んでいたのかも知れなかった。それくらい、彼はもう参っていたのだ。


「お前はむかつかねえのかよ!あの銀髪の女の子と仲間だったんだろ!?」


 少年兵は、最初此処に強引に押し入って以降、ずっと沈黙を続けているイスラリアの少年へと視線を向ける。自分で破壊した扉に背中を倒していた彼は顔を上げた。


「――――前提として、あんたらの所業の是非を問うつもりはない」


 そうして語られた彼の言葉は、最初の暴力的な介入とは全く違う、理性的な言葉だった。


「イスラリアと、この世界の争い。互いに加害者で被害者にもなった現状、同郷のコースケは兎も角、イスラリアの住民の俺たちが、アンタを責めるのはお門違いだ」


 彼は扉を破壊した大槍を背負って近付いてくる。その表情は冷静そのものだ。地べたに座り込むようにして項垂れた新谷に視線を合わせるように、彼は屈む。


「むしろ同情するさ。望まぬ外道に手を染めないといけない苦痛を、俺は想像も出来ない。だけどアンタの顔を見たら、それがとんでもない苦しみだったくらいは分かるよ」


 新谷の顔を覗き込んで、ウルは憐れむように眉をひそめる。

 確かに、ここ数年で元の体重から10キロ以上痩せこけて、肌の色は死人のように青白い。髭もロクに手入れされずにボサボサだ。こんな酷い顔をした男が泣きながら喚き散らしていたのだ。さぞや醜く見えていたことだろう。


「辛かっただろうさ。その傷を掘り返す気は無い。」


 だが、少年はそれを咎めることはしなかった。

 労るように優しく、新谷の肩を叩き、


「ただ」


 笑って


「善悪とは別に仲間に惨いことされてムカっぱら立ったから一発殴る」


 新谷の顔面に拳を叩き込んだ




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「おごあぁ!?」


 シンタニが酷い悲鳴をあげながら壁に叩きつけられ、沈黙した様子をリーネは見送った。鈍い音がした、彼の顎はだらんとひらいて白目をひん剥いていた。ここまで連れてきてくれたコースケは絶句した。


「死んだ?」


 リーネの問いに対して、ウルは強く強く握りしめた拳を、ため息と共にゆっくりとほどいていった。


「死んでねえよ、出来る限り加減した。前歯折れたかもしれんが」

「加減なんてしなくて良いのに」

「足りないなら股間でも蹴りつけてやれ」


 言われたのでそうした。白目を剥いた彼の股間に蹴りを入れると、びくんと身体を痙攣させたので確かに死んでいないらしい。


「oh……」

「……速攻で有言実行するお前の性格好きだよ、俺」

「それで、どうする?ギルド長」

「ウル」


 エシェルとリーネに問われ、ウルは腕を組んで沈黙した。


「正直、もう全部知るかばーかーって怠惰に耽っても誰も文句言わないわよ」

「うん。言わない」

「実際、そうなるようにあの二人は仕向けてくれたみたいだしね」


 ウーガの環境は整っている。

 自分たちだけで生きていけるように食料生産等あらゆる対策がなされた。勿論まだまだ課題も多かろうが、いずれは解決に向かうだろう。ウーガという場所は、この地獄のような状況下で、超巨大な避難所シェルターとしての役割を果たしている。

 シズクがそうなるように、整えたのだ。

 そして、そのウーガの独立権もある。

 既にウーガは方舟の中でも誰にも支配されない。勿論その事によってより大きな責任が被さることになる事もあるだろうが、それでも今この状況下においては大きな意味を放つ。場合によっては方舟を離脱する事すら、誰にも咎められることはないのだ。

 王とディズによる、こちらに対する最後の気遣いだろう。


 この地獄のような戦いにウル達が巻き込まれる要素は最早ないのだ。

 その上で、どうするか――


「……ディズとの契約も果たした。王の依頼もこなした」

「うん」


 ウルはぽつりと呟く。エシェルは頷いた。


「アカネの進路先も決まったし、シズク含め、全員の一つの目標は達成された」

「ええ」


 ウルは続ける。リーネは頷いた。


「全ての問題は解決した。俺たちは自由だ。だったら――」


 ウルはベッドから立ち上がり、外を見る。

 ウーガという方舟の外。未曾有の地獄が展開される外を迷うことなく見据える。


「好きにするか」




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 白銀の竜 邪神シズルナリカの出現

 そしてアルノルド王の訃報

 同時期に流れ出す魔界とイスラリアの関係にまつわる真実と虚偽


 あらゆる情報がイスラリア中の民達を動揺させ、混乱を巻き起こした。

 当然だった。彼らが今日まで信じてきたこと、頼ってきた者、そのなにもかもが足下から崩壊するような事態だ。敬虔なる太陽神の信徒であるならば尚のこと、この先どうなってしまうのか狼狽える。


 だが、それでも致命的な事態に至ることはなかった。


 信徒達は混乱し、邪教徒達は恐怖を煽り、魔物達は活性化する。それでも尚、まだイスラリアという世界は持ちこたえようと堪えていた。アルノルド王が長きにわたって維持してきた安寧と、そして魔界への侵攻を始めるよりも前に事前に各都市に行き届いていた警告が、彼らを最悪の崩壊の手前で押しとどめていた。


「だからこそ、このタイミングですよね」


 邪神は微笑む。





              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





《シズクが動きました》


 アルノルド王の死から2週間後。

 感情の整理をする暇もなく届いたその急報にいち早く動いたのはディズだった。会議室の椅子から立ちあがるや否や、自身の黄金の鎧にゼウラディアの神力を被せ、剣を抜く。まるでこの場が戦場になるかのような警戒態勢に場はざわめいた。


「スーア様。此処ですか?」

《はい。直接。すみません。気付くのが遅れました》

「彼女ならこのタイミングを逃さないか……」


 ディズは地面を蹴って、バベルの塔を駈け抜ける。真っ白な階段を幾つも通り抜け、バベルの空中庭園へとたどり着いた。陽喰らいの儀の戦場、その中央で彼女は空を見上げ、そして見る。


「…………シズク」


 白銀の竜が、大罪都市プラウディアの上空に出現していた。ここまで接近されるまでスーアが気付かなかったのは、何かしらの偽装を使ったためかは不明だ。

 そして今はそれは問題ではない。


「【神賢・神陽結界】」


 プラウディアを覆う結界を強化する。この状況下になって尚、バベルは重大な拠点であり、各都市の結界の起点で有り、何よりも信仰の象徴だ。向こうが狙うのは当然で、それは分かっていた。

 だから衝撃に備え、身がまえる。今日までシズクと戦い続け、それ故に正面からその攻撃を受け止めるだけの能力は在るとディズは確信していた。


 だが、白銀の竜が結界にぶつかる、その直前に不意に竜はその矛先を変えた。


「何を――――」


 そして、気付く。

 竜が咆吼を逸らした先に、結界の外の空に存在する巨大な建造物。

 主を失い、既に形を保つのみとなった巨大な迷宮のその”残骸”がそこにはあることを。


「――――狙いはか」


 ディズがそれに気付くよりも早く、竜は空に浮かぶ巨大建造物、陽喰らいの儀で常に相対する脅威、大罪迷宮プラウディアそのものを一口で飲み干した。


 そして白銀の竜は輝きを増し、その姿を転ずる。


 長大な竜の形をしていたソレはすでにその跡形もなくなった。先程白銀の竜が喰らった大罪迷宮プラウディア、空にそびえ立つ神殿、それにその姿は酷似していた。細部こそ異なり、サイズは遙かに巨大であるが、間違いなくそれは空中に聳える大迷宮だ。


「それでは皆様」


 迷宮から銀の竜達が出現する。

 絶え間なく、無尽蔵に出現を開始した魔物達は次第に空を覆い尽くすまでになり、イスラリア中の空を駆けていく。当然それはプラウディアへも進出し、結界にその進行を阻まれ自らを焼かれても尚一切、その突撃を止めることは無い。


「【陽殺しの儀】を始めましょうか」


 鈴のような声がディズの耳元で聞こえてきた気がした。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 太陽神と月神の決着の刻が近付いていた。

 そしてこの、二つの世界の1000年以上にわたる不毛なる争いに決着が付く。救いようのない人類同士の不毛なる戦いに終止符が打たれることになるだろう。


 ただし、その最後に誰が立っているのかは、まだ誰にも分からなかった。

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