灰の英雄の凱旋③ 宣告


「っひ!?」


 彼女の部下達。悪徳を理解していながら、ドローナにつきまとい、付き従うことで甘い汁を啜ってきた連中が慌てて逃げはじめた。馬鹿な連中だとドローナは内心で思った。この状況で逃げられる訳がない。謁見の間の外では天剣のユーリが率いる天陽騎士団が控えているに違いない。


 コレが誰の罠かしらないが、その周到さは狂ってる。


 ラースの解放、そんなもの想定出来るものでは無い。黒剣騎士団と深く繋がっていたドローナすらも、全く想定できなかった事態なのだ。

 だとしたら、これはもっと前から、準備を整えられていたものだ。静かに、入念に、決して誰にも気取られず、仕組まれたことなのだ。


 ドローナにはどうにか出来るような相手ではない。

 日々を謀略と共に生きてきた彼女にはそれが分かった。故に


「……ああ。残念。もう少し甘い汁をすすれると思ったのですけどね」


 ドローナは開き直って、へらりと笑った。


「それは、認めると言うことか?」

「ええ。はい。そうです。王さま。私が全てやりました。ええ」


 天賢王の追求に対してもドローナは素直に応じた。両手を挙げて降参、とでもいうようにポーズを取る。その巫山戯た態度に証人として名乗り出た連中や黒炎払いの者達は困惑と、怒りを顕わにしているのが見えたが、やはりドローナは気にした様子はなかった。


「かつて黒炎払い達を貶めたのも、それ以降運命の精霊の力を授かったと偽ったのも、その嘘を使って永く多くのヒトを騙したのも、本当ですよ」

「何故、そのようなことをした?」

「何故って……」


 問われると、ドローナは表情を変えた。老いを隠すためにいささか厚く塗られていた化粧がひび割れるような、歪な形になった。


「だって、ズルいじゃ無いですか。精霊に選ばれただけのクズどもばっか、美味しい思いして」


 偽りの神官ドローナは醜いカタチに顔を歪ませた。




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 ドローナ・グラン・レイクメアは、精霊に選ばれた事が無い。

 官位は持っている。精霊と繋がりやすい血がその内にある。だが、選ばれたことは一度も無い。精霊の力がその身に宿り、超常の力が身に宿ったことは一度も無い。

 努力をしてこなかったわけではなかった。一心不乱に祈りを捧げた。どのような木っ端の精霊であろうとも構わなかった。どんな精霊でも良いから、選んで欲しかった。


 しかし選ばれなかった。彼女は誰にも選ばれなかった。


 ――そういうこともある


 神官見習いを育てる指導官は、いつまで経っても精霊を宿せない彼女に対して、叱るでも、励ますでも無く、慰めるようにそう言った。


 ――官位の血は、祈力を約束こそするが、精霊の加護までは確約してはくれない

 ――神官とは、まっこと、選ばれし者がなる者。

 ――其方の祈力があれば、従者として大成出来るだろう


 相手は第四位の神官で、精霊に選ばれていた。上から目線の発言だと思った。選ばれたことのある者に、自分の惨めな気持ちは分からないだろうと。


 妬ましかった。惨めだった。


 無為に神殿で年を重ねた自分よりも、若く、才能も溢れる者達が次々と精霊に選ばれていく姿を横目に見ることの日々がどれほどの屈辱だったか。その挙げ句、その研鑽の日々が「まあそういうこともあるから仕方が無い」などという陳腐な慰めで片付けられたことで、彼女の自尊心はズタズタに引き裂かれた。

 こうして彼女は神官の道を諦めて、神官に仕える従者になった。実家からは疎ましく思われて、逃げるように別の都市国へと逃げて、適当に目に付いた神殿に従者として転がり込んだ。


 それでも、この時の彼女はまだマシだった。少なくとも完全に壊れてはいなかった。


 運命の聖女アナスタシア。なんの努力も無く、ただ愛されることで全てのものから崇められる力を得た少女を前にするまでは。




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「ねえ、だって、おかしいじゃない?私、あんなに頑張ったのに!努力したのに!!なんの努力も頑張りもしていない小娘が!!崇められるなんて!!そんな女になんで私が仕えてやらなきゃいけないの!!?」


 彼女が此処まで悍ましい感情を晒すようになってしまった経緯をこの場の殆どの者は知らない。だが、奇妙なまでにハッキリと、彼女がどのように壊れたのか、その場にいた誰にも容易に想像が付いた。


「だから壊してあげたのよ!!奪ってあげたの!!!最高だったわ!!あの小娘がだまされたとも知らずに最底辺に墜ちていったのは!!呪いにまみれて廃人になって、しかも最後は死んだんですって!?アハハハハ!!良い様!!」


 彼女の内にある感情は、誰の心の内にも存在していたからだ。不愉快な共感、そして忌避感が彼女への嫌悪となっていく。理解はしても、寄り添う者はこの場には誰も居なかった。彼女の有り様はあまりにも、汚かった。

 王の前、謁見の間で晒すにはあまりにも醜い嫉妬の感情だった。


「巫山戯ないで」


 狂笑を続けるドローナに、黒炎払いのレイが立ちあがる。常に冷静な弓手である彼女のその顔には、ドローナの狂気に負けず劣らずに憎悪があった。


「相手の方が恵まれているなら、何をしても良いなんて理屈、通るわけが無いでしょう…!いい年して幼児レベルの癇癪を振りかざさないで!!!」


 レイのその直球の罵倒に、しかしドローナは壊れた笑みを返すばかりだ。まるで何も聞こえていないかのような態度に、レイは更に苛立った。


「挙げ句の果てに、沢山のヒトも巻き込んで傷つけて!!彼女を言い訳に使うんじゃ無い!!アンタはただのクズだ!!」

「だから、私がやったって言ってるじゃない?私はもう破滅するんだから、キャンキャン喚いたって意味ないわよお?」


 ドローナはゲラゲラと笑って、そしてレイを見てわざとらしく嘲りに口を歪めた。


「ああ、それとも10年間牢獄で無為に年くって辛かったのかしら?あははかわいそお!」


 頭が痛くなるような言葉だった。

 レイでなくとも、黒炎払いでなくとも、胸糞の悪さで反吐が出るような気分になった。破滅を察した女が振りかざさす悪意が刃となって無差別にこの場に居る全てのものを傷つけていた。

 謁見の間は剣呑な殺意と雰囲気に満ちていた。彼女の悪意を正面から受けたレイなどは、今すぐにでも飛び出して、彼女をくびりころしそうになっているのは明らかだった。


「ガザ、レイを押さえていてくれ」


 それを止めたのは、ウルだった。

 彼の言葉にハッとなったガザは、隣のレイの両肩を掴む。そしてウルはそのまま玉座へと続く階段から降りてゆく。ウルの道を空けるように黒炎払い達は分かれ、ドローナへと彼を導いた。


「あら、貴方ウーガを偶然たまたま手に入れたと思ったら、今度はラースを解放した英雄なんて、ほんっとおおに”運が”良いのねえ?羨ましいわあ!」


 ドローナの罵倒の対象はウルへと移った。

 英雄ウルにとって、ドローナは自分を恐ろしい牢獄へと誘った敵の一人だが、彼女にとってもウルは今自らを破滅へと導こうとしている怨敵である。その悪意に熱が入った。


「ねえ!どうやったらそんなラッキーになれるの!?実力も血筋も持たないゴミクズみたいな名無しが英雄になる方法、私にも教えて――――」

「”私”のことを覚えていますか?ドローナ」


 だが、対称的に、ウルの反応は静かだった。

 彼女に罵声を浴びせられても、怒りも悲しみも示さない。淡々と、彼女へと語りかける。その声に、口調にドローナは違和感を覚えた。


「ねえ、ドローナ。私のことが、わかりますか?」

「なにを――――」


 ウルは不意に、兜を外した。

 白と黒の混じった灰の髪。鎧の厳めしさに対して幼さすら感じる少年の顔。だが、なによりも、ドローナは目を奪われたのは彼の目だ。

 少し昏いが、あまりに鮮やかな翠の目。それに彼女は見覚えがあった。忘れるはずも無い。彼女の脳裏には未だにその色は焼き付いて離れない


 ――ドローナ。みじゅくな私を、いつも助けてくれてありがとう


 彼女が貶めて破滅させた、聖女の瞳


「――――へ?」

「私がわかりますか?私の声が聞こえていますか?」


 一歩一歩。ウルは近付く。ドローナは身動きが取れなかった。まるで金縛りにでも合ったかのように指一本、動かすことが出来なかった。目の前にまで、翠の瞳が近付いてくる。目を逸らして、目をつぶってしまいたくても、瞼すら動かなかった。


「ねえ、ドローナ――――私の憤怒が分かりますか」


 ウルの言葉は、しゃべり方は少年のものから変わっていた。ゆっくりとして、丁寧で聞き取りやすい、洗練された女のそれだ。ドローナは知っている。幼い頃、彼女にそれを教え込んだのはドローナだ。


「貴方を信じていたのに。貴方を姉のように慕っていたのに。どうして?ドローナ」


 徐々に深く、粘り気を纏った声がウルから発せられる。ドローナは呼吸をしようとして、出来なくなった。肺が痙攣して上手く動かない。苦しい。動けない。どれだけ藻掻き暴れようと身体に命令しても、逃げることは出来なかった。

 ウルの瞳、聖女アナスタシアの瞳から。


「――――【】」


 ウルは、そう言ってドローナを指さした。


「【呪い有り】」


 告げる。


「【災禍有り】」


 告げる。


「【患い有り】」


 告げる。


「【貴方のこの先の道行きに地獄有り】」


 告げる。その度に、少年の瞳、昏翠の輝きは強くなる。


「【貴方に幸いは訪れない。貴方が犯し、呪い、穢した全てが貴方の魂を傷つける】」


 ドローナの視界は暗くなる。周りの何も見えなくなり始めた。真っ黒な意識の中で、しかし昏翠の瞳だけがずっと彼女を睨み続ける。咎め続ける。息が出来ない苦しみよりも、絶望的な恐怖で彼女の意識は遠くなった。


「【大罪に穢れた魂が悔恨の光を得る日まで、惨苦の運命に溺れなさい。従者ドローナ】」


 かつての主の宣告を最後に聞きながら、ドローナは泡を吹いて意識を失った。


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