真なるバベルと天賢王④
その後、ウル達はウーガに対する幾つかの情報をその場で説明を行った。
現場にいるエシェルとウル、シズクはそれぞれ、ウーガの詳細を説明する。繰り返し説明の練習をしていた為淀みなくそれは行われた。肝心の天賢王は、あまり興味の無いような反応だったが、【天祈】とは別に側に控える記録係が猛烈な速度でウル達の説明を書き込んでいたので、意味はあっただろう。
「語るべき全てを語ったのであれば、下がれ。次の者を呼ぶ」
天賢王の言葉に、ラクレツィアは確認するようにそっと視線を送ってきた。ウルは問題ない、と言うように頷いた。少なくともウーガ関連においては、聞くべき事の全ては語ったし、聞かされた筈だ。
しかし、まだ、今回の件とは別に、物申さなければならない者がいた。
「一つ、よろしいでしょうか」
シズクが声を発した。事前、彼女の嘆願を聞いていたウル達は驚かなかった。事前の打ち合わせで、ラクレツィアにも何とか飲んで貰っている。
ユーリは表情を変え、シズクを睨んだ。
「貴様」
「良い。申せ」
ユーリを制し、天賢王はシズクの言葉を促す。シズクは顔を上げた。
「【歩ム者】のシズクと言ったな。何用か」
「これより先は、今とは別の立場で話したく思います。」
「それは何か」
「【邪霊、冬の精霊ウィントール】の巫女、シズクとして話をさせてくださいまし」
邪霊、その言葉に少なからず場がざわめいた。周囲を守る天陽騎士達が武器を握り返す音が彼方此方から響く。ユーリの視線は更に鋭くなる。混沌のただ中において、シズクは酷く冷静だった。
そしてその彼女に相対する【天賢王】もまた、酷く冷静な反応を示した。
「【冬の精霊・ウィントール】。陽の恩寵が最も短くなる時期を指す概念の精霊。他の三つの季節と同じく神聖なものとされながらも、太陽神の巡りを短くする悪霊として唯一奉られし者」
淡々と語り、そして目の前の少女を見る。ジッと、彼女を見定める。
「だが、其方には
「はい。私にウィントール様の恩恵を授かる力はありません。元より、冬の精霊の巫女は全てが名無しで御座います。邪霊としての力を育まぬ為に」
「では何故に信奉し、ましてこの場で、邪霊に仕える非を明かしてまで進言しようとする」
護衛である天陽騎士の圧が強くなる。その全てがシズクへと向けられた。
邪霊という存在は、根本的に禁忌の扱いだ。邪悪なる存在と指を指すことも許されない。何故ならそれ自体が精霊を強くして、歪めるからだ。まして、それを信仰しているなどと、天賢王の前で口にすれば、その場で切って捨てられても文句は言えない。
馬車のなか、【天剣】が彼女に剣を突きつけ脅したのも、何も意地悪であった訳でもなんでもない。天賢王の前でそれを口にすれば、脅しでは済まなくなるからだ。
迫り来る圧と、明確な敵意に対して、しかしシズクは両の手を合わせ、まさに聖女然とした立ち姿で、真っ直ぐに答えた。
「この偉大なる世界の摂理そのものへの畏れと感謝があれば、損得は必要ありません」
その場の敵意がほんの僅かに薄れる。
彼女が美しかったからだとか、そんなことでは勿論ない。この場にいる天陽騎士達は、天賢王の直接の警護を任された選り抜きの騎士達であり、神官でもある。彼らが邪霊の巫女に俗物的な感情から慈悲を見せることなどあり得ない。
敵意が収まったのは、彼女の言葉が、”正しかった”からだ。
「【精霊の加護】は必要ないと」
「【精霊の加護】は理に触れにくい私達にとって最も分かりやすい精霊の力の一つ。ですがそれはあくまでも、一端に過ぎないと考えます。直接その力に触れ、賜る機会が無かったとて、理が消えるわけでも無い筈です」
「冬の精霊の信仰が封じられ、今のこの世界の季節に冬は殆ど存在しない。それでもか」
「数の大小。時期の長短が、偉大さを図る物差しにはならないかと」
実利の有無に関わらず、神も精霊も敬い尊重し、祈りを捧げ奉仕するべき対象である。
シズクが述べた言葉は、神と精霊に仕える者にとって真理であり、根幹でもある。そして同時に最も実行することが困難な在り方でもあった。
何せ、神官は恩恵を実際に授かってしまうのだ。
強い官位の者ほど、圧倒的な力を得てしまう。天地を揺るがすような精霊の加護を授かっておいて「与えられた恩恵は関係ない」などと語るのは些か白々しいだろう。
その点において、恩恵を授かれぬ立場であっても、精霊達への真摯な敬意を忘れないというシズクのその姿勢は、正しく、強い。その在り方がどれだけ険しいか理解するが故に、天陽騎士達の敵意は僅かであれ弱まった。
最も偉大なる王を守護する最高峰の騎士達は、故に彼女の在り方への理解が深かった。
「……それが正しいとしても、邪霊を崇めることが許されるわけでは無い。それに、口だけでは何とでも言えます」
【天剣】のユーリも例外ではない。しかしそれでも言葉を止めないのは天賢王への忠義故だろう。口先だけの高潔さも、あり得る話だった。彼女の語る言葉は神官の心得の中でも最も基本的な所だ。
神官が誰しもそうすると口にしている。真にそう在れるかは別だ。
「下がりなさい、【天剣】」
だが、そのユーリの指摘を【天祈】が諫める。ユーリは驚き、【天祈】を見つめた。
「スーア様、邪霊の巫女の進言を許すのですか?」
「【審判】【真偽】【公平】【罪罰】その全てが彼女を認めています。下がりなさい」
ユーリは目を見開き、しかし言われるまま下がった。天陽騎士達も同じく、その敵意を更に退ける。
そう、この時、この場においては、虚栄は通じない。この場には世界で最も偉大なる【天賢王】と、あらゆる精霊に通じその力を自在に授かる【天祈】がいる。その全ての力が天賢王に相対する者の真実を明らかとする、はずなのだ。
「【冬の精霊】の巫女よ。其方は何を望む。邪霊認定の解除か?」
天賢王が更に問うた。当然、それを願うだろうと誰しもが思ったが、しかしシズクはただ、首を横に振るう。
「偉大なる天賢王への望みなど恐れ多い。ただ、知っていただければ、と」
「それは何か」
「我ら、【冬の精霊】を信ずる者達は、尚も太陽神への忠節欠かすことは無いと言うことを。これからも、神と、精霊と、世界を紡ぐ僅かな助力となれるよう努めると」
シズクは強くハッキリと、美しい響く声音で告げた。
ヒトに仇なす邪霊の巫女という最も最初に告げられた悪印象をねじ伏せ、全員を沈黙させるだけの力がそこに込められていた。彼女に戸惑いの視線を投げる者はいても、侮蔑や不快といった感情を向けられる者は、この場にはいなかった。
聖女だ。誰かが彼女をそう呼んだ。
「どうか、知っていただきたいだけなのです」
「――――良いだろう」
天賢王は短く、ハッキリ頷いた。
邪霊の巫女である彼女の存在を認める。それは言葉の短さに反し、とても大きな衝撃となって場を揺るがした。
「寛容なるお心に感謝致します。天賢王よ」
シズクは一筋の涙を流し、微笑む。今度こそ、その場にいる全員は彼女の美しさそのものに息を飲んだ。陽光の差し込む謁見の間にて、天賢王の慈悲を賜る銀の聖女。
卓越した絵師の一枚絵とも見紛う、幻想的な光景がそこにはあった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【真なるバベル】正門前
「皆様。ありがとう御座いました。」
シズクは全員の前、深々と頭を下げた。元々、彼女の嘆願は予定に無いことだったため、あの一幕は言ってしまえば余計な負荷に他ならなかっただろう。それを承知してくれた全員にシズクは礼を言った。
「ラクレツィア様には特に無理を言いました。」
「何事も無く、貴方の目的が果たせたならば結構です」
「ええ。本当に感謝致します」
シズクはなんども感謝を述べる。流石にラクレツィアも照れくさそうだった。
「でもいいのか?その……認めて貰うってだけで」
すると今度はエシェルがシズクに尋ねた。
ラストでの騒動でエシェルがウル達をウーガまで引っ張っていった大義名分の一つにして、彼女自身の持つ【鏡の精霊】と同じ邪霊という存在。気になることは多いだろう。
問いに、シズクは首を横に振る。
「それ以上は望みません。望んだところで、通りはしないでしょうから」
「邪霊の関係は重いからね。エシェルも、まだあまり不用意に力は使っちゃダメだよ」
「わ、わかってる」
ディズの警告に、エシェルは何度も頷き、そして意を決するようにシズクの手を取る。シズクは少し驚いて、その後満面の笑みを浮かべた。
「シズク、頑張ろう」
「ええ、エシェル様、共に参りましょう」
二人は微笑み合い、そしてその二人を見て皆が笑う。先の天賢王との一幕とはまた違った、美しい光景がそこにはあった。
「…………」
その光景を、少し離れたところにいたウルが少し眉を顰めながら見つめていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【真なるバベル】謁見の間
昼時にさしかかり、謁見の時間は少しの休憩が挟まった。唯一神ゼウラディアの加護を直接賜っている【天賢王】には休みなど必要ではないのだが、その彼を守るための人員達には休みや交代が必要である。
無論、彼らとて王に仕える一流の人員であり、本気であれば数日は食わずで仕事に従事も出来るが、平時の今わざわざパフォーマンスを落とす理由など無い。
僅かな休みの間にそれぞれ補給や交代作業を行っていた。その最中、
「スーア様、よろしいでしょうか」
「何ですか、【天剣】」
天賢王が今居る執務室へと向かう途中だったのだろう【天祈】のスーアに【天剣】のユーリは話しかけていた。ユーリはスーアの前に立ち頭を下げて跪く。
同じ七天の二人だが、明確に応対の仕方が違うのは、スーアが紛れもなく天賢王の血縁者であるからだ。【天賢王】の補佐も担う、最も精霊の力を扱うに長けたスーアにユーリは尋ねた。
「確認させてください。あの邪霊の巫女、シズクについて」
「ああ、彼女ですか。それが?」
今日の【天賢王】への謁見は当然あれだけではない。
大陸の盟主国であるプラウディアの王には、当然のように様々な事案が舞い込んでくるのだ。確かに印象深い一件ではあったが、わざわざ掘り返すような話でも無い筈――――なのだが【天剣】ユーリはスーアに改めて確認した
「スーア様統べる精霊の力の全てが、彼女を問題なしと判断したのですか?」
「そうですね。”皆”そう言っていました」
「全てが、一切の淀みなく?」
「そうですね。それが何か?」
「…………いえ」
そう言うと、スーアは「そうですか」と去って行った。ユーリの質問そのものを掘り返すようなこともしない。基本的にスーアはそういうヒトだ。天賢王と精霊達以外にあまり興味を示さない。
ユーリもまた、去って行くスーアは気にも留めず、スーア自身が言った言葉を頭の中で繰り返していた。
「一切、問題なし……?」
【天祈】のスーアが操る精霊の加護は膨大だ。無尽と言っても良い。
あらゆる精霊と交信し、そしてその力を自在に操る。故に、謁見の間でスーアの役割は、謁見者の虚栄をさらし、あらゆる欺瞞を明らかとすることだ。あまりにもその力が強すぎて、謁見そのものを畏れる者すらも出るほどだ。
事実、神殿内で胡散臭い動きをする者は、彼女の目から逃れる術を身に着けている。決して、謁見の間には足を踏み入れない。
だが、そんな謁見の場に立って、あのシズクという女は完全にスーアの検閲を克服した。
本来であれば素晴らしいことと言って良いだろう。一切の取り繕いも無い、心からの嘆願であったのだという証明でもある。休憩中、彼女のことを指して【銀の聖女】と囁く騎士達も見かけるほどだ。
だが、ユーリは疑問に思った。
だって、
「……【冬の精霊、ウィントール】。少し、探らせますか」
邪霊と認定された精霊の情報は極端に少なくなる。
その信仰そのものを抑えるため、知る者も、語る者も、極端に抑制されるからだ。その邪霊を探るべく、ユーリは動くのだった。
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