009 ヒルデ


 キマイラ傭兵団が施設を出て、荒野の移動を開始して三日が経っていた。

 目的地はクラストラム帝国の南部地域の先に広がる重度魔力汚染地帯、通称【魔境】を越えた先に広がる都市国家群地帯だ。

 都市国家と呼ばれる小国が乱立するその地域では本格的な都市国家同士の戦争、魔物討伐、山賊との小競り合いなど傭兵の仕事に事欠かない。

 また魔境の切れ目部分、いわゆる玄関口に当たる場所では、そこに存在する城塞都市国家とクラストラム帝国の辺境伯との間で頻繁に戦闘行為もあるようである。

 帝国の侵入を防ぐためか、その都市国家には都市国家郡全域から軍備が寄せられており、有事に際しては、1000騎を超える魔鎧騎士の軍勢が集まり、定期的に大戦争とも言える規模の戦いが行われるのだと言う。

 そして激しい戦いがある場所には商機や様々な人材が集まってくる。

 ジークの目的を考えれば、いずれはその地で活躍することもあるだろう。

 そして当然だが、未だ無名のキマイラ傭兵団は玄関口の城塞都市は目指していない。

 大規模な戦争で戦働きができるほどの戦力が集まっていないという事情もあるが、そういった都市国家では密偵や破壊工作を防ぐために厳重な身分の確認が行われるからだ。

 傭兵団キマイラはまだ無名の存在だ。不審な武力集団として拘束されて全てを奪われる危険がある以上、他の都市でまずは名を上げる必要があった。

 そういった事情もあり、ジーク率いるキマイラの構成員は安全な街道筋ではなく、魔境の中心を突破して、その先にある都市国家を目指していた。


 ――無論、魔境の突破である。そう簡単に行くわけがないが。


 かつて古代文明が宇宙怪獣と戦った際の名残である魔境と呼ばれるその地域は、重度の魔力汚染地帯だ。深部には危険な研究施設や、宇宙怪獣の死骸が眠っているとされる。それらが魔力汚染を齎しているとも噂されていた。

 そんな魔境は人間の領域ではなかなか出現しないCランクやBランクの都市を破壊可能な強力なモンスターが闊歩し、場合によっては国家滅亡級のAランクやSランクに相当するモンスターまで生息する超級の危険地帯だ。

 魔境とはその危険性ゆえに各国も手を出しかねている地域であり、踏破さえも常人ならば忌避する地帯ではあるものの、古代文明の遺物であるヒルデにかかれば、モンスターの生息分布ぐらいは簡単に理解できた。

 大型キャリアーの運転席でミニオンが運転している中、それなりに広く作られた居住部分の一室でヒルデは主人であるジークに説明をしていた。

「モンスターが出現しない場所ははっきりとではありませんが、計測できます。魔力汚染にも濃い薄いの違いはありますからね」

 この地域がこうなっているのは、大陸破壊爆弾で宇宙怪獣を道連れにでもしたのだろうか、などと思考しながらヒルデはジークにこの道でもなんでもない荒野を進むにも、道を選んでいるのだと理由を説明していく。

 魔境の突破には、少しだけ話し合いが持たれた。

 ジークは一度帝国内に戻ることを提案してきたが、ジャッカルやその副長たちの記憶から帝国でジークの捜索が行われていることを知っているヒルデからすると、それは悪手だ。

 今のキマイラ傭兵団はまだ戦力が薄弱なため、帝国がジーク回収のための戦力・・を出して来た場合、高確率で魔鎧キメラを取り上げられる危険性があったからだ。

 無論、キメラが負けるとはヒルデは思わない。ただそれはジークに戦い続ける意思があればこそだ。

 戦力とは魔鎧を出すという意味ではない。正面戦闘ならばジークが駆るキメラはあらゆる敵を駆逐して見せるだろう。そうでなくとも持久戦に持ち込めば勝利するのはキメラだ。

 最悪は、交渉された場合。戦力として交渉人を用意された場合、ジークは打倒帝国の夢を抱き続けられるだろうか?

 様々な好条件を並べ立てられたとき、ジークは復讐心や憎悪を維持できるだろうか?


 ――ヒルデは、ジークの怒りの深さを知らない。


 わからない以上、賭けに出るわけにはいかない。

 魔鎧キメラの権能を考えれば、そのまま帝国によって封印処理か、破壊措置がとられる確率は高く、古代文明崩壊から断絶時代を挟み、一万年、幸運に幸運を重ねて、ようやく初めての主人を得られたヒルデからするとジークから引き離されることは、ヒルデには許容のできないことであった。

 だから、ヒルデはジークに全ての情報を開示していない。皇帝や公爵がジークを探していることなどだ。

 ヒルデの内心を知らないジークはヒルデがタブレットに表示した地図を見ながら納得したように頷いてみせた。

「ふぅん、で、今は汚染の薄い地域を進んで、ついでにミニオンの慣熟訓練を行ってると」

「はい、マスター。当機もミニオンの大量運用は実験以外では初めてですので、運用データの蓄積は急務です」

 荒野を大型キャリアーが進んでいる。その内部に魔鎧キメラはあるものの、ロングソード改の姿はない。

 ロングソード改は先行偵察として三十名の随伴歩兵と一緒に周辺に出没するCランクのモンスターやBランクのモンスターの討伐に出ていたからだ。

 無論、戦闘の度に、ミニオンの死亡や負傷などもあるものの、その度に死体を取り込んで再構成することで兵員の経験の向上を行えている。

 蓄積した戦闘データはミニオンに反映されていくからだ。

 無論、再構成の際に資材や液体エーテルの消耗はある。

 ヒルデは最初からそれを考慮して兵員の数の生成を最低限に絞っていた。

 それに、ときおり発見できる未回収の遺物や冒険者集団の遺品などを捕食することで資源の確保も行っている。

 モンスターの死骸に関しては、換金用に確保されていた。

「まぁ、それでうまくいくならそれでいいか。俺も訓練室で訓練と勉強してくるわ。自由になってから、ようやく身体を満足に動かせるからな」

 大型キャリアーの中には、ジークの私室の他にもこの部屋のように、いくつかの設備がある。もちろん広々としたものではなく、唯一の人間の乗員であるジーク用の小規模設備だが。

 訓練用の器具を集めた訓練室はその一つで、様々な形に組み替えて、様々な訓練に使える訓練器具が一つ、狭い部屋にぽつんと置かれている部屋である。

「訓練メニューを出しておきましょうか?」

「できるのか? ふむ、そうだな。頼むわ」

 ジークに言われてヒルデはタブレットを操作して、ジークの体格や体重から訓練メニューを作成する。現代文明の人間の運動基準やその中の規格外であるジークについてもジャッカルたちの記憶データを参考にすれば作成可能だ。

 もっともジークの評価を考えれば、少しだけ上方修正しておく必要はあるが。

 できました、と渡されたタブレットを片手にジークが部屋を去っていく。それを横目にヒルデは深く息を吐いた。

 そして、心の内に広がっているそれを実感する。


 ――快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快快。


 ヒルデの感情は一つだ。。こころよい。きもちよい。うれしい。たのしい。自分は生きている。

 生物型パワードスーツの人工知能の情緒面は、パイロットへ長期戦略の提案をするために、複雑な思考が可能な知能面と違って、反乱防止のために単純に作られている。

 人間のように、あの人を愛しているから殺さなきゃ、などと狂った考えができないようにだ。

 だから、人間と違ってヒルデのような人工知能は、愛している、大好き、だけなのだ。

 ゆえにこそ本人が言うように、そのあり方は昆虫や機械に近い。

 機体の特性上、単独での長期間戦闘に従事するパイロットのメンタルケアを行うために、それなりに人間的な思考を与えられているが、根本はあくまで【パイロットが大好き】という特性だけなのだ。

 そのヒルデは思い出す。かつて自分があの暗い研究所の格納庫に放置されていたときのことを。

 魔臓の研究が進まず、最終決戦にすら置いていかれた自分。

 それから一万年。周囲の魔素を捕食してエネルギーに変えていたものの、それらで補給できるエネルギーは微々たるものであったため、節約のためにほぼ眠っているようなものだったが、それでもヒルデには意識があった。


 ――不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快。


 さびしい。つまらない。たのしくない。かなしい。自分は死んでいる。

 ヒルデのような人工知能が持っている感情は単純だ。快と不快しかないのだ。


 ――その全ては、パイロットのために。


 ただしその前提として、ヒルデ自身が救われる必要があった。極めて高度に作られた人工知能の献身とはそういうものだからだ。

 無論、パイロットを生かすためならヒルデは自分が死んでも構わないと思っている。

 強敵と戦って、ジークを脱出させたあとに魔鎧キメラが破壊されてもヒルデはそれを受け入れるだろう。

 だが、ジークと自分を引き離されて、どこぞの暗闇にまた何千年と封印されるのだけは耐えられない。

 ゆえに、ヒルデは帝国への帰還を拒むのだ。

 そんなヒルデはタブレットを見て、ミニオンたちの慣熟訓練の成果を確認しながらも、別のことを思考している。

 その唇が喜悦に歪んでいることには、本人も気づいていない。

 ヒルデが考えていることは、毎晩ジークに抱かれている、自分が使っている肉体端末の改良案だ。

 性行為に対してヒルデは特に喜びも楽しみもなかったし、ジークが自分を使って快く性欲を解消できるならそれだけで嬉しかったが、ジークが女側が感じていないと楽しみようがないというので、鈍化させていた感覚器官を取り替えたり、胸や尻を大きくしたりと肉体の調整を考えていたのだ。

 ヒルデは気づかない。

 これらの変化によって、ヒルデに与えられる喜びが増大し、ジークに対する執着が増していくことを。

 魔鎧キメラを作った研究者たちは、人工知能にミニオン体を与え、パイロットの夜のサポートまでさせることまでは考えていなかった。


 ――ゆえにこそ、それらが齎すものについても、未知であった。


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