少年が寝ている間に何が起きたかⅡ③ 迫る脅威
同じ部屋に居座っているフライタンとグラージャであるが、実は親しい関係であったとか、そういった事実は無い。依然としてグラージャは土人達全体を毛嫌いしているし、フライタンは兎も角、彼の部下達は魔術師達を見下している。
が、しかし、現在の浮ついた地下牢の状況そのものについては、両者は共通して問題視していた。【黒炎払い】の活躍に浮かれているのは囚人全体だ。【魔女釜】も【探鉱隊】もそれは同じで例外は無い。二人の率いる部下達にも、先程の馬鹿騒ぎに参加した者も、あるいはこれから参加しそうな者もいたのだ。
二人のリーダーは少なくともその浮ついた空気に乗せられる程に考え無しでは無かった。だから理解している。この空気を放置したら、事故が起こると。ダヴィネと同じく二人とも、【黒炎払い】という集団の実力を決して軽視などしてはいなかった。
現在の快進撃はウルという起爆剤と、ダヴィネの【竜殺し】、そして【黒炎払い】の10年間蓄積させ続けた力が完全に噛み合ったことによるものであって、碌な武装も知識も持たない素人が飛び出してどうにかなる状況ではない。
そして、ロクに制御の効いていない熱狂から生まれる事故程、被害は大きくなる。それも、熱にアてられなかった者達までも巻き込むほどの大事故だ。【魔女釜】も【探鉱隊】もそれは避けたかった。
そして二人が頭を悩ませていたまさにそのタイミングで、アナスタシアが囁いたのだ。
自分ならば、この状況を抑えることが可能だと。
「ヒャッヒャヒャ!まさかこの期に及んで、聖女様がご光臨とは思わなんだね!」
グラージャは笑う。フライタンも口にはしないが同意見だろう。それを隣で聞いているペリィだって同じだ。そもそも彼女がこの地下牢にやって来た当初、既に彼女は聖女らしくはなかったのだ。状況に怯え、戸惑い、上手く説明できずに場をかき乱して混乱させていた。
あの時の彼女は悪い大人に騙されて、良いように利用されて、捨てられた哀れな子供そのものだった。
だが今の彼女は違う。自分の武器を全て把握し、それを使うことを覚えた怖い女だ。
「では、約束通り、お願いします」
「ダヴィネの代わりに地下牢を収めるから、アンタに協力しろ。だったな」
「ウルに、だろう?愛しのダンナ様に貢がせようってんだ」
フライタンとグラージャの問いにアナスタシアはまるで恥じらうこともなく頷いた。
「おねがい、します。ウルくんを、手伝って、ください」
制御が効かなくなり、混沌とし始めた地下牢の統制、そして分断している地下牢内部の組織からの協力のとりつけ、アナスタシアはその全てを一気に手中に収めようとしていた。
ペリィは言葉にせず少しビビっていた。事前に、「運命の精霊の力を使う」という説明は聞いていたが、ここまで呆気なく、自分の望み通りに物事を動かすことが出来るのだろうかと怖くなったのだ。
「コレが【運命の精霊】の力ってやつかね?こわいねえ」
対してグラージャは幾らか余裕がある。
ペリィに支えられてなんとか、といった具合のアナスタシアを嘲っているようにも見えた。元々ペリィの上司であった彼女のことをペリィはある程度理解している。卓越した魔術師であるが故に、精霊の力は侮りこそしないものの、自らがそれに劣るなどとは思っていないのだろう。
「その力さえあれば、本塔の連中も出し抜いて、全員脱走だって出来るんじゃ無いかね?」
「残念、ながら、そこまで都合は、よくないのです」
「おやまあ、残念だねえ」
まあ、出来るわけが無いだろうけど、と思ってて言っただろうに、グラージャは楽しそうだ。その嘲りを見抜いたからだろうか。アナスタシアは翡翠の瞳を見開いて、優しくグラージャに語りかけた。
「でも、貴方が、今、少し腰を、痛めているのは、わかります」
「っ!?」
「今日、何かの術を、試しているのですか?辞めた方が、いいですよ。失敗するから」
「………」
グラージャは押し黙り、距離を取った。
アナスタシアの言い方は曖昧だ。正確な未来を完全に読み取ることは出来ない。だがそれでも、自分が秘めていることを盗み見されるのは愉快ではないだろう。一つ二つどころではない企みを抱えているような老女であれば尚のことだ。
こういった側面もあって、アナスタシアは崇められる一方で、畏れられもしたのだ。
と、そこでフライタンが咳払いする。
「どのような力だろうと構わない。だが、
「しばらく、は」
「ならいい」
フライタンは少し安堵した様子だ。それを見てグラージャは幾らか調子を取り戻そうとするかのように強めに嘲笑った。
「お兄ちゃんは過保護だねえ!そういう過干渉が拗らせを加速させたんでないのかね?」
「…………」
フライタンは睨み付けるが、しかし反論はしなかった。代わりに剣呑な空気が場を包む。やっぱり二人の相性は全くよろしくはなかった。二人とも、この地下牢では古参の部類だ。長い年月の間発生した対立は容易くは埋まらないのは当然だ。だが、
「喧嘩しても、良いですけど、約束は、守ってください、ね」
アナスタシアはそれを一言告げると、二人は渋い顔をしながらもそれにしたがった。その時点で、この場における力関係は明確だった。傍から見るペリィからすると少々愉快な光景ではある。二回りどころではない程年下のアナスタシアに従う、二大組織のボス達の光景は。(怖いのでその事を絶対に口にしないが)
「確認するけど、ほんっとうに私達にも利益があることなんだろうねえ?“黒炎払いの攻略を支援する”ってのは!」
「運命は、曖昧で、読み辛い。言語化もしにくい。ですが――――」
グラージャが吐き捨てる様に問う。アナスタシアは迷い無く頷いた。
「断言、します。間違い、ありません」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
地下牢、魔法薬製造所
「ほれ、これでいいかよぉ」
「ありがとう、ございます。ペリィさん」
「かまわねえよぉ」
アナスタシアは自身を運んできてくれたペリィに礼を言って、ベッドに倒れ込んだ。彼女が疲れ果てていることをペリィも理解していた。なんだかんだと彼女とも半年の付き合いだ。もう休ませてやるべきなのだ。
「なあ、きいてもいいかぁ」
ただ、どうしても聞いておきたいことがあった。
「なんです、か」
「あいつらに言ったこと、本当なのかよぉ。利益があるって」
【黒炎払い】への協力が【魔女釜】や【探鉱隊】の利益となる。
そう断じた彼女の言葉が、いささかペリィには信じがたかった。なにしろその詳細は明かさなかったし、何よりもウルにとって都合があまりにも良すぎるからだ。運命の精霊の力を掲げて、相手を都合良く動かそうとしているのでは無いかという疑問が浮かんでいたのだ。実際、グラージャもフライタンもその点は疑ってかかっていた節がある。
勿論、それが嘘だったとして、彼女を責める気は無い。ペリィは今や心情含めてこの“魔法薬製造チーム”の一員で、この場所を裏切るつもりは無い。ただ実際の所どうなのだろう、と気になったのだ。
するとアナスタシアは頷いた。
「確かに、少し都合よく言いすぎたかも知れません」
ああ、やっぱり。とペリィは笑おうとした。だが、アナスタシアのとても真剣な表情で、ヘラヘラと笑う事が出来なかった。
「
ペリィは生唾を飲んだ。
運命の精霊の力を解禁した、と聞いたとき、正直ペリィには一見して普段の彼女との違いが分からなかった。弱々しいし、何時倒れてもおかしくないほどの貧弱さは何も変わっていなかったからだ。
しかし、今は違う。見えない先を見通す力を持つ者の、超越的な確信は、彼女に今までにはない凄味を与えていた。ペリィに畏敬の念を抱かせた。囚人達が彼女に平伏した感覚がなんとなく分かった。
「……じゃあ、なんなんだぁ?」
問うと、彼女はそっと両の手を重ねて小さく俯いた。それは祈る所作というよりも、自身がこれから口にする言葉を畏れているかのようだった。
「黒炎払いの、皆さんを、助けないと、災厄が訪れる」
「災厄」
「真っ黒な、死が、来る」
場の空気が凍り付いた。人気も音もない。沈黙が耳に痛かった。
「……ウル達が何かをなんとかしねえと地下牢に来るのかぁ?その、死が」
「いいえ」
更にアナスタシアは否定を重ねる。不吉な気配は更に高まる。ペリィは最早押し黙った。彼女の言葉の続きを聞きたいとも思わなかった。しかし彼が拒否しようとしても、アナスタシアは最早言葉を止めることは無かった。
彼女は言った。運命の精霊を再び受け入れて、その直後に悟った未来の一端を。
「黒炎払いの皆が、上手くやれなければ、もっと、酷いことになる」
グラージャ達を前にした時以上に強く、彼女は断定した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そして現在 地下牢の集会場
「以上が、現在の、地下牢の、状態です」
地下牢での祈りの儀式が終わり、一旦囚人達は解散となった。
正直傍目には異常に見えた状況だったが、祈りが終わってしまえば囚人達は何時も通りだ。やれやれ終わったとかったるそうに肩を回しながら雑談を交わしている。
彼らは別に誰かに強いられたり、あるいは奇妙な術にかかっていたりだとかそう言ったわけでは無かった。ただ自主的に、自らの意思でアナスタシアへと祈りを捧げたのだ。
「この場所は、簡易の、神殿となりました。祈りを、蓄積します」
「分かるのか……?神殿の作り方」
「これでも、高位の、聖女でした、から。勿論、完璧とは、言い難いですが」
「名無しばかりだと、祈りの魔力は溜まりにくいんだろ?」
「効率は、悪いですが、無いよりは、ずっといいです」
そう言って、彼女は再び【運命の聖眼】、翡翠の瞳を見開いた。
「【雫見】」
不意に、彼女の瞳から涙が零れる。魔力に満ちたその雫が頬を伝って地面に零れる。水面で波がはねるようにして周囲へと魔力が拡散していった。ウルが知る精霊の力はどれも激しいものだったが、それと比べると本当に静かなものだった。
しかし、それから得られる結果は決して大人しいものではなかった。
「フライタン、さん」
アナスタシアは不意に顔を上げ、ウル達の背後で待機していたフライタンへと顔を向ける。フライタンは身体を起こすと、彼女元へと近付く。
「引き続き、南へと、地下探鉱を、進めてください。」
「鉱脈は今のところ影も形も見えない。それでもか?」
「はい」
「……分かった」
フライタンは頷いて、その場を後にする。次にアナスタシアは部屋の隅で隠れるようにしていたグラージャへと視線を向けた。
「グラージャ、さん」
「はいはいなんだい小娘。次はどんな無茶を言うんだい?」
「【石壁】の、巻物を、50本ほど」
「本当に無茶を言うね!!?」
「必要に、なります。お願いします。できるだけ、急いで」
「ちゃーんと見返りは用意するんだよ!?全く……!」
そう行って愚痴りながらも、グラージャもまた彼女に従った。そして最後に
「ダヴィネ、さん」
「…………おう」
ダヴィネもまた、彼女の前に立った。彼女の指示を確認するために。
「強い、強い、【竜殺し】を」
「俺の作品は全部強い!!!」
「それを、全て、越えて、ください」
「ああ!?」
「今の、貴方なら、出来ます。新たな【竜殺し】を、造って、ください」
ダヴィネは押し黙り、そしてその後に彼女に背を向けて歩き出した。地下工房の自身の職場へと向かったのだろう。彼女の命令に背くことはしなかった。地下牢に居る組織が全員、彼女に従っていた。
ウルは半ば呆れ、半ば感心して声を漏らした。
「よくもまあダヴィネまで……」
「当然だ。彼女ならば、それくらい出来る」
そのウルの疑問に答えたのはボルドーだった。やや険しい表情でありながら、アナスタシアを見つめた。
「【運命の精霊】の巫女であれば、人心の掌握など容易い。相手の未来の全てを握るに等しいからだ」
「未来……」
「相手の望み、願い、あるいは危機。それらを全て言い当て、道筋を教えることが出来る力だ。この小規模の集団など、容易に支配出来る」
そう言いながら、ボルドーはアナスタシアの前へと立つ。集会場の玉座に座るアナスタシアは盲いた状態でも、彼の気配に気付いたのだろう。少し顔を上げた。
「アナスタシア様」
そしてゆっくりとボルドーは彼女の前に跪いた。ボルドーだけではない。ウル以外の【黒炎払い】達は揃って、彼女の前に跪いた。
「長く、貴女を避けて来て申し訳ありませんでした」
「いいえ、私の方こそ、貴方たちと、向き合うことを、避けました」
アナスタシアは玉座から降りると、地面に座って、彼の肩に触れて顔を起こさせる。
「私の過ちに、貴方たちを巻き込んだ。その罪と向き合うのが、怖かった」
アナスタシアのその言葉に、ボルドーは顔を深く顰める。そこには怒りがあり、悲しみがあり、嫌悪があった。様々な情念が彼の表情に浮かび彼の顔に刻まれた。それらは何一つ、克服されてなどいない。そしてそれはアナスタシアも同じだ。
互い傷を抱え、未だ癒えず、しかし向き合うことを選んだ。
「その償いを、させてください」
「我々も、果たせなかった使命を今度こそ果たしましょう」
10年前、無残に破れた騎士と聖女はこの日、改めて契約を結んだ。
「すまんな。お前達。勝手に決めた」
ボルドーは振り返り、【黒炎払い】の部下達に視線を向ける。かつて10年前、自分と共に此処に閉じ込められた仲間達を見る。しかしガザやレイ、他の仲間等も彼に対して不満を向けることはしなかった。複雑そうに、感情を飲み干そうと努力が必要なようであったが、それでも彼の選択を真っ向から反対する者は居なかった。
「……いや、隊長。その……なんというか、良かったです」
「もうちょっと具体的に言えないの…?」
「うるせえな畜生!」
ガザの乏しい語彙をレイが茶化し、そして小さく笑いが起きた。ウルはその光景を見て安堵し、感心する。アナスタシアから聞く限り、彼らがかつて負った傷は決して容易く癒えるものでは無く、事実今も彼らは苦しんでいて、それでも受け入れることを選んだのだ。
少々歪な形だが、アナスタシアを中心に現在地下牢が一つにまとまりつつある。
後は全戦力でもって、黒炎不死鳥を討つだけ。そういうお膳立てが整えられている。
が、それはそれとして、
「アナ」
「はい、ウルくん」
顔を上げたアナスタシアの頬を、ウルはムニムニと引っ張った。
「無茶すんな」
「ウル君が、いいまふ?」
「本当だわ。返す言葉もない」
ウルは手を離した。アナスタシアは楽しそうに、クスクスと笑った。
ウルはそのまま、彼女の黒睡帯を手でずらして、彼女の顔を覗き込んだ。アナスタシアは、されるがままにウルを見つめ返す。潰れた右目と、深い翠の左目を見た。
自暴自棄になった者の目ではなかった。
自分の事を蔑ろにする者の目でもなかった。
自分の選択を理解し、前進することを選んだ者の目だった。命の限りを、ひたすらに進むことを選んだ者の目だ。己を、主と定めた者にのみ宿す意志の光がそこにあった。
ならば、かけるべき言葉は一つだ。
「――――ありがとうアナ、助かった」
ウルは、まっすぐに感謝を述べた。
想像はつく。彼女がここまで急速に地下牢をまとめようとした理由なんてのは。半年間一緒にいて、濃い付き合いをしてきたのだ。わからないわけがない。
彼女を諦めはしない。決して。
しかし、いま彼女を突き動かしているものを否定もしない。それはきっと、ウルと同じものだ。だから彼女を労り、そして感謝を述べることを選んだ。
アナスタシアもまた、ウルの心中を察したのだろう。小さく微笑んで、ウルの手に触れた。
「いいの、ウル、くん。これくらいしか、できないから、わたし」
「これくらい、というにはえらく規模がでかいがな」
ウルが悪戦苦闘していた地下牢の完全掌握である。恐るべき手腕だった。運命の精霊の力、というものをウルもまた、見くびっていたのかもしれない。かつて、都市国一つを丸ごと掌握していた力というのはこれほど凄まじいものなのだ。
「お陰で、十全に準備が出来そうだ。不死鳥とやらはヤバそうだが、時間をかけて準備をして――――」
「ウル、くん」
と、アナが不意に言葉を遮る。ウルが不思議そうにすると、彼女は少し難しそうな顔をしていた。そして躊躇いがちに”それ”を口にする。
「時間をかけるのは、難しいかも、しれない」
「それは――――?」
アナスタシアの言葉を確認しようとした、その時だった。
『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』
閉鎖された地下空間にすら届くような、禍々しい鳴き声が地上から響き渡った。
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