少年が寝ている間に何が起きたかⅡ 彼女の決意
――分かっていたつもりだったが、ダヴィネはリーダー気質じゃないな
そうだろうな。とウルのぼやきを聞いたとき、アナスタシアは思った。
アナスタシアも地下牢に暮らし始めてから長い。おおよそ、ダヴィネという男を理解していた。天才でありながら臆病者。アンバランスで、その弱さを激昂で誤魔化そうとする。彼はそう言う男だ。
鍛冶師としての能力と指導力は別物
【黒炎】に汚染されていない浄化水、【魔女釜】で扱う大釜を含めた魔道具の数々、【探鉱隊】の発掘道具、【焦烏】の魔術師達が扱う影魔術の補助具や、勿論【黒炎払い】の竜殺しも、何もかも全てダヴィネの作品だった。
彼が鎚を振るい始める前は、この地下牢の生活はもっと酷かったらしい。不潔で病人が多く、黒炎の呪いも蔓延し、それらを呪いを恐れるが故に看守達は近付くこともせずに放置し続けた。
現在の、歪ながらも真っ当な生活を営むに至ったのは間違いなくダヴィネの力あってのものだ。だからこそ彼は救世主で、英雄で、王さまだ。
しかし今はそれに陰りが生まれている。一芸で全てを賄うにも限度がある。
アナスタシアはダヴィネに不満はない。
呪われて、失意に沈んだアナスタシアに対してダヴィネは優遇はしなかったが、冷遇もしなかった。恐らく扱いかねたのだろう。適当な雑務を与えて放置された。だがその扱いは彼女にとってありがたかった。呪いによってゆっくりと弱っていく日々は、彼女にとって穏やかな時間でもあった。
もしも呪われた後も、聖女として扱われていたら彼女は完全に砕けてしまっていただろう。傷が深くならずに済んだのは彼のお陰だ。
だから、彼に不満は無い。だけどダヴィネの支配が機能しなくなって、地下牢が混乱をきたすのは困る。ウルの戦いに差し障りが出てくるのは避けたかった。
「――――――」
医務室にて、ウルは眠っている。
八層の攻略は完了した。しかしウルは無事、帰ってきたとは言い難い。番兵との戦いで、無茶をしたらしい。黒炎に呪われている様子はないが、そうなってもおかしくはなかった危険な戦いだったらしい。
もしも、彼が呪われて、鬼になってしまったら。
そう考えると、アナスタシアは心臓が凍り付くような気分になった。
目立った怪我はない。目を覚ますだろうと言われても、とても喜ぶ気にはならなかった。
灰都ラースは見つかったという話もアナスタシアは聞いている。もしかしたら、"刑務”は終わるかもしれないという噂が地下牢を駆け巡って、浮かれている。しかしアナスタシアはその噂に対して否定的だ。
彼女もまた、ボルドーと共に10年前の黒炎砂漠の攻略に挑み、破れた当事者だ。
故に知っている。決して、黒炎砂漠は温くは無いのだということを。だから、ウルが目を覚ました時には全てが解決している。そんな楽観視は彼女は出来ない。つまり彼はまた死地に赴くのだ。
死ぬよりも恐ろしいことになるかもしれない場所に彼が赴くのを、ただ、黙って見送るのはもう耐えられなかった。それに、
「……時間も、あまり、ないから」
ウルの頭を撫でた自分の右手をそっとみる。【黒睡帯】をゆっくりと外すと、呪いにまみれた右手が姿を現した。黒ずんだ皮膚は、以前のようにじくじくとした痛みを伴わない。しかし代わりに、乾いて、炭のように固まっている。
傷ついた皮膚が癒えて古い皮膚が固まった、というものでもない。強く動かせば、そのまま指先が砕け散るのをがアナスタシアには容易に想像できた。
ウルが与えてくれた“お茶”を口にしてから、身体は楽になった。驚くほどに身体は軽くなった。悪夢も見なくなった。しかしそれは、自分の身体を蝕んだ呪いの炎が弱まっただけで、呪いによって今日まで蝕まれ続けズタズタに引き裂かれた身体までを癒やしてくれるわけでは無かった。
アナスタシアは呪いに致命的なまでに蝕まれた末期患者だった。その身体が魔法のように癒えるような奇跡は起こらない。
だから、
「貴方のため、私も、出来ることを、しますね?」
眠るウルの手に触れて、頬にあてる。その温もりに感謝する。
アナスタシアは自身の残る命をウルのために費やすことに決めていた。残る時間が少ないのなら、最期はこんな自分に救いを与えてくれた彼のために使う。
ずっと、誰かの為に使わされてきた。
だから最期は、自分の意思で、自分のやりたいことをする。
そしてその為の力を彼女は持っている。
「【フォーチュン】」
小さく彼女は囁いた。途端、翠の輝きを放つ蛇が彼女の前に姿を現した。【運命の精霊・フォーチュン】の顕現であり、高位の神官の前にも滅多に姿を顕さず力も与えない精霊が、薄暗い地下牢に降臨した。
それはアナスタシアが未だ、運命の精霊の寵愛者であることを示している。
【運命眼】をなくそうと、その愛は揺らがなかった。
だから、それを今まで、使わなかったのは、アナスタシアの問題だ。
「――――――」
アナスタシアは、その姿を見た瞬間、硬直した。
十年前は、ずっと当然のように傍に居た精霊だった。そして、自分と、多くの者達を破滅へと導いた力だった。勿論、精霊に罪は無い。それを不用意に、考えもせず、悪意のある者達のいうままに使った自分に責任がある。
その罪と責任が、アナスタシアの心を痛めつけた。臓腑が冷たくなって、痙攣する。冷や汗が零れて、胃液がのぼってきて、弱った身体で力なくそれを吐き出した。彼女にとっての最大のトラウマだった。自分の間違いと向かいあうのはあまりにも苦痛だった。
ウルの事を手伝うと、そう言いながらも、この力に手を出せなかったのはその為だ。彼と、黒炎払いの彼らが命を賭けて戦っているのに、なんとも卑劣な話だった。
嗚呼、でも、それでも。
「――――愛されていると知りながら、貴方の力を避けて申し訳ありません」
震える声で、アナスタシアは向き直る。運命の精霊はアナスタシアの様子に戸惑うことはしない。静かに彼女の言葉を聞いていた。
《――――》
「貴方と向き合うのが、怖かった。それが、彼の、力になると、わかっていていても」
アナスタシアは深々と頭を下げる。翠の蛇は何も言わない。その瞳は本物の蛇と同じように無機質に見える。だが音も無く翠の蛇は呪いまみれの彼女の身体へと近付くと、そっと労るように触れた。
精霊はヒトとは違う。しかしその親愛や労りは伝わってくる。
「どうか、力を」
自身の罪を知り、聖眼をえぐってから今日まで一度も彼女は運命の力を使うことはしなかった。しかし1度たりとも、精霊への祈りを欠かしたことはなかった。
10年間捧げ続け、そして一度も使わなかった。寵愛者故か、当人の才能か、神殿という器を必要とせず彼女は祈りの魔力を蓄え続けることが出来た。
その全ての力を、今から使う。
《――――》
翠の蛇は輝き、丸くなる。小さく、丸く、形になる。翡翠の宝石にも見えるそれは、黒睡帯に隠された、盲いた瞳のある部分に触れた。アナスタシアが帯を外すと、損なわれた彼女の左目には翡翠色の瞳があった。
かつて、彼女の元から失われた運命の聖眼がそこにはあった。
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「ダヴィネさん!またケンカだ!!」
「ダヴィネさん。魔女釜の連中が付与魔術まだ出来ていないって…」
「ダヴィネさん!」
「うるせえ!!いちいち俺のとこに馬鹿騒ぎ連れてくるんじゃねえ!!」
中央工房にはトラブルが度々舞い込んでいた。
先日あった【魔女釜】と【探鉱隊】のトラブルとて、小規模に済んだ方だった。今や地下牢は連日連夜のトラブル地獄だった。
【黒炎払い】達の活躍で、囚人達の血の気が更に増しているのだ。
地下牢に送られ、黒炎の呪いに晒されると言う恐怖。それらの恐怖がこれまでの地下牢の囚人達を縛り続けていた。それは彼らの心に影を落とし、上手く作用していたのだ。彼らは怯え、竦み、不用意な他人との接触を避けた。見知らぬ相手に接触して、黒炎に呪われるのが怖かったのだ。
だが、その恐怖が薄れた。黒炎払いが砂漠の攻略を進めるごとに、彼らの中の恐怖は拭われていった。黒炎の呪いが曖昧で対処不可能な恐怖から、対処を誤らなければ向き合うことが可能な問題に意識が塗り変わっていた。
勿論、彼らに実力が身についたわけでも、知識が身についたわけでもないのだが、集団の熱気と慢心というものは、良くも悪くも際限が無かった。
彼らは活発化し続けた。そうなると、元々の地下牢に存在した問題が噴き出してくる。監視者の不在、男女も分けず、武具防具の類いを持ち込んだ無法地帯。単に呪われた者達だけを押し込める隔離するためだけの空間が、制御できなくなりつつあった。
そして、それらをコントロールするだけのスキルが、ダヴィネにはない。
「ああ、畜生畜生めんどうくせえ!なんで俺が!!」
ダヴィネが苛立ちながら頭を掻きむしる。
ダヴィネは困っていた。黒炎払い達の快進撃、それ自体は彼にとっても望ましい。彼らに提供している自分の武具類の強さの証明になっていたからだ。彼らが解放した新たなる地域から持ち込んでくる数百年前の遺物は面白いオモチャだった。創作意欲がグングンと増していく。だから彼らに文句は無い。
無いのだが、そうなると自分の能力が問われてくる。
地下牢の王として長く君臨してきたダヴィネだったが、支配者の方面で彼が有している能力は少ない。自身の天才性と物理的な恐怖による恫喝だけだ。細かな調整は【焦烏】のクウがやってきていたし、ダヴィネとしてはそもそも地下牢の政治なんて興味は無かった。彼は自分の鎚が思うままに振るえればそれで良かったのだから。王さまという立場はあくまで副産物に過ぎなかった。
しかし今はその自分の立場が、彼の自由を奪っている。ダヴィネは苦悩していた。
「最近はクゥの奴も働きやがらねえしクソがよぉ……」
悪態をつきながらも、ダヴィネは弱っていた。元々彼はあまり器用なタイプではない。次々と起こる変化に即時応対し、やり方を変えられるような男では無かった。
助けが欲しかった。それを考える度に彼の頭には兄であるフライタンの顔が浮かび、首を振ってそれを払った。
「どうせアイツだって俺のこたぁ見捨てたんだ!!今更だ!!」
自分に言い聞かせるようにわめいて、ダヴィネはテーブルに転がる酒を飲み干した。高いらしいがダヴィネには酒の味なんてよく分からない。高い酒を自由に飲める自分の立場に気分はいくらかよくなるが、今はまるで彼の気持ちを慰めてはくれなかった。
わかっている。助けがいる。それも【黒炎払い】のような武力集団ではなく、もっと的確にこの地下牢をまとめてくれるリーダーが必要なのだ。だがそんな都合の良い者は――
「ダヴィネ、さん」
「おわあ!?」
そんなとき不意に、囁くような小さく声をかけられ、ダヴィネは驚いた。
振り返ると、すぐ側に杖を突いて、黒睡帯を体中に巻き付けた女が、ダヴィネのいる中央工房を尋ねてきていた。
「な、なんだよ。てめえか。なんのようだ……」
【廃聖女アナスタシア】だ。
勿論ダヴィネは彼女のことを知っている。勘違いして此処にやって来て、勝手に潰れて廃人になったバカな女だ。適当に雑務を任せて放置していただけで、彼女に思うところは少なかった。
最近、あのウルと一緒に色々とやってるようだが、ダヴィネはそれほど興味はなかった。少なくとも物理的に暴れる能力のない彼女はダヴィネの障害にはならなかった。
「お……いや、ワシぁ忙しいんだよ!黒睡帯が足りないなら後にしろ!!」
「ダヴィネ、さん」
再びアナスタシアは囁く。不思議なことに、彼女の声は小さくて、途切れ途切れであるはずなのに、その声はどこまでも良く響いた。ダヴィネはその言葉を遮る事が出来なかった。
アナスタシアは美しかった。呪われ、衰え、ひび割れ、脆い。その儚い姿が、彼女が元々聖女だった頃とは別の、妖しさと、美しさを与えていた。
そして酒に赤らんで疲弊していたダヴィネの額を、彼女はそっと撫でる。
「私に、貴方の、手伝いを、させてください」
アナスタシアは慈愛の笑みを浮かべた。黒睡帯から零れた翡翠の瞳が彼の目を射貫いた。
その微笑む姿は地下牢の中であっても尚眩い、聖女そのものだった。
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