魔界⑦ 加害者

 ―――かくして、【方舟イスラリア】は この世界から去って行った。


 万能資源。魔力を生み出す奇跡の鉱石、【星石】。

 混迷するこの世界を救済する可能性を秘めた【星石】という奇跡を奪い去った。その力を使い、次元を超え、誰にも追えぬ場所へと消えてしまった。

 多くの人類が彼らが逃げた先、空に空いた穴―――“暗黒の太陽”へと挑んだが、それは戦いにすらならなかった。干渉することすらままならず、人類の敗北の象徴とでもいうように、空にぽっかりと在り続けた。


 しかしそれだけだったら、まだマシだっただろう。それだけなら、まだ救いはあった。


 年月が経ち、黒い太陽が、日常となり始めてからしばらくの後、黒い太陽は突然、真っ黒な呪わしい“涙”を排出し始めたのだ。正体は不明だったが、それが決して喜ばしいものではないのは誰の目にも明らかだった。

 別次元に存在するはずの“太陽”から零れたその汚泥のような物質は、地上へと届き、空を塗りつぶし、そして奇妙な生命を産んだ。


 地上で、この惑星の生態系からは隔絶した、自然の摂理から大幅に外れた生命体。毒と呪いを撒き散らし、地上を汚染し、空を穢し、海を淀ませた。【禁忌生物】と呼ばれるようになるそれらは、数百年間の時間をかけて彼らの世界を破壊し続けていた。


 空を浮かぶ暗黒の球体に全人類の憎悪が向けられるようになるのは、一瞬だった。


                  ~悪しき方舟の記録より抜粋~




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「……あ、あの禍々しい太陽が、イスラリア大陸……?!」


 エシェルは驚き竦むような声をあげた。

 ウルもその気持ちはよく分かる。このドームとやらにたどり着くまでの間に、空にはずっとあの黒球が浮かび上がっていた。どう足掻こうとも、目を瞑って歩こうとでもしない限り目端にそれは入り込む。その度に背筋に悪寒が走るような気分だった。

 それが、まさか自分たちの故郷であるなどと、受け入れるのは難しい。だが、一方で腑に落ちるところはあった。


「……邪神、なるほど」


 邪神の涙、という言葉をあの少年が使ったとき、ウルは少し違和感を覚えていた。

 邪神と言う言葉、どう考えても神に対する蔑称だ。そしてウル達イスラリアの住民が魔界の神を”邪悪なる神”と呼称するのは別に違和感が無いが、魔界の住民が自分たちの神を邪悪と表するのはやや違和感があった。あるいは、この魔界でも、危険な存在なのかとも考えたが、どうやら違ったらしい。


 


「死ね」


 声が聞こえてきた。少し距離を置いた、魔界の住民達からの声だった。

 声は怒りに充ち満ちていた。そしてその怒りは、周囲の住民達にも伝播していった。


「死ね!!」「死ね!!」「死んでくれ!!!」「お前達の所為だ!!!」


 エシェル声を出さずに怯えて、ウルの背中に近寄った。ウルはユーリを背負い直し、リーネとエシェルを庇うように前に立つ。ジースターはその殺意の大合唱に対して無言を貫いた。彼らに殺される心配は、正直なと殺してはいないが、しかしこうして直接的に悪意を叩きつけられるのはなかなかに堪える。

 さて、どうしたものか、と、考えていた時だった。


「なあ」


 短く、しかし力強く通る声がウル達の背後から響いた。木霊するように反響していた殺意の大合唱を打ち消すその声は―――


「この眠てえ話は何時まで続くんだ?」


 誰であろうグレンから発せられた。

 彼らからの視線を集めたグレンは、バリバリと頭を掻きながら、気だるそうにウルの前に立った。そしてふてぶてしく欠伸を一つ、彼らの前でかましながら、


「ガキ相手にピーピーキャーキャーとなっさけねえ」


 凄まじくバッサリと切って捨てた。

 少し間が空き、そして先程よりも更に激しい、怒号のような罵声がグレンに集中した。先程ウル達に向けられた物の比ではない。にもかかわらずグレンは実に平然とした顔をしていた。


「貴様!!お前達がどれほどの罪を!!」

「罪?」


 そして不意に、罵声を浴びせる兵士の一人に視線を向ける。グレンは小さく嗤った。


「1000年前だったか?


 グレンの声は、シズクのように美しい鈴の音のようでもなく、アルノルド王のように重く響き渡るわけでも無い。直球で強く、鋭く、そしてよく通っていた。


「同情くらいはしてやるよ。それで?だから1000年後の子孫である俺らに罪があると」

「……当然だ!!」

「俺たちは当事者じゃねえ。だが罪人だってか?」

「今もイスラリアから流れる邪神の涙は大地を穢してんだ!!お前等は現在進行形で加害者なんだよ!!俺たちの中には家族を失ったヤツだっているんだ!お前等の所為だ!!」

「それを知らなかったとしても?」

!!!」


 そして、その言葉を聞いた瞬間


「へえ、そうかい」


 小さく、冷たく、壮絶に、グレンは笑った。

 その笑みに込められた、並ならぬ激情に、その場にいる全員が思わず息を吞んだ。


「なら、お前等はどうなんだ?」


 グレンは一歩近づく。


「今、イスラリアじゃ、竜や魔物って呼ばれる“怪物”が大地を暴れて、人類は住む場所を追われてる。住む場所は限られて、大地は竜の悪意によって穢されている」


 大罪竜ラースの【黒炎砂漠】

 大罪竜スロウスの【不死の荒野】

 大罪竜ラストの【無尽森林】

 大罪竜プラウディアの【陽喰らいの儀】


 イスラリア大陸に今現在、多種多様な災害や汚染が発生し、様々な形で人類が地獄を見た。ヒトは限られた土地に追いやられ、天賢王の力によってなんとかその身を守っている。このドームと同じように。

 ジースターも言っていた。


「お前等さ、?」


 深い沈黙が兵士達の間に訪れた。怒号のような怒りの代わりに、彼らの間に満たされたのは困惑だ。グレンの語った情報が、彼らの知る情報とずれていたのだ。先程まで元気が良かった少年も、周囲に視線を彷徨わせて、答えを求めている。

 そして彼らの視線は最後、モリクニへと向けられる。自分たちのトップへと、答えを求めた。そしてモリクニは、歯軋りするような表情で、苦々しくその言葉を吐き出した。


「……当然の権利だ。そして、それのなにが悪いというのだ!」


 反撃を認めた。

 住民達や、兵士達に動揺が走る。それをかき消すようにモリクニは叫んだ。


「そのままでは我らの住まう大地は穢され、殺される!それに対抗する事の何が間違いだ!!先に手を出してきたのはお前達の―――「ああ、いいんだよそんなのは」


 しかし、そんなモリクニの弁明、反論をグレンは制した、肩をすくめて、鼻で笑った。


「どっちが先に手を出しただとか、どっちの方が悪いだとか、ガキの口げんかみたいな話、欠片も興味がねえ。お天道様……いや、邪神様に向かって好きなだけ喚いてろ」


 モリクニは顔を真っ赤にさせたが、グレンはまるで気にしない。そして周囲の者達が二の句を継ぐヒマも与えず、更に言葉を重ねた。


「言いたいことは一つだ」


 ウルはその時、嫌な予感がしていた。ジットリとした不安が、汗となって流れ落ちた。その悪寒は誰であろう、グレンから感じられた。

 彼は損なわれた腕をかざしながら、言った。


「俺の嫁と友人達は、イスラリアで発生したバケモノに殺されたんだ」


 場の空気が、冷えた。

 住民達や、兵士達の中渦巻いていた怒りと憎悪の熱とは対極の冷気が巻き起こった。

 自分達が、被害者から、加害者へと変わったことに対する、困惑と動揺だった。


「お前らの理屈で言えば」


 そして、その混乱している連中の背中を蹴り飛ばすように、グレンは嗤い、無事な方の拳を握りしめた。金色の籠手が、強い音を放つ。それは悪意を浄化する鐘の音では無かった。敵対者をたたきのめす、威圧の咆哮だ。


「っが!?」

「な、なに!?」


 途端、ウル達を取り囲んでいた兵士達、それに野次馬のように集まっていた住民達全員に、上から力が降り注いだ。単純な重力の魔術だ。それが彼らの身体を押さえつける。強い魔術では無かったが、貧弱な彼らの身体を押さえるには十分な力を有していた。


「俺が、お前らにやり返すのも、当然の権利だよな?」


 そう言って、グレンは兵士達―――を、無視して、集っていた野次馬達の前に立つ。身じろぎ一つ出来ずに、悲鳴と恐怖の声を上げていた彼らは、目の前まで近づいてきた大男の姿に目を見開き、恐怖した。


「ま、待て!!!」


 近くで、道を閉鎖していた兵士の一人が叫ぶが、彼も動けない。その兵士に向かって、グレンは先ほどと変わらないような、軽快な笑みを向けた。


「ここにいる連中は死んでも、当然の報いだろ?」

「我々は!!彼らは!!イスラリアの内情なんて―――」


 そこまでいって、兵士は口を噤んだ。その場の全員、言葉を失った。

 グレンはゆっくりと首をかしげ、兵士の顔をのぞき込むようにして囁いた。


?―――言葉には責任を持てよ?」


 そしてそのまま、拳を強く握りしめる。


「お前等が言ったことだ。反論しないガキどもにむかって、楽しそうにな」


 グレンの目の前には、頭を抱えてうずくまる男がいた、泣きながら震える女がいた。その女に抱きしめられる子供がいた。彼らは等しく、目の前の災害に対して、なんら抵抗できずにいた。


「ステキな理論じゃねえか。俺も躊躇する理由が無くなった」


 そう言って、彼は掲げた。振り下ろせば間違いなく、その場にいる全員、粉砕されるほどの拳が高々と、見せつけるように持ち上がる。グレンの言葉に威圧されていたウル達には止める暇も無かった。

 そして、


「―――済まないが、それは勘弁してもらいたい。」


 それが振り下ろされる直前に、ジースターが天衣の剣を構えて、グレンの前に立ち塞がった。グレンは、目の前に現れたジースターに目を細め、そして―――


「冗談だよ。かったりぃ」


 グレンは心底面倒くさそうに、殺意を解いて肩をすくめた。

 同時に、周囲の彼らに降りかかっていた“圧”が解ける。全員が呆然とする中、グレンは先ほどまでウル達に罵声を浴びせていた民達に笑いかけた。


「仲良くしようぜ?加害者同士な」


 そしてその言葉を皮切りに、彼らは逃げ出した。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「迷惑をかけて済まない、黄金級」

「しょうもねえ、こんなこと俺にやらせんなよ、七天」


 背後の悲鳴と絶叫に背中を向けて、二人はウル達の元へと戻っていった。示し合わせたはずも無いだろうに、互いにねぎらいの言葉を投げ合う。そしてそんな二人の様子を見て、先ほどグレンに威圧されていたモリクニは叫んだ。


「星野!!裏切ったのか!!」

「違います」


 ジースターは淡々と告げる。明かされた正体を考えるとモリクニという男は彼より上の立場である筈なのだが、そんな印象は無かった。


「ならば連中を拘束しろ!その為の兵器も入手できたのだろう!?」

「不可能です」

「何故だ!?」

「彼らはその力に並ぶか、それを上回る兵器、“そのもの”なのです」


 モリクニは絶句した。


「彼ら全員と敵対すれば、自分では対抗できないでしょう。このドームの全ての兵士、全ての兵器を破壊し、住民を惨殺できる。そうしないのは、単なる彼らの善意故です」

「そ、そんな存在を、何故ドーム内に……!!」

「何一つ理解してもらえぬまま、敵対関係となってドーム壊滅する危機を回避するために必要な処置と考えました。我々には、彼らの慈悲に請う以外の手段がない。ご理解ください」


 そこまでジースターが説明し、ようやく彼もまた自分たちの拠点に、自分たちでは全く手に負えない存在がやって来たのだと自覚したらしい。


《森国代表!!!》


 と、そこに、新たに叫び声が聞こえてきた。

 ややノイズの混じったようなその声は、通信魔術で聞こえてくる音声に似ていた。そしてモリクニは手元の、何かしらの魔導機を手に取って、喋り始める。


「次から次へとなんだ!?」

《侵入者です!!》

「そんなことは見たら分かる――――」

《此処ではありません!》


 モリクニの顔色が変わる。戦士達も同じく。


《Jー00 中枢ドームが襲撃を受けました!!》




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 Jー00 中枢ドーム

 そこは一般市民の立ち入りも禁止された、選ばれし研究職員のみに許される特別ドームだった。ドーム内の運営状況や、市民の管理、生存維持のためのライフラインの管理まで担う、言わば政治の要とも言える場所である。


 しかし、この場所の役割は政治ではない。


 対イスラリア反攻作戦本部。

 この場所は戦争の最前線だった。世界中から万能物質とその制御端末を奪い去ったイスラリアに対抗するための場所だ。イスラリアから溢れ出る汚泥、そこから出現する【接触禁忌生物】の対処が彼らの役割だった。

 万能物質争奪戦争から途方もない年月は流れ、世界は接触禁忌生物らの寝食に苦しみ、やがて世界との繋がりは立たれた。人類は自らその命を守る必要性に狩られていた。【J地区】の安全はJ-00の彼らによって保たれているといっても過言では無かった。


 その場所が今、滅亡の危機に瀕していた。


「弱いモノいじめも嫌いじゃねえんだが、ここまで戦力差あるとつまらんな?」


 あらゆる防衛機構を、真っ黒い男が正面から粉砕していった。あらゆる禁忌生物を一方的に焼き切ることも出来るような兵器を、その男は正面から破壊し、まるで玩具を相手にするかのように破損していく。

 理不尽だった。研究者達が賢明に重ねてきた努力と研究の成果が、あまりにもなんでもないというように壊されていく。

 逃げ惑う研究者達の悲鳴は、恐怖によるものではなかった。今日まで彼らが続けて、培ってきた常識が理不尽に踏み潰されて崩壊していく断末魔だ。


「とはいえ、手応えなさ過ぎてもなあ」


 無論、此処を守る兵士達も居る。彼らもまた、J地区を守る上での最重要施設を守る一流の戦士達だ。しかし彼らもまた、あまりに理不尽に粉砕されていく。

 戦って、死ぬならまだ良かった。脅威を相手にして死ぬ覚悟なら彼らには出来ていた。だが、まるで羽虫を除けるように”黒い闇”に薙ぎ払われて、兵士達は吹っ飛んでいく。それだけで彼らは叩きのめされ、倒れていく。


、まあ、なあ?少しくらいは仕方ねえわな?コラテラルダメージってヤツさ」


 黒い男は戦いのために身がまえるような姿勢すら見せていない。小蠅を払うように動作を繰り返すばかりだ。その度に弾け、砕け、血飛沫が飛び散っていく。

 そんな相手に、どれほど懸命に抵抗したとしても、ゴミクズのように薙ぎ払われるのは、屈辱を通り越していた。今日までを懸命に生きていた兵士達の人生そのものに対する陵辱に他ならなかった。


「アルももう向かってきてるだろうが、さて、間に合うかね?」


 だが、黒い男はそんな彼らの屈辱を無視してひたすらに前へと、幾つもの階段を下り、カードキーによって施錠された扉を破壊し、許可無き者は研究者でも立ち入れない程の深く、研究施設の最深部へと突き進む。


「上手く行ったら奇跡みたいなギャンブルだ、楽しいねえ」

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