精神性の怪物 下
300年前の【天衣】は軽業と無尽の暗器を得手とする戦士だったと言い伝えられている。
多種多様な武器の数々に精通し、自在に使いこなす彼女は対人、対魔双方においても圧倒的な強さを誇り、当時の天賢王の懐刀として有名だった。能力のみならず、精神面でも王に近くラースの崩壊の折り、彼女を喪った事に当時の天賢王は心を病み、早くに次代に賢者の称号を引き継ぎ隠居したなどという噂も立つがその真偽は定かでは無い。
閑話休題。
今、ハッキリとしているのは、かつての天衣が熟達した武器の使い手だったという事と、そして現在の彼女は、その能力の半分も発揮できていないという点だ。
『aaa……!』
【黒炎天衣】の腕の一つを引き裂いた七天の勇者、ディズは呟いた。
「や、やった……」
息絶え絶えながらも見ていたガザは、それを見て感嘆の声を上げていた。
大怪我を負って、心身共に疲労困憊の彼の目には、最早双方の動きを目で追うことは出来ない。天衣は縦横無尽に駆け回り、黒炎が纏わり付いた投擲武器を次々に放り投げる。狙う位置も的確で、速くて、とても多い。
正直、最悪の組み合わせだと思っていた。
だが、そんな理不尽な攻撃を勇者は見事、くぐり抜け、回避し、弾いて、そしてとうとう攻撃を届かせた。そこに仕掛けや工夫はなかった。真っ向から攻め、そして順当に圧倒したのだ。
「七天って、本当に凄いのね……」
となりでレイも同じように感心した声を絞り出す。
敵に回したと理解したとき、あれほど絶望的だったが、味方に回るとこれほど頼もしい存在はいないだろう。二人は死を覚悟するほどの絶望的な窮地から、突如助かった事実に心から安堵し、抗いようが無い脱力を感じていた。
しかし、当の勇者ディズはいまだ、臨戦態勢を解くことは無かった。右腕を切り裂かれ、バランスが悪くなった黒炎天衣は、グラグラと身体を揺らしながらもそれでもまだ勇者ディズへと敵意を向けていた。
「一応確認するけど、黒炎鬼ってのは意識はないんだよね」
「その、はずです。相手に炎を移すため、生前の動きをなぞってるだけ」
「確かに、細かな戦術もへったくれも無い、攻撃なんだ、けど……」
《なんかいやー》
「……ん、リスクは踏むけど、急いで完全に動けなくしようか」
どこからか聞こえてきたもう一人の声に応じて、勇者は姿勢を低くして飛び出す。片腕を失っている天衣はそれに応じて動き出すが、身体のバランスが悪いからか、明らかに動きが鈍かった。
ガザもレイも終わったと思った。だが、しかし、
『a――――』
不意に、天衣の身体が蠢いた。
『aaaaaaaaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』
「――――」
勇者は空中で一気に反転して距離を置いた。
天衣の黒炎が一気に巻き上がる。先程まで、表皮を舐めるように焦がしていた炎が、一気にその全身を燃え上がらせる。先程勇者に両断された腕の切断部からも炎が噴き出し、火炎砲のように黒炎を噴き出し始めた。
「か、活性化!?」
その現象に、ガザは思い当たる節はあった。
通常の黒炎鬼を破壊した際、発生した黒炎に周りの鬼達があてられて、強化される現象だ。黒炎七天が通常の黒炎鬼と特徴を同じとするなら、確かにその後延焼は起こりうる。
だが、避難してきたこの廃墟の屋上に、他に黒炎鬼達の姿なんて――
「……アレ、みて」
するとレイが驚愕に満ちた表情で指さす。その先にあったのは、ラースのどの場所からでもハッキリと見える黒く、巨大な球体。【残火】、大罪竜ラースの遺骸だった。
それがどうしたと言うんだ?と、ガザも振り返り、そしてそれをみた。ひたすら沈黙を続けていたその黒い塊は、ガザがグラージャとやり合ってたときと比べて明確な変化を起こしていた。
真っ黒なその巨体が、揺らめいている。蜃気楼のようにも見える。だが、それは蜃気楼でも無ければ、実体がぼやけているわけでも無い。
それは燃えていた。
残火と呼ばれていたそれが、その名に反するように巨大な黒い炎の塊の様になっていた。
「お、おいおいおい……!!あ、あそこ、ウル、向かったんだよな!?」
《んえー!?にーたんまるやきぃ!?》
先程から聞こえてきた少女の声が素っ頓狂な悲鳴をあげた。どこから聞こえてくるんだというガザの疑問を余所に、どうどうと勇者は自分の握る紅色の剣を振った。
「そう単純な話でも無いよ。見る限り、空間自体が歪んでいるからね」
《でもやばない?!あっちもこっちも!》
「ヤバいね。」
ヤバい。と、言って勇者が指す先には、天衣がいた。
『AAAAAAAAAAAAAA!!!』
活性化による黒炎が巻き上がり、収束する。短剣の姿に収束した黒炎が黒炎天衣の周りで形成され続ける。その構えは獣のように低くなり、片手を地面には這わせ、そしてもう片方の手で黒炎が燃えさかった短剣を握りしめる。
つい先程までは最低限、戦い方にヒトとしての名残が残っていたが、今現在のその姿は完全に獣のそれだ。
「……ウルが黒炎の呪いを追い詰めたって事かな。断末魔、あるいは必死の抵抗か」
《にーたんたすけにいく?》
「初志貫徹。目の前の脅威を叩こうか。あらゆる意味で、外に一歩でも出して良い存在じゃない」
『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』
黒炎鬼の咆吼と共に黒炎が舞い跳ぶ。勇者は躊躇わず前へと突っ込んでいった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ロックは、自らの身体の大半が砕け散る衝撃を真正面から味わっていた。
『カカ、カカカ……』
強力な術式の刻まれた骨の身体は即座に再生する。
元より狂乱の死霊術師の手で生み出されたその身体は、主であるシズクの成長と、死霊兵としての自身の成長により飛躍的な性能の向上を見せていた。並大抵の破壊であれば、傷を負っても、砕けて形を崩す前に即座に回復するほどに。
どのような攻撃を受けようとも、動作の中断が起こらない身体。死霊兵としての戦い方が身に付きつつあった。
「……どうなってんだあの死霊兵」
「あんな魔物と戦いたくねえ……」
「え?あれウルの仲間なの?本当なんなんアイツ……」
『好き勝手言われとるの、ワシ』
遠くに避難した黒炎払いにドン引きされてるが、まあ気にするまい。
《ロック様。黒炎に焼かれていませんか?》
『おー主よ。なんとか防ぐことは適ったようじゃよ。カカカ』
《魂をも焼く黒炎。私達生身だけでなく、ロック様にも特効です。お気を付けて》
『わーっとる安心せい……しかし、なにがどうなったんじゃ?ありゃあ』
ロックは、自らを砕いた敵、【黒炎天魔】を睨み付ける。
『AAAAAAAAAA……!』
天魔の様子は明らかに先程までとは違っていた。身体から燃えさかる黒炎の総量が明らかに多い。うめき声のような声も変わっている。だが、何よりも明確なまでの、骨身で感じ取れる圧力が跳ね上がった。
すでに死んでいる、呪いの操り人形のような存在が放って良い圧力ではなかった。
『【AAA】』
『ぬ!』
天魔が自身の杖をコチラへと差し向ける。途端、天魔の身体を焼く黒炎が蠢いた。ロックは危機を感じ取り、再生した両足でもって横に跳ぶ。そして間もなく、杖から吐き出された真っ黒な閃光がロックが居た場所を一瞬で焼き切った。
ウルが使う竜牙槍の咆吼に似ていたが、”溜め”も無い即座の砲撃であり、そしてその威力はウルの咆吼よりも数倍凄まじかった。
『黒炎鬼って魔力は無いんじゃろ!!?なんじゃああのインチキ!!』
《恐らくですが、周囲の力を流用する術に長けているのでしょう。燃えたぎる黒炎の総量が増して、威力も跳ね上がっています》
『っかー!!ずっこいのー!!!』
ロックが叫んでいる間にも、背後から極太の黒炎の破壊が連続する。僅かな間を置いて連続し、しかも全く休みがない。巨大な大砲を玉込めなしにぶっぱなしつづけているのと変わりない。滅茶苦茶な反則技だった。
《大丈夫ですよ。ロック様》
だが、通信先のシズクは落ち着きをはらっていた。周囲の廃墟を飛び越えて、駆け続けるロックへと、囁くようにして彼女は告げた。
《今の貴方は、負けず劣らず、ズルいです》
『――――カカカ、まあの?』
ロックは笑う。幾つかの瓦礫を飛び越えて、接近した先は大罪都市ラースの外周部だ。活性化しようとも、その性質上薪となる魂のある方角へ向かう性質から逃れられない天魔は、結果、ロックの目の前に姿を現した。
ロックは振り返り、そして言う。
『構えやあ!!』
その瞬間、砂漠の砂塵に飲まれることで隠れていた戦車”達”が姿を現した。
それらは形の大半をロックと同じ骨で構築している。そしてその頭部には巨大な砲塔が伸びており、真っ直ぐに天魔へと向けられていた。一糸乱れず。
『撃てぇい!!カカカ!!!』
ロックが笑う。砲撃音が重なり、一つの巨大な爆撃音となって天魔に叩き込まれる。
戦車達が吐き出した巨大な砲弾の雨は炎の塊となり、天魔を包む。ロックはその結果を笑って眺める。
『AAAAA』
だが、その炎の渦の中から、黒い炎の閃光が再び閃いた。自らを襲った戦車の方角へと正確に放たれたそれは、幾つかの戦車をそのまま薙ぎ払う。ロックは、砲撃を返してきた方角へと視線を向ける。
炎が黒炎に飲まれてかき消える。姿を見せた天魔の周囲には、薄らとした灰色の壁が出来ていた。結界の類いを、黒炎で生みだしたのだ。
『さっすが腐っても焼き焦げても七天じゃのう?」
だが、そんなやりたい放題を見せつけてくるなら尚のこと、遠慮する理由が無くなった。
『強力な結界じゃが、……その中では避けれまい?』
『――――AA!?』
不意に、天魔が生みだした黒炎の結界、その内側で天魔の身体に、剣が突き刺さっていた。天魔は微弱な魔力を感知し、黒炎鬼の性質に従い足下を睨む。骨の腕が地面から伸びて、天魔の身体に古びた剣を突き立てていた。
『カカカカカカカカカ!!!』
頭蓋が笑う。黒炎天魔は自らの本能に従い、目の前の骨を焼こうと動いた。だが、
『カカカ!『カカ『カカカカカ『カカカカッカカカカカカカ!!!』
天魔の足下から、骨が次々に湧き出てくる。それぞれの手には剣や槍を携えて、中には竜殺しをにぎるものまでいる。彼らは一斉に天魔を刺し貫く。
砲撃の炎に紛れ、地面に潜った死霊兵が、結界の内側から姿を現した。
『AAAAAAAAAAA!!!』
天魔の叫びと共に再び周囲に爆発が起こる。周囲の骨達は蹴散らされ、焼き焦げて、消し炭になっていく。だが、天魔に突き刺さった様々な剣や槍は確実に、天魔の動作を阻害し続けていた。
『剣は楽しいが、”こういうの”も嫌いではないからのう、ワシ』
それをたった一人で引き起こしているロックは笑った。
『精々やりあってもらおうかの。”300年前の”最強殿』
カタカタカタと骨の笑い声の合唱が天魔の周囲を包み込む。どちらが呪いでどちらが悪か。知らぬ者にはまるで分からない呪いと死霊の戦いが始まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
別れは、死は、必ず起こるものだ。
放浪の旅のなかで、ウルはそれを幾度となく目にして、体験して、知っている。
ウルは目覚めたとき、何がどうなったのか理解できていなかった。
ハッキリしているのは、アナスタシアが自分に全てを預けた事。彼女が消えたことだ。
「さよならだ、アナスタシア。俺も楽しかった、――――――」
だから、それがどれだけ耐えがたくとも、ウルは彼女にちゃんと、別れを告げた。
半年間の付き合いだ。只人の一生でみてもそれは随分と短い。しかし濃厚な半年だった。
ウルとしても彼女とは信頼関係を結びやすいからと関わり、彼女もまた不自由な自分を助けてくれるウルを頼ったに過ぎない。それでも多くの言葉を交わしたし、時に笑った。互い温もりを求めて、苦難を耐えることもあった。ペリィとも一緒になって失敗した酒樽を前に唸りながら、不味い酒を一緒に飲んだこともあった。
不本意極まる形で投じられた地下牢だったが、楽しい日々だった。
だから彼女が、自分の全てを自分に託して消えたことを、ウルは批難しない。それは彼女の選択で、彼女の願いで、エゴだ。彼女はしたいことをしたのだ。彼女の最後の自由で、尊厳だ。ウルに、それを批難する権利は一切無い。
だから、今胸をズタズタに引き裂いている痛みと、
切り裂かれ、呪いに侵された痛みすらもまるで気にならない自分自身への憤怒、
その二つから湧き出る暴力衝動を槍に込めるのは八つ当たりだと理解している。
血管の様に続く竜の胴に着地すると同時に、その力を一気に”核”へとふり下ろした。
「く だ け ろ」
激しくしなり、叩きつけられた竜牙槍が、核を激しく軋ませる。
この空間の核、それを覆い尽くす真っ黒い影、クウが生みだした結界を激しく揺らす。手応えはある。が、砕けきってはいない。影の内側から漏れる赤紫の光は慌ただしく明滅を繰り返している。
壊す。砕く。此処で決着を付ける。
「ウ、ルゥゥウウウウウウ!!」
「一緒に砕け散れよ駄狐ェエ!!!」
言葉と共に、最早影もかすむほどの光を放つ魔剣聖剣が渦巻く参尾がウルへと飛びかかる。ウルはもう一本の大槍、【二式】を引き抜き、構えた。
竜殺しを掴む右腕は、黒睡帯が裂けて、露出していた。その姿は、更に変貌を遂げていた。よりハッキリと、竜のソレへと形を変えていた。あらゆる呪いを弾き、無効化する鱗に、全てを引き裂く爪、一切を砕く力、白い右腕。
しかし、最早ウルはその右腕に違和感も、忌避感も持ってはいない。
これは紛れもなく己の腕だ。その確信と共に言葉を紡ぐ。
「【
迫り来るクウの尾、蓄えられた魔具が出鱈目に起動し、撒き散らす破壊の尾を睨み、そのまま一気に竜殺しを振り抜いた。
「【
次の瞬間、クウが振り回した黒い尾は、
「――――――――――は?」
クウは、驚愕のあまり引きつった声をあげた。
ウルが振り上げた二式が黒い軌跡と共に、狐の尾を弾く。尾が放っていた莫大な量の破壊の光、魔術、その他全て、何もかも、まとめて吹き飛ばした。
これは【竜殺し】の特性ではない。
ダヴィネがウルに与えた【二式】は強力無比だが、物理的な現象を超越した破壊を引き起こすような、冗談のような真似は出来ない。
一切の例外なく、万象を惑わす力。それは――――
「た――――大罪の、権能を、使った……!??」
「ち、違う!!!そんなはずが無い!!!貴方にはそんなことできない!!!」
「知るか、よ!!!」
混乱するクウを尻目に、そのまま再び巨大な核へと二式を叩き込む。影がひび割れ、軋む。その先の核に届く。
何かが軋む音がした。
何かの断末魔にも似た激しい音、影に隠れた核が激しく脈動を繰り返す。死の間際の痙攣にも似たものだとウルは理解した。ならば、あともう一撃――
『ウル!!!!』
「っ!」
だが、その直後、聞き覚えのある声に応じてウルはその場から離れた。直後、ウルの居た場所に斬撃が飛ぶ。異常な切れ味。切断部から吹き上がる黒炎。
『AAAAAAAAAAAAAAAA……』
「天剣……活性化したのか……」
ウルを一方的に斬り殺しかけた時よりも、更に激しさを増した【黒炎天剣】が、大剣を握り、こちらを睨んでいる。クウは、上手く天剣の居る位置から距離を置いている。ヘイトを誘導されたらしい。
ウルは深呼吸をして、前を向く。そして自分に声をかけた男、現在不死鳥に乗りウルの近くを飛ぶボルドーに語りかけた。
「助かったよ、隊長。不死鳥も」
『お前が死んでは、黒炎を殺せない』
『AAA』
ボルドーと不死鳥は応じる。仲の良いことだった。そしてこの場では頼もしい。だが、だからこそ確認しなければならないことが一つあった。ウルは天剣と、そしてクウの影尾から目を逸らさぬまま、尋ねた。
「――――アナを連れてきたのはアンタか?」
『ああ、ダが彼女の意思だ』
「当たり前だ。そんなことはわかってる」
ボルドーの答えに、ウルは応じ、それでも、と、ため息をついた。
「だが、まあ、一発ぐらい殴らせろ」
『そのアト、俺の始末をつけてくれるナラ、かまわない』
「……竜殺して、呪いを消し去ったあと、それでもどうにもならないならそうしてやるよ」
『あリがたイ』
ボルドーは笑う。承知の上だというのなら、ウルはもうそれ以上何も言うことはしなかった。竜牙槍と竜殺しを構え、前を向く。
「終わらせるぞ」
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