第4話

 夏がいなくなったのは、三十七歳の夏のことだ。

 飽きもせず夏祭りは毎年繰り返されていた。その年、少し変わっていたのは町おこしの一環だとゲストが呼ばれていたことだ。

 いつもはスナックのママとそこに通う親父とデイサービスで磨き上げられたのど自慢の老人しか立たぬメインステージに立ったのは、地元アイドルを名乗る四人組の少女だった。

 俺は次に出る社長の兄を見るために、社名入りのうちわを持ってステージの前に立っていた。


 ――あなたの心のクラスメイト、幸せ運ぶクローバー、四葉もえきです。


 そういう風に、彼女は名乗った。割に長身でほっそりとした線の少女で、あとから数えれば当時十九歳であったのに十五、六歳であるかのように頼りない立ち姿だった。

 クラスメイト。その一言で俺は落とされた。多分そういうことだったんだと思う。

 自己紹介のあと、少しばかりのトークがはじまった。観客は例年通りぽつぽつとしかおらず、俺もつまらなさそうな表情を浮かべることにした。興味はないけれど、若い女の子ががんばってるな。さもそんな風であるかのようにポーズとしてうちわをわざとゆっくり仰いだ。やる気なさ気な風は生ぬるく、暑さが余計にまとわりついた。

 四人組の中では愛想のない子だなというのが第一印象で、見ているうちに愛想が下手な子だなという印象に変わった。

 他の三人が面白くもない会話を楽しそうにしている中で、一人だけ変なタイミングでちょこちょこと頭を下げるので、そのたびにポニーテールの後ろ髪が揺れて鳥の尾羽のように見えた。話を振られてもろくに返せず、困ったように目を細めてからへにゃりと笑う。眉を下げると地味な顔立ちがとびきり柔らかく見えて、俺は眉間に皺を寄せた。

 妙な居心地の悪さが夏の裾を掴んで引っ張っていて、もしかしたら俺はあの時さっさとステージから立ち去るべきだったのではないかと今でも時々考えることがある。


 そうして、歌が始まった。

 有線のカラオケマイクを四本持たされて、彼女たちは数十年前に流行ったアイドルソングを歌い踊り出した。ここら辺のフィリピンパブでは下品な替え歌にするのがお決まりのその曲に、男たちは手を叩いて喜んで、女も自身の青春を思い出すのか身体を揺らしてサビをハミングした。

 観客たちのノリに彼女たちも嬉しそうで四葉はダンスが下手なので長い手足を持て余すようにリズムから少し遅れて身体を跳ねさせて必死に踊っていて必死に踊っているものだから斜め分けにした前髪がうっとおしそうで一曲目の途中だというのに体力もないから鼻筋まで汗をかいていてそれでも途中彼女がメインになるフレーズの時は前に踊り出て、さっきまで盆踊りのように振り回していた左手の中で人差し指を一本だけ立てて観客席を指差して「大丈夫だよって言ってあげる」とささやいてさっきまで情けなさそうだった表情は花が咲いた瞬間みたいに見えてその時俺は確かに彼女と目が合った。目が合ったと思った。

 多分その瞬間に夏はあっという間に弾け飛んで俺は線香花火を思い出して心の内側に響いたのは炸裂音で身体を打ちのめしたのは電流だった。

 もえきはよく見ると鼻と頬に少しそばかすがあって化粧が下手なのか隠しきれておらず小鼻や頬の色が違ってかえって浮いてみえるけれど、気にしている感じがいじらしく見えて余計に好きだと思った。好きだと思っていた。十九歳の少女を。

 せめてさびしそうな夏の姿でも見れば引き返せたかもしれないのに、二曲目が奔流になって俺を押し流した。

 音の悪いくせに大音量のスピーカーから流れたのは、校内放送でよく流れていたポップソング。ありきたりで安っぽくてメロウでチープでもえきの細いけれど高く伸びる声によく似合うハイトーンの恋の歌。

 君が好きだ、とセンターに立った彼女は歌った。

 わたしのこと、好きになって、と首を傾げる振り付けのところでポニーテールが揺れてやっぱり小鳥の羽みたいなのにさっきとは違ってはにかむように揺れていて誰しもが目を奪われると俺は錯覚した。許されたと思ってしまった。

 泣きそうになったのは自分が醜いからでそんな風に泣きたくなるのは多分親父の葬儀の時以来だけれどその時とは全然違ってむしろ号泣したかったけれど俺は大人だから泣けなくて眉間に皺を寄せたまま彼女を見ていた。

 馬鹿みたいな感情だった。

 三十過ぎの男が十九歳のアイドルに“救われた”だなんて情けないったらない。

でもそれは現実で、横髪が汗で頬に数本はりついたのを照れたように指ですくって直す仕草だけであっけなく夏は死んだ。そこにはどうしようもない光があった。

 不服そうな顔をすることすらなく、夏はいなくなってしまった。

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