斬れよ村正

ロボットSF製作委員会

第1話 斬捨御免


「ぜ、銭は払っておくれよ!」


 江戸長屋通りの一角、ひっそりと佇む蕎麦屋台で、1人の勝気な娘が、大柄な侍の行く手を遮っていた。



「うるせえ!ツケとけって言ってんだろ」


「最近は、そう言って払いに来ねえお侍さんばっかりなんさ!アンタも逃げる気でしょ!?」


「あ?舐めてんのかこの小娘」



 江戸開幕から数十年、武力を持てなかった民衆は、かつての理不尽な暴力から解放され、天下太平の時代を謳歌している。


 だが、戦に生きた武家はというと、本来の役割を奪われ、磨き抜かれた武芸を披露する場もなく、その存在意義を失いつつあった。

 今や蕎麦代すら事欠く彼らに、かつての権勢は見る影もない。


 幕府の旗本や御家人として、その地位を安堵された者ですら、今や生活に困窮しているという。

 ましてや、外様の大名に仕える家など言わずもがな。武家諸法度の厳格な適用による、改易や減封の憂き目に合い、一夜で路頭に迷うことも珍しくない。


 こうした身の上であっても、武家の特権は皆一様に旧来のまま。その格差から目を覆うように、乱暴狼藉を働く者が後を立たない。


 今まさに、脇差に手を掛けたこの無銭飲食者もその1人である。

 太平の時代にあっても、未だ国は荒んでいた。



「武士を愚弄する貴様は手討ちと致す」


「そ、そんなのズルいさね!アタシらは文句の一つも言っちゃいけないのかい?」


「そうだ。武士に楯突くお前らの命など、蕎麦ほどの価値もないのだからな」



 平家にあらずんば人にあらず、とはよく言ったもので、正にこの時代は、武士にあらずんば人にあらず、である。



「そんなことしたら、将軍様が許しちゃおかないよ!」


「ふん、徳川など知ったことか」



 娘は、突如として突き付けられた理不尽な現実に抗うべく、ハッタリをかましてみる。しかし、躊躇のない侍の動作は、その言葉ごとザクっと切り捨てるように、流暢で正確だった。



「切捨御免」



 一杯の蕎麦代を求めたあまり殺されるとは。二束三文の代金ではあるが、娘にも生活がある。皆苦しい暮らし向きだ。それなのになぜ、侍だけが好き勝手に振る舞って許されるのか。



「だ、誰か」



 恐怖に歪む娘の目からは、大粒の涙が溢れていた。そのか細い声が、江戸におはす殿様に届くわけもない。蕎麦屋は手討ちが定めだとでも、天は言うのだろうか。



「斬捨御免」


 その時、ふと視界の端から、何かが娘の前に躍り出てくる気がした。

 鞘から放たれ、昼下がりの陽に照らされた刀身が、血を求めてギラギラと光を放つ。


 刹那の間をおき、その刃先が肉体に食い込むと、肩口から腰にかけてを素早く切り裂いた。


 静かに、そして確実に、今度は肉体から光を奪っていく。先程まで人だったものは、血飛沫を上げながら地面に吸い込まれた。



「……お嬢ちゃん、蕎麦じゃ。蕎麦をくれ」



 呆気に取られた娘をよそに、自身の業物を再び鞘に納めているのは、やつれた表情をする田舎風の侍であった。

 娘の背後から、突然飛び出してきたこの侍は、眼前の惨事を気にも留めず、飄々としてそう言った。


「あれ、私、切られてない」


 我に返った娘は、自身に切り傷がないことを確認する。目の前に倒れているのは、先程の無銭飲食者であった。

 辺り一面が血の海であるが、一方の田舎侍に手傷はない。娘が切られる前に、切り倒していたようだ。



「そ、蕎麦」



 田舎侍は再びそう言うと、屋台に備え付けてある竹箸を手に取りながら机に突っ伏して気を失った。


「こ、殺しだぞー!」


 たまたま通りがかった町人の叫びを合図に、野次馬が殺到してくる。


「た、助かった」


 娘は腰が抜けたように、田舎侍を視界にとらえながら、その場にへたり込んだ。

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