王の軌跡④  我が子


「…………んーあ……」


 天祈のスーアと出会ったのは、真なるバベルの隠された一室だ。

 天賢王、イスラリアという世界を維持するための存在はその全てが人造人間であるという事実は秘中の秘だ。王の血筋の系列を市井の民達は疎か神官達すらも知りはしない。神の子供と言われており、それを探ることはタブーとされていた。

 天賢王がこのような形で代々引き継がれるようになった経緯は、王権を巡った争いがイスラリアで起こることを危惧したためと言われている。イスラリアの管理者、【天賢】という加護を損なうような事態が万が一にでも起こる事を避けるための処置だったらしい。


 だからアルノルドには母はいない。先代の天賢王も父とは言い難い。


「あー………んぱっぱ」


 普通とは明らかに違う。

 ただ、別にアルノルドはそれを不幸だと思ったことはなかった。今日まで戦い抜いた日々も、命を削り続けてきたことも、決して不幸だったとは思わない。

 どれだけ自分の出自が特殊で、歪でも、今日までを生き抜いて、戦い続けてきたのは自分の意思だ。命じられてのことではない。そうしたいと心の底から思ったからそうしたのだ。


「スーア」


 そして今、アルノルドは新たなる王となる事になるスーアを抱き上げる。

 あらゆる欠点を廃し、完全なるヒトとして生まれた者。恐らくこのイスラリアで最も神に近しい生命体。スーアと自分に血縁関係は存在しない。遺伝子情報は持っているかもしれないが、それだけで、父親と言える存在でもない。

 ただ、それでも抱き上げた生まれたばかりのスーアを、愛おしく思うのは間違っているだろうか。


「んーきゃーっ」


 スーアは笑った。

 アルノルドは嬉しくなった。

 それがどれだけ普通とは違う形であろうとも、イスラリアという世界がどれほど偽りの場所であろうとも、生まれた命は一つも嘘なんてない。無垢で愛らしい。尊く、眩い。

 アルノルドにはそれが心の底から愛おしく思えて、同時に、酷く冷たい感情が心臓へと流れ込んできた。


 この子に、背負わせるのか?


 愛おしい我が子に、この世界の1000年の大罪を、悪を背負わせるのか。


 いや、この子だけでは無い。今、イスラリアで生まれ落ちている全ての命にも、だ。


 今尚自分の肉体をズタズタに引き裂く痛みと絶望を背負わせるのか?


「んに?」


 この子が、この先、天賢を引き継ぎ、そして過酷なる戦いに命を削り続けるのだろうか。魔界との攻防で血を流し、数百年と続く果てない闘争に巻き込まれて疲弊し、それを与えた敵を呪い、力尽きて死んでいくのだろうか――――


「……………だめだ」


 それはだめだ。とアルノルドは強く思った。


 スーアを抱きしめて、アルノルドは誓った。自分の代でこの戦いを終わらせる。今、自分の身体を蝕み続ける貫くような痛みをこの子に与えるような事だけは決してしない。してはならない。


 だが、その為には――――




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 

 バベルの訓練室はその日、賑わっていた。

 幾人もの天陽騎士達が剣を打ち合い、魔術の研鑽を進めている。彼等の意識は高い。このバベルが王の住まう城であり、それを守護する者達としての意識が彼等の意欲を高める。


「温いぞ!!もっと気合いを入れろ!それでは王を護ることなどできないぞ!」

「はい!」


 だがそれだけではない。彼等の中でも特に鬼気迫る者達もいる。彼等は【陽喰らい】を経験した者達だ。彼等はこの世界が薄氷の上にいると知っているからこそ死に物狂いなのだ。


 本当にありがたいことだ。


 似合わない騎士鎧を身に纏い、その様子を眺めた王は声に出さずに感謝を思った。

 時折彼はこうして、密やかに部下達の様子を眺める。とはいっても、それは監視や査定の類いではなく、単なる彼の趣味だった。民達が賢明に努力していたり、雑談で笑い合っていたり、あるいはひっそりとサボって愚痴を述べたりしているところを見るのがアルノルドは好きだった(あんまりやりすぎて、ファリーナに怒られることは多かった)。

 だが、今日の目的はただの見物ではない。アルノルドはまっすぐに部屋の隅に向かった。周囲に戦士がいない場所で、一人剣を振り続けている少女の姿がそこにあった。


「ふう……あれ?どうしました、王さま?」

「様子を見に来た」


 素振りをしていた幼き勇者候補ディズは顔を上げた。彼女は自分の変装を知っていた。

 今日は勇者ザインの指導から離れ、バベルでの訓練を行っていた。指導者としてはザインを超える者はそうそういないが、様々な戦士とふれあい、戦い方を身につけるのも大事だというザインの方針に彼女は従っていた。


「良く励んでいる」

「ですが、ユーリのように上手くはできません」

「比べる事は無い」


 見れば彼女の身体はいくつもの打撲跡がある。どうやら訓練で怪我をしたらしい。

 彼女は【勇者】を目指す事を自ら望んだ。しかし運動神経に関してはお世辞にも良いとは言い難かった。その精神性は紛れもない聖者のそれであったが、肉体のセンスはそれについていってはくれなかった。

 まして彼女は、天性の才能を持ったユーリと共に訓練を続けている。その事を卑屈に思うことは彼女は無いが、それでも幼い少女だ。その事に対して思わないことがないわけがないだろう。


「私も、あまり上手く身体は動かせない」


 だからなんとか励まそうともしたのだが、アルノルドの口から漏れた言葉は不器用な言葉しか出なかった。


「そうなのですか?」

「グロンゾンの真似しようとしたが、ダメだった」

「同じですね」

「ああ」


 果たしてコレが彼女の心の慰めとなっているのだろうか。と疑問に思うが、それでもディズは楽しそうだった。しばらくそうして雑談を進めている内に、言葉が尽きてしまったのはアルノルドの方だった。


「……済まない」

「王?」


 そして咄嗟に、小さく声が漏れた。普段、できるだけ威厳を保たせようと努力して出している声と比べるとあまりにも情けなくて、か細かった。


「何がでしょう」

「戦わせることが」


 全てを伝えることはできなかった。

 彼女は、真の七天の主となる事は簡単には明かせない。彼女が信頼出来ないという話ではない。【天賢】の力は“監視者”とつながりがある。前の王達が、監視から逃れるべくそのつながりの一部を断ち切ったが、しかし完全に監視から外れているわけではない。

 方舟の秘匿を、守護者である役割を放棄するような発言は“粛正”を招く。何が“監視者”の逆鱗に触れるか分からない以上、うかつなことを言うわけにはいかなかった。


「私は、護りたい者のために、背負わせようとしている。その謝罪だ」


 だけど、これだけは言いたかった。言わざるを得なかった。

 生まれた我が子を護りたい。その願いが強くなるほどに、なおのこと自覚してしまった。自分の願いは、世界を本当に平和にしたいと思うことは、単なるエゴなのだと。分かっているつもりでいても、目の前の少女にそれを背負わせるのはあまりにも残酷な事だと。


「私がやろうとしてることは、卑劣な行いだ。済まない」


 その謝罪をアルノルドはこぼした。

 幼いディズからすれば、何を言っているのか分からないような話だろう。それこそこの謝罪すらも自己満足でしか無いと思うとなおのこと、卑怯な話でしかない。そう思うと益々自己嫌悪で沈みそうになったが――――


「太陽神より、御子をたまわったと聞いております」


 沈みきる前に、ディズが尋ねてきた。アルノルドは頷く。


「ああ」

「ご無礼で無ければ、見せてもらってもよろしいでしょうか?」


 ディズは心から楽しそうな表情で、そう尋ねた。

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