哲学者の歌
――「西田哲学は、人間西田幾多郎の実人生での苦悩とその超克の足跡とも言われる。たび重なる苦難の中、折々に詠まれた短歌は、哲学者の内面を如実に伝える。思索の深まりは、短歌の形でより端的に表現されることもあった」――。
これは『西田幾多郎歌集』の表紙からの抜粋である。
編者の上田薫は解説する。
――「祖父は万葉集に多くを学んだと思うが、どれほどであったかはわからない。歌は調べが率直で内容も素朴ながら、含むものが多い。ここに挙げる歌がとくに優れているというのではなく、祖父の思いや特徴がよく出ているということで選んだ」――。
――「祖父の作歌は若年に始められているが、晩年に近づくまでは、それほどきびしい姿勢でのものは見あたらない。しかし五十歳以降の短歌は、技法を修練するいとまがないまま、それなりに苦心を重ねたものが多い。己の生を精いっぱい生きるためには、こう作らずにはいられぬというふうにさえ見えるのである」――。
――「いわゆる知名人の余技とは性質を異にしていて、質量ともささやかであり、正直出版は肉親として心ひける思いだが、祖父らしい個性的な歌への取り組みだけは、それでも多少は認めてもらえるのではないか。歌のつたなさはいたしかたないが、投げやりの歌だけではなくて、必ずどこかで幾分かはもがいていると思う」――。
祖父に向けられた孫の愛情がうらやましい。
ひはくれてみち遠けれどともかくもけふけふだけのなりはひはしつ(西田幾多郎)
――「晩年は鎌倉の自然詠などもふえてくるなかで、祖父は古希のころぽつんとこういう歌を残した。ほとんど注目されていないし、できのよい歌ではないけれど、いつも背後にあった思いが正直に出ている。一日不作一日不食(一日なさざれば一日食わず)は、若いころからのもモットーだった。この年齢になっても、祖父はこのようにしてつねに自分を励ましていたのだった。言いわけがましいかもしれないけれど、私はそこに祖父の裸の一面を見る」――。
西田幾多郎自身は『短歌について』で、次のように述べている。
――「私は短歌によっては極めて内面的なるものが言い表されると思う。短歌は情緒の律動を現すものとして、勝義に於いて抒情的というべきであろう」――。
――「歌に於いて万葉を師とすべきは云うまでもない。併し徒に万葉を模倣することは真に万葉を学ぶものではない。万葉に学ぶべき所はその純真なる所になければならぬ。素朴的と云い客観的というも、既に一種の外殻たるに過ぎない。殊更しい万葉調は到って非万葉的というべきである。我が国の短歌というものは形式が簡単であるだけに何人も容易に試み得る如くに考えられる、併しそれだけに却って内容の充実したもの、鍛錬せられたものでなければならぬ」――。
こういう引用の後では少し気が引けるけれど、若き日の西田幾多郎の歌を二首。
二十歳前後らしい。
年ぐれにとしがゆくとは思ふなやとしは毎日毎時ゆくなり(西田幾多郎)
すみ駿河硯の水は大井川描き出せるふじの高峯(西田幾多郎)
西田幾多郎の年譜によると、1945(昭和二十)年に75歳で死去とある。
一首ささげむ。
たまさかに幾多郎歌集を読みて知るこの哲学者の子煩悩なる面を
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