白銀と蒼剣と骨③



 およそ一月前


「黒剣騎士団とそれを利用する者達との黒い繋がりは長く問題視されていました」


 大罪都市プラウディア、天陽騎士団団長、天剣のユーリの執務室にシズクは居た。

 竜吞ウーガとそれにまつわる干渉問題の対処を一通り終えたシズクは、改めて今回のウル捕縛の案件の解決に動いた。無論、真っ先に彼女が尋ねたのは【勇者ディズ】だ。


 世界最高の戦力で第三位、天賢王との繋がりも深い彼女をまず頼らない理由が全く無かった。彼女は彼女で、此方への協力には前向きだった。

 

 ――黒剣と、それにまつわる連中に関しては私よりも、彼女を尋ねた方が良いかな。


 そして、彼女が顔を通してくれたのが天剣のユーリだった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 ディズの案内でやって来た邪霊の巫女と対峙したユーリが最初に思った感想は「地獄のように忙しいのに何を厄介な案件を連れてきてんだあの凡婦」だった


 彼女にとって、【歩ム者】のシズクは“胡散臭い女”だった。


 調査をしても、その輪郭が見えない女。疑わしく思えるが、その根拠を掴ませない、蜃気楼のような女。正直言って、許されるなら、理屈も何もかも捨て去ってとっとと首を刈り取った方が後腐れ無い気がしてならない。

 

 とはいえ、流石にそれはできない。自分は法を守るべき番人側だ。


 そして彼女にばかり気にかけてる場合ではない。七天としての仕事は山ほどある。

 

 だから部下に調査を任せ、彼女は彼女で忙しくしていた――――だというのに、何故その女をコッチに寄越すのか。過労死させる気かあの女。


「今、ユーリが対処してる案件、彼女なら、多分かなりの力になってくれるよ。ただし、気をつけてね」


 ディズはそう言って笑っていたが、自分の手が回らないから厄介ごとを押しつけただけじゃ無いだろうな、と、溜息をついた。


「お疲れですか?」


 来客用の椅子に座り、微笑み首を傾げるシズクに、しばしユーリは眼をつむり、1度ゆっくりと深呼吸した後、向き直った。


「貴方の所為でね……まあ、良いでしょう。黒剣の件でしたね」

「はい」

「では、まずは現状の問題を改めましょうか」


 ユーリは思考を切り替える。ここでぐだぐだとあの女への不満で頭を巡らせる方が、時間の無駄だ。


「各地の神殿、特に衛星都市の神殿から不明瞭な金銭の流れがあったという報告が何件かあります。疑惑と言うよりもほぼ間違いなく、黒剣騎士団は大連盟法の守護者でありながら、それに背いている」


 黒剣の黒い噂は後を絶たない。天賢王に連なる国を結びつける大連盟法こそが彼等の剣であり盾だが、その悪用を繰り返していると誰もが知っている。不都合な人材、政敵、あるいは不義の子等々を、大金を積まれればそれを行い始末を付ける。悪辣な姥捨て山と呼ぶ者もいる程だ。


「【歩ム者】のギルド長が捕まったのもその流れでしょう」

「で、あれば、黒剣を咎めることは出来ないのですか?」


 やってることは金を請け負って暗殺を行う闇ギルドと大差ない。一部でのみそれが行われていたとしても、大問題になるだろうと普通は思う。

 にもかかわらずそれが放置され続けている。その理由は何故か。


「書面上は騎士団の一種に過ぎません。故に、彼等を咎める法も道理も存在しています。“本来であれば”」

「本来」


 繰り返すと、ユーリは頷いた。


「現在【黒剣】の存在は不可侵となっている。彼等の是正をが多すぎるために」


 誰かが黒剣の不正を指摘しても、誰かが聞こえないフリをする。

 誰かが黒剣の査察に向かっても、現地員が見ぬフリをする。

 誰かが黒剣そのものの問題を議題に上げても、何一つ決まること無く会議は踊る。


「どのようなやり方であっても、誰かが邪魔をするのです。それは天陽騎士団の内からも発生します。あるいは私営ギルドから」

「それだけ、仄暗い繋がりがあるのですね」

「神殿全体の怠慢と腐敗です」


 ユーリは苦々しい表情で溜息をついた。

 勿論それは現在天陽騎士団のトップとして君臨するユーリの責任でもある。だがしかし蓄積された歴史としがらみを解きほぐすのは困難を極めるだろう。


「ですが、ユーリ様はその困難を成し遂げたいのですね?」

「……今日まではやむなく放置してきましたが、事情が変わりました。後顧の憂いの全ては今の間に全て断たねばなりません」

「では、協力できる、というわけですね」

「ええ――――無論、貴方が役に立つのであれば、ですが」


 ユーリはじろりとシズクを見つめた、

 

「ウーガにまつわる問題解決のため。貴方の意思は理解しました。が、役に立たないのなら意味はありません」


 彼女と面会する前、シズクの現在の能力も、【陽喰らい】での実績も把握している。眷属竜に対しても効果のある【対竜術式】とやらは確かに興味深い。を考えれば不可欠だろう。その点については彼女に協力してもらうのは良しとする。

 問題は、黒剣についてだ。彼女がどう役に立つのか不明だ。

 冒険者ギルドが彼女に銀級を与えた以上、戦闘能力はお墨付きだろう。だが、黒剣との戦いは恐らく、が必要になってくる。


 彼女にその方面の技能があるのか――――


「一点だけ確認しておきたいのです」


 すると、シズクはまるで此方の心を読んだかのように微笑みを浮かべ、問うてきた。


「……なんですか?」

「今の世界に蔓延る悪徳を払う……

「――――」


 ユーリは、ひやりとしたものを喉元に感じた。自然と、腰元に手が伸びる。騎士剣は今は腰元に無い。その事が、心許なくなるような得体の知れない気配が、目の前の少女から放たれている。



 シズクは改めて問いかけてくる。ユーリは自分にまとわりついていた悪い気を払う。戦に挑むときと同様に気を張り巡らせて、少女を睨んだ。


「そんなわけが無いでしょう」


 ユーリは白銀の少女の提案を切って捨てた。


「私は秩序の番人です。無秩序の抗争を許可するわけが無い」


 既存のルールから外れたやり方を全て否定するわけではない。

 イスラリア大陸に長い年月、幅を利かせていた悪党達とやりあうのだ。時には此方もルールの外の選択の必要性も出てくるのだろう。だが、何事にも限度という物がある。

 “何でもアリ”の果てに待っているのは、際限無い泥沼の抗争だ。秩序を取り戻そうという方針からはほど遠い結果が待っている。全くもって望むところでは無い。


 故に、ユーリはハッキリと断言した。


「――――良かった」


 その言葉を告げた瞬間、シズクは笑みを強くした。妖艶に、囁くように、鈴のような音で、楽しそうに笑い声をあげた。


安心致しました――――とっても」

 

 ――――ただし、気をつけてね。


 ディズがシズクをユーリに寄越したとき、彼女が言っていた言葉をユーリは思い出した。

あの時は、部外者を協力者として招くことに対する注意を促したのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。 


 だけどもう少し詳細に注意を促しておけあの凡才。


 言葉の足りていなかった同僚への怒りと、迂闊すぎた自分自身への怒りと、目の前の得体の知れぬ怪物に対する怒りで、ユーリは深く額に皺を寄せた。 




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 そして現在


「どうされました?蒼剣様」


 過去を振り返って、ユーリは改めて深々と溜息を吐き出した。


「……今、自分の判断を後悔しているところです」

「まあ。何か至らぬところが御座いましたか?」

「逆です」


 シズクとテーブルでお茶を飲みながら、ユーリは彼女を睨み付ける。


 胡散臭さの塊だとは思っていたし、今でもユーリはそう思っている。彼女が協力者となることを許可したのは、その正体を間近で見極めるためだというのもある――――あるのだが、しかしその判断が正しかったのか、疑わしくなってきた。


「貴方のお陰で、イスラリアに蔓延っていた暗部に光を照らす事ができました。それも一切気取られることも無く。過去ここまで調査が進んだことは無かったでしょう」


 彼女に与えたのは【音拾いの銀糸】だ。

 大罪迷宮プラウディアから獲得できた遺物の一種で、天陽騎士団が保管していて倉庫に眠らせていたものだ。魔力で紡がれる無尽蔵の糸を生み出す糸車の形をした代物で、それによって生み出された糸は“糸の先の音を拾う”という力を宿す。


 効果自体は実に慎ましいものであり、魔力の糸を紡ぐのも繊細な技術を必要とし、使おうとするとどうしても盗聴の類いの悪用に発想が向かってしまうため、誰も使い手がいなかった。

 それを彼女に与えた途端、こうなった。


「……ええ、全く」


 銀糸と、超聴覚、そして彼女が操る死霊兵の組み合わせは、極悪だった。

 どこまでも小さな小型の死霊兵に変化、分裂し、それらが銀糸を誘導し、各所に張り巡らせる。その先で悪党達の密談を、彼女は全て盗み聞き、情報を獲得する。銀糸が本来か細い、極めて少量の魔力で成立する遺物であったのも、秘匿性に一役買った。


 そして彼女自身の魔性が、その全てを凶化した。


 最早、彼女が情報を手中に出来ない場所は無い。


「それもこれもユーリ様のおかげです。ありがとうございます」


 謙遜するようにシズクは微笑む。バカ言うなと首を刎ねたくなった。


 そもそも【銀糸】はそれほど希少性の高い遺物ではない。現代の技術があれば再現可能だ。つまり彼女は、“ユーリが協力しなくとも、同様のことが出来るのだ”。

 その点を考えれば、手元で監視できるのは不幸中の幸いと言えるかも知れない。ディズがこの女を寄越しに来た理由もハッキリした。


 。そう言う事なのだ。


 この状況に、狼狽えて、手綱だけは決して手放してはならない。

 せめて、腐敗した悪党どもを一掃するまでは。始末するにしても、その後だ。


「黒剣と、各小神殿の証拠も幾つか掴みました。無論、そのまま使えるものではないですが、貴方のギルド長の処遇を動かすのに有利に出来るのでは?」

「いいえ、残念ですが、現状、事を大きく動かすのは難しいでしょう」


 彼女の本来の目的であるギルド長ウルの待遇改善から突いてみるが、シズクは酷く冷静に首を横に振った。


「この状況で、黒剣とそれに連なる方々とやりあっても、消耗戦となるでしょう。しかもそこまでやってもウル様が外に出られる保証がない。私が思った以上に、彼らの繋がりはイスラリアの深いところまである」

「でしょうね」


 もしも、根が浅いなら、もっと早い段階で、なんならユーリが天剣に就任するよりも早く解決できたはずだ。迷宮による大混乱と、その際に発生した幾つもの歪みと隙間に浸透した悪徳は、容易くは根絶することは出来ない。


「ウル様を助け出したいのは山々ですが、急いて、潰されては意味がありません。今はまだ、静かな戦いが必要でしょう――――ただ」


 そう言いながら、幾つかの書類、現在シズクが退治している悪党達の情報の紙を指先でつまみながら、彼女は囁いた。


「根深さは兎も角、彼らの横の繋がりは思ったよりも浅い。利用し合うだけの関係。ウル様を貶めた同盟も急造の不確かなもの」


 そのまま銀の糸の一つをピンと鳴らす。すると背後で未だにボードゲームを続けていたロックの目の前の駒がひとりでに動き出し、パタパタと倒れていく。ロックの悲鳴をBGMに、シズクは続けた。


「もしかしたら、ケンカしてしまうかも知れませんね」

「…………」


 連続で銀の糸が揺れる。その度に駒が揺れ、震えて、倒れていく。


「ケンカして、仲違いして、怪我をしてしまうかもしれません」


 シズクが語っているうちに、ロックの駒が次々と倒れていく。 


「傷から病を患って、伝染してしまうかもしれません」


 ぎゃあという情けのない死霊兵の悲鳴が聞こえ、彼は盤上に顔を伏せて沈んだ。


「表向き栄華と勝利を誇っていても、土台が腐っていくことは、あるかも知れません」


 片手間に使い魔とのゲームを済ませたシズクは、ユーリに微笑みかける。


「もしそうなったら、とても、悲しいですね?蒼剣様」


 ――――やっぱ今すぐ首を刎ねた方がいいかもしれないこの女。


 ユーリが真剣にその事を考え始めた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 その後、今後の打ち合わせを幾つか重ねて、その日はお開きになった。

 この場所はあくまで隠れ家で、あまり長いこと滞在しても居られない。下手に目を付けられても困るのだ。馬鹿馬鹿しくとも偽名を使っているのだって、万が一にでも悪党どもに情報が漏洩することを避けるためだった。


「では、私は天陽騎士団の宿舎に戻ります」

「ええ、私も片付けてから引き上げます。また次の会合で」


 シズクは頷き、虚空に向かって指を振ると、蜘蛛の糸のように張り巡らされていた銀の糸が解けて消えていく。残された資材も小型の死霊兵達が片付けていく。瞬く間に、住民の痕跡が皆無の空き部屋に戻っていった。

 本当にそつがない。それがどのような相手でも、その優れたる部分を認めてしまう自分の心働きを苦々しく思いながらも、ユーリは部屋を去ろうとした。


「ああ、ユーリ様」


 が、その前に声をかけられた。


「なんです?」

「実は一つ、懸案事項がありまして」


 シズクの表情は珍しく――――といっても、そこまで彼女と何度も顔を合わせたわけではないが――――僅かに焦燥した表情をしていた。困難な問題に対して解決の糸口を見いだせない、学者のような顔である。


「コレに関しては、私も対処のしようがありません。出来る限り迅速に動く他ない、というのは分かっているのですが……」

「なんなのです?」


 この女もこんな顔するのか。

 と、へんな関心を覚えながらも、尋ねる。現在、協力関係にある以上、彼女の問題は自分の問題でもある。この怪物のような少女が「懸案事項」と抜かすなら、尋常ではあるまいとユーリは少し身構えた。


「このペースで行くと、間に合わないかも知れません」

「間に合わない?だから何の話です?」


 要領を得ない説明に問い直すと、シズクは真剣な表情で頷いた。



 その言葉でようやく何が言いたいのかを理解できて「ああ」とユーリは相づちを打った。少し安堵を覚えた。

 彼女にしては珍しく、“至極真っ当な懸念”だったからだ。


「貴方の所のギルド長が、焦牢の生活に耐えられなくなると、そういう懸念ですか。確かにおっしゃることは理解できますが、あそこにも最低限秩序はあります。あの戦いを乗り越えるだけの能力があれば――――」

「いえ、そう言う事ではありません」


 話の腰を折られて、ユーリは眉をひそめた。


「なら何が問題だというのですか?」

「――――は?」


 素で声が出た。何を言ってるんだコイツという感情で一杯だった。


「勿論、焦牢の環境によっては、ウル様でも身動きできないということはあり得ますし、その場合ですと逆に何の問題も起こらないのですが」


 そんなユーリの反応を無視して、シズクは続ける。彼女と協力関係になって以来、最も真剣な表情で。まるで、最大の問題であるというように。


「ウル様がもしも順調に攻略を進めていた場合、それ自体は大変喜ばしいのですが、此方の準備が整うよりも遙かに速く事態が動き、敵味方双方が大きく混乱してしまう可能性が――――」

「待って、ちょっと待ちなさい」


 流石にユーリが待ったをかけた。


「どうされました?」


 シズクは不思議そうに首を傾げる。何故ユーリが戸惑っているのかわからない、といった表情である。ユーリはますます訝しんだ。


「…………貴方は尋常ではない速度で、イスラリアの暗部に光を当てています」

「はい」


 ユーリは確認する。シズクは頷いた。


「このペースで行けば2年……いえ、下手すると1年で、計画は実行に移されるでしょう」

「はい」


 ユーリは確認する。シズクは頷いた。


「貴方の所のギルド長は、私の目から見て、凡庸な少年でした。秀でた才は見当たらない」

「はい。正しい認識だと思います」


 ユーリは確認する。シズクは頷いた。


「……その上で、貴方が暗部を完全に掌握するよりも、貴方のギルド長が300年間誰一人として攻略できなかった禁忌区域、黒炎砂漠を攻略する方が速いかも、と?」


 ユーリは確認する。シズクは頷いた。


「ウル様は万能でも非凡でもありません。彼でもどうしようもないことはあるでしょう。黒炎に呪われて、死んでしまう可能性も否定はしません―――考えたくは、ありませんが」


 ほんの一瞬、シズクはどこか虚ろな、そして痛みに耐えるような表情を浮かべた。が、すぐに元の真剣な表情へと戻った。


「ただ、もしも、そうでないなら――――彼が彼のためにすべての環境を整えることが出来たならば」


 と、そう言って、彼女はユーリに目を合わせて、断言した。


「ウル様は、数百年成し得なかった憤怒の大罪の超克へと、足を踏み入れるでしょう」


 狂信者の目でもなく、仲間の贔屓目でもなく、ただただ現実に存在する問題を直視した者の目で、彼女は断言した。

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