冬の神殿② / 魔界⑥ 方舟


 冬の精霊・ウィントールの神殿に、エクスタインは足を踏み入れた。

 事前に聞いていたとおり、冬の神殿では目立ったことは何も無かった。神殿の体裁を維持していたものの、通常の小神殿のように、その精霊を崇拝し、管理する神官達や従者が集っているかと言えばそうではない。

 時折祈りを捧げる者もいるが、彼らの多くは名無しだった。祈りのまねごとをしているが、その殆どを精霊に献げることも出来ていない。官位の高い者達がいるわけでもなし、形だけの神殿、というほか無かった。


「申し訳ありません。シズクという少女のことは我々も知らないのです」

「そうですか」


 そして、その小神殿の管理者を務めるという老人から話を聞いても、答えは想像通りのものだった。勿論、その老人もまた、官位持ちの神官ではなかった。神殿の従者達が身に纏うような法衣の類いを纏っているが、単なる名無しだ


「名簿のようなモノは?」


 更に質問を投げると、彼は首を横に振る。


「我らが信仰対象である【冬の精霊ウィントール】を復権のため、竜や魔物達に対処し、前項を重ねることは我々の目標です。ですが、それは組織的に動いてのモノではないのです」

「各々が、勝手にやったことだと?」

「恥ずかしながら、そうなります。そもそも我々は、

「……それは?」


 更に確認する。此所を調査した騎士達からの情報は確認しているが、やはり実際に確認する必要はあった。


「場所が場所です。魔物避けがあるとはいえ、【太陽の結界】もないこの場所では、完全な守りが約束されるわけでも無い。実際に此所で暮らしている者は少数です」

「それ以外の者達は?」

「【名無し】として、都市と都市の間を移りゆく途中で、此所を利用する者も多いのですよ。ほら、あのように」


 小神殿の周囲を彼は見渡す。彼を含めた、神殿の法衣を身に纏った者達の他に、何人かの名無し達の姿が見えたしかし彼らが、信仰のために人々が集っているという様子はない。神殿の隅で身体を休めている者や、食事を取る者、中には一角を使って商売なんかを始めている名無しまでいる。

 なんというか、混沌としていた。


「組織と言うよりも、寄り合いという具合だと」

「此所は“止まり木”としての役割に近いのです」


 “止まり木” 

 都市と都市を移動する上で、魔物達の脅威から逃れるため、名無し達が用意した簡易拠点。その存在はエクスタインも知っている。ウル達が教えてくれたからだ。

 しかし、グラドルとスロウスの狭間の場所。確かに、スロウスという土地が健在であった頃は、この場所の利便性もあったのだろうが、今あの地は死と不毛の大地だ。


「強い魔物の出る一帯を通ってでも、此所を利用するのですか?」

「だからこそでしょうか」

「ふむ?」


 少し極端な話ですが、と、彼は前おいて続けた。


「魔物の脅威があるからこそ、都市民の皆様は神官の皆様は、あえて近づきません。逆に我々名無しにとって、魔物の脅威という者は常にあること。そして、冒険者のように鍛えられてもいない我々にとって、魔物の脅威という点では、強かろうが弱かろうが、あまり大差ないのです」


 どのみち上手く躱せず、対峙してしまえばどうしようもないですからな、と彼は肩を竦めた。


「しかし、危険な一帯を抜けてさえしまえば、此所は比較的居心地が良い。魔物は他の場所と比べれば少ないですし、他の都市の目も届きにくい……言っては何ですが、ここに来る者は、少なからず、脛に傷を持った者が多いのです」


 尤も、邪霊と呼ばれる精霊を信仰する我々も例外ではないのですが、と彼は笑い、「なるほど」とエクスタインは納得した。

 此所は、決して何もかも安全な場所ではないが、一方で、後ろめたいところのある者にとっては、心地の良い場所でも在るのだ。都市国の目から遠く、魔物の数も少ない場所。

 そして、それ以上に後ろめたい者は、そのまま西にある【穿孔王国スロウス】へと流れることも出来る。

 此所は、真っ当に生きる者は知り得ない、“裏の交通路”なのだ。


「このような場所で、神殿が維持できているのは、利用者達が修繕などを行っているから、というのもあります」

「外の魔避けも?」

「ええ。まさしく“止まり木”です。」


 なるほど、これはに建てられている。


 神官、都市民達にとってすれば、あえて向かうことなどまず無いような、各領の狭間の場所故、その目からは隠される。一方で、神や精霊達に縁の遠い名無し達にとってこの場所は利便性が高く、悪意では無く善意と好意によってそれが維持される。そして邪霊に忌避感のない彼らは、実利的な恩恵に感謝する。中には信者としての衣を羽織る者もいるだろう


 悪意に見すぎているだろうか。しかし―――


「此処に、魔術工房のような場所もあると伺っています」

「ええ、ありますよ。どうぞ此方へ」


 背後のファイブとナインに目配せすると、二人も頷いた。案内のまま、三人は工房へと脚を進めた。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 魔界

 Jー04地区 東南部、旧大型ヘリポート前にて


「ふう」


 元七天の勇者、ディズは幾つかの廃墟を跳び移りながら、この一帯で一番の高所の高層建築物の屋上にたどり着いた。周辺の景観をもっとも広く見渡せる場所だ。

 あのブラックが開いた魔界の門に吞まれた後、ディズはいち早く目を覚まし、自分が魔界に到着したことを理解した。魔界という場所は彼女にとっても未知だったが、まったくの想定外に直面すること彼女にとって日常だったため、回復は早かった。 

 自分の身体に怪我が少ないことを確認し、この場所に魔力が少ないことも理解し、比較的安全な場所を把握し、その後は素早く仲間達の捜索へと移った。


「王。ご無事ですか?」


 幸いにして、アルノルド王も発見する事は叶った。

 ただし、状況はあまりよくない。グリードとの激闘を制したアルノルド王は、その結果、大きなダメージを背負っていた。当然、神薬を飲ませてその傷は回復させたのだが、それでも彼の顔色は悪いままだった。今も彼は廃墟の中に転がっていた簡易のベッドに横たわっている。


「……すまないな。既に七天でもないというのに」

「その建て前が大事なら付き合いますが、貴方が敬愛すべきイスラリアの王であることに変わりはありません」


 ディズの帰還を見て、王はベッドから身体を起こすが、その動きは緩慢だ。

 表情は何時も通り平然としているようにみえるが、黄金の髪もどこか色褪せて見えるのは気のせいではないだろう。


「散策の途中、奇妙な魔物が出現しました。が、強さは精々、10階級前後で大したものでは在りませんでした。念のため気配遮断の術式を敷きますが、問題はないかと」

「そう、だろうな」


 王はディズの言葉に対して驚くでもなく、納得したように頷いた。

 やはり彼は、多くの事を知っているのだろう。ディズも魔界の存在は聞いている。だが、流石にこのような奇妙な景観であることまでは知らなかった。

 七天という立場であっても、情報は伏せられていた。しかし、王があまり多くを語れないこと、それ自体は覚悟の上だった。

 それでも聞いておかなければならないことはあった。


「王よ、魔界とは、なんなのでしょうか」

「……」


 王は守る。イスラリアを守護する。ディズのその意思は変わりない。だが、果たして自分はその為に何と戦うことになるのか、その理解と、納得が欲しい。ディズの願いは当然だった。

 それを察してか、王は目を瞑り、小さく呟いた。


「すまない」


 それが、彼にしては珍しいくらいに心底申し訳なさそうな声で、ディズは失礼ながら小さく笑ってしまった。ばつの悪そうな子供と向き合っているような気分である。実際は彼の方がよっぽど年上なのだが。


「謝罪は必要ありませんよ。ユーリに怒られてしまう」


 ディズはそういって、気配隠しの術式の準備をする。この場所ではどこまで術を維持できるかわかったものではないので、できるだけ丁寧に術式を刻んでいった。

 術式を刻み終わったら、また全員を探しに行かなければならない。まだ、見つけたのは王を含めて”三人”だけだ。グレーレなどは、一人でもやっていけるような男だが。後衛のリーネなどは一人ではぐれて締まったりしていたら危険だ。ウル達と合流できていればいいのだが――


「勇者よ」

「はい」


 王が再びベッドから声をかける。振り返ると、彼は少しだけ身体を起こし、そして真っ直ぐに此方を見つめていた。強い眼差しだった。黄金の眼光が真っ直ぐに此方を射貫いた。


「“皆”を守ってくれ」

「承知しました」


 ディズは跪き、頭を下げる。

 無論、それはディズにとって言われるまでも無いことだ。

 だが、言外の意味があることに彼女も気がついていた。


 念を押さなければならない事態が、やってくると?


「父上」

《たでーまー》


 だが、それを問いただすよりもはやく、ディズが発見した仲間達、スーアとアカネがやって来た。二人はディズとは別に、周囲の探索を行っていた。この魔力の薄い魔界では、スーアの力はやや不安定であったため、アカネの補助と併用しての作業だった。


《しゅげーつかれたー》

「お疲れ、アカネ。スーア様、他の皆は見つかりましたか?」

「そちらはまだです。ですがその代わり」


 そういって、彼女はベッドにいる王へと視線を向けた。


「邪神の場所、とおぼしき場所が判明しました」

「―――ああ」

「ただし、魔王の気配も近くに」


 次の瞬間、王が立ちあがった。


「行くぞ」




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 ――この世界を去っていった邪悪なる者達が居た。


 JP-04ドームの住民は、六才の時から学校での教育を受けるのが義務となっている。

 そこでは今後ドームの中で生きていくために必要な知識を身につける。文字の読み書き、算術、社会的常識、多種多様な知識を与える。そして子供達がどのような職務に適性があるのかを計っていく。


 しかしその中で、歴史の勉学については、“学校”の教育の中でやや趣が異なっていた。


 ――彼らは、太陽を奪い。青い空を奪った。


 なにせ、ドーム内の社会で生きていく上でその知識は何の役にも立たない。ドームの中での生活は常に余裕は無い。限られた資源を活用するために常にカツカツだ。出生制限も行われている。


 にもかかわらず、何の益にもならない歴史の勉学を、学校では熱心に教える。


 ――天から飛来した奇跡の【星石】を独占し、奪い去っていった。人ならざるヒト。


 そしてそれは、過去からの教訓を教える為のものでは無い。

 自身の今居る場所の成り立ちを教え、地盤を確かな物とするためでもない。

 里心を与える為でも、未来を見据えるためのものでも無かった。


 ――我々は、取り戻さなければならない。倒さねばならない。


 かつて、受けた仕打ちを、敗北を、屈辱を、呪いを、末代まで引き継ぐためだった。


 ――呪わしき、イスラリア人どもから取り戻さなければならない




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「俺たちが、奪った?」

「そうだ……!」


 代表者、モリクニと呼ばれているその男から語られたこの世界の成り立ちに、ウルは眉をひそめる。彼は、憎悪に満ち満ちた表情で、親の敵をみるかのような血走った目でウルを睨み、指さして、叫んだ。


「約1000年前!!この世界は幸福に満ちて居た!!世界には笑顔が満ちていた!!空は蒼く晴れ!!遍く全てが人類のものだった!!」


 彼の言葉に、周囲の兵士達が呼応するように殺意をあげているのをウルは感じ取る。モリクニの語る言葉は、此処に居る兵士達にとっても当然の常識なのだとわかった。


「だが、貴様等はそれを奪ったのだ!万能の力、魔力の源となる奇跡と共に!!!」


 そして、と彼は空を指さす。ドームの天井には青空が広がっていた。作り物の空。そしてその中心には、眩く輝く光が見えた。太陽の輝きがそこにはあった。彼は、それを指さしていた。


「【方舟イスラリア】と!邪悪なる【】によって!!」


 ウルは、小さく一歩後ろに下がって、リーネに声をかけた。


「……今、えらいこと言ったな?」

「……言ったわね」


 リーネも、その隣りに居るエシェルも、反応はウルに似ていた。


「お前等、イスラリアから来たのか……!?」


 不意に、先程ウル達をここまで連れてきて、そして今取り囲んでいる兵士の一人がウルに語りかけてきた。奇妙な兜を被り直しているが、声からそれは先程拘束していた際にこちらにつっかかってきていた少年だと分かった。


「来たが、お前等もイスラリアを知ってるのか?」

「知ってるに決まってるだろ……!!」


 兜の下の彼の表情は分からない。が、その声音は先程、此方に対して遮二無二に突っかかっていた態度とは質が違った。心底から湧き上がる憎悪が声を通して此方に浴びせられるのをウルは感じ取った。

 彼だけではない。彼の回りにいる兵士達全員からも、その気配は感じられた。


「【涙】を垂れ流して俺たちの世界を腐らせるクソッタレ!【方舟イスラリア】を知らねえヤツはこの場にいねえよ!!!」


 此処にたどり着いたときから、ずっと存在した空の黒い太陽。見るだけで感じる禍々しくも不吉な悪寒を感じずにはいられなかったソレが、ウル達の故郷であると少年は断言した。

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