秋の暮れに

 しかし、こうも涼しくなってくると、炬燵が恋しくなってくる。というわけでいそいそと用意していると、蒼山が訪ねてきた。異常に嗅覚のいいやつである。我が物顔で炬燵に入り、僕の出した蜜柑を食むやつの顔を脱力しながら見つつ、三個目の蜜柑に手を伸ばす。甘味のほうが強い蜜柑であった。こういうのは蒼山の大好物でもあるのだ。しゃくなことに。

 粘菌が巨人となり、そのネットワークを駆使して人間を家畜化する連載小説を書いている。中々のディストピアっぷりだが、救いを必ず残すようにしているためか、読者からの苦情の手紙は比較的少ない。だいたい百通くらいである。しかし毎度反感を買うのになぜ打ち切りにならないのか、自分でも不思議である。編集者がそのまま書いてくれればいいと言ってくるので甘えている。世の中は案外いい加減である。

 大家の浅見さんが、葡萄をくれたので冷蔵庫に冷やしていたのを、偶然通りかかった真珠の乙女に一房渡したところ、彼女は清純に笑い、それこそ真珠が転がるような音色の声でお礼を言ってくれた。可憐である。あと少し若かったら、若気の至りで告白していたであろう。あいにく、少し歳を取り(といっても二十代後半だが)、思慮がついてきている。要するに、僕に気があるはずがないという洞察である。悲しい洞察だ。しかし、大事なものだ。現実を愛するならば、必ず身につけておかねばならないものである。

 隣の虎猫が独り身になったのかなんなのか、やたらとうちに来る。煮干しをやると腹を見せるので触ると、ごろごろと満足げである。葡萄は猫にやっていいものかどうか分からなかったのでやらなかった。それに、仮によかったとしても、旨いものを食えば家の餌を食わなくなる恐れもある。人間、あらゆることに責任を持てないので、自然慎重になるのである。一生、ご馳走は煮干しであればよい。古典的日本猫のお前さんにはそれが似合いであろう。

 花瓶の幽霊は寝しなに話しかけて来るのでうっとおしいことこの上ない。「どうだ? 寝入りばなに幽霊に話しかけられる気分は」などと言ってくるが、どうもこうもない、うざったいだけである。そう伝えると、自分に迫力がないことをうじうじ悩みだしたので、早く成仏してくれと念じた。なぜここに居着いたのか。薄暗がりが多い部屋であることを呪った。僕が幽霊のようになってしまったではないか。

 最近担当になった編集者の若木君がアパートに来た。陽気に原稿をせっついてくるので困惑する。花瓶(の幽霊)を見て「いい花瓶ですねぇ!」などときゃらきゃら笑っていた。花瓶は僕にだけ聞こえる声で「こんなに褒められたのは初めてだ」だのと嫌味を言ってきた。僕は無視をした。若木君は散々部屋を褒め倒し、原稿を手に帰っていった。ご機嫌な人間である。あれで仕事もできるから隙がない。欠点といえば、少々強めのポマードの匂いくらいである。

 公孫樹の側を通って散歩に行けば、さわさわと葉を鳴らして挨拶をしてきた。返すつもりで幹に触ると、密度のある温かみを寄越してきた。彼は落ち着いた壮年であると直感した。呼ばれたような気がしてふと上を見ると、毬のようなものが枝に引っかかっていたので、大家から竿を借り、つついて落とすと、公孫樹は安心したかのように影を濃くした。幹の元に置いた毬は、次の日になくなっていた。持ち主が持って帰ったのならば良いと思う。

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ある小説家の日記 はる @mahunna

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