真なるバベルと天賢王③

 【真なるバベル】


 唯一神ゼウラディアと、初代【天賢王】が制約を交わすために建造されたこの世界で最も高い建築物。プラウディアで太陽を見上げれば、自然とバベルを見上げる事となる。


 太陽はバベルへと昇り、そしてバベルから沈むのだ。


 神殿としての役割も果たすこの聖なる塔に都市の民達は祈りを捧ぐ。今日までの平穏を感謝し、明日がまた続くようにと。その祈りを力とし、天賢王は神に授けられた権能を振るい、【大連盟】の都市へと結界を紡いでいく。


 プラウディアの中心というだけでなく、【真なるバベル】は世界の中心であり、要だ。


 その機能故に、バベルに立ち入れる者は少ない。プラウディアに住まう民達すらも許可無ければ立ち入ることも叶わない。名無しであれば尚のことだ。

 【太陽祭】などの祭事などであれば一部を都市民達に分け隔て無く解放されることはあるが、普段のバベルの扉は決して軽くは無い。


 そのバベルの塔の中に、ウル達はいた。


「……流石に、緊張するな」


 当然のことながら、ウルは【バベル】の中に足を踏み入れるのは初めてだった。

 放浪の中、世界の中心地たるプラウディアには必然的にそれなりの期間、滞在していたものの、バベルは遠く見上げ、祈るだけの存在だった。

 内部はどうなっているんだろうか。という妄想は子供の頃働かせたことがある。顕現した精霊達が飛び交っているのだとか、沢山の、とても偉い神官達がなにやら重要そうな会議をしている様子だとか、高い【バベル】の内部に存在する無限に続きそうな階段だとかをぼんやりと想像して、面白がっていたものだった。


 そして今実際を見て、それらの想像がまったくの的外れであったと知った。


 

 広く、長い通路が何処までも続いている。【バベル】は世界で最も高い塔であるが、使用している面積はそれほど広くは無かったはずだ。であるにも関わらず、平面の道がどこまでもどこまでも続いている。そして何より――――


「……ヒトがいない」


 ウル達以外、見渡す限り人影というものがなかった。


「此処は神官の執務や祈り、精霊の力の行使の場所じゃ無いからね。別の空間にいるよ」

「空間」

「【バベル】の仕組みについて説明すると1日が終わるから機会があればね」


 もし丸一日かけて丁寧に説明して貰っても何も分から無いだろうな、という自信がウルにはあった。なので理解は諦め、一同と共に足を進め、その様子を確認した。


 間もなくして、通路の先に、巨大な扉が現れる。通路と同じ真っ白な扉。しかしなんら示威的なものなどないのに、まるで巨大な魔物と対峙したときのような、身体が本能的に逃れようとするような気後れした感覚をウルは味わっていた。


「来ましたね」


 そして扉の前には、先に到着していたグラドルのシンラ、ラクレツィアが護衛の天陽騎士達と共に待っていた。シンラといえど知った顔にウルは少し安堵を覚える。エシェルも同じだったのだろう。少し早足になって彼女に近付いた。


「ラクレツィア様。半月ほどぶりです」

「ええ、エシェルさん。他の皆さんも……全くここまで大所帯で【天賢王】に挨拶することになるとは思わなかったわ」


 やれやれ、とそう言うように笑うラクレツィアは変わらない様子に見えた。が、笑みを浮かべようとした口端が、正しく動かなかったのだろうか。ピクリと僅かに痙攣したのをウルは見た。

 彼女を護衛する天陽騎士達も、表情はいつも以上に硬い。他の国のトップですらも、この場には緊張を強いられるものなのだ。


 ウル自身はと言えば、最早自分が緊張しているのかなんなのかもよくわからなくなっていた。目の前の光景自体が現実的でない所為か、悪い夢でも見ているような気分だ。

 そんな中、ユーリは扉の前に立つ【バベル】を守護する騎士達に目配せする。彼らは頷き、扉の前から退く。白の扉は誰かが手を加えること無く、ゆっくりと開いていていく。


「これより天賢王との謁見を開始します。決して失礼の無いように」


 間もなくして、扉から放たれる光にウル達は包まれた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 真っ白になった視界が晴れていく。同時に、ウルは自分が居る場所が、先ほどの真っ白な通路とは別の場所に切り替わっていることに気がついた。


 高く、広い天井。天陽の紋章。それに従ずる精霊達の姿が刻まれてる。

 その意匠は壁まで続く。この世を満たす膨大な精霊を余すこと無く描くように。

 窓からは外の景観が見える。遙か高くから見下ろすプラウディアの街並みが見える。

 真っ直ぐに伸びる幾つもの柱。並び立つ天陽騎士達。

 そして、ウル達が立つ場所から真っ直ぐに紅色の道は伸びて、その先に玉座が一つ。


 そこに座る男こそが【天賢王】アルノルド・シンラ・プロミネンス。

 この世界の支配者だ。


 金色の髪。全身からエネルギーを放つかのような精悍な容姿。最高位の法衣を纏う姿は神々しい。唯一神を差し置いて神々しいなどという表現は、本来であれば不敬であるが、彼の身はそれを許される。彼は神の代行者であるからだ。


 そして、彼の隣りにもう一人。彼を補佐するように立つ子供の姿。


 白い髪、白い肌、白い法衣。そして黒い帯で両目を覆った子供。性別は一見して不明。【天祈】スーア・シンラ・プロミネンス。【七天】の一角、【天賢王】の肉親が静かにたたずんでいた。

 ウル達と入れ替わるように、神官達が去って行く。そしてそれを確認し、【天祈】はウル達へと、隠された視線を向けた。


「次」


 拡声の魔術も使ってはいない筈なのに、高く遠くに在る【天祈】の声は高く響き渡った。ユーリを先頭にウル達は天賢王の玉座の前まで進み、そして全員膝をつき、頭を伏せた。

 まずはユーリと、そしてディズが前に出て口を開く。 


「【天剣】ユーリ・セイラ・ブルースカイ。グラドルの新たなるシンラとウーガ解放の貢献者達を連れて参りました」

「【勇者】ディズ・グラン・フェネクス。ウーガの動乱を制圧し、また、邪教徒の一人であるヨーグを捕縛し、帰還しました」

「ご苦労」


 そこで【天賢王】が初めて口を開く。【天祈】の声音は清らかな鈴のようだったが、天賢王の声は深く、重く、地面を伝い相手の身体の芯まで震わせるような声だった。

 彼に直接ねぎらわれたディズとユーリは下がる。そのときユーリはほんの僅かに耳がピクリと動いていた。嬉しいんだろうなあと、ディズに言われたことを思い出したが、気を逸らしている場合ではない、と引き締める。


「では、グラドルの新たなるシンラ、面を上げ、陳情を述べよ」


 再び【天祈】が言葉を言い放つ。ラクレツィアが顔を上げた。


「新たなるシンラとして、グラドルを請け負うこととなりました。ラクレツィア・シンラ・ゴライアンで御座います。本日はその報告と、挨拶に参りました」

「聞いている。カーラーレイに代わり、神と精霊とヒトを繋ぐシンラの役割を果たせ」

「承知致しました。」


 それはあまりに短い挨拶だった。

 ウルが想像していた様な高位の者達同士の、様々なしきたりに沿った儀式めいた言葉のやり取りなど微塵もない。驚くほどに効率のみを重視している。それとも”らしいしきたり”など無しでも、この場と当人が放つカリスマのみで、王の威厳は保たれると確信しているのか。


「次いで、先に邪教の者との騒乱の末に変容した衛星都市ウーガについてなのですが」

「其方も聞いている。好きにせよ」

「好きに……とは」


 が、次の言葉はあまりに端的が過ぎて、ラクレツィアも戸惑った。天賢王は言うべきを言ったというように続けて言葉を発することもなく、しばし気まずい沈黙が流れる。すると隣りにいた【天祈】が囁くように


「王」


 とだけ口にした。

 それが不備の指摘であるというのはウルにもわかった。天賢王もそれを理解したのだろう。しばらく瞑目し、再び口を開く。


「――――ウーガは衛星都市として不適格とする。神殿の建設を認めず、太陽の結界も与えない。故にウーガはグラドルの純粋な資産となる。ウーガの扱いにプラウディアは関与しない。大連盟の法に沿った運用を心がけよ」


 今度は一気に情報が増えた。

 一瞬、ウルも混乱したが、彼の言っていることは概ね、あの裁判の最中にブラックが証した情報に沿っていた為、飲み込むことは出来た。ウーガはやはり、都市にはならない。そしてそれ故に、幸か不幸か最後の結論は生きることになる。


「【天魔】のグレーレ様についても、干渉は彼個人のものであるという認識で良いですか」

「そうだ。【天魔裁判】の結果についても聞いている。【陽喰らい】への助力を許す」

「王!」


 と、そこで口を挟んだのは、【天剣】のユーリだった。彼女は姿勢を崩さぬまま、しかしハッキリとした拒絶をウル達にぶつけた。


「彼らを【陽喰らい】に参加させるのですか!?彼らの目的は王への忠義でも、世界の守護を果たさんとする使命でも無く、単なる実績作りなのですよ!?」


 彼女もどこからか、【天魔裁判】の顛末は聞いていたのだろう。


「しかも、それを最終的にプラウディアに誘導したのはブラックです!!碌な事にはなりません!」


 【天剣】にすら呼ばわりされているブラックが果たしてプラウディアでどういう扱いなのか気になった。

 そして彼女の意見には同意したいが、今回は退く気はなかった。【審判の精霊】の強制力もあるが、ウーガという居場所とそこに秘められた価値を見過ごす選択を取らないとウル達は決めている以上、ブラックの提案はろくでもなくても飲むしか無いのだ。


 例え、陽喰らいの儀式が如何様なものであっても、だ。


「有能な神官も、希望する者は参加を認めている。戦力は幾らあっても余ることは無い。目的がなんであろうと問わない。」

「しかし……」


 そう言って、ユーリはコチラを睨み付ける。だがそれは侮りではないとウルは感じた。その言葉と視線に混じる感情はもっと純粋な―――哀れみだった。


「邪教の謀りごとで呪われし都市を解放し、更にはそれを竜に抗う力とできるというのならやってみると良い。【陽喰らい】での貢献は”黒”の言うとおり、ウーガを征した証となろう」


 ただし、


「ウーガに全てを失う覚悟を忘れぬ事だ」


 その警句は、【天賢王】の言葉のなかでも最も重く、ウル達に降り注いだ。

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