010 斜陽の帝国
クラストラム帝国、第四十八代目皇帝ヒーリスが第一皇子テーロス。四年前には皇太子としてあまねく臣民の尊崇を受けていた男は、今は皇帝ヒーリスが持っていたウォルガモット伯爵とその領地を受け継がされ、元皇子として自嘲するようにしてそれを見ていた。
『おおっと! 剣聖プラムラス、大剣豪ロッドマンの怒涛の剣戟を受ける! 受ける! 受けるぅぅぅ!!』
実況の声に元皇子は苦笑することもできない。何が剣聖か、何が大剣豪か。
「これがお前のやったことだ。伯爵よ」
皇帝ヒーリス――自らの父の言葉には苦笑すら漏れない。
「重々承知しておりますよ」
テーロスの眼下では、帝国が誇る大闘技場の舞台で、剣聖プラムラス――ロングウェイト公爵家の嫡男である十歳の少年、プラムラスだ――が駆る魔鎧が操る、
それが大剣豪ロッドマンと呼ばれる、侯爵家でも有数の魔鎧騎士の剣と何度も剣戟を重ねている、ように見せかけて大剣豪ロッドマンが、手加減に手加減を重ねて少年騎士プラムラスとやりあっているだけだった。
「重々? そうか? 余がお主の身なら疾く自害したものだよ」
観覧席に座り、つまらない試合をつまらなそうに眺める父親の皮肉にも、テーロスは苦笑いを返すことしかできない。
自分が五年前に一人の平民騎士を奴隷に落としたことで、このような無様な試合が帝都騎士絢爛祭の決勝戦で行われるようになったと皇帝である父親は言いたいらしいが、テーロスとしてはそれは否だ。
無論、テーロスは自分がやったことはその一因であると認識している。
当時テーロスが懸想していた公爵令嬢の相手が平民の婚約者だったから、それを奪うために挑発を繰り返し、最終的に令嬢を賭けての決闘までも申し込んだから、渋々と事前の申し出で八百長を了解していたはずの相手を本気にさせてしまったのだとも、今では理解できている。
その結果として、テーロスは敗北したし、平民騎士の顔を見たくないと試合後に発言してやった。
その発言はこっそりと忖度され、自分の意図しない形で、知らない場所で平民騎士は政治で排除された。
後日父親に呼ばれて、試合で自分に勝った平民騎士が借金奴隷にされたと聞いても、テーロスとしては、なんだそれは? という気分だった。そういうことになる、という予想ぐらいはしていたし、それぐらい別にいいだろうとも思っていた。
まさか、その相手が、帝国がずっと待ち望んでいた魔鎧騎士適合率135%の魔臓を持つ人間だとは知らなかったが。
皇帝である父親が息子に勝った平民騎士が気になって、帝都に唯一ある、古代遺物で彼の血液を調べさせた結果がそれらしい。
世間では皇太子であるテーロスに暗君の気質があるから廃嫡になったのだと言われているが、テーロスが廃嫡になったのは、そちらが主因だった。それぐらいの罪だった。
帝国に齎されるはずだった、適合率100%オーバーの遺伝子を去らせてしまったことによる因果だった。
なおジーク・ヨルハネントに関しては帝室の全力をあげた捜索が今も続けられているが、いくつかの後ろ暗い奴隷商人を経由して売却されたために、帝室の調査機関でもジークの行方を追うことはできていない。
これに関しては皇子の忖度をひっそりと叶えるために役人どもが他の高位貴族が醜聞を作るのに使っている商人を使ってしまったための弊害だった。
調査の手を突っ込むと皇帝ですら憂慮しなければならない高位貴族の醜聞までも暴きかねないために、まともに調査ができなくなったのだ。
そうだ、と皇子の心は言い訳をする。
このような無様な試合が絢爛祭で行われるようになったのは、テーロスだけのせいではない。
帝国を作るにあたっての功臣として重用している高位貴族たち、彼らが長年の腐敗によって騎士として戦う力を失ったからこそ、このようなことになっている。
もちろん、高位貴族が持つ専用の魔鎧や、その魔力適合率の高さは脅威だ。
並の騎士を捻り潰すぐらいは簡単にできる。
だが彼らは血統による魔鎧適合率の高さこそあるものの、戦場から遠く離れて久しいために戦場勘を培うような泥臭さから遠ざけられており、こういった大会でも真の強者と相対すれば無様に敗北していた。
元皇子がやったのは、その背中を軽く押しただけのことだ。
あの平民騎士の追放より後、爵位だけしか誇ることができない貴族たちが、自分に勝った平民騎士を奴隷に落とした皇太子を倣って、爵位に笠を着て平民や下級貴族の実力者を追い立てるようになった。
その結果として絢爛祭は高位貴族やそんな彼らの走狗しか出ることはなくなった。
その結果が決勝戦だというのに行われる無様な試合。
勝者として出る前から勝利の決まっている侯爵家の嫡子は、皇帝ですら憂慮しなければならない一族だったがために、皇帝は目の前のそれが無様な試合だと大声で罵ることもできずに、剣聖などと大仰に言われた少年が、本物の大剣豪を爵位で圧して、勝利する場面を苦々しい顔で見させられている。
「自分の息子のせいで、余の治世に消えぬ汚泥をこすりつけられるとはな」
――眼の前で、大剣豪の剣が、剣豪自らの手でそうとわからぬように吹き飛ばされる。
『おおおおおお! 剣聖プラムラス! 今、必殺の剣で華麗に勝利を決めたあああああああああ!!』
大剣豪の魔鎧がわざとらしいぐらいにがっくりと膝をつく。
にこにことした剣聖プラムラス少年が魔鎧の中から身体を出して周囲に向かって手を振っている。
テーロスは思った、あの少年騎士は栄えある帝国騎士絢爛祭の最年少優勝者として今後の人生を順調に過ごすのだろうか。
(俺が脅さなかったら、俺にもそんな栄光があったんだろうか)
公爵令嬢を欲するならもっと他にも方法があったのかもしれない。愛に曇っていた自分にはわからないことだが。
魔鎧騎士のOB会である剣聖会から破門されたテーロスにとって、あの平民騎士との戦いは魔鎧騎士として表舞台に立てた最後の機会だった。
無様に負けたとされているものの、それでもあんな大舞台で戦える機会はもはやなく、こういう場に呼ばれれば自分が失ったものの大きさを考えてしまうのだった。
(あの平民の名誉さえ取り戻せれば、俺も、戻れるんだろうか……)
テーロスは祈った。自分が奴隷に落とした男の平穏無事を。奴に詫びを入れれば、剣聖会は自分の破門を撤回してくれるはずだから、と。
そのためなら自分が過去に執着した公爵家の元令嬢を奴にくれてやってもいい。
あの事件の責任を取らされて結婚し、この五年で三人ほど子供を産ませたが、生まれた子供の魔鎧適合率は平均を下回る役に立たない母体だった。あの女は顔も身体も性格の相性も良かったが、生まれる子供の適合率が低いと知っていたなら別の女を選んでいた。
本当に自分は無駄なことをしてしまった。
それに、あの女の実家の公爵家もこの五年で騎士を引き抜かれたり殺されたりと力を失い続けている。後ろ盾としても使えなくなっている。皇帝からの命令でなければ縁切りしたいぐらいだった。
そんなことを考えるテーロスの前で、剣聖プラムラスが皇帝より優勝者に与えられる宝剣を受け取り、一代限りの騎士爵を受け取っていた。もちろんプラムラス少年は高位貴族の嫡男だから騎士爵なんて飾りでしかない。それでも少年はその飾りを受け取って、自らの栄光を疑わない輝いた顔で皇帝と言葉を交わしていた。
こうして遠く離れた魔境で復讐者が生まれていることを知らないままに。
あらゆるすべての人々が自分たちが再びあの平民を仲間に入れてやれば解決するのだと信じたままに。
超巨大国家であるクラストラム帝国の終わりの始まりは、誰にも気づかれないままにひっそりと始まっていた。
魔鎧騎士追放 止流うず @uzu0007
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