地獄の底にあって尚、君は眩いと狂信者は笑った
「なんだあ!?!!」
「どうなった!!!あのガキ死んだのか!?」
「…………!!」
周囲の包囲網を維持していた黒炎払い達も混乱していた。周囲から出現していた黒炎鬼達の対処をようやく終えた最中の砂の大爆発だ。恐慌状態に陥り、誰も動けなくなっていた。
「周囲に沸いた黒炎鬼は始末している!全員落ち着け!!」
そんな中、ボルドーだけが冷静に指示を出していた。魔術師達に命令を出し、砂塵を払う為の風の魔術を発動させた。砂塵が徐々に晴れ、視界がひらけ始める。そして、
「……壁が」
彼らは見た。
黒炎人形が背にしていた黒炎の壁、ラース全土を区切っていた境界線が消えていくのが見えた。壁が消えた先に、新たなる砂漠の迷宮が現れる。
その先の奥地には再び、あの黒い炎の壁があるのだろう。此処はまだ、ゴールでも何でも無い。少なくとも、此処へと自分たちを導いたウルにとってはそうだった。
しかし、他の【黒炎払い】にとってはそうではなかった。
「……まじか」
誰かがポツリと呟いた。信じられない、というように。
少しずつ、声を上げるものが出てきている。戸惑いの声の方が多かった。目の前の勝利に喜ぶには、10年の年月は長すぎた。
「――――うっべえ……砂で溺れ死ぬかと思った……」
だが、そんな彼らをここまで連れてきたウルが、砂埃の中からピンピンとした姿で這い出た瞬間、彼らの反応は大きく変わった。
「ガキだ!」
「ウルだ……!」
「生きてるぞ!!」
驚き、どよめき、しかし全員がウルに視線を集中させていた。
今日ここに来た者の大半が”番兵討伐作戦”には半信半疑で、ボルドーの号令があってようやく重い腰を上げた者が殆どだ。中には囮を引き受けるという新人の悲惨な死に様を見に来た悪趣味な者も居た。だがそう言った悪感情は吹っ飛んでいた。
ボルドーはそんな部下達の反応を見て、そのままウルへと視線を移した。
「――――」
ウルと目が合った。目と目が交差したからといって、もちろん、視線だけで会話できるほど通じ合っているわけでは無かった。だが、事この場においてはボルドーがウルに何を求めているのか伝わったらしい。
ウルは一瞬、苦々しい表情を浮かべながらも、それを隠す。そのまま【竜殺し】に射貫かれ、黒炎を失った人形の死骸の上に飛び乗ると、白く美しい【竜牙槍】を空へと掲げ、そして叫んだ。
「勝ったぞ!!!!」
ウルの声は強く、そして大きく響き渡った。
耳にした者は脳が震えるような感覚を味わった。10年前の遠征の時も勝利はあった。だが、それは自身の境遇を呪い、恨めしさと不協和が目と耳を塞いだ。そしてその果ての敗北は彼等に深いトラウマを植え付けた。
それが、砕かれた。
そして彼は、その槍を前へと向ける。
「このまま行くぞ!!俺たちは!!!」
穂先にあるのは先程まであった黒炎の向こう側。新たなる迷宮と、そしてその先に鎮座して居るであろう番兵達。だがウルが示すのはそれよりも更に先だろう。
黒い炎の奥地にある、旧大罪都市。
「【灰都ラース】を解放する!!!」
【黒炎払い】達から歓声が巻き起こった。
どれだけ本人が否定しようとも、紛れもない英雄の誕生を、歓声で迎えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その日の夕刻 地下牢 ウルの自室にて。
「………」
アナスタシアは一人、じっと座り身体を壁に預けていた。
眠気はまだない。以前まではこの時間になると抗いがたい眠気が襲い、目を瞑れば即座に意識を落とし、悪夢に苛まれるのを繰り返していた。今はその眠気も少ない。
やはり、ウルの“お茶”を飲んでから身体の調子は良い。眠りを苦痛に感じる事が少なくなるだけでも、身体にかかる負担は大きく減っていた。
だが、それでも今の彼女の表情は晴れない。不安げに、所在なく両の手を合わせて静かに祈っていた。そして、
「戻った。疲れた」
「…………! おかえり、なさい。ウルくん」
ウルが戻ってきて、彼女は立ち上がった。そして少し恥ずかしくなった。あまりにも露骨に不安と安堵が顔に出てしまっていたからだ。しかしそれでも、大げさで無いような地獄へと彼は向かったのだ。
「心配かけた」
ウルはグッタリ言って、そのまま自分のベッドに倒れ込んだ。
「怪我は、呪われたりは?」
「今のところ無事だ。まあ今後どうなるかは分からないが……」
「……」
「気をつけるから死にそうな顔はやめてくれ。悪かったから」
ウルは謝った。アナスタシアはようやく安堵して溜息をついた。
「それで、どうなり、ました?」
「誰も死んでないし呪われてもいない。勝ったよ」
「…………!」
極めて端的なウルの言葉に、アナスタシアは息を飲んだ。10年前の大敗で【黒炎払い】達は大きな傷を心身に負っていたが、しかしそれはアナスタシアも同じだった。
そのトラウマが倒された。此処に来てまだ間もないウルの主導によって。
アナスタシアは今、自分がどんな表情で居るのか全く分からなかった。怒りや悲しみ、憎悪、疑問、あらゆる負の感情が内側で渦巻いて臓腑を突いているのを感じている。
もう燃え尽きたと想っていた自分の心の奥底から溢れてくる感情が、アナスタシア自身をかき乱した。だが、それでも、一言真っ先に浮かんだ言葉があった。
「……良かった」
ウルが無事で良かった。
黒炎払いの皆が無事で良かった。
あの恐ろしい番兵を討ち、あそこで散った皆の無念が晴らせて良かった。
心からそう思えた。
「ウル、くん。ありがとう、ございます」
「アンタの為にやったわけじゃ無い。感謝なんてしなくて良い」
「それでも」
アナスタシアは、ウルの手を強く握り、そして深々と頭を下げた。
「愚かな、私が、巻き込んだヒト達を、導いてくれて、ありがとう」
優しいウルは、アナスタシアがこんなふうにする事を嫌がるだろう。ソレは分かっていても言わずにはいられない。此処に来てから10年間、大敗を喫してからの10年間、アナスタシアの心に深々と突き刺さって苛み続けていた棘の一つが、抜かれた気がしたのだ。
それでも深く傷跡は残り続ける。癒えることも無いだろう。それでも、感謝せずには居られなかった。
「……一応言っておくが」
すると暫く、恐らくアナスタシアの気が済むまで、沈黙を続けていたウルがゆっくりと口を開いた。アナスタシアの両肩に触れ、身体を起こし、【黒睡帯】の下で醜く潰れた目を見通すようにしながら、ウルは優しく語りかけた。
「【黒炎払い】でお前を悪く言う奴はいなかったぞ。気にしてる奴は多かったがな」
「それは――」
「それとなく尋ねたが、お前一人に責任全部被せるような奴はいなかった」
アナスタシアは返事をしようとして、何か反論をしようとして、息が詰まった。
彼女のことを悪く言うヒトがいないのはそうだろう。
だって遠征時、滅茶苦茶な自分の命令に反感を持った者は皆死んだのだ。真っ黒な運命に向かうことを止められなかった。生き残ったのは、彼女の言うことがどれだけおかしくても従順に従ってくれたヒト達だけなのだ。
だから、自分のことを悪く言う者がいないのは当たり前だ。自分のことを呪った者達は、黒い炎に飲まれて、鬼となって、今もアナスタシアの心を苛んでいる。
だけど、それでも、ウルの言葉はアナスタシアの心に触れた。今の言葉が、僅かでも自分の心を癒やそうとしてくれたものだとわかったから。
「ウルくんは、私が欲しい言葉を、くれるのですね」
アナスタシアは小さく呟いて、微笑んだ。ウルは首を横に振った。
「そんなつもりは無いが」
「じゃあ、天然の、タラシ、ですね」
「タラシ止めろそれは流石に不本意だ」
やたら必死なウルの反応が面白くて、アナスタシアは笑った。久しぶりに声を出して笑った。地下牢に来て、呪われて、こんな風に暖かな気持ちで笑うことになるとは思わなかった。潰れた瞳からぽろぽろと涙が流れて、黒睡帯を濡らした。
「ごめん、なさい。ふふ、面白い」
「俺は面白くない。アイツだけで十分だわそっちの系の渾名」
「アイツ。ウルくんが、何時も言ってる、外の、仲間ですか?」
「……今も仲間やってくれてるかわからんがな」
ウルは溜息をついて天井を仰ぎ見る。
「無茶苦茶やってねえだろうなあ。シズク……」
彼の呟きは夜の地下牢の中で消えていった。
その頃
シズクは――――
「許してくれ……許してくれ!!!許してくれ!!!シズク!!!」
「まあ、フロウト様、いけませんよ。そんな風に泣いてしまっては」
「違う!!私はあやつらに脅されたんだ!!本当はやりたくなかったんだよ!!」
「嗚呼、嗚呼、勿論分かっておりますよ?」
「シズク………!!!」
「辛かったのでしょう。第二位としての重責、都市民派の中央工房との調整にずっと胃を痛めておられたのでしょう?」
「うう……!!!」
「だというのに、皆、誰も貴方の苦労を理解しない――――でも、私は分かります」
「君だけだ……!!許してくれ……!!私は!貴方に、償わなければ……!!」
「嬉しいです。フロウト様。どうか私たちを、お助け下さいまし」
無茶苦茶していた。
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