【最悪の遺物】戦⑤ 最悪の目
「なんだこりゃ……?!」
ラースの遺骸へと落下したウルは、その落下時間の長さに違和感を覚えた。周囲に伸びる長大な竜の身体に次々と乗り移りながら落ち続けるものの、ここまで内部が広いのはおかしい。
真ん中に引き寄せられているのに、中心部が遠い。空間が歪んでいる?
「どっちみち、急がねえと……」
背中からはやはり依然として、凄まじい圧迫感が続いている。天剣は追ってきてる。
竜の遺骸が秘めた魔力で惑わされている事を少しは期待したが、意味が無かったらしい。そもそも黒炎鬼なら、その原因であるラースの魔力に反応しないと言うことなのだろうか。
「……あれか!?」
不意に足下から光が漏れてきた。赤紫に色の不気味な輝きだ。直感的にそれを中心部と理解したウルは、そのまま真っ直ぐに飛び降りた。
「飛び込んだ瞬間、死なないだろうな……!」
アナスタシアという指針もなく、ほぼ無策の突貫である事実に苦笑いしながらも、徐々に身体が光に包まれる。焼けるほどではなかったがその空間は熱を持ち、まさしく生き物の腹の中のような温もりがあって、寒気がした。
生き物の亡骸、その中心にあっていい熱ではなかった。
「っと」
中に飛び込んだ瞬間、再び上下が反転し、先程まで上だった方向が再び下に変わった。ウルは今度は慌てずに身体を捻って着地する。そしてウルは顔を上げて目の前の景色を確認し、一瞬言葉を失った。
「――――どうなってんだ」
ウルの視界に空間が広がっていた。
一言で言うならば巨大な、球形のドームだろうか。ウルが立っている地面、竜の身体がぐるっと、弧を描くような形でその球形の空間を形作っている。どう考えても外見には、そんな空間を作れるだけの体積は存在していなかった。
そして、その中央、ウルから見て上の空間には赤紫色に脈動する球体が存在していた。幾つもの血管、のようなものが纏わり付いている。この一帯を照らす光源はアレだろう。そして、この空間の、延いては大罪竜ラースの中心だ。
「死ぬほど分かりやすくて助かるよ」
ウルは竜殺しを構えた。
あれが核だ。この空間を維持しているものの正体だ。ならば、破壊するしか無い。
「そういう物騒なの、しまってくれないかし――」
「【咆吼】」
そして直後、後方から聞こえてきた声にウルは即座に竜牙槍を発射した。滅光は声の主、クウへと真っ直ぐに向かう。
「あぶな……!?」
ウルはそのまま奇妙に歪む地面を蹴り、攻撃を回避したクウの元へと一気に飛び込み、竜殺しを叩き込む。
彼女も、その攻撃は予想していたのだろう。足下の影が伸びて、形を変えて、一気にウルから距離を取った。ウルは小さく舌打ちをし構え直す。
「貴方って、ヒトの話聞かないタイプ?」
「ヒトの話を聞くのは割と好きだぞ。お前は殺すが」
敵は殺す。そしてクウは敵だ。実にシンプルな状況だ。ウルの行動に迷いはなかった。
竜牙槍を再び捻る。咆吼をクウへと発射する。天剣を相手に、そしてクウを相手に連続して発射した竜殺しが熱で焼け付くのを感じる。恐らく暫くは撃てまい。最後の一撃は真っ直ぐにクウへと向かった。
「ああ、もう!」
クウは再び回避行動を取る。瞬時に影に隠れる。遮蔽物も全く見当たらないこの空間であれば、彼女の影の魔術も使用が困難になるかと思っていたが、のたうつ竜の身体、その絡みついた身体と身体の隙間に生じる影を彼女は利用しているらしい。この場所は彼女の独壇場と言える。
だが、だとして、ウルは彼女の時間稼ぎに付き合うつもりもなかった。そのまま跳躍する。向かう先は当然、中心部の核と思しき何かに対してだ。
「止めなさい!!」
クウが叫ぶ。同時にウルの足下、ウル自身の影から幾つもの。真っ黒な触手が伸びてきた。グラージャが使っていた砂蛇よりも更に速度は速い。しかも、影の触手から何かが溢れ出そうとしていた。
『aaaaaaa……』
「っ」
黒炎鬼だ。しかし、ウルは一瞬警戒したが、それは新たなる七天ではなかった。見覚えのある黒い騎士鎧。恐らく先行し、挙げ句に全滅した黒剣騎士団の連中だ。彼らもまた、クウによってある程度回収されていたらしい。再度の訪問時、灰都が静かだった理由が分かった。
『aaaaaaaa』
影の触手から自在に出現し、そしてウルに接近する。確かに彼らは脅威だ。しかし、この状況下で新たなる七天を出さないのなら、もう彼女に七天のストックは存在していない。
「【二式・黒弧】」
竜殺しの力を解放し、空中でウルはそれを振るう。使い手すらも砕く程の破砕の力が黒色の軌跡となって影の魔術を蹂躙する。黒炎鬼達はその軌跡に触れただけで黒炎と共に肉体を抉り取られ、地面に落下していった。
二式の火力は既に、並みの黒炎鬼に対しては薙ぐだけで破壊するまでに強くなっていた。クウはそれを見て、苛立ちを強めたのか、叫んだ。
「お願いよウル!お願いだから私の邪魔をしないで!」
「邪魔をせず、イスラリアを滅ぼさせろと?」
「
その発言はあまりにも破滅的だった。この大陸を、世界を、滅ぼさせろと彼女は懇願している。狂人の戯言と言えばソレまでだったが、彼女のその声には震えるまでの懇願と、意思があった。
「貴方はこの世界がどれほど歪で、凶悪なのか理解している!?この世界が――!!」
彼女は叫びながらも、凄まじい速度で影を操る。森人として、長命種として。純粋に積み重ね続けた技術の粋がそこにはあった。ウルが動く先を読むように、生き物のように影は蠢き、中心へと向かおうとするウルを打ち付けて、地面に叩きつける。
「っぐ……」
竜の遺骸の地面に蹲りながら、ウルは身体の痛みに呻く。
単純な、実力の差は明確だった。天剣とウルとの間には隔絶した力の差が存在したが、ウルとクウの間にもまた、容易くは埋めがたい技術の差がある。正面からやり合えばこの通りだ。
「この世界が!神が!どれだけ最悪なのか、貴方は分かってるの!?」
地面に倒れ伏したウルに問う。ウルは痛みを抜くために大きく息を吐き出しながらゆっくりと身体を起き上がらせ、再び二本の槍を構え直す。クウは顔を顰めた。
「狂人の戯れ言なんて聞く耳無しってことかしら?」
「
それは、彼女にとって意外な返事だったのだろう。クウは動きを止めた。
ウルは続ける。
「お前の主張の意味は、理解できなかったが、必死さは理解できた」
「……」
「お前の世界への不信が、お前の頭の中だけで成立してる妄想なのか、的を射た真実なのか判断できない。が、お前が私欲でなく、何かのために必死なのは伝わった」
全身の痛み。震えがクウに見えぬよう、ウルは槍を更に強く握った。痛みを逃すべく数度、大きく息を吸って、吐く。腹に力を集める。グリードの訓練所で教わった基礎的な呼吸術を使って、身体の調子を僅かでも取り戻す。
「自分以外の何かのために必死になって、世界を滅ぼそうとするなんてすごいもんだ」
「馬鹿にしているの?」
「まさか」
クウとの対話時、彼女を挑発するために浮かべていた嘲笑うような顔を、ウルはもう見せなかった。クウを真剣な表情で見つめ返してくる。
「敬意を表すよ。誰かのため、何かのためなんて、俺には出来ないことだからな」
「……だとして、私の言ったこと、考えてくれるのかしら?」
「ああ」
ウルは頷いて、そしてゆっくりと姿勢を低くして、構えた。いままでの中でも最も色濃く、強い、殺意と共に言葉を吐き出した。
「お前を殺して、ラースを破壊した後に、ちゃんと考えるよ」
例え彼女が何者で 何を願い どのような使命を帯びていたとしても
今此処でやるべき事に何一つとして変わりない。
ウルの殺意は、言外にそれを伝えていた。クウは圧されるように一歩下がる。何度か呼吸を繰り返した。端麗な顔に深く皺を寄せて、そして言った。
「私、貴方のこと、苦手だわ」
「そうかい。残念だ――――な」
ウルは駆ける。引き絞り、放たれた矢の如く一直線に、竜殺しを突き出して突撃する。遠目に彼の姿は鎧の色も相まって、真っ黒な流星にも見えただろう。それでもって眼前に立ち塞がる影を貫き、消し飛ばし、尚も前へと突き進む。
「【影よ!!波打ち、震えよ!!!】」
クウも叫ぶ。それまで使うこともなかった詠唱を使ってでも術の強度を高めた。彼女の魔術に火力は無い。そこに強引に上乗せしてでも、ウルを仕留めにかかった。
だが、ウルは止まらなかった。影を刺し貫き、切り裂いて、叩きつける。鋭敏にクウの魔術を察し、その出始めで叩く。技術の練度ではクウは間違いなくウルの上に立っていた。だが事、命を賭した戦いという一点で、ウルはクウを圧倒していた。
数百年の年月の中でも、クウが命を賭して戦う事になった機会は片手で数えるほどだ。
冒険者になって1年と少し、ウルが命を賭して戦う機会は数えきれぬほどにあった。
その差がこの場においてハッキリと出ていた。
自分の命を賭してでも全力で、目の前の敵を排除する。その為の力の引き出し方がクウには欠落していた。故にウルは彼女の眼前へと迫っても、それを止めることは出来なかった。
「――――」
ウルは地を這うよりも低い姿勢で身体を捻り、力を凝縮する。槍の切っ先に全ての力が集約する。それを一点、クウの首へと叩き込むべく振り抜いた。
クウは自らの死を直感し、硬直した。
ウルは自らの殺意の達成を確信し、尚も力を振り抜いた。
『aaa』
そして、その二人の間に、足下、竜の遺骸の隙間から天剣が飛び出した。
「――――!?」
「え!?」
それはウルは疎か、クウすらも意図したものでは無かった。黒炎の七天達は既にクウのコントロールを外れている。今の彼らは自由に徘徊し、そして近くの物を自動で襲うだけの特殊な魔物の一種に過ぎない。クウからしても、自らが襲う可能性を秘めた危険な彼らは可能な限り近づけたくはなかったのが本音だ。ウルの指摘した通り、自身も殺されるリスクがあるからだ。
だから意図したものでは無い。
黒炎七天が飛び込んできたのはただの事故で、そしてその事故がウルにとって最悪の方角に転がった。ほんの僅か、天剣が飛び出した場所は、ウルに近かった。それだけで、天剣の狙うターゲットは決まってしまった。
『aa』
神速の大剣が振るわれる。クウへと集中しロクに防御の姿勢を取ることが出来なかった。ダヴィネが彼のためにあつらえた鎧ごと、大剣は黒炎を巻き上げながら全てを引き裂き、ウルは血と黒炎を噴き出しながら切り裂かれる。
「が――――」
ウルの身体は馬車にでも轢かれたような勢いで地面に転がった。直後に何かを言葉にしようとしたものの、形になる事も無く、ウルは動かなくなった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
灰都ラース、外周部
「…………なにが、起きたんだ、よ」
黒炎払いの戦士達もまた、どん底の窮地から更なる最悪へと転がっていた。
黒炎七天、凶悪極まるそれらの敵に対して、彼らは決して直接的に戦いはしなかった。そもそも戦おうにも、戦えるだけの戦力は残されていなかった。ウルからの助言もあり、絶対に交戦だけは避け続けた。
レイの指示の元、感知圏内を慎重に見定め、その外で黒炎七天らを誘導するに止めつづけた。それは間違いなく順調に行っていた。
『【aa・aaaaa】』
だが、突如、本当に一切の前触れも無く、天魔と思しき鬼は動いた。魔術の詠唱らしきものが開始されたと気付いたときには全てが遅かった。天魔を中心に発生した爆発は辺りの建造物を一瞬で薙ぎ払い、消し飛ばした。
「なあ!?」
距離を取っていた黒炎払い達もまた、その爆発に飲み込まれた。幾つかの建造物が盾になって、彼らが直接黒炎であぶられるような事態は避けられたが、代わりにその瓦礫が彼らの頭上に落下していった。
「………ぐ、あ……」
「くそ!ゲイツ!!畜生なんでだ!!俺たちは上手くやってたろ!レイ!!」
黒炎払いの戦士の一人が必死に叫ぶ。通信魔具越しのレイは、あからさまな動揺と共に、小さく囁いた。
《…………鳥よ》
「は!?不死鳥がやったのか!?今の!!」
《いえ……ただの、野生の鳥》
レイの言葉が理解できずに、戦士らは沈黙した。それを察したのだろう。レイは続けた。しかし彼女の声もまた、あからさまに動揺していた。そこには理不尽な状況に対するぶつけようのない怒りも込められていた。
《
「…………は?」
黒炎鬼となった生物に知性は無い。元の生物が保有していた知性や記憶なども無い。
そして黒炎鬼は無差別だ。兎に角、間近にあった生物を問答無用で黒炎の薪にする。
その現象が、今起こった。
黒炎鬼となった七天が、かつて世界の頂点の魔術師としての力の全てを発揮して、ただの野生の鳥を黒炎で焼き払った。
黒炎払い達は自分たちのミスでもなんでもなく、ただそれに巻き込まれただけだ。
「……ふ」
黒炎払いの戦士の一人は、喉を震わせた。
「ふざ、けんな、ふざけんなふざけんな……!!なんだあそりゃあ……!!」
それはその場にいる全ての黒炎払いの達の代弁だった。
ボルドーと共に黒炎払いに流れ着いた彼らは、多くの理不尽を経験してきた。その時の境遇すらも彼らからすれば理不尽極まるもので、以降も多くの不運や困難に打ちのめされ続けてきた。
だが、その中でコレはとびっきりに、あんまりだ。
「今日まで死に物狂いでやって来たんだぞ俺たちは!最後くらい!いい目に転がれよ!!」
血と涙が入り交じるようなその声を、しかし魂無き鬼が聞くことはなかった。
『aaaa』
天魔だった残骸はゆっくりと近付いてくる。
瓦礫で動けなくなった黒炎払い達に向かって、彼らの魂を焼き尽くして、新たなる薪にするために。そしてそれを止める手段は、彼らにはもう無かった。
彼らには、無かった。
「さて、行きましょうか」
『カカカ!!地獄じゃの!!!』
「本当にね。なんとか事が終わる前にたどりつけたけど」
《にーたんだものねえ》
天の賽子がいかに最悪の目を出そうとも、その結果に抗う権利はヒトの手に残されている。
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