第7話 そして英雄に

「実は俺、ケンタウロスについて何も知らなかったんだ」

 夢の中でようやく落ち合えたディファロスは、泣きじゃくりながら、そう明かした。

 今回の件で始末書を書き、今の今まで、神業界でお詫び行脚していたらしい。

「うぉー、どうしてドラセナがこんな姿に」

 憔悴し切った表情で、何度もそう繰り返す。

 ──いや、ディファロス、あんたのせいだろ……。

 その言葉を言える空気ではない。

 慟哭するディファロスには、もはや神の威厳はなかった。

 しかも状況は最悪だ。サロルド軍は今、ローレンス城を二万の大群で取り囲んだ。明朝に総攻撃し、王国もろとも滅ぼすだろう。

 先ほど、ドラセナはバッカード大草原で進軍してくるサロルド軍と対峙。いななきながら、決死の覚悟で大軍の中に突っ込んでいった。しかし──。

「何だ、この気持ち悪い奴は。皆の者、触れるな。呪われるかもしれん」

 馬上から見下ろす敵軍大将のファオンの目は蔑んでいった。

「我々が目指すは、ローレンス城のみだ。我に続け!」

 こともあろうにドラセナを素通りし、さらに進軍速度を上げる。完全な逆効果である。

 ──今の俺は戦死すら許されないのか。

 過ぎ去っていくサロルドの兵士たちの背中を今のドラセナは、口惜しい表情で見つめることしかできない。

 やがて、その背中すら見えなくなると、失意と悔しさをまとい、再びバッカード泉に引き上げるしかなかった。

 ドラセナが深い眠りについたのは先ほどのことだ。そこで、ようやく、ディファロスと夢の中で落ち合えた。が、やはり元の姿には戻れないとのことだった。

 ──秘策があると言いながら、この大失態。

 ドラセナは夢の中で奥歯を噛み締める。さっきよりも苦い味がした

 あれだけの啖呵を切りながら、マーカム王を裏切ることになったことへの自責。そして、この姿になったことへの羞恥。

 不意に泉に反射した馬人間の姿が脳内で蘇る。その滑稽な姿に、言葉だか、呻きだか、いななきだかが、口から漏れる。

 情けなさに涙がジワリと浮かんでくる。その時だった。

 ──馬?

 脳に微細な電流が走る。その小さな光は、今、チリチリと線香花火のように火花を散らし、やがて、特大の打ち上げ花火に変わった。

 ──そうか。

 あるとんでもない秘策が確かにそこにはあった。まさしく起死回生の秘策。

「あっ!」

 ドラセナは勢いよく立ち上がり、叫ぶ。いや、いななく。

 眼前でやけ酒しているディファロスもハッと顔を上げる。

「ディファロス、いけるぞ! この戦争、勝てる! バッカード大草原に、国中の馬たちを今すぐ集めてほしい!」

 ドラセナはそう告げると、深い眠りから覚めた。


 馬。馬。馬。一時間後、バッカード大草原は馬たちで埋め尽くされていた。

 青鹿毛、鹿毛、栗毛、白毛、芦毛……。色とりどりの馬体。計三万頭の馬たちに向かって、馬人間ドラセナは声を張った。無論、馬語である。

「我が名は最強馬・トゥレネ」

 そうドラセナが叫んだ瞬間、

「ヒヒヒーン」

 という、いななきが大地を揺らした。

 トゥレネは王国の頂点に君臨する馬だ。いわば、馬界ばかいのプリンスである。

 トゥレネに扮したドラセナは演説を続ける。

「我は人間と融合し、この姿を得た。この国は今、存亡の危機にある。超大国サロルドが攻め込んできたためだ。彼らは知っての通り、我らを好んで食う馬喰いびとである。もし今、このウマリティ王国が彼らの手に落ちれば、我らも死ぬ。我はこの王国を守るため、サロルドと戦う。そのためにこの姿となった。賛同するものは我を背に乗せ、一緒に戦ってくれ!」

「ヒヒヒーン」

 賛同の意。三万頭のいななきが大草原を駆け抜ける。反撃の狼煙のろしが上がった瞬間だった。


「敵襲!」

 闇夜に叫び声がこだまする。

 その夜。敵軍大将のファオンは上機嫌だった。ローレンス城を二万人の大群で包囲し、明朝に一気に攻め滅ぼす。

 勝ちは目前。長旅への労いも込めて、サロルド軍は盛大な酒宴を開いた。油断し切っていたのだ。

「ウマリティ軍の奇襲です!」

 だから、誰かが叫んだ言葉に、宴席はたちまち大混乱に陥った。

「ウマリティ軍は一体、どこから? 完全包囲しているはずだぞ」

 馬群の足音といななき声。突然の夜襲に、サロルド軍は慌てふためき、総崩れとなった。

 無論、この時、奇襲をかけたのはドラセナ率いる三万の馬たちである。

 軍師と化したドラセナの指示で、波状攻撃を仕掛ける。馬しかいないのだが、闇夜の大混乱で、それに気付く者は皆無だ。

 馬は夜目よめが効く。逃げ惑う敵軍を五百キロの馬体から繰り出される後脚キックで撃退。混乱の最中、ファオンも馬に踏み潰されて死んだ。


 そして翌朝。ウマリティ王国の家臣団は、城壁から眼下を見下ろしていた。目の前に広がる光景に息を呑んでいた。呆気に取られて口をだらしなく開けている家臣もいた。

 取り囲んでいたはずのサロルドの二万の大群はいなくなり、無数の死体と陣営の残骸のみが散らばっていた。

「一体何が……」

 家臣団は皆、顔を見合わせていぶかる。

「ドラセナじゃよ」

 背後からそんな言葉が聞こえてきたのはその時だ。マーカム王だった。その表情は穏やかで、笑みを浮かべていた。

「昨夜、我が夢にディファロスという神が出てきたのじゃ。ディファロス曰く、トゥレネに跨ったドラセナが一人で夜襲をかけたらしい。今は残党狩りをしているそうだ。全く、凄き男よ」

 マーカムは白い歯を見せる。

「『敵を欺くにはまずは味方から』ということじゃな」

 それでも家臣団は状況を飲み込めない。再び眼下に広がる衝撃の景色に視線を向ける。そんな彼らを鼓舞するようにマーカムは叫ぶ。

「何を皆、立ち尽くしておる。さぁ、我らもドラセナに加勢するぞ。早急に戦支度を整えよ。我に続け!」


 その昔、ウマリティ王国に最強戦士あり。

超大国・サロルド共和国とのいくさにて、愛馬・トゥレネとともに単騎で夜襲をかけ、二万の大群を打ち破ったという。その後、彼を見た者はいない。だが、王国存亡の危機の際には、闇夜に紛れて現れ、必ず危機を救った。

 他国まで名をとどろかせた英雄。その名は「テッサリーア・マレアス・ドラセナ」である。

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馬人間ドラセナ 神様の勘違いで最強戦士が逆ケンタウロスに 松井蒼馬 @moenopotosu

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