螺旋図書館の天魔と鏡
プラウディアには、この世界で最も有名な大図書館がある。
場所は天賢王が住まう【真なるバベル】
ただしその位置は上階ではなく、下へと続く地下階だ。地下一階から延々と続くバベルの地下階層。その地下階層全てを利用してこの大陸のあらゆる本、魔道書、禁書類を一切余さず貯蔵する大図書館。
【螺旋図書館】と呼ばれる場所がそこにはあった。
無論、場所が場所である。制限はある。プラウディアの都市民でも立ち入れるのは地下1階のみ。無論それだけでも膨大な蔵書量ではあるものの、全体でみればほんの一部に過ぎなかった。
以降の階層は官位持ちの者に限られる。それでも官位の序列によってはこれまた制限が掛かる。バベルの最下層。一番深い場所まで入る許可が得られるのは、それこそ【天賢王】のみであろう。
故に、此処は知識の墓場と呼ばれることもある。
此処に収められたが最後、二度と人目に晒される事がなくなる事が多々あるからだ。とそう呼ぶ学者らは皮肉げに笑う。勿論、天賢王の膝元でおおっぴらにそう揶揄できる者はいないので、ひっそりと、だが。
閑話休題、さて、そんなとてつもない大図書館であるが、官位持ちであれば別の都市の者でもある程度の利用が許される。故に、
「……うーん」
第四位(レーネ)の官位を持つエシェルもまた、此処の利用が許されていた。
表向きにはされていないが件のウーガ動乱を引き起こしたとされるカーラーレイ一族の生き残り、立ち入りを咎められるかとも思ったが、そんなことは無かった。
元々の規則上、彼女が閲覧を許される範囲の制限は受けることとなったが、その点はどうこうと無茶を言えるわけも無く、エシェルは許される範囲の蔵書を手に取り、そして、
「…………………ううーん……」
困っていた。取り出した幾つもの蔵書の山に埋もれている。
「エシェル様。あまり根を詰めてもいけませんよ」
「うん……カルカラ」
共に調べてくれているカルカラに言われて顔を上げ、手を一度止める。
だが、手を止めたとて、彼女の悩みが解決されるわけではなく、表情は晴れない。彼女が調べているのは、自身の精霊、【鏡と簒奪の精霊・ミラルフィーネ】についてだ。
「もう少し、分かると思ったんだけどな……」
【鏡の精霊ミラルフィーネ】
彼女がカーラーレイ一族から迫害された最たる原因。恐るべき、太陽の光を盗み取る簒奪者。これに対する忌避感をエシェルは既に克服していた。そしてもし今後も、この力を利用する必要があった場合、使用を躊躇うつもりも無かった。
”これから待ち受ける試練を考えれば”幾ら準備してもしすぎることは無いだろう。
だが、心理的な問題を克服したエシェルの前に現れたのは、【邪霊】を扱う上で存在する現実的な問題だった。
「何処にも情報が載ってない……」
流石大陸一の大図書館と言うべきか、此処には精霊についての情報も沢山保管してあった。古今東西ありとあらゆる精霊、場合によっては本当に小さく小規模な現象を起こすような精霊の名前まで載ってる図鑑もある。
が、これがミラルフィーネ、邪霊の事となると途端に極端に情報が少なくなる。邪霊という言葉までは載っていたとしても、その詳細についてはサッパリだ。
当然といえば、当然である。邪霊は、ヒトに信仰され、敬われ、力を増幅させること自体が危険と判断されたから、邪霊となったのだ。知識により信仰が増えれば、その種類が恐怖の類いであっても強くなってしまう。
情報は規制される。
「……もっと高位の神官が入れる場所にあるのか?」
図書館の中心、【螺旋図書館】の中心にある永遠と底へ続く穴へと視線を向ける。無限に続く穴の底。現在彼女が居るのは地下2階だが、果たしてどこまで下に続いているのか、一目では全く分からなかった。
吸い込まれて、そのまま落ちてしまいそうな気がして、ぞっとしたのでエシェルは身を退いて溜息をついた。
「それはどうでしょうね」
「違うのか?」
カルカラの否定に、エシェルは不思議そうに顔を向ける。単純に考えれば、もっと深い所、高位の神官であれば立ち入れる場所になら、邪霊の事についても知識があるように思えた。自分の居る場所は都市民達の立ち入れる場所と殆ど大差が無いからだと。
「エシェル様。高位の神官ほど、祈りの力は強いのです。」
「……あー」
思い出したのは、エイスーラとの制御権の争奪戦。
シズクの言葉に惑わされ、【鏡の精霊ミラルフィーネ】への
神殿の中で鏡が取り外されていたように、精霊との親和性が強いのなら、尚のこと邪霊のことは伏せなければならないのだ。
「だからこそエシェル様はカーラーレイ一族から排斥されていたのです。ヘタをすれば、貴方に第一位(シンラ)の祈りの全てが集約してしまうから」
「……うん」
「……嫌なことを思い出させてしまい申し訳ありません。ですが、ご理解ください。基本”アレ”は、高位の神官こそ、遠ざけねばならないものです。」
「下にはないってことか……ならやっぱりここら辺に…?」
エシェルは周囲を見渡す。都市民達や下位の神官達が立ち入る場所。邪霊の特性を考えれば、保管に向くのはむしろここら辺だ。だがカルカラは首を横に振った。
「人目に触れるようには置いてもいないでしょう。おそらくは禁書の扱いです」
「んん……」
「そもそもどうして、”アレ”の事を知ろうと?」
カルカラの問いに対して、エシェルは少し悩ましそうな顔をした。
「今度の戦い、多分私はウーガを操ることになる。あまり直接は役に立てない……」
ウーガの運用管理能力の証明、実績作り。
その為に戦いに駆り出される事となった以上、ウーガもまた、今回の戦いでは活用することになる。必然的にエシェルは一つの要となる。で、あれば、彼女が司令塔の外に身体を晒すことはまず無いだろう。弱点を晒す理由は皆無だ。一番安全な場所で彼女はジットしていることになる。
「ですが、それは重要な役割です」
「うん。でも、出来ればウーガの操作以外でも出来ること増やしたくて……ウーガの操縦って、本当に出来ること少ないんだもんなあ」
制御術式を持っているからと言って、彼女がウーガに下せる指示の内容は本当に大雑把だ。アレを攻撃しろ。止まれ。動け。あちらに行け。これくらいだ。後は勝手にウーガが判断する。細かな調整はリーネだ。
リーネ曰く、超巨大なウーガの肉体を制御するにあたって、細かな操作は制御印の使用者への負荷が多くなるための対策と思われる、だとか。
だが、ジッと結果を待つだけ。正直じれったい。おそらくだがウル達は外に出て戦うのだから。
「でも、精霊の力を使えたら、もう少しマシなんじゃ無いかって思うんだ」
「確かに精霊の力なら、ウーガの中からでも出来ることがあるかもしれませんが」
「そうだろ?」
エシェルは自分の戦闘力の低さを自覚している。幾つもの修羅場を潜ったウル達、熟練にして一流の冒険者であるジャイン達、彼らと比べて明らかに自分の動きは鈍い。魔導銃は前よりは使えるようになったが、危機に対して身体が固まってしまうのだ。
そんな自分の唯一の武器がミラルフィーネだ。
通常の鍛錬や経験値とは全く別の所にある、異次元の力。ヒトの身では決して届くことが叶わない超常の奇跡。それならばおそらく、修羅場の最前線に首を突っ込もうとしている彼の力になれるはずだと彼女は確信していた。
その確信を肯定されて、エシェルは嬉しそうにする。しかしカルカラは首を横に振った。
「ですが、軽々と”アレ”の力を使うのは止めた方が良いかもしれません」
「な、なんでだ?大分制御できるようになったし、とても強力じゃないか」
攻撃を全て跳ね返す【反射】、術そのものを映し、発動させる【倍加】、そして映したものを奪い取る【簒奪】等々。魔術のように術を刻む必要もなく、魔術では再現不可能な力を手繰り、挙げ句の果てに、長年の研究の結晶であるリーネの【白王陣】すらもそのままに増やす事だって出来る。
この力は”凶悪”の一言に尽きる。操る事が出来れば間違いなく巨大な戦力になる。
「私は貴方が望む事を拒む事はもうしません。ですがその上で言います。”アレ”は、決して軽々と使ってはいけません」
「それは、やはり邪霊だからか…?」
問われる、カルカラはそっと周囲を見渡す。【螺旋図書館】にはヒトは居る。世界一の大図書館だ。利用者は多い。だが、彼女の周りに人気は無い。単純に図書館が広すぎて、ヒトがばらけてエシェル達に視線を向ける者などいなかった。
それでもカルカラは更に小さく声を抑え、語りかけた。
「……貴方は、制御術式を奪取したときのことを覚えていますか?」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
カルカラの質問に対して、エシェルは少し言葉に詰まったあと、首を横に振った。
「あまり……無我夢中過ぎて、何がどうなったか分からなかった。」
「あの時、”アレ”はその姿を顕現させていました。」
精霊の顕現。祈りの力が結集した際に起こる現象。
与えられた加護ではなく、精霊そのものが形になる現象。結果としてそれは四元の大精霊である【大地の精霊ウリガンディン】の抵抗をも打ち破る力となった。が、そもそも本来であれば”そんなことあり得ないのだ”。
「精霊の顕現は、神殿の中では頻繁に起こります。都市民と神官達、全ての祈りが結集する場所ですから。ですが、”アレ”が顕現したのは、神殿は疎か、都市の外です」
ヒトの気配など全くない、人類生存圏外でミラルフィーネは顕現した。それこそ、四元の精霊程の力を持っていなければ起こりえない奇跡を起こした。
そして、挙げ句の果て、大地の精霊から勝利を奪った。
「……でも、あの時は、エイスーラがシズクに唆されたから」
「エイスーラの意図せぬ助力は大きいでしょう。しかし……」
カルカラは、口を閉じる。
神官としての修行を収め、技術を磨いたカルカラであっても、邪霊については知らないことが多い。知られないように、あらゆる情報規制が神殿の中でも強いられる。で、なければわざわざエシェルがこうして調べるまでもなく、カルカラが彼女に教えている。
だから、推測を立てるしかない。ないのだが、正直なところを言うと”あまり良い予感がしない”。
「カルカラ?」
「……大丈夫です。エシェル様」
カルカラは強ばった肩を下ろす。自分を心配そうに見上げるエシェルの頭を撫でた。エシェルは少し驚いたようだったが、安心したように頬を緩めた。
「……アレは歪です。本来の機能から大きく逸脱している。故に慎重に、それを操る貴方自身を鍛えなければならない」
「私を……?」
「例え精霊の力であっても、易い道はありません」
邪霊が危険であれば、いや、危険だからこそ、尚のこと、既に寵愛者として力を授かったエシェルは自らを律する力を身につけなければならない。カーラーレイが彼女に強いた封じ込めは逆効果だ。既に彼女には力があるのだ。蓋をしようとその事実に変わりは無い。
手綱を握る術を、そしていざというときに封じるための術を知らなければならない。でなくば下手をすれば、あの歪んだ鏡に彼女は憑き殺される。カルカラはそれを確信していた。
エシェルはそんな彼女を察したのか、安心させるように微笑みかけた。
「……なら、私も他の従者達のようにカルカラの基礎訓練を受けた方が良いのか」
「容赦はしませんよ」
エシェルは頷く。
懸念事項は多い。だが、彼女自身の心はとてもしっかりとしてきたことをカルカラは実感した。その理由があの男であることは少し腹立たしいが、彼女の為、出来ることをするという方針にはなんの影響も無い。
彼女を、幸いな場所へと。
その為に出来ることをすると誓ったのだ。
「……あれ?エシェルさん達、こちらにいらっしゃったのですか?」
と、そこに、知った声が聞こえてきた。
少し動揺するエシェルの前にカルカラは立った。幸いにしていと言うべきか、邪霊に関する書物の一切は見つかっていない。この場に後ろめたいことは何も無い。
「奇遇ですね、エンヴィー遊撃部隊副長」
カルカラはエクスタインに対して挨拶を交わす。何故か彼は少し消耗した顔で会釈をする。エシェルもカルカラの背後で会釈した。
「少し調べ物をしていたのですが、そちらは何故此処に?」
自分の話を早々に切り上げ、カルカラはエクスタインに話題を振った。別に、彼の話に興味があるわけでは無かったが、単にエシェルに話を合わされるのは面倒だったからだ。
だが、その振りは失敗だったとすぐに知ることになる。
「カハハ、何、俺に対する報告義務だよ。お前達ほど興味をそそられるような情報は一つも無かったがね?」
その男は、彼の背後からぬるりと姿を現した。
種族特有の眉目秀麗な若々しい姿。だが浮かぶ表情は悪辣で老獪。相手に不快感を与えるようなニタニタとした笑み。何より彼自身が纏う得体の知れなさ。不安を抱かせる気配。
カルカラは彼と会ったことはないが、彼が誰なのかはすぐに理解した。
【七天】が一人【天魔のグレーレ】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます