少年が寝ている間に何が起きたかⅡ② 運命の聖女


 地下牢、集会所


 地下牢では、探鉱隊と魔女釜の争いは慢性的に続いていたものの、待機として残った【黒炎払い】が睨みを利かせることで、派手な抗争はなんとか収まっていた。しかし彼ら以外でも、地下牢はトラブルが絶えない状態だった。


 ダヴィネというリーダーの機能が死に始めていたのだ。


 ダヴィネが目の前に居る数人に怒鳴り散らしたとて、それほどの影響力は無い。地下牢は広い。彼の目が届かない範囲はあまりに多い。その事に地下牢の住民達は気付いてしまっていた。

 恐怖と暴力のみの支配は、それが薄れたときに崩壊する。【焦烏】による監視も存在している筈なのだが、何時タガが外れるかわかったものではなかった。


「だーかーらー!俺たちも外で遺物漁りに行こうってんだよ!!」


 現在、集会所で起こっている騒動も、支配の緩みが生んだ暴走だった。

 地下牢の囚人達の一部がダヴィネのいない集会場で叫んでいる。彼らは囚人服の上からボロい黒睡帯を身につけ、武器を片手に猛っていた。


 彼らの主張はこうだ。

 【黒炎払い】達とダヴィネが解放されていく【黒炎砂漠】から出土する【遺物】類の独占は悪であり、地下牢を支える自分たちにもそれを獲得する権利があるのだ。

 と、そう言うことらしい。

 本来であれば【黒炎払い】達の仕事は危険で地下牢で最も忌み嫌われる仕事であり、【黒炎払い】は自分たちの仕事を独占していたのではなく、単に他の連中から押しつけられたに過ぎなかった。彼らの主張はなんとも勝手な話だったが、困ったことに賛同する者は多い。


「おおそうだ!!」

「あいつらばっか良い思いしやがって!!!」


 他人の得を横目に眺めて黙っていられる者は少ない。


 自分も!と功を焦る者は多かった。しかも彼らの中に【魔女釜】や【探鉱隊】も入り交じっているから尚、手に負えない。彼らは彼らで【黒炎払い】に反感を持ちつつ、【魔女釜】や【探鉱隊】同士でも対立している。

 こんなまとまりのない集団が地上に出て、【黒炎砂漠】に飛び出せばどのような結末を向かえるか、想像するまでもないことだろう。しかし、彼らを止める者は――


「いけません、よ」


 一人だけいた。

 その小さな声は罵声の飛び交う集会場の中であっても、やけに響いて皆の耳に届いた。視線が自然と、暴走した囚人達の視線が一点に向かう。【黒睡帯】まみれの女、地下牢におけるある意味での有名人。【廃聖女】アナスタシアだ。


「外に出ない、方が良い。きっと酷いことに、なるから」


 よたよたと、杖をつきながら近付いてくる彼女には力を感じない。そうやって歩くだけでも相当に苦労がありそうだった。風が吹くだけで倒れてしまいそうなくらいに脆い彼女を前に、暴走した囚人達はせせら笑った。リーダー格の一人が握った剣の腹を、彼女の頬に当てた。


「なんだよ廃聖女様?お得意の運命でも見てくれたってのか?」


 彼女の事情を知る者は多い。彼女が失敗し、そしてこんな酷い有様になった事を知る者もまた多い。だから彼らは彼女を軽視していた。地下牢には名無しが多く、精霊の恩恵を受けた経験が少ないこともまたその軽視を増長させた。

 彼女が、類い希な精霊の寵愛を受けた聖女であるという理解は彼らにはない。


「ええ。そう、ですね」


 アナスタシアは頷く。そして不意に黒睡帯が外れて露出した左目を――――確か、焼かれて潰れている筈の左目を開いた。翡翠の瞳、その美しさにまず全員が息を飲んだ。


「【雫見】」


 その瞳から、涙がこぼれる。雫は地面に落ち、光の波紋を立てて、広がった。

 そして怪訝な顔をする囚人の剣に、そっと指先で触れた。

 途端、古びた彼の剣はぽきりとその真ん中からへし折れた。


「……………あ?」

「その剣の命運は、既に、尽きてました。そんなもの、握って外に出たら、死にますよ」


 カランと、剣の先端が落下して地面に転がった。呆然とする囚人を素通りして、アナスタシアはそれ以外の囚人達の側へとそっと近付いていく。手を伸ばして、竦んで動けなくなっている囚人の顔に触れた。


「ああ、貴方は、とても、よくない」

「え」

「身体の、半分から上が、真っ黒。黒い炎に、焼かれてしまう」

「ひっ」


 囚人が悲鳴を上げて後ろに下がる。するとアナスタシアは別の者へと手を伸ばす。まるで不死者のようにゆらゆらと近付く。不思議と囚人達は一歩も動けなかった。


「その黒睡帯は、もう力がない。ただの布きれです」

「え」

「貴方も、良くない。肘から先に、未来を、感じない」

「う……」


 一言一言、彼女が告げる度に囚人達の狂ったような熱気が拭われていった。代わりに訪れたのは顔の真横に矢玉が過ぎ去っていったような恐怖と、それを回避できた脱力だ。

 アナスタシアの言葉は、一つ一つに力があった。デタラメだと一蹴する事は誰にも出来なかった。病人のようにふらふらの身体で、彼らが握るお粗末な武具類の欠損を次々に証明していくのだ。否定のしようが無かった。


 やがて、暴走していた囚人達の心を全て丁寧にへし折ったあと、彼女は壇上に一人上がった。暴走していた囚人達と、それを見に来た野次馬達に向かって。


「皆様。どうか、おちついて、ください。今、うごいても、良い運命は、やってこない」

「……じゃあどうしろってんだよ!!」


 一番最初に、真っ先に剣と一緒に心をへし折られた囚人が叫んだ。


「このままラース解放されちまったら、地下牢は終わりだ!それで外に出られる連中はいいさ!!だけど普通の犯罪者だった俺たちは……」


 その先は言葉にしなかったが、彼は不安なのだろう。

 この地下牢は特殊で、自由だ。通常の監獄とは違う場所で、黒炎の呪いを封じ込めるための隔離所だ。しかし囚人によってはここに居心地の良さを覚える者もいる。外に出さえしなければ呪われる心配はない。魔物の襲来も滅多なことでは起こらない安全な場所。

 特に名無し達は、魔物の襲来を怯える必要も無いこの場所に、必要以上の愛着を覚えていても不思議では無かった。そしてそれが失われる事を畏れて、地下牢という形が失われてしまう前に自分の居場所を確保しようとしたのかも知れない。


 結果、選んだ選択肢は本末転倒甚だしかったが、その心の働きは分かる。


 だからアナスタシアは彼を否定せず、静かに微笑みを浮かべた。


「大丈夫、ですよ」


 混乱する彼の頬に触れて。頭を撫でて、そしてゆっくりと抱きしめた。呪われたところで触れぬよう気遣って、しかしその内囚人の方が呪いも厭わずに彼女の身体を抱きしめた。


「私が、貴方たちを、導きます。良き方へと、共に向かいましょう」


 その宣言に、囚人達は自然と両手を合わせはじめた。彼らが囚人であろうとも、名無しであろうとも、生きていく上で根本的に染みついた習慣が、自然と彼らに祈りを捧げさせた。目の前の聖女に救いを求め、平伏したのだ。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 かくして、一つの暴動は鎮圧された。


 それも、いままでのようにダヴィネや【焦烏】らが力で押しつぶす形で無理矢理解散させたわけではない。言葉によって、自分たちの意思でその場を離れたのだ。

 押さえ込もうとすれば反発が起こる。より強く、より激しくなる。押さえつけず、中から解きほぐした事実は大きい。容易くも無い。その難行をアナスタシアは一人でやってのけた。彼女は地下牢の廊下をゆっくりと歩く。彼女の側には同じ場所で働くペリィが彼女を支えていた。


 アナスタシアの顔色は囚人達の前に立っていたときと比べて少し青い。汗もかいている。


「あんま無茶すんなよぉ」


 ペリィは彼女の身体を支えながら言う。半年ほどの付き合いで、彼女の身体は無茶ができないことは知っている。体力も少ない。あんな風に一人、大立ち回りを演じれば、あっという間に疲れ果てることはわかっていた。

 しかし彼女はあの場で一人立つ事を決めていた。


「誰かに、支えられていては、格好が、つかないですから」


 アナスタシアは人の上に立つ時の在り方を理解していた。彼女は10年以上前、聖女として神殿に君臨していた。それは周りの者達に崇め奉られた結果のお飾りの聖女であったが、それでもその時の経験と知識は彼女の中に未だ存在していた。

 ヒトの上に立って、ヒトの心を魅了し、従える技術が彼女にはあるのだ。恐らくこの地下牢において、もっとも支配者としての能力をもっているのは彼女だった。


「グラージャ、さん。フライタン、さん。これで、いいですか?」


 地下牢の隅、誰も立ち入らない空き部屋を覗くと、そこに【魔女釜】のリーダーであるグラージャと、【探鉱隊】のリーダーであるフライタンが並んでアナスタシアを出迎えた。


「ああ、よくやってくれたね。聖女様」

「……助かった」 


 【魔女釜】と【探鉱隊】、二つの対立した組織のリーダーはアナスタシアに礼を告げた。


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