白銀と蒼剣と骨



 天賢王の膝元にあるプラウディアには広大な土地が在る。


 故に、他の都市のように、限られた土地の多くの施設を圧縮する必要がない。利便性の観点から都市の形を取るが、他の都市と比べれば贅沢な土地の使われ方をしている箇所も珍しく無い。公園などの憩いの場や、娯楽施設などの潤沢さもプラウディア独自のモノだ。

 そして精霊信仰に関しても、他の都市国のように神殿一カ所に全ての精霊信仰をまとめて、収める必要は無い。バベルの塔が他都市における神殿の役割を担う一方で、それ以外でも様々な場所で、それぞれの精霊の性質に合わせて祈りを捧ぐ【小神殿】が幾つも存在しているのだ。


 故に、運命の精霊、フォーチュンの小神殿もプラウディアには存在している。


「我々の運命が良き方へと流れゆくことを祈りましょう。運命の使いへ祈りを」


 運命の小神殿は、その恩恵を授かろうとする都市民達で今日も賑わっていた。

 精霊信仰にも人気の格差はある。精霊の持つ性質は様々で、世界がつつがなく巡る為にはどれも欠かすことの出来ない力である、という建て前はあれど、やはりヒトというものは即物的な加護を与えてくれるモノに対して縋ろうとしてしまう。

 そしてその中でも【運命の精霊】の力は実に、都市民好みだ。 

 司るのは運命である。幸運を呼び寄せ、不運を退ける力。風火水土といった四元の力は実に偉大ではあるが、偉大すぎるが故に遠く、対して運不運は身近で、親しみやすくもあった。結果多くの参拝客が祈りを捧げ、その加護を得ようと縋るのだ。


 運命の精霊は極めて気難しく、例え神官であっても祈りを力と出来るモノは希であったとしても、自分では抗えない運命の嵐を前に、縋り付いてしがみつく為の大樹を求めるモノだ。それは自然の流れだった。


「………!!」

「………………慈悲を……どうか、慈悲を……」

「…………ひぃ……」


 しかし、ここで祈る信者達の様子は、異様だった。

 それは、高位の存在である精霊に対する畏敬とはまた違った。恐るべき為政者に対して、慈悲を乞うかのような必死さだ。何かに怯え、竦み、救いを求めるように祈り続ける。


 理由は存在する。


 彼らが必死になる理由は、「祈れば幸せになれる」という期待からではなく「祈らねば不幸になる」という恐怖からだ。

 そしてその恐怖は迷信では無く、現実だ。

 この神殿で祈りを辞めたモノには、不幸がふり落ちる。

 衛星都市セインから移設される形でこの神殿が建造された当初、【運命】という目に見えない力を疑わしく思い、それを公言していたものが少なからずいた。しかし彼らの多くは、狙い澄ましたかのような不幸が幾つも重なり、失脚した。


 運命の精霊の力を悪用したのだ。という指摘もあったが、運不運は目に見えない。結局は疑惑の範疇に留まった。


 敵対したものは不幸になる。


 この禍々しくも陰湿な盾が、追及の手を否応なく緩めるのだ。どれだけ高潔な人物であっても、自分や、自分の家族が不幸になるのは耐えがたい。


 そして今宵もまた、悪徳の華は咲く。


「どうかお願い致します。ドローナ様。運命の加護をお与えください」


 運命の神官ドローナ・グラン・レイクメアは目の前で深々と頭を垂れる都市民へと笑みを浮かべる。

 そこは運命の神殿の中でも通常の来訪客が足を踏み入れることのない来賓の間だった。小規模とはいえ神殿の内部でありながら、やや薄暗い密室だ。窓も無く、扉も一つ。基本的に窓のない密室は太陽神ゼウラディアの目から隠れようとする事から望ましくない造りと言われれているが、そんな部屋が何故か運命の神殿に存在していた。

 そしてそんな部屋で、都市民が神官に頭を垂れるのだ。そこには拭いようのない悪徳の気配があった。しかしそれを咎めるモノはいない。


「あらあら、ガスタン殿。貴方は確か以前、我々を詐欺師呼ばわりしていたと思うのですが、一体どのような心変わりなのです?」

「どうかお許しください…!私が誤っておりました…!!」


 ガスタンと呼ばれた男は深々と平伏する。年はドローナと比べ少し上だろうか。ある小規模の商人ギルドとしてプラウディアでそれなりに成功を収めていた彼は、以前までは相応の自尊心を纏っていた。

 しかし今、ドローナの前で縮こまり、顔を伏す彼からはそのような気配は微塵も感じない。あるのは恐怖心だ。


「これ以上はもう、耐える事も叶いません……!どうかお許しを……!」


 ガスタンのギルド、彼の人生と共にあった彼にとっての宝であるソレが今、破産の危機に遭った。何故そうなったかと言えば、それは”様々な不幸に見舞われたから”だ。

 運送していた商品の事故、扱っていた商品の突然の暴落、店員の身内の不幸。そしてそれらに付随して起こった「運命の精霊に嫌われた」というレッテル。

 抗いようが無かった。彼が築いてきたモノは全て、砂の城だったとでもいうように、彼の築いた全てが、大きな運命に吹き飛ばされようとしていたのだ。


「あら、まるで私達の所為と言わんばかりではないですか。失礼なことですね」


 そう言いながらも、ドローナは目の前で頭を垂れる男の哀れな姿への嘲笑を隠しきれてはいなかった。濃い化粧でも隠しきれない頬の皺が歪に歪んだ。


「まあ、とはいえ、貴方に並ならぬ不幸が降りかかったというのなら、その不運から身を守るための術は勿論、私達には御座いますとも?何せ運命の聖堂ですからね。此処は」

「おお、それでは!」

「ただし、特別な恩恵には、特別な対価が必要となりますがね?」


 その言葉を聞いて、ガスタンは表情を崩す。悲痛な表情の中に、苦々しい怒りが染みだしていた。強く顔を伏せて、ドローナの前に晒さないように懸命になるが、その姿すらも滑稽だというように彼女は笑みを強くした。


「……これを」


 そう言って彼は綺麗な布袋で包まれたものを懐からだし、差し出す。彼女がそれを受け取り、中を見ると、そこには幾つもの金貨が詰め込まれていた。決して少ない量ではない。それを見てドローナは一瞬、露骨に瞳を欲に輝かせた後、それを自身の手元へとやり、いかにも尊大な態度で手を上げた。


「素晴らしい。貴方の不運もこれで、晴らされることでしょう」

「……ありがとうございます。ドローナ様」

「最初からこのようにしておけば、要らぬ不幸も起こらなかったやも知れませんが……ええ、ええ、貴方が賢明であったことが、何よりの幸いでしたね」


 彼女はそう言って笑う。ガスタンの右手は一瞬強く握られたが、次の瞬間には解かれた。それを屈服の証と見て、ドローナはその嘲笑をより深くした。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「言われたとおり、金は向こうの要求通り渡してきたぞ。これでいいんだな?」


 運命の小神殿。そこから幾らかの距離が離れた裏通り。先程まで運命の小神殿でドローナに平伏していたガスタンは溜息をつきながらそう言った。

 怯え、竦み、そして怒りを堪えて平伏していた彼であったが、今現在の彼の表情に先程まで彼が浮かべていた恐れと怒りは存在していなかった。やや疲弊しながらも、そこには余裕と警戒心があった。


「例の……その、も確かに入れた。見られても、ゴミとしかおもわんだろうさ。仕事はこなした……だが」


 そういって彼は前を見る。一見して都市民の一般人と変わらぬ衣服を身に纏った少女がそこにはいた。しかしその容姿は異様に整っており、後ろで束ねられた銀髪は風に揺れきらめいて見えた。

 その美しい少女に、ガスタンはやや視線を奪われるようにしながら、今度こそ心の底から、縋るような声で尋ねた。


「だが、本当になんとかしてくれるっていうのか?さんよ」


 銀色の少女は微笑みを返す。


「ええ、勿論。貴方の努力、決して無駄にはしません」

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