王の軌跡⑤ 仲間と敵へ

 保育器からでたスーアは既に、バベルの一室にて育成が行われている。


 その出自はあまりにも特殊であるが、生まれでた後は普通の子供と扱いが変わることは無かった。幼き赤子と変わらないスーアは、ベッドの上で眠っていた。


「初めまして、スーア様」


 眠り続けるスーアを見下ろして、ディズは微笑みながら一礼する。勿論、スーアにはディズの礼の意味は理解出来ないだろう。くりくりとした瞳で不思議そうにディズを見つめていた。


「抱かせてもらってもよろしいでしょうか?」

「ああ。ファリーナ」

「どうか気をつけて」


 アルノルドが合図すると、スーアを世話するファリーナは頷いて、そっと優しくディズへと渡した。ディズはできる限り優しく、ゆっくりとスーアを抱きしめて、彼女を抱えた。


「……わあ」


 ディズは笑う。その表情は慈しみに満ちていた。王の御子であるというだけでなく、新たなる命の誕生そのものを祝福しているようだった。彼女にスーアの出自については伏せている。だが、もしも明かしたとて、彼女をそれを祝福するだろう。

 彼女はそういう人格だ。紛れもない聖者だ。


「かわいいですね」

「ああ」


 アルノルドは頷いた。アルノルドにとってスーアはきっとこの世で一番大事に思えるだろう。日が経つごとにその確信は強くなる。だが、だからこそ、その自分の愛のために、他に地獄のような戦いを強いて良いのか、疑念もまた強くなる。

 まして、スーアを抱く勇者候補、まだ幼子と言っても良いような彼女にこれから、とてつもない責務を背負わせるかと思うと――――


「王さま」

「どうした」


 だが、思考の堂々巡りをしている最中、ディズが声をかけた。スーアをそっとファリーナへと返すと、沈黙していたアルノルドへと近づき、頷く。


「自分をわるくいったりしなくてもいいとおもいます」

「悪く……だが」

「だって、こんなにかわいいんですから」


 こちらの心中をまるで全て察しているように、ディズは確信に満ちた声で頷く。


「私もスーア様はまもりたいです……スーア様だけではなく、多くの人々をまもりたいのです」


 ディズはハッキリと、アルノルドと同じ願いを告げた。それは勇者であるが故の使命感から零れた言葉では無かった。まっすぐにアルノルドの目を見つめて、彼女は頷いた。


「ユーリだって、きっとそう言います。他の皆も、きっとそう願います」

「……」


 ディズは本当に何でも無いようにそう言った。

 そこにあるのは強い信頼だ。まっすぐに人々の善性を信頼しての言葉だった。


 知らぬが故に、若さ故と腐したような言葉が自分の内側に反響する。


 だけど、ディズのまっすぐな瞳はそんなアルノルドの内側にある不安をかき消して、打ち倒した。勇者とは、悪意を打ち倒す善性である。わかっていたつもりだったがアルノルドは改めて思い知った。


「私は、私たちはあなたの仲間です」

「……そうか」


 ディズはアルノルドへと手を差し伸べ、アルノルドはその手を握りしめた。まだ幼く小さな手のひらだった。これからきっと成長してより多くの、沢山の人々を救うであろうその掌から感じる力はあまりにも強かった。


「そうか」


 このとき交わした手を、アルノルドは決して忘れぬように決めた。そして――



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 ――そして、アルノルドは目を覚ました。


 自身の眠るベッドの上で、アルノルドは横たわっていた。身体中を散々に苦しめていた痛みはもう随分と遠い。全く苦しくは無かった。代わりに酷く眠い。今すぐに瞼をもう一度閉じてしまいたい衝動をアルノルドは堪えて、瞼を開いた。

 

 ベッドにはスーアとファリーナがいた。スーアは夢の中の赤子の姿よりもずっと成長した。ファリーナは随分と年を取った。顔に深く皺が入った立派な老女だ。だけど、それでも見ただけでどこか安心するような笑みは変わらなかった。


「………スーア、ファリーナ」

「父上」

「はい。アルノルド」

「私はイスラリアを危機に貶めた愚王だ。それでも」

「父上」


 思わず、自責が零れそうになったが、それをスーアは止めた。スーアは、悲しみと愛に満ちた笑みをまっすぐに此方に向けて、ハッキリと告げた。


「愛しています」

「私もです。アルノルド」


 ファリーナも頷いた。


「そうか」


 嬉しかった。

 二人を、この世界を残して、混迷した世界を勝手に立ち去ってしまうのはあまりにも身勝手で、それなのに喜んでしまって、申し訳なく思いながらも、どうしようもなく嬉しかった。出来ることをしてあげたいと心から思った。


「愛している」


 だから、そう言ってくれた二人の手を、強く強く、握り返して、告げた。

 部屋には他の者達も集まっていた。長年自分を世話してくれた他の従者達もいた。神官達や魔術師、騎士達。多くの者達がそこにいた。

 今なお懸命に戦っていて、此所にいない者もいる。欠けた者も居る。辞めた者も居る。全員は揃っていない。それでも嬉しかった。そして申し訳なかった。


 自分の命を燃やし尽くしても尚、最後までたどり着くことは出来なかった。

 だから代わりに言わねばならないことがある。


「勇者、ディズ」

「ここに」


 黄金の勇者、ディズが前に出た。ずっと側にいるスーア達の邪魔にならぬよう一歩下がって膝を折り、王へと視線を合わせた。


「すまない。後を、頼むこととなる」

「謝る必要はありませんよ」


 ディズは少し寂しそうにしながらも、ディズは頷いた。


「幼き頃、誓ったとおりです。貴方の願いは、私達の願いです」


 その言葉に、アルノルドは安らぎを得た。


 彼女も、忘れずにいてくれたのだ。


 世界を救済する。それはどれだけ大義で言いつくろっても、エゴでしかないとアルノルドは苦心していた。だけど彼女は、それを共有してくれた。共に背負おうと言ってくれた。それがどれほどありがたいことか、幾度救われたかを彼女は知らない。


「……すまない、だが、私の全てを背負う必要は、ないのだ」


 だからこそ、途切れそうな意識をつないで、アルノルドは言葉を継げる。目の前の少女の、仲間の負担が少しでも軽くなるように、その重みを少しでも持って行けるように。


「道は一つではない」


 長い年月の戦いによって可能性は狭まった。だが、必ずしも一つしか道がないわけではない。そうなるよう、アルノルドは仲間達と努力した。故に、


「勇者ディズ、お前はお前にとっての最善を選べ」

「…………はい」


 たどたどしくも、アルノルドはそう告げた。

 そして視線を彼女から、この場にいる全員に向ける。といっても、もう既に視界はぼやけて見えなくなっていた。長く共にしていた重く苦しい痛みも既に遠い。だけどそうした。


「臣下達よ。私の家族達よ」


 スーアやファリーナ、ディズやユーリやグロンゾン、此所にはいないジースターやグレーレ、自分の人生の中でも関わってきた多くの臣下達、イスラリアの大地に住まう全ての民達、外の世界で今も生きる人々。今この世界を滅ぼさんと孤独に戦う月女神。

 全ての者達を想い、彼は祈った。


「この世界の罪と悪、乗り越えんとする全ての者に、幸いを――」


 こうして、イスラリアを愛し、そこに住まう者達を愛し、それを支える仲間達を愛した素朴な少年は、己の愛した者のためにその命を燃やし尽くし、ゆっくりと瞼を閉じて――――


「さらばだ。ブラック。我が敵」


 最後に、自らの敵へと別れを告げ、その生涯を終えた。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「――――じゃあな、アル。楽しかったぜ」


 そして魔王もまた、友であり敵だった男へと別れを告げ、酒を掲げた。

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