灰の英雄の凱旋


 大罪都市プラウディア専用移動要塞 空鯨ホルーン


 空を優雅に泳ぐ霊獣。魔を退けるでなく、魔から隠れるでも無く、眠らせることで安寧を約束するプラウディアの移動要塞。極めて静かに、空を自在に移動することが出来るその鯨は、今日もまた、運び手としての役割を果たしていた。

 その体に吊り下げた船に客達を乗せ、大空を泳いでいた。エンヴィーが扱うガルーダと違い、高さも低いし、速度もそれほどだ。しかしガルーダと違い、相応の時間と、必要なだけの金銭を払えば、一般人でも利用できる優雅な空の旅は多くの者に親しまれていた。

 都市を巡り、泳ぎ続けるホルーンはプラウディアにとって名物であり、日常の光景の一つだ。プラウディアの外から来るものにとってそれは珍しい姿だが、プラウディアに住まうものにとっては日常を約束してくれる聖獣であり、あって当然の景観だった。


 その筈なのだが、その日、移動要塞用の港には、ホルーンを出迎える都市民達で溢れかえっていた。


 普段ならば集まることの無い人数が集まった理由は一つ。

 今回ホルーンが運んだモノが、現在、イスラリア中を賑わす人物だったからだ。


「ホルーンだ」

「アレに乗ってるの?」

「人が集まりすぎて全然見えねえ……」


 天陽結界により確保されたホルーン用の広い港、それを一望できる一般用の待機通路の都市民達はざわめきながら、降りてきたホルーンを見つめている。やがて吊り下げられた船に、橋が渡される。そして、


「出てくるぞ……」


 ざわめきが大きくなった。


 【灰の英雄ウル】が姿を現したのだ。


 ウル。その名前がプラウディアに広まったのは二度目である。


 一度目は半年以上前、竜吞ウーガが生まれた時……ではなく、その少し後。ウーガを利用した国家転覆を試みた容疑で捕まった時である。今を賑わす新進気鋭の冒険者、として市井でそこそこの噂になる程度だった彼がこの時一躍有名になった――――無論、悪い意味で。


 一介の冒険者が国家転覆を狙うなどという話は、正直なことを言えば荒唐無稽も甚だしい話ではある。通常であれば都市民達も半信半疑に思ったことだろう。

 しかし一方で、ウーガという前代未聞の移動要塞の出現、そこに加えてグラドルの神殿で発生した大惨事が現実味を持たせ、更に、疑惑であるはずのその情報を真実であるかのように流布する幾つかの勢力存在が疑惑を補強した。

 あくまで疑惑だったはずが、事実であるように広まり、彼は大半の都市民達から批難され、あるいは面白がって取り上げ、スキャンダルという名の娯楽として散々に消費された後に、すっかりと忘れられた。


 そして半年後、誰もかれも話題にすらあげなくなったころ、ラース解放が起こったのである。


 彼の無罪を訴えていた者達がどんな顔になったか

 彼の有罪を訴えていた者達がどんな顔になったか

 それを想像するのが無関係だった者達の新たなる娯楽になった。


「アレだ!!」

「おい!見えないぞ!」

「小さくない?子供みたい」

「じゃなくて子供なんだよ!確か15、6だろ!?」

「…………っつーか、すげえな」

「ああ……やべえ」


 ホルーンから現れた英雄ウルの様相は、一言で言い表すならば満身創痍だった。


 白の紋様の刻まれた、光を吞むような黒の全身鎧。鎧と同じ、二色の色を規準とした二つの大槍が背中に背負われている。だが、見学者たちの目に映るのは、その鎧にある巨大な傷跡だ。獣の牙か、巨大な大剣で切り裂かれたような大きな破損痕、何か凄まじい熱で焼かれ歪んだ痕跡。激闘の痕跡が素人の目でも理解できるほどはっきりとあった。

 顔は、厳めしい兜を被っているが為にハッキリとはしない。だがだからこそ余計に都市民達の想像は膨らんだ。想像の余地が、彼らの中の熱をより膨らませるのだ。


 彼の左右には女性が二人


 片側は白いローブの少女だ。腰に剣を構えていることから彼と同じく冒険者であろうというのは間違いないが、それ以外の情報は少なかった。だがしかし、白銀の髪と、美しい容姿の少女がウルに従うようにして歩いている。それだけで、現金なもので、ウルに対する評価は上がった。


 そして彼女とは逆位置には黄金の鎧を身に纏った少女がいる。そちらはプラウディアの都市民にとってはなじみ深い少女だ。勇者ディズ、他の七天と比べれば目立つところ少ないが、紛れもない英雄である。その彼女は、今日に限ってはまるでウルの従者であるように歩みを進めている。


 二人の美しき少女達を従える英雄。その姿はあまりにも絵になった。


 そしてその3人の背後から、ウルと同じく黒鎧を身に纏った戦士達が姿を現す。彼らの鎧も彼方此方に傷や破損の跡があった。ウルと同じく激戦をくぐり抜けたであろうと言うことが誰の目にも明らかだった。


 彼らは成し遂げたのだ。


 その確信は歓声へと変わり、彼らに浴びせられた。疑惑、不名誉、嘲笑、それら全てが無かったことになったかのように、無責任な賞賛を浴びせ続けるのだった。












「……いや、ヒト多、怖……」

「ウル様、歩幅はもう少し大きく、肩を上げて、胸を張ってください」

「とても細かい」

「というか、プラウディアどころか、あらゆる都市国でウル達のこと広まってるんだけど」

「協力者と共に、広めました」

「君かぁ……」

「っつーか鎧とか装備ボロボロなんだけどイイのかよこれ。俺とか大盾割れてんだけど」

「戦いの分からない者にもわかりやすい証拠は必要なのです。そそります」

「そそるのかあ……」

《かぶとしてよかったん? かおみえんよ?》

「ええ。勝手に妄想してもらいましょう。その方が恐らく、都合が良い」

《なーるほどなー……》





              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 太陽に最も近い場所

 偉大なりし天賢王のおわす場所、【真なるバベル】。

 イスラリアを支える全ての要であり、象徴ともいえる場所を、英雄達は見上げていた。


「久しぶり……って気もしねえなあ」


 【灰の英雄ウル】の訪問は二度目だ。


 一度目は竜吞ウーガ誕生の報告と、【陽喰らいの儀】参加の嘆願だった。その際は、【歩ム者】一行は、言ってしまえばイレギュラーな“ゲスト”に過ぎなかった。本来の訪問の予定を無視した事も考えれば、“無礼な”という単語まで頭についただろう。

 しかし今回は違う。バベルの塔の大通りにも都市民達は集まっている。彼らの視線は全て、英雄達に向かっている。今回は、彼らこそが主役だった。


「……物見遊山の全員がこっち見てるのこっわ」

「ウル様、どうか冷静に」

「どう考えても黒炎鬼達の方が怖いと思うよ?」

《しぬことはないで、にーたん》

「そのはずなんだがなあ……」


 別に、都会慣れを全くしていないかと言われれば流石にそんなことは無い。そもそも短い間だったが、プラウディアで暮らしたこともあるのだ。

 ただ、あふれかえるほどの人数が、全員こっちを見ている光景というは、すさまじい圧力がある。


「な、なあ、なあ。俺、大丈夫かな。変な格好してねえかな?」

「落ち着きなさい馬鹿。そもそもボロボロよ。見栄えなんて気にしてどうするの」

「このボロックソの鎧のままでいいのは助かるよな……下手に取り繕わなくてすむ」

「俺とか、普通に犯罪者なんだけど、入っていいんかねえ……」

「アンタは騙されて罪なすられただけだろ、へーきへーき……多分」


 黒炎払いの面々も、うろたえまくっていた。

 何も事態を把握しないままにここに連れてこられたのもそうだが、彼らも大半は名無しで、しかも犯罪者だった者もいる。真なるバベルに踏み入るなんて、全く縁の無かった者達ばかりだ。そういった反応も当然だった。シズクがかなり細かく声を飛ばして、彼らの挙動を補正して回っていた。

 そうこうしている間に、バベルの塔の門が開く。

 門の先からウル達を出迎えてきたのは――――


「天祈のスーア様に、天剣のユーリ様……」


 七天の二人だった。

 その二人が姿を見せた瞬間、周囲のざわめきは大きくなった。二人はウルの方へとまっすぐに向かってくる。ウルは動きには出さないが少し身構えた。特にユーリが以前、敵意をむき出しにしていたのをウルは覚えている。スーアに対しては言わずもがな。


 今回は何を言われるんだろうか。と、やや警戒していた。

 が、しかし


「お待ちしておりました。超克者の皆様」

「ご足労いただき、感謝いたします」


 二人は、並ぶと同時にウル達へと向かい、一礼をとった。


「ちょ」

「不甲斐なき我ら七天が畏れ、手出しすることもかなわなかった黒炎の呪い。それを払った皆様に敬意と感謝を」

「ここにたどり着くことかなわなかった方々にも、感謝を申し上げます」


 ウルの動揺を無視して、二人は続ける。顔を上げたユーリの表情に、最初に出会ったときのようなウルに対する嫌悪や不審は無かった。ただ静かな、ウルと、黒炎払い達に対する敬意があって、それが余計にウルを焦らせた。


「おい、ディズ」

「うん、私からも」


 ディズによびかけると、ディズもまた、ウルに対して一歩距離を取り、二人の七天に並んで丁寧に一礼する。周囲の都市民達の小さな動揺と、歓声が大きくなった。ウルは苦い顔になった。


「……二人を止めてくれっていおうとしたんだが」

「私たちの義務を代わりに果たしてくれたのです。感謝は当然ですよ?」


 スーアが不思議そうに言う。ユーリもそれに対して当然、というように頷いた。


「もちろん、言葉だけでは無く、謝礼も用意するつもりです――――規模が大きくなりすぎて、謝礼金を渡して終わりというわけにはいきませんが――――少なくとも、貴方が居心地悪くする必要は全くありません。それだけのことを、皆様は成しました」

「……それでも、勘弁してくれませんか。居心地が悪すぎる」


 ウルは、珍しく強い口調ではっきりと、相手の行いを拒絶した。

 七天、今日までずっと自分たちの世界を支え続けてくれていた最大の功労者達に、頭を下げられるのは耐えられない。

 そして、その拒絶の意味と、ウル自身の感情を理解してくれたのか、ユーリは眉を軽くひそめる。珍しいものを見るような顔つきだ。


「……本当に、名無しらしからぬ高潔さですね。もう少し偉そうにしても誰も咎めたりはしませんよ」

「それでも勘弁してほしい」


 ウルの言葉に、背後の黒炎払い達もこくこくと頷いた。居心地が悪いのはウルだけではない。ユーリは小さく息をついて振り返る。


「どうぞこちらへ。王がお待ちです」


 そう言って、いつもの調子に戻るように、颯爽とバベルへと戻っていった。その姿に、ディズは小さく微笑み肩をすくめると、彼女と同じようにバベルへと先導していく。

 ウルは安堵のため息をついた。そして顔を上げると――――なぜか目の前にスーアがいて、軽く宙を浮くと、ウルの兜をぽんぽんと叩いた。


「なんでしょう」

「無事でよかったです」


 幽霊か何かで無いかと確かめているようだった。ウルは苦笑した。そして、言わねばならないことを告げた。


「貴方の授けてくださった槍のおかげで、何度も命を拾いました」

「そうですか?」

「ええ。感謝します。ありがとう、スーア様」


 ウルはそう言って、膝をついて頭を下げた。スーアは宙に浮いたまま、しばし考えるように首をかしげた。


「お礼と、謝罪を言うべきは、私ですが、そうですか」


 しばし考え込んだあと、ほんのわずかに表情を綻ばせた。


「よかった」


 それだけ言って、スーアはバベルへと戻っていく。少しだけ上機嫌に。

 

 さて、そんなやりとりを遠目に見た都市民達は、灰の英雄と麗しき天賢王の御子との関係に想像をかき立てられ、噂話が流れ、そこから転じて、明らかにウルをモデルにしたようなロマンスの演劇ができたりできなかったりするのだが、これは別の話。

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