黒炎払いの最後の戦い


「ボルドー。地上への通路を【石壁】の巻物で閉鎖完了したぞ」

「隊長!こっちも終わりました!あと色んな資材の持ち出し最低限は!」

「地下牢には黒炎鬼は見掛けてません。今はまだ」

「よし……」


 ボルドーはウルや部下達の報告を確認し、振り返る。

 彼の目の前にはグラージャ、フライタンといった地下牢の主要人物に加えて、アナスタシアが彼の背後にちょこんと座っている。しかも自分たちがいるのは地下牢の集会所ではなく、そこから距離が離れた【探鉱隊】が掘り進めていた【地下炭鉱】の最南端だ。

 改めて現状を見直すと、随分と奇妙な状況になってしまった。たった半年前は全く想像もつかなかっただろう。しかし今は、そんな感慨にふけっている暇はまるでなかった。


「それでは対策会議を始める」


 ボルドーが宣言する。全員の表情には緊張があった。

 当然だろう。現在の状況は間違いなく、【罪焼きの焦牢】史上最大最悪の危機的状況だ。危機とは言うが、既に


「地上は確認できたか?どうなっていた」


 ボルドーは問うと、ウルとガザが頷いた。


「封鎖する前に地上部から本塔の様子を見たけど……影も形も無かった。大半は崩壊して、しかも黒炎が火柱みたいになっていた。ひでえ光景だったよ」

「しかも、黒剣のバカどもが黒炎鬼になってやがった!最悪だ!」

「では、黒剣騎士団は壊滅か……」

「なんとか抜け道を通って逃げてこれた奴もいるにはいるが、本当に数えられる程度だ。自業自得……っつーには悲惨だ」


 ビーカンやクウを失った以上、遅かれ早かれ何らかの形で組織としての体は崩壊するか縮小するか、といった想像はしていたものの、まさかこんな悲惨な終わり方を迎えるとは思いもしなかった。


「これをやらかしたらしい、不死鳥の姿は無かった。多分、地上をあらかた焼き払って、帰っちまったんじゃねえかな」

「地下に気付かなかった、か。不幸中の幸いだな……」


 生き残りは、地下牢にいた連中だけだ。地上から爪弾きにされて、悍ましいと忌避されて隔離されていた地下牢の住民達が生き残れたのは、なんとも皮肉だった。


「此処が隔離空間だったのが不幸中の幸いだな……閉鎖箇所は少なくて済んだ」

「それでももう元の地下牢施設は大半が使えないよ!あんなに熱くなっちゃ術の研究もできやしない!!」

「ウチの魔法薬製造所もな」


 グラージャが忌々しげに呟き、それにウルも同意した。

 地上、本塔の崩壊に伴い、地下牢の温度も急激に上昇していた。黒炎の熱の影響だろう。地下牢には最低限の温調を行うための魔術が仕込まれてはいたものの、それでは追いつかないほどの気温上昇が巻き起こっていた。とても長居できないと生き残った囚人達総勢で避難してきたのが【探鉱隊】の地下探鉱である。

 この際、【探鉱隊】の面子は住民達が大量に此処に流れてくることを渋ったが、フライタンはそれを抑えた。


「此処に避難させず、地下牢の住民が黒炎に飲まれた場合、ほぼ確実に地下探鉱に鬼が溢れることになるが良いのか?」


 というド正論に全員が沈黙し、受け入れた。いくら身内で固まっている彼らとて、そんなことを言っている場合ではないということは理解できていた。


「大きな通路は塞いだが、通風口なんかで地上部と繋がってる場所は幾つもある。熱どころか黒炎が届いたって何ら不思議じゃあないからな」

「だがそれは地下探鉱も同じだ。ハッキリ言って此処も安全とは言いがたいぞ」

「分かっている」


 フライタンの指摘に頷く。そう、今や【焦牢】のどこにも安全な場所は無くなってしまった。何せ本塔が失われたのだ。つまり、魔物を退けるための【太陽の結界】も無くなった。今この場所は、人類が生存できない人類生存圏外で無防備に集まる哀れな烏合の衆に等しい。

 早々に判断を下さなければ、最悪の事態はすぐさま訪れるだろう。


「これから、どうするか、だ」

「どうするもこうするも、逃げるしかないんじゃないのかよぉ?」


 ウルの部下であるペリィが挙手する。そして彼の言葉にこの場に集まっている何人もの囚人達が同意するように頷いた。


「呪われるなんてご免だ!!はやいとこ外に出ようぜ!!!」

「そうだよ!!何ちんたら話してやがる!!」

「元々【黒炎払い】が余計なことしたからこんなことになったんじゃねえのかよ!?」


 ざわめきが大きくなる。きっかけとなってしまったペリィは「やっちまった」と、顔に皺を寄せた。

 しかしこの混乱は必然だ。彼らが粗暴な囚人達でなかったとしても、善良な都市民であったとしても、似たような混乱は起こっていただろう。

 ただ、集団性のパニックについてはボルドーは不安視していない。何故なら――


「うるせえぞおめえら!!!」


 まず、ダヴィネが大声で吼えた。彼のリーダーとしての素養が疑われ、地下牢は一時混乱していたが、それでも彼は数十年、地下牢で君臨し続けていた王さまである事実に変わりは無い。彼の威圧に、大半の囚人は条件反射で口を閉ざす。

 しかし、彼には今まで、ここから続ける言葉が無かった。威圧するばかりで、それ以上に小器用な真似が出来ないからこそ、彼の統治は揺らいでいた。

 しかし今は違う。ダヴィネはやや不満げに鼻をならしながら、視線をボルドーの背後にいる彼女へと向けた。


「……アナスタシアに聞いてみろ」


 囚人達の視線がアナスタシアに集まる。

 完全な丸投げだが、悪く無かった。ダヴィネが囚人達を締め、そしてアナスタシアが導くという役割分担が完成していた。この土壇場の窮地で、地下牢の支配は盤石なものとなっていたのだ。


「アナスタシア!そうだ!あんたなら分かるんだろう!?」

「っつーかアンタは地上がどうなるかとかも分からなかったのかよ!!」

「私達を助けて!!」


 囚人達の混乱は完全には収まっていない。しかしアナスタシアは慌てず、静かに手をあげて、残る彼らの混乱を収めた。囚人達が彼女の所作に応えて、全員が沈黙するまで言葉を発さず、場の空気を掌握した。

 彼女は慣れている。救いを求めて縋り付いてくる者達をまとめることに関しては、特に。


「まず先に、一つ。地上の、崩壊に、ついて。私には、本塔が崩壊する事は、分かりませんでした。地上の誰とも、接触、しなかったから」


 アナスタシアの運命を読み取る力は強大だが、万能ではない。見も触れもしていない相手の運命を見取ることなど不可能だし、見られたとしても全てが分かるわけでもない。ましてや地上と地下とが隔離された場所で、地上の崩壊を予期できなかったのかと言われればできなかっただろう。

 アナスタシアはその事実を包み隠さずに説明した。囚人達の中にはやや、失望したような表情を浮かべる者もいた。


「ですが、“目の前”に居る、皆様の運命は、分かります。」

 

 そしてその不安を拭うように言葉を続け、翡翠の瞳を開いた。再び囚人達の視線が向くのを確認しながら、アナスタシアはさらに言葉を続けた。


「まず、逃げるという、選択肢は、望ましくない。コレは運命を見ずとも、明らかです」

「な、なんでだよ!」

「本塔を通らず、地上からラース領の外へ、向かうルートは少ない。しかも、あったとして、先の本塔の崩壊で、失われてる可能性が、高い」


 どれだけ形骸化していようと、元々の【焦牢】の目的は囚人を懲罰する為の牢獄だ。で、あれば、当然、黒炎鬼を追い払うための地上部から、そのままラース領の外に出られないよう封鎖は成されている。防壁で囲い、地形を利用し、囚人が逃げ出さないように作られている。万が一にでも黒炎の呪いが外部に漏れることを防ぐためだ。

 本塔が壊れようと、それらは健在だろう。あるいはもっと悪くなっている可能性もある。


「だったら!本塔を通っていけば良いだろう!」


 するとアナスタシアはそれを叫んだ囚人へと目を向けた。


「本塔に残った、黒剣の騎士も、収監されていた、大量の囚人達も、全員が鬼になっています。そこを抜けようとすれば、死にます。少なくとも、貴方は死ぬ」

「うっ」

「それに、後ろで、お友達と、一緒に本塔を抜けようとしてる、小人の貴方も」


 囚人達の集まりの中、奧で小人の囚人達が一斉に肩を跳ねさせた。逃げようとしていたのは図星だったらしい。


「で、でもそれならどうすりゃ良いんだ!此処に居たって絶対に!」

「ええ、地下牢も、長くは、保たないでしょう。そもそも、食料の供給は、地上にも依存している。黒炎鬼以外の、魔物が来る危険もある」


 誰の目にも。地下牢の崩壊が秒読みの段階であることは明らかだった。故に、恐怖は伝播し、同時にアナスタシアへと救いを求める視線が集中した。


「方法は、一つ」


 アナスタシアはボルドーへと指さした。ボルドーはその意図を察して、恭しく跪き、頭を垂れた。


「全ての、黒炎の根源、”残火”を、断つしか、ない。お願いします。ボルドー」

「承知いたしました。運命の姫よ」




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 アナスタシアの宣告と共に、避難所である地下探鉱では急ピッチに作業が進んだ。


 アナスタシアから提示された唯一助かる道に向かい、全員が一丸とならざるを得なかった。普段どれだけ粗暴でいい加減な囚人であったとしても、命がかかっているともなれば必死にもなるだろう。

 安全に黒炎払いが出発するため、地下探鉱の南の方角へのトンネル作成のための掘削作業がフライタンの指示の下進み、彼らに様々な武器や魔導具支援を行うためダヴィネやグラージャが、地下牢の放置された様々な資材を地下探鉱に運び込み、全力で制作に勤しんだ。残る囚人達は全員彼らの手伝いに駆け回る。


 地下牢に残っていた食料は分け合った。前線に立つ者には率先して渡された。


 幾度か喧嘩も起こったが、アナスタシアが率先して自身への配給を他の者に渡す事で争いは収まり、そして彼女への信奉はさらに強まった。限られた食料をやりくりし、出来うる限りの時間を稼ぎ続けた。 

 恐らく、【焦牢】が誕生して数百年の間で最も囚人達が協力し合った瞬間だっただろう。


 そして三日後




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 地下探鉱 南端


「【黒炎払い】の戦士が15名、【魔女釜】の術者が5名。そんでそこに追加一名……か」

「ああ、地下探鉱の案内は頼むフライタン」


 【探鉱隊】のフライタンはボルドーに対して小さく頷いた。


「アナスタシアの指示で【灰都ラース】の方角への地下道と地上への道は出来ている。少なくとも、【本塔】の黒炎からは逃れられるはずだ」

「ラースまで直通できれば、消耗は押さえられたんだがな」

「無茶いうんじゃねえぞ小僧!魔物がいる地域の地下通路を作る事がどれだけ大変か分かってんのか!!」

「すまん。口を滑らせた」


 少し零れた愚痴に対して、フライタンの部下の土人達が抗議の声を上げる。ウルは非礼を詫びた。地下牢で働いていた土人達は現在、相当なストレスを抱えている。あまり、迂闊なことを言うべきでは無い。


 とはいえ、不安が溜まっているのは彼らに限らない。他の地下牢の住民達も限界だろう。元の地下牢は既に何体かの黒炎鬼が侵入してはそれを退治するような瀬戸際で、食料の制限も厳しくなりつつある。三日の準備期間は限界ギリギリの日数だった。これ以上は延ばしても消耗の方が大きくなる。


「あいっかわらず鬱陶しいね土人どもは」


 土人達にそんな言葉を浴びせるグラージャや、彼女の部下である魔女釜の術者達も苛立っているのは同じだろう。この三日間、地下牢の勢力同士が仲良くなる都合の良い展開には当然ならなかった。アナスタシアが上手く仕事を別けて、誤魔化しきったに過ぎない。

 内乱が発生して全滅、なんていう最悪の事態も起こりえた状況下でもなんとか問題解決に邁進出来たのは、実際に迫る命の危機への危機感と、


「やめろっつってんだろクソどもが!!!」

「皆さん、おちついて、ください」


 ダヴィネと、そしてアナスタシアによる二人の統治によるものだった。

 ボルドーは地下牢の支配者である二人を守護するようにしてやってきた部下達の姿を見て、目を細める。


「全員、準備完了したか」


 問うと、アナスタシアの隣りでウルは頷いた。


「お陰さんで良い装備になったよ。仕上げの為に地下工房に潜り込んで採寸して作業するのは手間だったけどな。」


 そう言って自身が身につけた鎧の着心地を確かめていた。

 漆黒をベースに、白銀の模様が入った鎧だった。一見してもその鎧の精密さは芸術的だった。ウルを含む【黒炎払い】の面々は全員、統一されたその鎧を纏っている。


「【黒睡帯】の対呪性とウルの持ってきた竜牙槍の合金を真似て作った!!外の最高級鎧すらも凌駕する!!最高傑作だ!!」

「視界は兎も角、四肢を守る帯は外付けだとどうしても外れることがあったからな。流石だ」

「はっ!当然だ!」

「なら“例の竜殺し”も?」


 尋ねると、ウルは自分の背中に背負う真っ黒な槍を軽く小突いてみせる。ボルドーは頷いた。最後の準備も恙なく終わったらしい。ボルドーが安堵の溜息をついていると、ウルと同じく装備を改めたガザがやや不安げな表情でボルドーを見ていた。


「どうした」

「その、隊長は装備更新しなくて良かったんです?」

「造れる数量の限りもあるのだろう。俺は指揮官だ。前線の連中の分だけでいい」

「でも……」

「気にするな。それよりも、お前も今回の役割は重大だ。気を引き締めろ」


 ボルドーはそう言って、地下探鉱に運び込まれた小さな荷車に視線をやる。灰都ラースへと向かう際の必要物資が詰め込まれたその荷車の中心には、申し訳程度に小さなマットが一つだけ敷かれていた。

 そこには誰であろうアナスタシアが座る。今回の遠征には彼女自身もついてくるのだ。


「まあ、乗り心地わりぃかもだが、ちゃんと運んでやるよ!!」

「ありがとう、ガザ、さん」


 運送役のガザが快活に笑い、アナスタシアは小さく頷いて応じた。

 運命の流れは刻一刻と変化する。その為現場に直接赴き、危機を伝えると彼女は決断した。その事を誰も反対はしなかった。彼女の力がいかに強力であるかも理解していた。


 あらゆる手を尽くして総力で挑まねばならないのだという理解が彼らの中にあったのだ。


 だからこそ、この三日間で出来る手は出し切った。考え得る作戦は全て考えた。起こりうる事態も考えつくした。当然全てに対応は出来ない。完璧にはほど遠い。しかしそれでもやる。やらなければならない。


 全ては、黒炎の大本を断ちきるためだ。


「大本を断つか……」


 ボルドーは誰にも聞かれないよう、小さく呟いた。


 10年前、彼の故郷セインでも同じ事は言われた。当時は政治の敗北による島流しでしかなく、その欺瞞に満ちた命令を思い出す度に辛酸をなめるような思いになる。


 しかし、今は違う。そこには奇妙な高揚感と、不思議なまでの心の静寂があった。


 勝利を確信しているわけではない。いやむしろ、事が上手くいく可能性はかなり低いだろうと、冷静に見積もっている自分がいる。

 しかしそれでも、少しも心が揺らがないのは、覚悟がきまっているからだ。昨日今日の話ではない。10年前大敗を喫してから今日までの間ずっと、時間をかけて培われてきたものが、彼の心を落ち着けていた。


「お前達」


 その場に居る全員が顔を上げた。10年前とでは面子が随分減ったし、変わった。ガザやレイのように当時からボルドーについてきてくれた者もいれば、その後から入ってきて、なんとか今日まで食らいついてきた者もいる。

 何よりも、自分たちの背中を蹴り飛ばして、こんな地獄まで連れてきてくれた少年もいる。

 自分が見捨てて、紆余曲折の果てに再び絆を結んだ聖女がいる。

 出自も種族も何もかも異なり、まして【焦牢】の囚人というこの世で最も忌み嫌われる場所に身を置きながらも、それでも彼らは自分と共に、死ぬかもしれない戦いに挑むのだ。


 感謝したかった。しかしまだなにも終わってはいない。

 だからボルドーは【黒炎払い】の統率者として、シンプルな言葉を選んだ。


「勝つぞ」


 その決意に、全員が頷いた。

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