終わりの始まり


 【灰都ラース】からの敗走後


 【焦牢】の本塔は酷い混乱に包まれていた。何せ名目上のトップである騎士団長ビーカンと、そして実質的なトップだったクウが両者とも、消息不明になったのだから。

 灰都ラース発見という浮かれたニュースから一転しての事態である。末端の騎士達は自分の組織の首から上が突如根こそぎに無くなった事実に狼狽し、そして黒剣の幹部達は自身の資産が失われる事を恐れて逃げ出し、あるいはビーカンが溜め込んでいた私腹を奪おうと画策し、他の同僚と争い、同士討ちになるという無様を晒すこともあった。


「おいこら騎士団ども!!何騒いでんだバカがよ!!」

「ビーカンのバカが死んだんだろ!?ここから出せ!!」


 そして、本塔の囚人達にもその混乱状態が伝播していた。

 黒炎の呪いから逃れることが出来た囚人達は、それでも囚人という立場に変わりは無い。自由を奪われ、その刑務の大半を長時間の祈りに捧げられる彼らの生活はそれはそれで苦痛があり、不満が溜まる。それがこの機に爆発していた。そしてそれを制御する者も今の黒剣騎士団にはいない。


 まさに最悪の混乱状態にあった。そして、それ故に問題に気付かなかった。


 黒炎の対策を地下牢に一任しておきながら本塔が存在していることの意味。都市の外で人類が生きていくための、極めて小規模ながらも存在していた【太陽の結界】を維持するための場所が機能不全に陥った時、どのような事態が起こるのか?その事に誰も気付かなかった。あるいは気付いたとしても、自分の役割ではないと無視していた。


『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』


 その怠慢のツケは、空からやって来た。


「なんだ!?なんだよ!?」


 先程まで、大声で喚き散らしていた囚人達は、耳にするだけで背筋が凍り付くような鳴き声に悲鳴を上げ、怯え竦んだ。だがそれは黒剣騎士達も同様だ。本塔は【黒炎鬼】の襲撃は滅多にない。ラースを救うという名目上、常に【黒炎鬼】との戦いを強いられる地下牢と違い、彼らは完全に太陽の結界に守られ続けている為に【黒炎鬼】への知識も経験も無い。


 だが、それに対して覚えのある者も中には居た。


「う、うわ、うわあああ!!!来る!!!来るぞ!!!」


 それは、ビーカンと共に【灰都ラース】へと向かい、そして悲惨な敗走で戻ってきた連中だった。少し前に、ボロボロな姿で戻ってきてからずっと医務室で引きこもり続けていた。彼は、その耳に届いた”鳴き声”に表情を青くさせ、耳を塞いで蹲った。


「不死鳥が来るぞ!!」


 灰都ラースにおいて、逃げ出した彼らを散々追い回し、そして次々に焼き払い、新たなる鬼として変貌させた呪われた霊鳥、【黒炎不死鳥】の鳴き声であると彼らは気付いた。


 そして気付くのが遅すぎた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 ああ、此処だ


 かつてラースが全盛の時より存在していた死と再生の霊鳥は焦牢の上空を旋回していた。煤けた薄暗い空を飛び回る呪いの霊鳥は、砂の海にぽつんと突き出た塔、【罪焼きの焦牢】を見つめていた。


 此処に、アレに近付いた者がいる。


 不死鳥は【灰都ラース】へと侵入してきた黒剣騎士団と黒炎払いの事をずっと追跡していた。しかも、恐るべき事に途中、砂漠の中を潰走する彼らにいつでも襲いかかる事はできたのに、それをしなかった。相手の”巣”を暴き出すために、あえて殺さずに泳がせたのだ。

 決して彼らに気付かれぬよう、気配を殺し、追跡を続けた。


 熟練の戦士である黒炎払いの面々もそれには気付かなかった。


 【灰都ラース】を出た瞬間、不死鳥は襲いかかってこなくなった。彼らはそれを【番兵】と同じ習性を不死鳥が持っており、限られた範囲でのみ活動するものであると勘違いしたのだ。そもそもひたすらに薪を求める反応以外の全てを損なった【黒炎鬼】に知性なんてものがあるなんて、想像だにしていなかったのだ。

 だが、不死鳥には知性があり、そして定められた活動範囲など存在しない。ラースに不死鳥が留まっていたのは、単に“アレ”を守ると決めていたからに過ぎない。だが別に専守防衛に務めているわけでも無く、攻勢に出る事も不死鳥には出来るのだ。

 攻めるなら、敵の大本を潰さなければならない。だから泳がせた。


 そして見つけた。【焦牢】そしてその周囲を覆う半透明の強力な結界を。


『AAA……』


 不死鳥はまずは 無防備に結界へと近付いた。しかし次の瞬間、不死鳥の身体は激しい光と音と共に弾き飛ばされた。


『………A?A???』


 黒炎の不死鳥は不思議に思った。この結界を不死鳥は知っている。

 彼方の記憶、ラースにまだ多くのヒトが生きていたとき、この結界はラースの広い範囲を覆っていた。魔を退ける強く広大なその結界の内側で、ラースの民達は平穏に過ごしていたのだ。勿論、不死鳥自身もその結界の内に居たし、自由に結界の内と外を出入りする事だって出来ていた。


 だのに今は弾かれる。まるで拒絶されているかのように。自分が魔の者であるように。


『AA………』


 不思議だ。そして困った。邪魔だ。これではあの外敵達を排除することが出来ない。どうしよう、と思いながら結界を見つめる不死の鳥は不意に気がついた。


 この結界は、弱い。


 かつてのラースを覆っていた結界と比べてみればあまりにも貧弱だ。規模も大きな建物一つを覆い隠すくらいしかなくて、その上、更に弱々しい。先程不死鳥が結界にぶつかった時の衝撃だけで、既に揺らごうとしている。


 ああ、なんだ。これなら破れる。


『AAA』


 不死鳥はその身を震わせた。身体に灯った黒い炎が沸き立つ。遠目にまだ鳥の形だったそれが、真っ黒で、とてつもなく大きな炎の塊のようになった。空に浮かぶそれを真っ黒な太陽と思う者もいただろう。だがそれは遍く大地を照らし恩恵を与える恵みの光ではない。

 見た者の瞳を悉く灼いて呪い、鬼とする凶星だ。


『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』


 不死鳥が叫び、舞い、そして降下する。真っ黒な炎の塊はその時既に揺らいでいた結界へと直撃した。あらゆる魔を退けるこの世で最も強固な結界は、弱り、不安定な状態であっても尚不死鳥の突撃に僅かに耐えた。

 莫大な魔力の衝突で軋み、激しい音と光を放ちながらも数秒持ちこたえたのは、間違いなく結界それ自体の強さに依るものだったのは間違いなかった。


 だが、それでも数秒だ。結界は次の瞬間には軋み、たわんで、そして砕け散った。


 結界を失えば、その先にあるのは人類が容易には生きられない生存圏の外で、ぽつんと身を晒す小さな塔が一つだけ。中にいる大量の囚人達も、黒剣騎士団達も中にいて、何処かに逃げる隙、抵抗の為に武器と鎧を身構える暇も無い。


 そして不死鳥の無慈悲なる体当たりは未だ火力を衰えさせることも無かった。


『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』


 【黒炎の陽】が塔に直撃した。

 中の大量の囚人達も、騎士達も根こそぎに焼き払う火柱が砂漠で爆発した。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 【焦牢・地下牢】


「――――!?」


 突如、天井から響いた轟音にウルは驚愕した。咄嗟に近くにいたアナスタシアを庇うこと以外何も出来なかった。地下牢そのものが崩れてしまうのではないかと思うほどの凄まじい振動だった。


「なんだあ!?どうしたあ!!」

「上だ!!地上で何か落ちたぞ!!?」

「通風口に近付くな!!すげえ熱気が来るぞ!!!」

「【魔女釜】呼べ!風の魔術で空気を浄化させろ!!」


 囚人達が大声で叫ぶ声が集会場の外から聞こえてくる。同時に室内の温度が一気に高まった。蒸し焼きになるほどではないが、閉鎖された空間で在るためか、それとも空気が溜まるのを避けるために作られた地下牢の通風口の構造故か、まるで蒸し風呂のような気温になった。


「なんだ!?なにが起きた!!」


 ボルドーも混乱している。全員、現在どういう状況に陥っているのか掴めていなかった。ウルも情報を集めるため、集会場の外に移動しようとした。だが、その前に腕を引かれる。


「ウル、くん」


 アナスタシアが手を引いていた。顔色は青く、そして鬼気迫った表情だった。


「アナ?」

「地上への、通路を、塞いで」

「地上?あそこは元々……」

「急い、で!」


 次の瞬間ウルは飛び出した。

 アナスタシアの頼みの意図をウルは全く把握出来ていなかったが、鬼気迫る彼女の指示に従わなければ大変なことになることだけはハッキリしていた。


「ガザ!来てくれ!!」

「お!?おお!!わかった!!!」


 考えるよりも行動なガザへと呼びかけて、二人で地下牢内をかける。集会所の外も混乱は発生していた。全員、なにが起きているのか理解できず、騒ぎ、悲鳴と怒声をあげている。そしてウル達が向かう先、封鎖されている地上への通路にも囚人達が殺到していた。


「おいこら黒剣ども!!どうなってんだ!!」

「爆発でも起こしたのかよ!?教えろよ!」


 ガンガンと巨大な合金の扉を叩き続けている。

 あの扉は、黒炎の呪いが外に出てくることを防ぎ地下牢の中に隔離するために作り出された頑強極まる扉だ。魔術による仕込みがあり、地上側から開かなければ決して開くことはない一方通行だ。

 だから彼らがどれだけ扉を叩いても、その扉が開くことはない。本来ならば。


「……お!?」


 だが、開かない筈の扉が激しく軋んだ音と共に開かれていった。扉を叩き続けていた囚人達も、まさか本当に開かれるとは思わず、少し驚いて後ろに下がっていく。


「……!!」


 そして遠目にそれを見たウルは、全身の産毛が逆立つような感覚に陥った。


「おいおい、なんだってんだよ。黒剣――――?」


 囚人の一人が開かれた扉を覗き見て、地上側から地下へと扉を開けたであろう黒剣騎士団を確認しようとした。滅多に此処に降りてこない看守達であっても、一応彼らは地下牢の秩序側である。この混沌とした状況を僅かでも元に戻してくれる期待を囚人達は寄せていた。


『   A    』


 その判断が誤りであると気付いた頃には、扉を覗き込んだ囚人はその身を黒い炎に焼かれて薪になった。


「ひぎゃああああああああああああAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

「なあ!?」

「なんだよ!?なにが!!」


「そこをどけえええええええええええええ!!!」


 ウルは叫ぶ。同時に右腕を握りしめた。呪わしい、異形の右腕。黒炎の呪いすらも喰らう、しかし決して安易に使ってはならないモノ。しかし武器も持たずに居るこの状況下、扉から溢れ、そして囚人に伝染し始めた黒炎を止めるのは今しか出来ない。


 ここで抑えなければ、地下牢が完全に崩壊する。


「っだぁああらああ!!!」


 徒手空拳の技術はウルにはない。だから目一杯、力任せに、燃えさかり、他の獲物を探そうとし始めた囚人と騎士を、上から殴りつけた。


『AAAAAAAA……』


 武器無しとは言え、魔力で強化された筋力を凝縮させた一撃は、囚人と騎士の身体を一気に扉の奥へと押し込んだ。咄嗟の一撃にしては悪くない威力だった。呪いの炎に触れた拳は痛みが走ったが、呪いが燃え広がっていく様子はなかった。


『AAA……』


 だが、全くもって油断出来る状況ではない。燃えた囚人ごと押し返した騎士が転がる通路の先から、他の黒炎に飲まれた騎士達が姿を見せていた。歩みは遅いがゆっくりと、確実に、この地下牢へと近付いていく。


「扉を閉めろ!!!」

「おおお!!!」


 ガザは即座に動き、扉を一気に閉め、そしてそのまま押さえ込んだ。直後ガンガンと、扉の向こうから、黒炎の騎士達が扉へとぶつかる音がした。執拗に何度も何度も扉を叩くのだ。

 ガザは万力を込めて扉を閉め続ける。黒炎の熱で徐々に合金の扉に熱が籠もり、彼の手を焼き始めるが、それでも決して扉は離さなかった。


 ウルは倒れて、呆然としている囚人達に叫んだ。


「扉を閉鎖するための道具!!何でも良いから持ってこい!!此処が破られたら俺たちは死ぬぞ!!!」


 ウルの言葉に囚人達ははっとなって、そして慌てて動き出した。ウルもガザの隣で扉を押さえつけ、手が焼ける感覚に悶えながら、苦々しく叫んだ。


「こりゃ確かに、時間なんてかけてらんねえな……!」


 【焦牢】の本塔、地上部は完全に壊滅したことをウルは悟った。


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