精神性の怪物 上


 【星海】


『ああ  これで  終い   か   』


 悍ましき白の少女の姿、大罪竜ラストの断片は、つまらなそうにその結果を受け入れた。

 大罪竜の目の前には、ウルがいた。肉体を両断しかねないような深い傷を負い、血を流し倒れる哀れな少年の姿。今にも死にそうな、というよりも今まさに死に絶えようとしている少年の姿。

 それは当然、彼の実体ではない。彼の身体は今も灰都ラースの遺骸の中にある。ここにあるのは魂の像でしかない。ラストの魂はウルと繋がるが故に、ラストが潜り込んだ星海に彼の身体が顕現している。

 そしてその繋がりも今まさに、終わろうとしている。見ている内に、ウルの魂は解けて端から砕けていく。同時に、ラストの断片の身体もそうなろうとしてた。


『少しは   暇つぶしには   なったが   最後は   呆気ない  』 


 ラストの断片にも、ラスト本体の記憶は存在している。

 迷宮の奥底にあった大罪竜もまた、断片自身であり、断片もまた大罪竜本体だ。そこに区別も違いも無い。故に記憶がある。記憶の中の少年の姿は、哀れで、貧弱で、無力で、しかし苛烈だった。


 多少は、面白いことになるかという期待があった。


 実際、あのの【憤怒】の元へとたどり着けたのは、中々、見応えのある見世物と言えなくも無かった。が、それも終いだ。まあ、この程度か、と、ラストは溜息をひとつついて、そのまま崩壊に身を委ねていた。


「いやいや、まだわっかんねえんじゃねえか?」


 だが、そこに、彼女の声でもウルの声でも無い、第三者の声が聞こえてきた。

 ラストは、眉をひそめ、振り返る。静かな夜と星空に満たされた美しい世界で、その声の主は一人真っ黒な闇で身体を被っていた。


『……  スロウス   』

「ブラックって呼んでくれよ。あんなねぼすけと一緒にしてほしかねえな」


 魔王、ブラックはケラケラと笑いながら修正した。ラストは心底不愉快だといった表情を隠さぬまま、ブラックをにらんだ。


『何を  しに  来た』

「ソイツの見物」

『趣味が   悪いな。 もうすぐ   きえる  相手を   か』


 そいつ、とブラックが指すウルはまさにいま、消えようとしている。これを見物しに来たというのであれば、まさしく最悪の趣味だろう。断片と言えど、大罪竜からそう罵られる者はそうはいないだろうが。


「いやいや、だからまーだわっかんねえって。なあ?“兄弟”」


 兄弟、とそう呼んで彼は振り返る。彼の視線の先にはもう一人の影があった。それを見た瞬間、ラストはぎょっと表情を歪め、眉をひそめた。


『 天   賢    王   』

「ラストの破片。“回収し損ねたモノ”がこんな所にいるとは」


 天賢王。イスラリア大陸の中で最も偉大なりし賢王がそこにはいた。超越者めいた黄金の王と漆黒の魔王は二人並ぶ。その二人を前にすると、世界の破滅を願う竜であっても、今まさに消えようとしている魂では、圧で負けていた。


『支配者と   破壊者が   肩を並べるか    世も  末だ』


 皮肉を言ったところで、天賢王は一切表情を変えず、そしてブラックはニタニタと笑うばかりだ。ラストからすれば不愉快な時間だった。皮肉の一つでもこぼす気にもなった。


『コレが 壊れたラースを  喰らう  期待でも  したか? 黒炎に近づけぬ臆病者』

「そうだな」


 皮肉に対して、天賢王は真顔で頷いた。小手先の軽口など、この世界の王には何一つとして通じない。皮肉だと理解しているかも怪しかった。


「万一にでも新たに七天が黒炎に飲まれれば、収拾がつかなくなる。かつての王達もそれを恐れた」

『それで   咎人を差し向けるか   下らぬ』

「提案者は私ではないがな」

「俺だって、面白そうだからちょっと誘導しただけで、1度だってソイツにやれとは言ってねえよ。黒幕扱いするのは勘弁して欲しいぜ」


 王の指摘に、ブラックは口先を尖らせる。場所がこんなところでさえ無ければ、悪友同士の下らない雑談にしか見えないだろう。


『もう  いい   勝手に  やっていろ 』

「つれないねえ?それで、お前はこのまま消える気かい?」

『そう  思っていた  が   お前らを見て  気が変わった』


 そう言って、ラストは、崩れようとしているウルの魂に手を伸ばす。


『終わりかけの  器だが   支配すれば   多少は持つだろう』


 ラストは他の大罪竜達と比べれば不真面目だ。気弱でも真面目な【虚栄】や、【強欲】のような事はしない。故に、此処で消えて無くなろうとも、構わないとすら思っていた。


「いいように  つかってくれたおかげで   繋がりは強固となった  干渉も容易だ」


 だが、【色欲】は本質的には性悪だ。


『こいつを使い   イスラリアを   壊してやろう   嗚呼   ウルの仲間を  殺してやるのも   一興よなあ?』


 ラストは嗤いながら、崩れかけていくウルの魂に手を伸ばす。死にかけの肉体。死にかけの魂。造作もなく支配できると、ラストは確信していた。


 だがしかし、そんな色欲の確信を嘲笑うような、ブラックの笑い声が星海に響いた。


「まだわかんねえって言ってんだろ――――?」

『     え? 』


 次の瞬間、小さな少女の姿を模したラストの首に、逆に手が伸びた。


『   が   !!   !??』


 ラストは驚き、目を見開く。意味が分からず、激しく混乱した。そして自分の首を掴んでいる相手が、先程まで消えかけていたウルであるという事実を理解するのに更に時間が必要だった。


「ラスト」


 星海という、この世で最も静寂な世界において、その声はあまりにも荒々しく、禍々しかった。人類の大悪を担う竜すらも飲み込むほどに。


『触れ  るな  !!』


 ラストは反射的に、ウルを砕こうと力を振るった。彼が死ぬと自分も死ぬ。それを理解していながらも、そうせざるをえなかった。大罪の竜よりも以前に、生物という枠組みにあるが故に備わった本能が、目の前の怪物を拒絶した。


「【混沌掌握アナスタシア】」

『  な  に?  !!?』


 だが、払おうとした手が突然動かなくなった。ラストの眼前で、ウルの両の瞳が魔眼の輝きを放っていた。“昏い翡翠の光”、運命を、混沌を支配する凶眼がラストを掌握した。

 身じろぎ一つ取れなくなったラストの身体をウルは抱き寄せて、そして小さく囁いた。


「寄越せ、全部」


 何かが自分の身体に食い込んだ。

 歯だ。

 自分の首が、魂が、ウルに食い千切られている。得体の知れぬ快楽が訪れる。揺らし、狂わせ、支配する自分の権能が逆流している。

 それが意味することは明確だ。


 喰われる。


 奪われる。


 支配される。


『あり   えぬ   !    ?? 』

「それがあっちまうんだよなあ」


 狼狽え、混乱する大罪の竜の悲鳴を楽しげに聞きながら、ブラックはその疑問に応じた。ラストに、ブラックの解説を聞き取る余裕など皆無だろう。それでもブラックは続ける。


「此処は魂の世界。肉体がどれだけ強かろうが、類い希な祝福ギフトがあろうが、関係ない」

「力を再現できても、魂が圧されれば意味は無い」


 アルノルドも、ブラックの言葉に同意した。二人は淡々と、色欲の大罪竜が致命的に見誤ったという事実を告げた。ブラックは、救いを求めるように視線を彷徨わせたラストと目を合わせて、その有様を嘲った。


「無駄にダラダラ生きて膿んだ魂じゃあ、その怪物には勝てねえよ――――可哀想にな?」


 拒絶することも出来ずに支配される。ラストは少女のような悲鳴をあげた。


「な?悪くないだろアイツ」

「……」


 その惨たらしい陵辱を、支配者と破壊者は傍観し続けた。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 燃えるように熱い。地獄のように痛い。


 天剣によって自身を切り裂かれたクウは、黒炎の呪いの凶悪なダメージに悶えていた。痛みと熱が、自分を焼く。声も無く地面をのたうってしまいたかった。


 でも、それができなかったのは、彼女の中に在った使命故だ。


「【影よ!!】」


 影の魔術で波を作る。天剣を乗せて、位置をずらす。

 自分を破壊する攻撃に対しては黒炎鬼は敏感に反応するが、ただの移動に対しては鈍いと彼女は知っている。数百年の知識が生きていた。


『器用ナものだな。貴様も黒炎払イになればヨかったのに…!』

「っ……!!」


 だが、それと入れ替わるようにボルドーが急襲をしかけてきた。クウは影の魔術で牽制し、弾くが、ボルドーは真正面から力尽くで、影の魔術を破壊する。彼らしからぬ荒々しさだったのは、それも呪いの影響だろうか。


「大丈夫な、の…!?その竜殺し、貴方自身も殺しかねないんじゃなくって…!?」

『自分の手下ノ攻撃で今死にかかってル貴様がそれを言ウか?』


 全く、同意見だとクウは心中で思った。

 ボルドーの動揺を誘うことは、どうやら難しいらしい。自分と同じように、もう彼は自分がどうなろうとも構わないと本気で思っている。そして時間も無い。不死鳥の加護だけでもボルドーは手が付けられないのに、不死鳥自身がもうすぐ回復する。そうなれば天剣を誘導する余裕すら、無くなる。

 もう、時間も無い。


 だったら、仕方が無い。


「【起動】」


 クウは、【竜の心臓】へと手を伸ばし、仕掛けを動かした。


『――――!?』


 その次の瞬間、心臓の脈動が激しさを増した。

 否、最早脈動とは違うだろう。不規則な揺れと連続した振動。そしてこの空間の中心である赤紫の核に灯る黒炎。それらの異常を前にボルドーは目を見開き、そしてクウを睨んだ。


『何を、シた?』

「本当は、もっと、大罪を溜め込んでから起動させたかったんだけど、仕方、ない。仕方ないから今、


 大罪竜の遺骸に残されていた機能を停止させることでクウはエネルギーを凝縮させていた。限界を超えれば自然と爆発し、イスラリア大陸全土を破壊する事が出来るように仕向けていた。

 しかし、それはどうやら難しいらしい。少なくとも、その全てが完了するまで自分が生き残ることは出来ないようだ。

 だったら仕方が無い。仕方が無いから、今やろう。


「イスラリア全土は無理でも、3分の1くらいは消し去る事はできるかしら…!」

『狂っているナ。俺が言えた立場ではないが…!』

「必死なのよ、私、も!」


 そしてクウ自身も影を纏う。

 傷を影で強引に塞ぎ、触手のようにのばした影を空間の彼方此方に無数に伸ばす。鎧のように身体を覆い尽くし、触手に繋げる事で自らを固定した。背から這いる影は獣の尾のように揺らめきながら彼女を固定し、彼女を守るように動く。


 影で形作った巨大な九つの尾。妖艶なる黒狐が此処に顕現した。


 禍々しいそれを見ても、ボルドーはやはり、動じる様子はない。此処まで至るのに、あらゆる怪物を目撃してきた彼ならそういう反応になるだろう。知っていた。

 だが、これならどうだろうか。


「【壱号から九号まで全解放】」


 影が蠢きだす。それはクウがこの数百年間、溜め込み続けてきた武装の全てだった。


 武器、兵器、魔道具、魔剣、毒に宝珠、魔石、魔物、黒炎鬼、当然竜殺しに至るまで。


 彼女が遮二無二かき集め続けた全てだ。この時のため、役に立つかも分からず、先も見えず、それでも何かの一助となればと願い続けた全てが影の中から溢れ出ていた。

 宝の山にも見えるかも知れない。しかしそれらは全て、目の前の外敵を滅ぼすための殺意が込められていた。


『――――よくモまあ、ここまで集めたものだな』


 ボルドーは眉をひそめる。ようやく、ほんの僅かではあるものの、動揺させることは出来たらしい。だけど、それでも彼が引いて、諦めたりはしてくれないのだろう。だから


「貴方が燃え尽きるまで、心臓が破裂するまで、時間稼ぎさせてもらうわ」


 ぐるりと、【影尾】の一つで核を被う。万が一にでも、爆発を阻止させないために。

 勿論、そんな風にすれば、自分も逃げるのが困難になるのは分かっているが、そうなることをクウは厭わなかった。


『一緒ニ、死ぬ気か?』

「それくらいの覚悟は、私にもあるから」

『なら、もう何も言ワぬ――――死ね』


 ボルドーが跳ぶ。核へと伸びる幾つもの血管に飛び乗って、真っ直ぐに迫る。


「墜ちろォ!!!」


 影からの一斉放火が行われた。それらは無節操に、貪欲に集め続けた武装の数々だ。雷、炎、冷気や純粋な魔力光まで、様々な破壊の光が混在していた。唯一一貫してるのは、その破壊力は尋常ではないという一点だ。


『ぬゥ!!!?』

「【五尾・竜牙槍・弐拾連】」


 竜牙槍の咆吼が連続して放たれる。光が収束しボルドーが居るであろう位置を次々と砲撃した。ボルドーの悲鳴ももう聞こえない。それでも彼女は一切手を止めなかった


「【参尾・聖邪大剣】」


 あらゆる魔剣を集めて束ねて、露出したそれを凝縮し、振りかぶる。矢をつがえるように力を貯め続ける。放った瞬間、全ての敵を両断するために。


「……っぐ」


 しかし、同時に、恐ろしい勢いで自分の命が摩耗していくのをクウは感じていた。

 霊薬類も、勿論彼女は保管している。【八尾】から絶えず送られる癒やしが彼女の身体を強引に癒やし、強化し、奮い立たせる。だがそれ以上に天剣から刻まれた傷から浸食する呪いは癒えることはない。それがなくとも、こんな滅茶苦茶な戦い方は彼女の領分ではないのだ。

 しかし、今この瞬間だけ持ちさえすれば良いのだ。この瞬間さえ――――


『AAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

「フィーネ!!もう邪魔を!!」


 不意に横から、回復した不死鳥が飛びかかる。くどい。しつこい。クウは苛立ちながら【壱尾】を振るう。魔を捕らえる影の牢獄、大量の黒炎鬼が溢れ出るそれを、不死鳥へと叩きつける。


「しないで!」 

『AAAAAAAAA!?』


 影から鬼達が溢れる。黒炎鬼にとって不死鳥はいまだ燃え尽きぬ薪だ。不死鳥へとびかかる鬼達を尻目に、参尾が振りかぶり終わる。ボルドーの姿を確認する。凄まじい速度で核へと一直線に向かっている。

 殺す

 尾を放とうとした瞬間、身体に凄まじい痛みが走った。だが、構うものか――――


「消えなさい!!!」


 幾重もの魔剣聖剣の力が同時に放たれ、輝きが凝縮し真っ白な光と変わる。竜の胎の内側で溢れる光は全てを包み隠し、見えなくしていった。



「【混沌掌握】」

「――――!?」

 


 だが、それが放たれる直前に、彼女の身体が一瞬、固まった。

 魔術による拘束の類い。しかし、あらゆる魔法薬でブーストのかかった彼女の身体であっても、その拘束を即座に解くことは出来ない。だが、それよりもなによりも、この拘束を仕掛けてきたのは――――


「【顎・轟化】」


 クウの位置よりも高くに跳び、竜牙槍を振りかぶる真っ黒な影。

 半壊した鎧、露出した身体、それを覆い尽くす竜の身体。ひしゃげた兜の奧、引き千切れた黒睡帯の奧、輝く昏い翡翠の魔眼。自分の動きを捕らえて、今も尚拘束するのはあの光だ。

 だが、その魔の輝きよりもずっと恐ろしいのは――


「――――貴方!本当に!!何なの?!!!」


 一切の揺らぎも淀みも無く、コチラへと向けられた殺意。


「知るか」


 クウの絶望的な悲鳴に、ウルは素っ気なく答え、彼女が守る心臓を思い切り殴りつけた。

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