鋼鉄の犬(その7)

「あっ、ひとりは工藤から乾燥大麻を受け取った男です」

扉の下の隙間で匂いを嗅いでいた可不可が耳元で囁いた。

強烈な悪臭の中から若い男の匂いを嗅ぎ分けた可不可の鼻を、千里眼に例えれば何と言うのだろう?

二階の作業場の奥に扉の閉じた二つの部屋が並んでいた。

溝口から沙保里のハンカチを借りてすでに可不可のヤコブソン器官にインプットしていたが、だいぶ先の扉の閉じた部屋の中まではさすがに可不可でも無理だった。


いったん階下に降りて、自動車修理のガレージの霊園側に回り、窓から裏口の非常灯の緑色の明かりで中を透かし見た。

天井のレールから黒光りするチェーンが、年代物の高級車の上に、蛸のゲソのように何本も垂れていた。

左奥の仕切られた部屋はトイレと工具室のようで、工具室の前の急な中階段が二階へ通じている。

足元の油まみれの岩石を拾ってハンカチで包み、窓ガラスに叩きつけ、割れたところから腕を入れて留金を外して中に入った。

大麻とは別の、ガソリンだかオイルだかのきつい匂いが、暗い工場に充満していた。

可不可を階段の下に潜ませ、トイレの前の赤く点滅する火災警報ボタンを押すと、工場中にけたたましい音が鳴り響いた。

階段をあわてて下りて来た男と入れ替わるようにして、可不可が階段を駆け上がって行った。


車の運転席で待つと、可不可が助手席に駆け込んで来た。

工場の非常ベルはまだ鳴り止まない。

「二階の作業場の奥はキッチンで、その先は休憩室と事務室です。どちらでも沙保里さんの匂いはしませんでした」

車が発車すると、可不可はすぐに報告した。

「ここで、乾燥大麻から幻覚成分を抽出して大麻ワックスだかリキッドに加工しているのだろうね」

「そうなると、もう立派な覚醒剤です」

「ああ、大麻は覚醒剤の入口とも言えるし・・・」

「どうして覚醒罪なんかやるんですかねえ。せっかく素晴らしい人間に生まれついたのに、廃人になってしまいます」

痛いところを衝かれた。

だが、可不可は皮肉でも何でもなく、人間は素晴らしいと信じているようだ。

「う~ん。生きているのがつらいから、・・・つらいという感情から一時的にでも逃避したい、のかな。・・・可不可は、それでもヒトの感情が欲しいかね?」

「欲しいです」

可不可はきっぱりと言った。


目いっぱいのスピードで車を走らせると、フロントグラスに映る街路灯が、夜空の星のようにどんどん後ろへ流れて行く・・・。

「あの大麻工場はどうします?」

しばらく黙って夜の空を見上げていた可不可が、ぽつりと言った。

「こんどの溝田さんの依頼にはないので、放っておこう。・・・だが、天網恢恢疎にして漏らさず、かな」

「何ですか、それ。悪事千里を走る、と同じことわざですか?」

同じともちがうとも、答えられなかった。

・・・じぶんでも意味の分からないことばを、バディーの可不可に向かって口にしたことを、ひそかに恥じた。

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