incantevole

高岩 沙由

出会い

「今日も暑い」


 信号待ちにふいに口をついて出るほど、今日も暑い。


 お気に入りの白の布製日傘を少し動かし、空を見上げる。


 真っ青な夏の空には雲がなく、太陽が白く輝いていた。


 暑くてげんなりとしている気持ちがあるものの、ひさしぶりに20センチ以上髪を切り、新しくなった髪型を見て気持ちが高揚している自分もいた。


「これならピアスをみせることもできるね」


 長年担当してくれている美容師に相談しながら出来上がった髪型はボブで、耳たぶのあたりは軽く梳いてもらい、今まで隠していたピアスを見せることできるようになっている。


 今日は美容室に行くくらいで特に予定はなかったけど、なんだがそのまま家に帰るのが惜しいような気がして、暑い中ぶらぶらと歩いていると細い路地の奥に古民家のカフェを見つけた。


 ドアは木製で押してみると、からんからんとベルの音が聞こえた。

 そこから見た店内はとても小さく、2人掛けのテーブルが3客しかない。


「いらっしゃいませ」


 同年代だろうか? 20代の紺色の着物姿の女性が笑顔で出迎えてくれた。


「空いている席にお座りください」


 女性店員が涼やかな声でそれだけ言うと厨房へと消えて行く。


 幸いにも他にお客はいないので、店内が見渡せる壁際の席に座る。


 私が座ったのを確認すると店員が水と木の板をテーブルに置くと広げてくれたが、メニューになっていてページをめくっていくとかき氷を見つけた。


「暑いし、ひさしぶりに食べようかな?」


 ぱっと顔を上げると店員さんと視線が合う。


「ご注文はお決まりですか?」


 優しい口調で話す店員に頷く。


「これ、あずき抹茶のかき氷とアイスコーヒーをください」


 メニューを指さしながら注文すると木のメニューをパタンと閉じて店員に渡す。


「少しお待ちください」


 その言葉に私は頭を下げて店内を見回す。


 店内に音楽は流れておらず、そのかわりになるのか、厨房からは氷を削るような、しゃりしゃりという音が聞こえてきた。


 壁には鳩時計が掛けられ、壁際に茶箪笥が置かれている。なんだか田舎のおばあちゃんの家の居間にいるような懐かしい雰囲気を感じる店内。


「お待たせしました」


 店員さんが黒のウッドトレーにガラスに入ったあずき抹茶かき氷とアイスコーヒーを持ってきてそのままテーブルにそっと置く。


「ごゆっくり」


 店員さんはそれだけいうと厨房に向かって歩き出した。


 スマホで写真を撮った後は、かき氷に赤い漆のウッドスプーンをそっと差し入れ、しゃく、という微かなを音を聞き一口分のせて口に入れようとしたところ、店に入ってくる男性と目が合った。


 ダークブラウンの髪はサイドを短く、首のあたりだけ長くしている。

 さらさらと音が聞こえそうなほど、風に揺れている柔らかそうな髪。

 こげ茶の目は細められ鼻筋はとおり、薄い唇は淡いピンク色をしている。


「わぁ、かっこいい……」


 小さく呟いたはずだった。


 なのに、その男性はにっこりと笑顔を浮かべると真っ直ぐにこちらにやってくる。


 隣の席に腰をおろすとさらに笑顔を輝かせた。


「お姉さん1人?」


 あっ、チャラ男君だった?


「あっ、かき氷溶けちゃうよ?」


 食べなきゃ、と思った瞬間に右手を握られスプーンにのせているかき氷を男性は躊躇なくぱくっと口に入れた。


「うーん、美味しいね。抹茶が濃厚だけど氷に少し甘みが感じられるから抹茶の苦みがそこまで口に残らないね」


 男性は一人頷きながらしゃべっている。


「あっ、ごめんね、同じものを注文するから、それ僕がもらうね」


 そう言って男性がテーブルからウッドトレーを動かそうとした瞬間。


「あ、この香り……」


 軽やかで甘く、そしてパウダリーなムスクがふわっと優しく香る。


 好きな香水ブラントの中で一番お気に入りの香り。


「この香り好き?」


 私の顔を覗き込みながら首を傾げている男性に頷く。


「趣味が合うね。じゃあさ、僕たち付き合わない?」


 にっこりといい笑顔でとんでもないことを言い放っている男性に何も言えず呆然とする。


「いらっしゃいませ」


 女性店員の声に私は、はっとする。


「隣のお姉さんと一緒のものをくれる?」


 男性はにこりと笑顔を浮かべてメニューをみることなく注文を終わらせると、再び私に甘い笑顔を見せる。


 私はその笑顔から目が離せずただただ見つめていた。


 ――出会わなければよかった。

 まさか、そう思う日がくるとは知らずに、この瞬間、彼に堕ちていった。

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