灰の英雄の凱旋② 悪徳の温床



 真なるバベル 謁見の間


 唯一無二の王を拝むことの適う唯一の場所。大罪都市プラウディアの遙か高く。

 天空の城の、その更に高くにある玉座を前に、英雄ウルは跪いていた。


「よくぞ来た。【超克者】」


 彼の前に座るのは、偉大なりし【天賢王】アルノルド・シンラ・プロミネンス。

 彼の隣にはその御子である【天祈】スーア・シンラ・プロミネンス。

 更に【天剣】のユーリ・セイラ・ブルースカイ

 世界で最も強い権限を持つ二人を前に、ウルに勇者ディズ、それに彼が率いた戦士達はひたすらに頭を下げた。彼らがプラウディアを通った際に起こった都市民達の歓声は此処では聞こえては来ない。あるのはひたすらな神聖な静寂だ。

 緊迫感が場を支配していた。しかしそれは罰す為のものでは無い。


「大罪を越えた証しを王の前へ」


 天祈のスーアがウルに告げる。

 言葉に従うように、ウルは右手の籠手を外す。自身の腕を晒す。その瞬間、周囲の神官達からどよめきが起こった。只人の腕とは思えない白の右腕。その一部だけが別の生命体のものと接ぎ変わったかのような様相だったが、歪なところ無く良く馴染んでいた。


「【名を示せ】」


 その右腕を掲げ、ウルは小さく唱える

 それは単純な【解析】の魔術だ。対象の魔名を示し、その力を明かすためのものである。それをウルは自らに使い、その魂に刻まれた軌跡を顕にした。


「【姿を現せ】」


 それを、隣に立つディズが大きく広げる。その場にいる全員にそれが見えるように。


「おお……!!」


 再び神官達から声が漏れる。今度のそれは感嘆の声だ。

 ウルの手に示された魔名は、通常のそれではあり得ない輝きと、カタチをとっていた。ウル自身を示す白く輝く魔名。その魔名の周囲に、憤怒を示す大罪の魔名が顕現した。


「証しは示されました。彼の大罪の超克を認めます」

「大義だった。300年前の七天達が成せなかった偉業をよくぞ果たした」

「光栄です――――ですが」


 王の言葉にウルは再び頭を小さく下げる。そして顔を上げた。


「300年前の七天達の命を賭した献身。そして、10年以上前から呪いに打ち勝つべく努力を重ねた黒炎払い達。隊長のボルドー、運命の巫女アナスタシア、此処にはいない多くの仲間達の力あってこそです。私はその助けを行ったに過ぎません」


 そう言って、彼は振り返る。謁見の間にいる全ての神官達にも視線をやる。


「何よりも、悍ましき憤怒の呪いをラースに止め続けた我らが神、ゼウラディア。そしてその神に仕えし皆様の尽力があってのことでしょう」


 そう言って深々と一礼した。神官達が再びざわめいた。ウルの態度は、学も無ければ、なんの精霊に愛されることもない名無しの少年とは思えぬほど、謙虚さに満ちていた。


「ならば、その全ての者達にも告げよう」


 そう言って王は玉座から立ちあがると、ウルの背後で彼と同じように平伏す黒炎払いの戦士達全員に届き、響く声で告げた。


「諸君等は偉業を成し遂げた。見事だ。心より感謝しよう」


 王が玉座から立ちあがり、少し前まで罪人と呼ばれていた者達を讃える。あり得ない事だった。それほどの偉業を成し遂げたのだ。その事実が、その場にいる高位の神官達全てに示された。

 罪焼きの焦牢の戦士達。どのような経緯でそこに収監されたかは兎も角、今現在罪人とされている彼らをこのバベルへと招くことそれ自体、忌避する神官達は居た。

 だがウル自身が証を示し、驕り高ぶる所一つも無い態度で、自分たち神官に対しても敬意を示した。それにより彼らの価値観の中にある名無し、罪人への嫌悪感と、特権階級である事の傲慢さがかき消された。

 偉業をなした少年と戦士達に、賞賛と敬意を示すことが出来なければ、自らを貶めることとなると、彼らは理解していた。惜しみなく、彼らはウルへと賛辞を送った。


 それ故に――――


「お待ちください!!!」


 それに待ったをかけようとする者がどのように思われるかは明らかだった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 ドローナは、自身に突き刺さる視線の冷たさを感じた。


 自分が此処にたどり着くまでが、あまりにも遅すぎたことを悟った。

 否

 ドローナが遅かったのではない。英雄ウルを巡る話の展開があまりにも速すぎたのだ。

 黒剣騎士団と焦牢の壊滅、黒炎砂漠とその先にある灰都ラースを巡る顛末。それらを導いたウルの存在。一連の騒動を受けたプラウディアの動き。

 これら全てがあまりにも速すぎた。通常の事案であれば、ドローナにはそれを知り、介入する猶予というものはあった。彼女自身が培ってきたコネクションと資金で、最低限自分を守るためのセーフティを敷いて、最悪逃げ出すことだって出来たのだ。


 だが今回は全く、それができなかった。一部の情報を掴めた頃には既に、ウルはプラウディアに姿を現し、王への謁見を果たしていた。


 間違いなく、この状況をコントロールしている者がいる。

 自然発生で、こんな馬鹿げた速度で事が動くなんてありえない。


 だが、それが何者の影かすら、ドローナは掴めなかった。情報戦において、彼女は大敗を喫していた。当然、このような状況で、事の中心地へと飛び込むのは愚策でしか無い。それでも彼女はそうせざるを得なかった。


「黒炎払い、彼らの大罪迷宮攻略認定に異議を唱えます!!」


 何故なら、本件は彼女とあまりにも関わり深い一件だったからだ。


「ドローナ……あの女……!」


 黒炎払い。かつて衛星都市セインにいた者達のざわめくような声が聞こえてくる。

 というよりも、それは明確な殺意だった。何人か、震えるような声をあげて此方を睨む。それを隣りの仲間が押さえ込み、なんとか堪えているような状況だ。

 当然だろうとドローナは理解している。彼らを地獄の底に貶めたのは誰であろう自分なのだから。そう言う反応にもなる。此処までドローナに着いてきた従者達などは露骨に尻込みし始めている。

 だがドローナは彼らを完全に無視した。見上げる先にいるのは玉座の前に立つ天賢王だ。


「王よ!!どうか考えを改めください!!!このような罪人達に名誉を授けるべきではありません!!!」


 雰囲気が一転してざわめきが激しくなった。

 黒炎払い達だけではない。周囲の神官からの敵意も激しくなっていくのをドローナは感じ取った。彼女とて馬鹿ではない。現在自分が完全なアウェイに居ることくらいとっくに感じている。


 だが引くわけには行かなかった。


 黒炎払い達。そしてウル。彼らを英雄にするわけには行かないからだ。もしそれを認めてしまえば、その瞬間、彼らを貶めたドローナの正当性が損なわれる。ありとあらゆる手段で彼らを貶めて、地獄へと突き落とした事実が跳ね返ってくる。それだけは避けなければならなかった。


「運命の精霊の神官ドローナ」


 王の声が響く。声量は大きくないのに、頭からのし掛かるような強い声だ。ドローナは平伏し、冷や汗を掻いた。


「確かに彼らは罪人だ。その点は正しい。黒炎払い。彼らの記録を見る限り、10年前衛星都市セインで発生した様々な不正事件の嫌疑にかけられ、焦牢に投獄されていると知っている」

「ええ、ええそうですとも!ですから!」

「だが一方で、それらが”何者か”によって押しつけられた冤罪だったのではないかという指摘があった」


 だろうなと、ドローナは思った。この場に黒炎払い達がいるのだ。彼らから王に訴えるのは当然のことだ。予想していたからドローナは冷静だった。


「罪人達の言い分など信じるべきでは――」

「いや、彼らではない」


 は?と、思わず声にならずに疑問符が口の中で沸いた。王は続けた。


「衛星都市セインの神官及び都市民達」


 王は続ける。


「更にプラウディア在住の商人ギルドの面々。冒険者ギルド。神官、騎士団」


 王は続ける。


「その他各所から冒険者ウル及び、10年前の黒炎払いにかけられた嫌疑、その他神殿内での活動に不正があったのではないかという訴えが寄せられた。


 ひゅっ、と、ドローナは息を飲んで目を見開いた。

 状況が理解できずに居ると、不意に参列していた神官達の間から何人かが前に出る。幾人かの神官達の間に、冒険者ギルドのギルド長であるイカザが姿を現した。彼女だけではない。プラウディア騎士団長のビクトール。官位を持たぬ商人ギルドの面々。その他多数の彼女の敵が、この謁見の間に集結していた。


 謀られた


 ねばついた冷や汗を垂れ流しながら、ドローナはそれを理解した。


「それともう一点、こちらは正直、立場上、好ましくない事態であるのだが、目を背けるわけにもいかぬ」

「何を」

「計画の前に、。スーア」


 そう呼ばれ、美しき、賢者の御子が階段から降りてきた。


 不味い。


 ドローナはそう思った。

 油断だった。あらゆる精霊に愛される者、スーアのいるバベルにはドローナは近づかない。彼女に限らず、あらゆるすね傷の抱える者達は、決してここには近づかない。


 一切の隠し立てを許さぬ無法の眼に、晒されないために。


 だが、ここに飛び込んでしまった時点で、飛び込むように、仕向けられた時点で――


「神官ドローナ、精霊の力を使いなさい」

「……!」


 気がつけば、目の前にスーアがいる。瞳は隠されているはずなのに、全てが見抜かれてしまったような感覚に、ドローナは硬直する。


「運命の力を授かったのでしょう。力を我が前に示しなさい」

「きょ、今日は……運命の精霊は…………気まぐれで」

「【星海】の管理者たる私の前です。何の問題もない。さあ」


 ドローナは動かない。動けない。

 だって――――


「精霊の力を授かるには幾つもの条件があります」


 声一つ発せないドローナに変わるように、銀色の少女が、良く響く声で語り始める。ドローナにも、ほかの神官にも聞こえるような、澄んだ鈴の声だった。


「努力と強い祈りによって授かる可能性は上がっても、必ずしも、精霊が力を与えてくれるとは限らない」


 加護を授かることができなかったり、あるいはその血筋の傾向とは全く別の――邪霊の加護を――授かってしまう事もある。そうしたとき、特に精霊との繋がりを重視する家は、その子供を追い出したり、いなかったことにしたりする。我が子を、ヒトとも思わずに切り捨てるその所業は、問題視されていた。


 とはいえ、それはもちろん、極端なやり方だ。


 全ての神官の家が「精霊に愛されなかったから」という理由で我が子を捨てるほど、尖った思想を持っている訳が無い。そんなのはよっぽど病的に血と精霊の繋がりを重視していない限り起こらない。


 血のつながった我が子の道行きが、良くあってほしいと願うのは人情というものだ。


 しかし、精霊の加護を授かることができなかったと周囲に知られば、責められる。あるい政治闘争で不利になる。それもまた事実。


 だから、賢しい回避の仕方が生まれた。馬鹿馬鹿しいほど至極単純な不正が、蔓延した。


「――――――っ」


 それは、神殿内で古くから、慢性的に蔓延っていた一つの不正だ。


 精霊の力を授かることはできた。

 しかし、それほどに強い精霊の力では無く、都市の貢献は難しい。

 で、あればやむを得ない。別の形で都市の貢献に従事し、神に仕える。


 と、偽る。嘘をつく。


 精霊の数は膨大で、その全てを完全に神殿が把握できるわけも無い。力を授けるのは精霊であっても、それを認めるのはヒトなのだ。金銭のやりとり、縁故の情、不正が入り込む余白があった。長い年月をかけて、取り返しのつかない不正の温床と化した。


「天祈の前に姿を見せない。定期的な確認の制度が存在しない。嘘をつく。嘘をつく事ができる。不特定多数がそれを暗黙の内に了承している。典型的ですね」


 ユーリは苦々しくも、納得したようにため息をついた。

 不正とは、腐敗とは、そういうものだ。明らかな間違いを、問題を、指摘しない。わかっていて、見なかったふりをする。指摘した者の方が間違いであるかのように非難される。そうして、本来まかり通るはずの無い嘘が通るようになる。


 しかしこれは本来、つつましい嘘でもあった。


 何せ、持っていない力をあると嘘を吹くのだ。実際に力を使えと言われれば、誤魔化しが効かない。どれだけそれが暗黙の了解であろうとも、この偽りを背負った者は肩身を小さくしなければならない。ばれぬように、神殿の表には出ぬように、密やかに生きていくのが普通だ。

 そうするからこそ、この嘘は見過ごされてきた。


 普通そうなのだ。


 だから、まさか、だ。


と、そう盲信してしまったと」


 往々にして、嘘というのはその規模が大きいほど、存外に気づかれずに見過ごされる。

 そこまで愚かしい大馬鹿者、居るわけが無い。という盲点が生まれる。


「運命の精霊の力が、傍目には酷くわかりづらいものだったというのも、この一役買いましたね。なるほど、闇ギルドで人為的に相手を貶めても、確かに不幸は訪れる」


 だから彼女の周りには不幸ばかりが生まれる。本来の運命の精霊のように、良き方へと導くことは無い。そんなことはできないから。


「実際に精霊の力を授かってないなら、黒剣騎士団との繋がりを得るのにもためらいはない、と……竜を畏れ、精霊に嫌われるかもしれないなんて心配とは無縁ですね」


 銀髪の少女の言葉に続けながらも、天剣のユーリはすでに彼女の剣を抜いている。こちらに対して向ける視線は、すでに神官に対してのものでは無い。


「彼女に精霊の力を操る才能はなかった。しかし、悪徳を重ねる才能と、罪から逃れる嗅覚と、悪運を持っていた。運命に愛されていたというのは、あながち間違いでは無かったかもですね?」


 銀髪の少女は微笑む。そう、確かにそういう意味で、ドローナは運命に愛されていた。


 しかし、その運命もとうとう尽きる。今、まさに。


 全ての悪徳がつまびらかにされたとドローナは理解した。


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