螺旋図書館の天魔と鏡②


 螺旋図書館は所持する官位によって入室に制限が掛かる。書籍の保全のため、あるいは貯蔵されている書籍”から”利用者を守るために作られた基本的な規則。


 その最も根本のルールを、一切守らない男がいた。


 【七天】の【天魔】 グレーレ・グレイン。

 神殿から嫌われ、官位を持たないはずの彼は、我が物顔で【螺旋図書館】を自由に闊歩していた。彼を嫌う神官の何人かがその旨について抗議するが、彼は知らん顔だ。そもそも入場制限がかかるエリアの入り口には、官位持ち以外は立ち入れぬ用、魔術による審査がかけられている筈なのに、彼にはまったくの無意味だった。


 ――此処のシステムを更新してるのは俺なのだから、通じるわけがないだろう?


 ごもっともな話だった。

 だが、【天賢王】の懐刀たる【七天】と言えど、【七天】であるからこそ、その彼が率先して【天賢王】の定めた規則を破るのはいただけない。

 しかしどんな神官が注意しても、果ては同じ【七天】の【天剣】が警告しても、彼は全く無視して螺旋図書館に入り浸る。結果、一度この螺旋図書館の内部で【七天】の二人が激突する危うすぎる一件も起こり、【天賢王】は対策のため結論を下した。


 ――【天魔】を螺旋図書館の管理者とする。


 利用するのは兎も角、管理するのは面倒だ。

 という、グレーレの意向を無視して、天賢王はそれを決定した。管理者であれば、その役目を十全に果たすため、【螺旋図書館】の全域に立ち入る許可を与える大義名分が立つからだ。

 膨大な書籍を管理する仕事に手を抜くことも出来ず、嫌々部下達に的確な指示を出すグレーレに【天剣】も溜飲を下げ、【螺旋図書館】には平和が訪れた。


 が、それを知らなかったエシェルとカルカラにはそれは吉報ではなく凶報だ。


「俺の城にようこそ!最も、押しつけられた城だがね。世話が面倒ったら無い!」


 グレーレはニタニタと笑う。

 一見して陽気そうにも見えるこの男に、何故薄気味の悪さを覚えるのか、エシェルには分からなかった。だが、彼の目線に晒されるのが耐えがたく、思わず身体を縮こめてカルカラの後ろに隠れてしまった。

 代わりにカルカラがエシェルを庇うように前に出た。


「邪教徒の元僕と、邪霊の愛し子。奇遇だなあ、お茶でもどうだ?」

「お目にかかれて光栄です。【天魔のグレーレ】。ですが、会って早々無礼ですね」

「ん?外れたか?そこのエクスタインの話を聞いた推測だったんだがね。外れていたというのなら謝るよ、カハハ」


 これっぽちも悪びれた様子のない謝罪を受ける。無論言うまでも無く彼の指摘は見事的中している。エクスタイン相手には一切その情報は明かしていないはずなのだが、その推測を当てたのはエクスタインの功績か、はたまた話だけで的中させたグレーレの恐ろしさか、判断できなかった。

 どうあれ、長く話しをするのは危険だ。カルカラもそう判断したのだろう。エシェルの手を取り、彼女は一礼した。


「要件がないのであればコレで失礼致します」

「おいおい、随分と敵対的じゃ無いか?」

「敵対的もなにも、立場上、貴方方は敵では?」


 色んな理由や立場があることを前提にしていも、ウーガに暮らすエシェル達と、ウーガを奪おうとするグレーレは普通に考えれば敵だ。エクスタインとウルは昔なじみと言う理由で親しくしているが、本来であれば楽しく会話する理由なんてのは一ミリも存在していない。

 ところが、グレーレはと言えば、その端正な顔立ちで、きょとんと、間抜けなツラを晒している。


「……まさかとは思うのですけど、ウーガの件、あまりピンと来てらっしゃらない?」

「ああ、今プラウディア近郊に来ているらしいな?それが?」


 本当にピンと来ていないらしい。エシェルは恐る恐る尋ねる。


「……あの、貴方の名代で、エンヴィー騎士団がウーガを接収しにきたのですが」

「ああ!そういえばそうだったな!スッカリ忘れていた!!」


 エシェルは思わずエクスタインを見た。

 彼は気まずそうな、あるいは申し訳なさそうな顔をしている。


「エンヴィー騎士団遊撃部隊は、独自の判断での接収作業が天魔から任されてる。どの魔術資産に価値と危険を見出すかは、内部の騎士達と、【エンヴィー中央工房】の連中が決めている」

「……要は、当の【天魔】の指示を仰がずに勝手にやってると…?」

「……そうなりますね」


 カルカラは度し難いものを見る目でエクスタインを見る。彼女の視線もごもっともと思っているのか、エクスタインも甘んじてその視線は受け止めていた。


「まあまあ、そう責め立てやらないで欲しい。仕方の無い奴らだと思うがね」

「呆れきっているだけですが?というか他人事のようにおっしゃってますが貴方が飼っている組織なのでは?」


 ウーガそのものの存亡を揺るがすほどに、ウーガをややこしくしてくれた組織のトップが全く関与していなかったという事実は衝撃が過ぎる。あれだけ自信満々にグレーレの名をこれでもかと誇示してきた遊撃部隊隊長のグローリアの気が知れない。


「エンヴィーの遊撃部隊は、俺の兵隊だったのは確かだがね。しかしまあ、アレだ」

「アレ?」

「指示をいちいちするのが面倒になってな!」


 コイツマジで言ってんのか、と、エシェルは思った。


「いやいや、真面目な話だぞコレは?俺も忙しい。日々、様々な研究に勤しんでいる。そして大陸中からその成果を求められている!天賢王の指示でもなければこんな場所の世話などやくものか!」


 仮にも天賢王のお膝元である世界一の大図書館を”こんな所”呼ばわり出来るのはこの男くらいだろう。彼はその調子で言葉を続ける。


「だというのに、ピンからキリまである魔術具を「やれこれは不要だ」だの「これは確保しろ」だの精査していちいち指示を出していられると思うか!?」

「……じゃあやらなきゃいいのに」

「そうもいかん。俺の叡智で解かれない術式など、あっては不憫だろう?」


 エシェルの思わず漏らした苦々しくもごもっともな感想に対して、グレーレはその滅茶苦茶な理論を当然のように言い切った。

 不遜な様子もなく、至極当然の事実であるような顔でそんなことを宣うお陰で、不本意ながらこの男がどういう人間性を有しているのか理解できた。

 自分の事以外何も考えてない


「だから研究成果を融通するという餌で、エンヴィー騎士団を動かしてるわけだ。熱心に働いてくれているぞ?50年前だったか、グローリアの阿呆が俺を出し抜こうとした時は少し手を焼いたが、調教してからは俺の優秀な手駒と成ったしな!」


 ――七天は【勇者】以外はかなり癖が強いの。


 と、リーネが時折宣うことがあったが、その言葉の意味するところが分かった。確かにこれは真っ当では無い。そして必要以上に関わるべきでも無い。


「……その、では、コレで失礼します」


 再び彼から逃れるようにエシェルが頭を下げて、踵を返そうとした。

 振り返った先に、何故かまたグレーレが居た。


「あの、まだ何か…?」


 別に向こうだってこっちに要件があるわけでも無いだろうに、何故此処まで絡んでくるのだろう。出来ればこれ以上話していたくもない。エシェルは多分、彼が苦手だ。得意なヒトが居るとも思えないが。


「なに。どうもウチの兵隊が迷惑をかけたらしいから、謝罪もかねて少し礼をしてやろうと思ってね。これでも礼儀は護れるタイプなのだよ?俺は」

「結構です。失礼します」


 カルカラが短く一礼して今度こそ、エシェルの手を引いてこの場から足早に逃げ出した。エシェルもカルカラの足に合わせて駆ける。早く彼から離れた方が良い――


「邪霊にまつわる禁書、欲しくは無いかね?」


 ピタリと、エシェルの足が止まった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 一見して、螺旋構造上にどこまでも続くシンプルな作りにみえる【螺旋図書館】だが、その実、様々な移動ルートが存在している。

 というよりも階段だけで移動するとなると深層の書籍を探す際、結構な山を下り、再び上るような運動量が必要になってしまう。当然そんなことやっていられない。

 ではどのように移動するか

 それこそが上層の【真なるバベル】でも利用されている空間魔術の一種であった。


「例えばだけど建物の1階と10階の入り口を繋げる、なんてことも出来るのが空間魔術さ。この【通路】はその間だ」

「……すまないが、何を言ってるのかよくわからない」

「うん、実は僕も分からない。完璧に理解できるのはグレーレ様くらいだよ」


 エクスタインの説明を受けながら、エシェルは顔を顰めた。

 今自分が居る場所、【真なるバベル】でもみた真っ白な通路だ。誰も居ないその通路を、グレーレ、エクスタイン、そしてエシェルとカルカラが歩いている。この場所が空間魔術における【通路】であるらしいのだが、聞いたところで何も分かることは無かった。


「……それで、これは何処に向かっているのですか」


 カルカラは周囲を警戒し、エシェルを守るようにして問いかける。

 邪霊の禁書という餌に釣られることを、カルカラは最後まで反対していたが、しかしやはりどうしても、知識として得られる機会は逃したくないというエシェルの要望に彼女は折れた。決して自身から離れないようにと言う約束の上で、今はグレーレの先導についていっている。

 彼女の問いに、グレーレは「あー…」と声を上げ、答えた。


「地下、73階だったかな?丁度ここら辺だ。」

「…………73?」


 エシェルは思わず聞き直した。先ほど、エシェル達が居た地下2階だった。この通路もそこまで歩いている訳ではない。そもそも下に下っていった感覚も無い。だのにいつの間にかそこまで降りてしまったらしい。

 空間魔術というものがどういうものか、その一端に触れたようだった。


「通常の場所には置けないものだ。”表”の螺旋階段からではどう足掻いてもたどり着けない場所にある……ふむ」


 と、グレーレが足を止める。


「エクスタイン、彼女らを保護するように」

「はっ……は?」


 エクスタインが問い直す間もなく、グレーレが地面を足で踏む。カツンと高い音が響くと共に、エシェル達の立つ場所に”穴が空いた”


「……んんん!?」


 エシェルが悲鳴をあげ、カルカラが彼女を庇うように動く。そしてエクスタインはその二人を抱えるようにして、3人は揃って落下した。そして間もなくして地面に着地した。というか墜落した。


「エシェル様!ご無事ですか!?」

「だ、大丈夫だ……エクスタインが死んでるけど」

「うぐぉぉ…………だ、大丈夫、だよ……!」


 グレーレの指示通り、エクスタインは二人を守り、下敷きになって死んでいた。彼は一応敵だが、感謝して合掌した。


「さて、ついたぞ諸君。此処がお前達の求める物の”在処”だ」


 エクスタインの甲斐甲斐しい献身をすっかり無視して、グレーレはエシェル達に笑いかける。いきなりの落下に対して文句の一つでも言うつもりだったエシェルは、しかし、次の瞬間その言葉を失った。


「……此処は……」


 螺旋図書館、禁書区画。

 窓も無い、薄暗い書庫。明かりとなるのは地面に天井に幾つか設置してるか細い魔灯の輝きのみ。陳列された棚には当たり前ではあるが、本が敷き詰められている。だが、背表紙になにも名称の刻まれていない無数の本達からは、多様な魔力が放たれている。

 魔本は、決して珍しいものでは無い。だが、此処で収納されている魔本の数々から放たれる魔力の質は、明らかにおかしい。魔術に詳しく無いエシェルにもそれは分かる。


 不吉だ。一つ一つが、災いを招き寄せるであろうと確信が持てるくらい、不吉だった。

 そんな代物が、所狭しと並べられるこの場所を図書館であるなどと誰も思わないだろう。

 此処は――――


「……迷宮?」

「ほう、正解だ、100点をやろう」


 エシェルの呟きに、グレーレは笑う。彼は両手を広げてこの空間を示した。


「あらゆる魔導書、あらゆる禁書を集め、忌み嫌い、蓋をするように一カ所に集めたこの禁書区画は、幾つもの魔力媒介を経て、迷宮化している!大罪迷宮における中層に匹敵するだろう!天賢王の足下でこんな暗黒空間が存在するなどと、皮肉じゃあないか!」


 彼がそう言う背後から、のそりと、動く影があった。エシェルが小さく悲鳴を上げる。

 小さな頭部、歪に長い二本の角、剥き出しの牙、細く長く不気味な6本の腕と翼。


『KIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!』


 【山羊角ノ悪獣】とも呼ばれる魔物が、警告を告げる間もなくグレーレに飛びかかり、


「精々死なないよう、付いてこい。言っておくが俺は自分に降りかかる火の粉を払うだけだから、自分の危機は自分で凌げよ?」

『GAA!!?』


 指一本、視線一つも動かさず、彼に触れる寸前で爆散した。血飛沫は周辺に飛び散ったが、不思議と陳列された書物には汚れ一つ付着せず、魔物達は霧散した。


「此処は神官の目も、天賢王の目も届かない。好きに使うと良い」


 彼は最後にそう言って、さっさと足を進めてしまった。当然、こんな所ではぐれてしまうわけにも行かず、追いかけないわけには行かない……の、だが


「……怪しいヒトに付いていくべきではないといったでしょう。エシェル様」

「ほんとゴメン……」

「……うんまあ、声をかけた僕も悪かったよ。あの人の性格わかってたのになあ…」


 さっさと楽しそうに行ってしまったグレーレの背中を見ながら、三人は非常に厄介な事態に巻き込まれたことを悟り、三者三様に後悔した。

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