第50話 1-12-1 「マルイ…ね」

1-12-1 「マルイ…ね」 耳より近く感じたい


ーー片山のマンション


ガチャリ、

 玄関のドアが開く音がし、足音が2つ、足早に近づいてくる。


ガチャ、

「成斗!…あ」


「あ、はっ、はじめまして、円井と言います。

 勝手にお邪魔してすみません」


 ベッドの横で座ったまま頭を下げる音波の左手は、片山の右手に握られている。


 後ろから佐藤も入ってくる。

「円井、お前送っただけじゃなかったのかよ?」

「タクシーに乗るのも大変だったんだよ? 放っとけないよ」


「…う、」

 片山の右手が緩んだ。

 音波はそっと手を抜く。


「…、取り敢えず、アッチで話そう」

 兄の大智が促す。


 リビングに移動し、音波はソファに、その正面に大智が、ラグに佐藤が座る。


 スマホを操作するのを止め、大智が音波に言う。

「事の経過を端折(はしょ)らずに、“全て”話してくれないかな」


 優しい声で言う大智の顔は笑顔だが、目は笑っていない。


「はい…」

 音波は駅で片山を見つけてからのことを話す。


「…薬を飲むのを凄く嫌がって、体を起こそうとしたら、急に様子がおかしくなって。

 うわ言か呪文みたいに同じこと言い続けて、その時はもう朦朧(もうろう)としてたと思います」


「啓太から薬を飲ませたと聞いたけど?」

「はい、私がいつも常備してる頭痛薬を一錠飲ませました。これです」


 音波はポーチの中から薬を取り出した。

 メーカーの市販薬のロキソニンだ。

 それを見て、とりあえず大智はホッとする。


「で、嫌がる弟にどうやって飲ませたの?」

「!…そ、それは、///」

 音波の顔がみるみる真っ赤になってゆく。


「薬を喉の奥まで入れて…すぐに水を飲ませました///」

「吐き出さなかったのか?」


「くっ、口で…塞いだので…その、飲んでくれました///」

 音波は自分の取った咄嗟の行動を思い出し、恥ずかしくて消えたくなった。


「口移しで水を飲ませたんだ」

 サラッと大智は言う。


「君、振り払われなかった?」

「え?」


「意識のない弟に突き飛ばされたり、邪険に扱われたりしなかったか?」

「それは全く無いです。

 お薬を飲んだ後は、うわ言も言わなくなって、

 少ししたら呼吸も落ち着いてきました」


「…そうか、分かった。

 ありがとう、弟の世話をしてくれて」

「いえ、私の方こそすみませんでした」


「円井、一緒にいるなら、いるって何で連絡しなかったんだよ。

 成斗の扱いなら俺がしたのに」


 佐藤はこう言うが、音波のことだ。

 自分と梶が離れないように気を使ったのだろうと推測する。


「うん、そうだよね、佐藤くんごめん」


「君、マルイさんだっけ? 下の名は?」

「オトハです。円井音波と言います」


「マルイ、マルイ…ね」

「何か?」


「いや、何でもない。

 2、3箇所連絡するから、それまで弟のところに居てやってよ。

 電話が済んだらバイクで送っていく」


「いえいえ、いいです。

 電車で帰ります」

 音波は申し訳ないので断る。


「いいから送る、少し待っててくれ」

 大智は若干強めの口調で音波に言い、自分の部屋に入っていく。


 佐藤が音波に声をかける。

「成斗のとこ、行こうぜ」

「うん」


 二人で片山の寝顔を見る。


 佐藤は床に座って音波を見ながら言う。

「円井、お前時々大胆だな」

「え、そんなことないよ」

「口移しで薬飲ませるとか大胆だろ」


「それはっ、片山くんが首振って飲んでくれなかったから…///

 もういいよこの話は。

 片山くんには言わないでね。

 多分、覚えてないから」

「ああ、取り敢えず黙っておく」


 音波は片山を見る。

「片山くんの寝顔を近くで見るの、2回目だな…」


 呼吸が安定している。

 見た感じ、落ち着いているように眠っている片山を見て、音波はホッ…と安堵の息を漏らした。



 佐藤がボソッと言う。

「何も出なくて、マジよかったわ…」


「え? 佐藤くん何か言った?」

「いや、なんでもない」


 佐藤は、学園祭の時の片山の様子を思い出す。


(あの時は俺が成斗に圧されたからな…、

 円井の時に、“あの症状で出なくて”、本当によかった…、)


 音波は佐藤に尋ねる。

「ねえ、佐藤くん、片山くんは何を抱えてるんだろう。

 自己紹介の時にね、片山くんが言ったの。

 ”俺は女…苦手” って」


「成斗、お前にそんな事言ってたのか?」

「うん、それと2人で移動する時に、佐藤くんっていっつも片山くんの前を歩いてるよね」


 佐藤はドキッとする。

「それは…、」


ガチャ、

 話の途中で、兄の大智が来る。


「お待たせ、それじゃあ送るから」

「あ、はい、有り難うございます」


 音波と佐藤は、片山の部屋から出た。

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