竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日②
情報は、時に黄金よりも尚眩く、時に路傍の石よりも色褪せる。
情報ほど、変動の激しい商品は存在しないだろう。
【飴色の山猫】のギルド長、ドートルはそれを理解していた。
彼のギルドは物理的な規模でいえば小さい。大罪都市エンヴィーの衛星都市の一角、都市民用の高層建築物の一つに居を構えている。表向きは商人ギルドとしてエンヴィーには通している。
通常の商売であれば、こんな小さな事務所一つでは商売は成り立たない。商品の仕入れの為の倉庫や、販売のための商店、物資の流通の為の馬車等、必要な物も場所も多い。にもかかわらず、使える土地は限られる。
だから、商人達は、いかにして物資の流通を効率化させるかに日夜頭を悩ませている。ものの売り買い見極めよりも重要だと言う者もいる程だ。
その点においては、ドートルの扱う商品、すなわち「情報」は、通常の商品と比べれば場所をとることはほとんど無い。記録する為の紙すらも場合によっては必要としない。扱いは極めて難しいが上等な商品と言える。
ドートルはそれを扱っている。
つまるところ、【飴色の山猫】は情報屋だ。
そして【飴色の山猫】は、法に背く闇ギルドでもあった。
結局、顧客がもっとも望むのは「他の誰も知らない、他者を出し抜ける情報」なのだ。
「この情報は誰も知りませんよ」と嘘をついて相手を騙す手口もあるが、それは詐欺だ。もし詐欺でなく、真の情報を仕入れ、売り、信頼を勝ち取ろうとするなら、そこには否応なくリスクが伴う。法に触れることもあるだろう。皮肉なことに、【飴色の山猫】が闇ギルドになったのは仕事と商品に真摯であろうとしたが故だった。
ドートルは別にそうなってしまったことに対して後悔はない。
彼は「名無し」だ。法は都市民達や神官を守っても自分たちは守らない。
勿論、法の全てをくだらないと一蹴するほど短絡的では無かったが、(というよりもそこまで浅慮では情報は扱えない)必要であれば違法な駆け引きをすることに対しての躊躇も無かった。
とはいえ、今回ばかりはしくじった、と痛感せざるを得なかった。
「ミクリナ。依頼だ」
「はい」
ドートルは自身の手駒の一人、現地調査員であるミクリナに声をかける。
獣人の自分に対して二回りは小さい小人の女、端正な容姿であるが不思議とその印象は薄い。年齢もパッと見ではまるでハッキリとはしない。ふと目を離せば見失ってしまいそうな気配の薄さだった。
それらは間者としての卓越とした能力を示している。ドートルはその事実に満足する。ドートルの保有するギルド員の中でも最も優れた能力を有している。決して騒ぎ立てず、そこにいたという痕跡すら残さず、対象に気付かれないままに必要な情報のみを抜き去るのだ。
彼女ならば、という期待。彼女を失うやもしれないというリスクへの懸念。
その二つの感情が自身の心をジリジリと焼く感覚に、ドートルは苦く思った。それほどまでに、これから彼女に託す依頼の難度は高いのだ。
「例の調査依頼でしょうか」
「……流石にわかるか」
「今、あそこに関わらない仕事など存在しないでしょうから。」
実に理解の早い彼女に感謝しながら、ドートルは頷く。
「そうだ。【竜吞ウーガ】。その現地調査だ」
「……単なる内部調査であれば容易です。しかしそうではないのでしょうね」
「先方が望んでいるのは、竜吞ウーガ、“その核”の情報だ」
ミクリナは沈黙する。
使い魔の核ともなれば、それは根幹だ。どのようにしてその使い魔が構築され、今尚維持されているのかの詳細である。ソレを望むということは「新たにウーガを作り出すことが出来るほどの精度の情報」を望んでいると言うことに他ならない。
しかもウーガが現在、複数の大罪都市国の管理に置かれている以上、国家機密に分類される秘中の秘となっている。
無茶だ。あまりにも無茶苦茶過ぎる。それはドートルにもミクリナにもわかっていた。
「念のため聞きますが、断ることは?」
ドートルは首を横に振る。
極めて慎重に、臆病に育ててきた【飴色の山猫】というギルドは大きくなった。太い顧客からの信頼を得てた。
しかしその結果、断ち切ることの困難な繋がりも生まれてしまった。望めば、ドートル達を都市から追い出すことも出来る有権者達との危険なコネクション。彼らからの取引に応じ、彼らの秘密を握り、それを表沙汰にしないという暗黙の了解の元、彼らからの安全を買っていた。
が、その顧客が破滅の危機を迎えると、その安全はリスクに代わる。
破滅の危機を迎えた「顧客」は、ドートル達を脅しにかかった。自分たちが破滅するリスクも構わず、「望む情報を手に入れなければ、まとめて破滅してやるぞ」と言ってきたのだ。解体寸前となった中央工房の残党達である。
「中央工房のきな臭さは察していたつもりだったがな……」
先の【灰の英雄】の凱旋の流れから間断なく発生した中央工房の崩壊は、ドートルでも感知できないほど圧倒的な速度で行われた。情報屋でありながら、その情報の一端すら掴む暇も無く行われた嵐は、一瞬にして彼らを窮地に追いやった。
情報屋としてはこの上ない屈辱だ。築き上げたプライドもズタズタとなった。それでも、自分はギルドの長であり、部下もいる以上、彼らを守らなければならない。
「主星国エンヴィーで起きた突発的な内乱は落ち着いた。暴力沙汰は鳴りをひそめた。しかしエンヴィ-は今でも大荒れの状態だ」
「荒れ狂う嵐の中で、生き残ろうと必死というわけですか」
「我々も同じだ」
つまり、選択肢は無いと言うことだ。ミクリナはそれを承知したのか、諦めたのか、渡された資料に即座に目を通すと、発火の魔術で書類を焼き払った。
「出発はいつ頃ですか?」
「ラース領復興作業の資源補給に、エンヴィーの衛星都市に停泊する。その際に侵入しろ」
「承知しました」
「灰の英雄にも十分注意を。理解していると思っているが……」
「竜殺し相手に直接やり合うつもりはありません。」
「それともう一つ。注意して欲しい事象がある」
ミクリナは眉をひそめる。その警戒は正しい。
書面で渡せる情報は既に渡した。にもかかわらず口から説明するのは、書面に残すには不確かな情報か、書面にも残せない程の重要な情報かのどちらかだ。そして、今回の情報はその両方にあたるものだ。
「なんでしょう」
「ウーガには【糸使い】が存在している可能性が浮上した」
その瞬間、ミクリナの顔色が変わった。
糸使い。それは半年ほど前からプラウディアを中心に暗躍を開始した謎の存在だった。現在、プラウディアの天陽騎士団団長、天剣のユーリが行っている不正腐敗の一斉摘発。それを裏で手を引いている……と、
噂ではある。根拠は無い。「武力のみが自慢の置物」などと陰口をたたかれることもあった天剣が突如として、あまりにも苛烈かつ、的確に、神殿の内外に蔓延っていた腐敗を崩しにかかってきたものだから、何者かが裏で糸を引いているのではないかと、そういう噂が生まれたのだ。
勿論、最初は根拠の無いでたらめだと思われた。
だが、次第にそれが実在するのではないかと言う推測が広がった。
天剣のユーリの動きと、彼女自身の情報網があまりにも強すぎたのだ。彼女を中心に蜘蛛の糸が至る所に張り巡らされているかのように、ありとあらゆる情報が筒抜けになっていた。どれほど入念に地下深く隠された秘匿も、気がつけば陽の下に晒されるのだ。
天剣の側に何者かの協力者が存在する。
しかし、その姿形はどこにも見あたらない。
必ず存在する。存在しなければおかしいのにその痕跡がどうしたって発見できないのだ。やはり噂は噂で実在しないのか、あるいは恐ろしいほどに狡猾で慎重な何者かなのか、どちらにせよ極めて厄介な存在であることには違いなかった。
それが、ウーガにいる可能性がある。ミクリナの瞳は鋭くなった。
「確定ではない。だが、注意してくれ。糸に絡み取られ、喰われてしまわぬよう」
「最善を尽くしましょう」
飴色の山猫史上、最も困難で不確かな任務に対して、ミクリナはそれでも普段通りの振る舞いで、任務を承諾するのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
グラドル衛星都市の地下居住区画の一室にて
「今宵、我らの秘匿を取り返す」
太陽神の目の届かぬ地下深くで、彼ら【血の探求者】と呼ばれる闇ギルドの面々は集っていた。フードを深くかぶった彼らの全てが魔術師だ。【血の探求者】は魔術師のギルドであり、同時に、禁忌の研究を繰り返していた闇のギルドだ。
魔術師というのは、探求を続けていく内にどうしても一つの思想にぶつかる。
すなわち、現在の神と精霊の支配に対する疑問だ。
ヒトの手に、我らの手に、世界を取り戻す。
そういう思想が――幼稚な思想が――一度だって頭をもたげなかった魔術師はいないだろう。勿論、それが浅慮である事はすぐに思い知る。制約の多い魔術の限界点は、真摯に魔術を学んでいればすぐに気がつく。それがない精霊に追いつくことは不可能だし、それを無理に追い求めれば、破滅が待っている。それこそ、エンヴィーの中央工房のような破滅が、だ。
しかしソレが分かっていても研究を止められなかった者達はいる。
その為に禁忌とされるあらゆる術法に手を染めてでも、探求を望む者もいる。
【血の探求者】はそういった者達の受け皿だった。
つまるところこの組織はそういった「探究心は高いが無謀で危険な魔術師」を吸収するための組織だった。そういった者達が自然と引きつけられ、引きずり込まれるようにこの組織は形作られ、そういった者達を捉えるための網をイスラリア中に張り巡らせていた。
このギルドを生み出した設計者の邪悪さがにじみでいる。
そして、その設計者が、今、彼らを血眼にする最大の要因となっていた。
「我らがギルド長、ヨーグの秘奥を回収するのだ」
彼らのギルド長は、邪教徒ヨーグであった。
【血の探求者】は邪教徒の集まりではない、が、一方で邪教徒達の企みに加担することは多かった。自分たちの禁忌の魔術を利用する上で、邪教徒達の活動は都合が良かった。互いが互いを利用する。そういった仕組みを【台無しのヨーグ】が創ったのだ。
――――将来イスラリアを支える有能な魔術師達が「台無し」になったら、面白いでしょう?
そんな事を当人は平然と自分のギルド員にのたまいもしていたが、それでも彼女に対する敬意を向ける者は少なくなかった。それほど彼女の魔術は卓越していたのだ。
もしかしたら本当に、神と精霊の支配を脱却できるかもしれない。
そう思わされるくらいには。
しかし、その期待は結局、水泡に帰した。
彼女の傑作である【都市侵攻型移動要塞】は神と精霊の管理下に墜ちて、彼らに利用されることになった。それは、彼らにとって許しがたい事実だった。
「なんとしても取り戻さなければならない。ウーガは我々のものだ」
「その通りだ!よりにもよって、勇者の手中に収まるなどと、許されぬ……!」
「神と精霊達に這いつくばることしか出来ぬ者達がアレに触れる資格などない!!!」
彼らは怒りに打ち震えていた。
当然ではあった。既に、【竜吞ウーガ】と【血の探求者】達の争いは数ヶ月に及んでいる。そしてそのたびに彼らは返り討ちに遭い続けた。怒りと憎悪は煮えたぎり続け、既に敵対は不可逆のものとなっていた。
「竜吞女王……あの盗人め……!!」
「白の魔女もだ……!ことごとく邪魔をしおって」
そして目下、彼らが怒りを向けているのは、現在の竜吞ウーガの女王であるエシェル・レーネ・ラーレイ。そしてその配下リーネ・ヌウ・レイラインだ。
この二人は、配下である【白の蟒蛇】たちと共に、ウーガに侵入してくるあらゆる者達を迎撃し続けた。多様な悪意を、欲望を、邪悪を、情け容赦なく蹴散らしてきた。
勿論、彼らも例外では無い。
最初は遠距離からの干渉であったはずなのに、気がつけば場所を特定され、騎士団が詰めかける。あらゆる偽装が失敗に終わり、隠れ蓑としているアジトは次々と潰された。
彼らは追い詰められ、そして屈辱の選択を飲まざるを得なくなった。
「ウーガが予定地まで移動した時点で作戦を実行する。良いな」
現場に、直接乗り込むという強行だ。
あまりにも屈辱的な選択だった。魔術による干渉では敵わないと、白旗をあげているようなものなのだから。しかし、ソレは分かっていても、そうせざるをえなかった。そうせざるをえないくらいには、彼らは追い詰められていた。
「邪霊の巫女はまだいい……レイラインはなんなんだ!?」
「アレがラストでくすぶっていた一族の末裔!?ありえん!」
「ヨーグ様の秘法を盗み見たのだ!!そうに決まっている!!」
が、一方で彼らの士気は際限なく高まってもいた。
彼らにとって、ヨーグは自分たちの長であると共に、信奉の対象でもあった。神や精霊への祈りを捨てた彼らは、結果、ヨーグを信仰の依り代としたのだ。そして、自分たちの思惑のことごとくを潰す【歩ム者】達が、自分たちの信仰と英知を奪い取った大罪人となりかわっていた。
滑稽だ。
その光景を遠目から眺めていた【血の探求者】の一人であるルキデウスは冷めた目で、彼らの狂乱を眺めていた。【血の探求者】の中でも、ヨーグに対する信仰心を欠片も持たなかった彼は、結果として今日まで生き延びた。
応報だ。聖戦だ。と、鼻息を荒くしている連中に乗せられなかったのが功を奏した。
勿論、そういった彼の態度は良く思われず、今の事態になるよりも以前から、【血の探求者】達からのつまはじきの扱いを受けていたが、別にそんなことは彼にとってどうでも良かった。
彼が興味あるのは、真に魔術の探求である。
それも、ヨーグがそそのかしていたような、破滅へと至る道筋ではない。“魔術の限界点とその克服”を知るために、彼はこの闇ギルドに身を置いていた。ヨーグの人格が壊滅的であっても、深淵の知識を有していたのは間違いなかったのだ。
だが彼女はもういない。七天の勇者に討たれ、螺旋図書館の更に地下深く、【罪焼の焦牢】よりもなお昏い牢獄に投獄され、二度と外に出ることは無いという。
だからもう此処には用はない、筈だった。
だが、彼が立ち去ろうとしたその時、新たなる深淵と遭遇することとなる。
「竜吞女王への【切札】は用意できた。後はどうぶつけるかだが……」
「やはりレイラインを押さえるしかあるまい!奴が無事でいる限り、ウーガは要塞だ!」
「まて、【白銀姫】はどうする?」
「魔術の防衛面においてはレイラインほどの脅威ではない!まずは奴だ!その上で竜吞女王を討つ!」
そう、レイラインだ。
大罪都市ラストで没落していた白の末裔の一つ。複雑怪奇な魔法陣を操る一族。極めて扱いが困難な魔術であり、誰もが「使えない」と見切りをつける中で、ひたすらに研鑽を続け得た異常な一族、その
以前から興味自体はあった。実用性においては壊滅的なのは明らかだったが、膨大な量の術式を、一切破綻させずに積み上げて、単身では本来不可能な終局魔術へと至る行程は、ある意味不可能を可能としていると言ってもよかった。
ソレをなせる技術は、興味がある。魔術の限界を超えるマスターキーたり得るからだ。
そして、ウーガの騒動を経て、おそらくブレイクスルーを迎えた。白王陣は躍進している。ウーガとの相性が良い、というだけではない。何かきっかけがあって、決定的な成長を遂げたのだ。
もしかしたら、今騒いでいる連中が言っているように、ヨーグの秘法に触れたが為かもしれない。あるいはまったく関係がないかもしれない。だがルキデウスにとってそれは心の底からどちらでも良かった。
ただ知りたい。レイラインが、本当に魔術の深淵に触れているのなら、学びたい。そう思うのは魔術師の性だ。探求者の本能だ。その探究心も忘れて報復に夢中になっている連中は、魔術師では無い。
なるほど、最後まであの女は「台無し」だったな?
そんな風に感心し、同時に自分も彼女の影響を受けていないかと少し警戒しつつも、襲撃作戦の準備を進めた。勿論、それは彼らの作戦に協力するためでは無く、自分の探究心を満たすためだった。
レイライン。ハッタリであってくれるなよ?
自然と口端がつり上がる。それは加虐心故でも、復讐心故でもない。ただひたすら、子供のような期待と好奇心から生まれる笑みであった。
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