第10話 空を飛べる日がくるなんて!
薄暗い校舎裏。砂利を踏む足音がよく響く。持ってきた小さなライトだけが頼り。
「時間通りね」
綺麗な長髪を片手で払いながら、月世ちゃんはすました顔でうさぎ小屋の前に立っていた。ショコラはまん丸な瞳を静かに私へ向けている。その瞳は真っ黒で、何か言いたげに見える。
昨日はトワ様が家まで送ってくれたから、〈裏の世界〉へ飛び込んで以来、ショコラには会っていない。ここは基本のキ、挨拶からだよね。
「こんばんは~。ショコラと話すのは初めてかも。昨日は〈裏の世界〉へ送ってくれてありがとう」
「送ったのではない。お前が勝手に入ったんだ」
ごもっとも。返す言葉もありません。
怒ってるのかと思い、恐る恐るショコラを見る。いくら『魔法うさぎ』だとしても、見た目は普通のうさぎ。顔を見ても、何を考えているのかさっぱり分からない。
「えっと、ショコラ、怒ってる?」
自然と声が小さくなる。返事を聞くのが怖いな。
「怒ってはいない。一人だけ通すことを許可されていたからな。『背が低くて、肩までの長さのツインテール。ピンク髪』。特徴は一致していた。それに、昨日来ることをトワ様は予想しておられた。通す人間を間違えるはずがない」
「ええっ!! 私がここに来ること、知ってたの!?」
トワ様って本当に凄い魔法使いなんだ。憧れちゃう。魔法で予想したのかな、それとも超能力も使えるのかな。超能力が使えたら、念力で物を動かしたいな。ソファに座ってテレビ見てる時とか、遠くのリモコンを移動させられたらすっごい便利だよ。
「早く行くわよ」
一人の世界に入っていたせいで、危うく出遅れるところだった。
「待ってよ月世ちゃん。あ、ショコラありがとね!」
知らない言葉で呪文が唱えられた後、目が痛くなるほどの真っ白な光が辺りを包む。ショコラにお礼を言って、月世ちゃんの後を追う。
「いったぁ~い」
半べそをかきながら、地面に手をつく。またもやお尻から地面へダイブしてしまった。立ち上がってスカートの汚れを払う。うぅ、また砂まみれになっちゃった。
「陽菜は学習しないわね」
優雅な顔で腕を組む月世ちゃんは、私を見て溜息をつく。呆れられちゃった。
「月世ちゃんはどうして綺麗に着地できるの?」
教えてもらえなさそうだけど、聞くだけならタダ。つまり、無料。
「地面に足をつけることだけに集中する。向こうで扉を通ったら、一瞬でこっちの地面に足がつくから」
あの月世ちゃんが教えてくれた! 足を伸ばすことだけに集中する、ね。高い位置から放り出されるわけじゃないから、足を伸ばせば怪我せずに着地できそう。
「まさかとは思うけど、失礼なこと考えてないでしょうね」
「ま、まっさかぁ、そんなことないよ~。あははははは」
「嘘が下手」
月世ちゃんの目をごまかすことはできなかった。それとも、私が嘘つくの下手なだけ? ここは、別の話題でごまかすしかない。
「ショコラが開く扉って、すっごく眩しいよね。あんなに光ってたら、内緒にしてても怪しまれるんじゃない? 周辺には清華小の生徒が住んでるんだし」
「それはない。あの光は大多数の人間には見えないから」
「え、じゃあ、私って―」
胸いっぱいに空気を吸い込む。今の発言からしたら、あの光が見えた私は人間じゃないことになる。たった四文字が頭の中を占める。
魔法使い。
「喜んでるところ悪いけど、それは違う」
「へ」
「『大多数の人間』って言ったでしょ。八、九割の人間はあの光を見ることができない」
上げて落とされた。そんなことってある!? もしかしたら自分は魔法使いかもしれないって喜んだところだったのに。
「ひどいよ!」
「心外だわ。まずは私の話をきちんと聞きなさい。そういうのを『早合点』っていうのよ」
「早合点?」
「最後まで話を聞かずに、早い段階で結論づけてしまうこと。今のあなたみたいにね」
何も言い返せない。月世ちゃんに言葉で勝てる人なんていないんじゃないかって思えてきた。『月ノ国』の女王様とかトワ様くらい?
「いい? 私が『大多数』って言ったのは、残りの一、二割の人間には光が見えるからよ。あなた達の世界にもお化けが見えたり、声を聞くことができたりする人がいるでしょう。霊感っていうのかしら。それに近いものだと思えばいい」
「え、じゃあ、私って―」
上げて落とされて、また上げられた。
嬉しさのあまり、同じ言葉しか出てこない。だって、私は残りの一割に入ってるってことでしょ。魔法使いではなかったけど、他の人には見えない異世界への扉が見える。それだけで特別を実感できる。
「随分嬉しそう」
「うん! ずっとずっとオカルト的な話に憧れてたから。もしも魔法が使えたら、もしも不思議な世界に行けたらって。嬉しいって言葉じゃ、とても表現しきれないよ」
「そう。良かったわね」
「えへへ、ありがとう」
月世ちゃんにお礼を言ったら、不思議そうな顔をされた。昨日までの「理解できない」という顔じゃない。「不思議」という顔。「理解できない」と拒絶してるんじゃなくて、「不思議だから知りたい」と私を受け入れてくれてるみたい。
「今の流れで、どうしてお礼を言われるの」
やっぱり。私のことを知りたいって思ってくれてる。
仲良くなりたい、友達になりたいって思いはきっと、「相手のことを知りたい」って気持ちから始まる。仲を深めたいから知りたい。友達だから、好きな物から嫌いな物まで知りたい。私だって、月世ちゃんのこと、もっと知りたい。
「月世ちゃんは、私の『嬉しい』に『良かった』って言ってくれたでしょ。それって、私が『嬉しい』って思ったことを『一緒に喜んでくれた』ってことだよね。だから、お礼を言いたくて」
説明が下手だったのか、月世ちゃんは無表情のまま。う~ん、自分の「嬉しい」を言葉にするって難しい。
「あなたの考えてること、理解できない」
説明の上手い下手が問題じゃなかったかぁ。まぁ、友達だからって全てを理解しなきゃいけない、とかないもんね。月世ちゃんとはずっと友達でいたいし、これからゆっくり私のことを知ってもらえれば良いや! 決意表明! 有言実行!
自分の両手を強く握りしめる。
「月世ちゃん。私、頑張るからね」
「頑張らなくていい。そんなことより、早く箒を出して」
そ、そんなこと・・・・・・。
分かりやすく落ち込んだが、華麗にスルーされた。いいもん。私の強みは、ポジティブさと粘り強さと・・・・・・あと他にもいろいろなんだから!
カーティガンのポケットから、昨日もらったオレンジ色のリップを取り出す。
「あ」
「今度は何」
魔法で箒を出していた月世ちゃんは、その先を地面につける。
「どうしよう。鏡忘れた」
「ばかじゃないの」
私もそう思う。〈裏の世界〉に来たら、リップを使うことは予想できたのに。鏡を持ち歩かないのって、女子力が問われてる気もする。
塗り慣れてもいないのに、感覚で塗ってやろうとリップを口まで持っていく。
「鏡」
ため息交じりの声。月世ちゃんの左手には、人の顔サイズの鏡が置かれていた。
「月世ちゃん、私のために」
「箒がないと崖を降りられない。早くして」
「は、はい」
鏡を受け取って、そっとリップを口に塗る。リップの蓋を閉じたら、片手に持っていた鏡がぱっと消えた。
『狭間の宮殿』で練習した通りにやってみる。右手を前に出し、魔法の箒をイメージする。少しずつ竜巻のような風が起こり、オレンジ色の箒が現れた。
「ごめんね。お待たせ」
「飛び方知らないわよね」
「そうだった。それも教えてもらわないと」
意気揚々と箒に乗って、崖から落ちる想像をしてしまった。高さは校舎の何倍もある。ここから落ちたら助からない。私の顔は一瞬にして真っ青になった。
「表情がうるさいから何を考えているのかすぐに分かる。飛び方は教えるから大丈夫よ」
「表情がうるさい・・・・・・って、褒めてないよね?」
「褒めているわよ。私にはないから」
右手に持つ黒色の箒を握りしめる。俯いたせいで、表情から気持ちを読み取ることができない。
「う~ん、そうかな。私からしたら、月世ちゃんの表情も分かりやすいと思うけど」
「そんなわけない」
「本当だよ。今だって、飛び方を知らないって言った私の顔を見て、困ったようになったよね。私が落ちる想像をしちゃって、泣きそうなになったから」
今度は少し驚いてる。無表情と言われればそうだけど、普通の表情とは違って見えるんだよね。
「私の考えていることが分かる人なんて、そんなにいない」
いつもの自信に溢れて堂々とした声じゃない。消え入りそうな呟き。驚きと疑問。
「多分だけど、月世ちゃんのことを『知りたい』って、本気で思ってるからだと思う。本気で『知りたい』から、ちょっとした表情の変化とか、考えてることとかが、分かる気がするの。その人のこと『知りたい』って気持ちが大事なんじゃないかな。多分」
「多分って二回言った」
「そ、それは言わないでよ~」
一瞬、たった一瞬だけど、月世ちゃんが笑ってくれた。それがあまりにも嬉しくて、気づいたら私も笑っていた。私の場合は一瞬じゃなくて、治まるまでだけど。
「笑ってないで早く箒にまたがって」
「はーい」
「まったく、返事だけは良いんだから」
照れ隠しなのか、月世ちゃんは悪態をつく。言い方が怒ってるわけでも呆れてるわけでもない。それに、「知りたい」って呟く声が聞こえてきた。
失敗しても大丈夫なように、崖の中央で練習する。言われた通り、まずは箒にまたがる。
「トワ様の魔力を借りているから、魔力が足りなくて箒を浮かせられないってことはない。トワ様の魔力は強いけど、あなたに貸すのを見越しているから、魔力はコントロールしやすいように調節しているはず。あなたは飛ぶイメージを頭に描くだけ。得意よね?」
「もちろん。そっか、トワ様は私が使うことを予想してリップを作ってくれてたんだ」
リップをもらった時の様子を思い出し、改めてトワ様の凄さと優しさに感動した。が、月世ちゃんから返事がない。てっきり、「当たり前よ」って返ってくるかと思ってた。
「どうして、そう思うの?」
「そう思う?」
そう、がどれを指しているのか分からなかった。
「今の言い方だと、『トワ様はあなたのためにリップを作ったわけじゃない』と思っていたってことでしょ」
「うん。だって、あんな凄そうなリップをすぐに作れるとは思えなくない? だから、私用に作ったんじゃなくて、別の誰かに作っていたリップをくれたのかと思って」
真剣に私の話を聞いてから、あごに手を置いて考え始めた。その顔だと、私の考えに筋が通っていて、自分の考えを改めようとしてるってことだよね。
数分の沈黙。考えがまとまったのか、月世ちゃんは顔を上げた。
「あなたの言う通りね。物の開発ってなると、魔力が強いとかは関係ない。研究の繰り返しで完成度を高めていく。『トワ様は大魔法使い』っていう考えが先行していたわ。トワ様がつけた、そのリップの名前って覚えている?」
「えっと、『誰でも魔法使いになれるリップ』だったよね」
月世ちゃんが頷く。その動きに合わせて揺れる髪が、月の光を受けて輝きを増す。
「『誰でも魔法使いになれる』ってことは、魔法使い以外が使うことを想定していたはず。魔力が弱い魔法使いが使うためじゃない。その点も気になるの」
二人で考えてみたが、それらしい答えが思いつかなかった。〈裏の世界〉に来たのはリップの推理をするためじゃない。『月ノ国』を案内してもらうためだ。とりあえず、飛ぶ練習を始めることにした。
イメージ。空を飛ぶイメージ。
空を飛びたい。本の中の登場人物みたいに、箒に乗って自由に空を飛んでみたい。雲って見た目通りにふわふわなのかな。太陽の下って暑すぎて飛べないのかな。
紙みたいに軽くなった体は、箒にまたがって浮かび上がる。風を感じて空を飛び、箒を傾けるだけでどこへでも行ける。
「で、できたっ!!!」
歓声。喉から声にならない声が出る。
一センチ、二センチ、と少しずつ地面から足が離れていく。服とツインテールも、体と一緒にふわふわ浮き始めた。最近気になってきた体重がありがたいことに減ってくれた! というわけでもないのに、軽々と体が持ち上がる。
月世ちゃんの言った通り、リップに込められた「コントロールしやすくて強い魔力」のお陰だね。リップは不思議だけど、念願叶って飛べるようになったから細かいことは気にしない。
「あなたの想像力って、私の予想以上。一回で飛べると思わなかった」
「ありがとう~。でも、トワ様のお陰だよ。私のためにあのリップをくれたから」
カーティガンの胸ポケットを見る。夢を叶えてくれた「魔法のリップ」。
月世ちゃんも箒に乗って、浮かんだ私の横に並ぶ。
「落ちそうになったら、しっかり箒を握って飛ぶイメージをして。前も言ったけど、私達は箒がないと飛べないから」
「落ちながら冷静にイメージって、できるかな」
「私も助けに入るから」
月世ちゃんの助けとか、心強いことこの上ない。今の一言で、さっきイメージした「落ちていく私」が完全に脳内から消し飛んだ。
「ありがとう。月世ちゃんが助けてくれるなら無敵だね。今のでいっきに不安がなくなったよ」
「無敵って、凄い魔法とか使えないわよ」
「違う違う。そういう意味で言ったんじゃないよ。『月世ちゃんが私の味方』っていう事実が無敵なんだよ。魔法や力は関係ない」
数秒黙った後、「分からない」と言われてしまった。まぁ、いいでしょう。私には「無敵」って気持ちがあるから。月世ちゃんも同じ気持ちになってくれたら嬉しいなって思ってしまった。私は、何もしてあげられないのに。
月世ちゃんは箒の先を握って、実際に動かしながら教えてくれる。
「最初は右へ曲がってみて。その次は左。上へ下へ。箒の先を行きたい方向へ傾ければ、そっちに移動してくれる。一回で飛べたくらいだから、想像力は問題ないと思う」
「分かった。やってみる」
両手でぎゅっと箒を握る。イメージをしっかり。まずは右。箒の先を右に傾ける。それと同時に、自分の体が右方向に曲がっていくイメージ。
よし、曲がれたぞ!
左、上、下、順番に箒の先を傾け、イメージを思い描いていく。
「この調子なら、崖から門の前まですぐに移動できそうね。できるだけ横を飛ぶようにするから、好きに飛んでみて。まずは崖から降りるわよ」
「う、うん。緊張するなぁ」
「あなたでも緊張するのね。勉強になったわ」
「いや、するよ? 緊張! っていうか、私のこと研究対象にしてない!?」
また、一瞬だけ笑った。もしかして、これって私、からかわれてる!? 横目で月世ちゃんを見ると、いたずらが成功したみたいな顔をしている。確定。私をからかって楽しんでるんだ。
箒に乗って、浮いた状態で崖の端まで移動する。そこからそっと見下ろすと、ひゅっと喉が鳴った。昨日も崖から降りたけど、自分で箒を動かして降りるとなると話は別。あまりの高さに、ぶらついた足と箒を握る手が震える。
「大丈夫」
はっとして隣を見る。月世ちゃんが大きく頷いた。そうだ。空を飛ぶことに、あれだけ憧れてたじゃない。雲を触ってみたい。太陽の真下は暑いのかな。この疑問を解決するには高い高い空の上を飛ばなきゃいけない。今からは下に降りるわけだから叶わないけど、崖から飛べなくちゃ叶えられない。
ぎゅっと箒を握りしめ、崖の端から一歩踏み出す。飛ぶイメージは強く。箒を前へ下へ、たまに右や左、上へ。一歩踏み出してしまえば、不安はなくなる。震えは止まっていた。それに、隣には月世ちゃんという「無敵」がついてくれてる。
水に潜る時くらい、胸いっぱいに大きく息を吸い込んだ。
「風が気持ち~い!」
風の合間を体が通ってるみたいな感覚。冬の寒い風でも、夏の生温かい風でもない。秋に入りたての、あの心地よい風。その風に全身が包まれてる。
風を切るようにして飛んでいるから、喋る際には少しだけ声を張らないといけない。月世ちゃんが大きめの声を出す。
「騒いで落ちても知らないわよ」
「月世ちゃんがいてくれるから大丈夫」
「なにそれ。意味分からない」
取り留めもない話。それでも、こうして空を飛びながら話せるって言葉にできないほど嬉しい。テストで満点取るよりも、絵画コンクールで表彰されるよりも、もっと嬉しい。
スニーカーと地面の砂利が合わさる。
「無事に到着~。月世ちゃんが教えてくれたお陰だね。ありがとう」
「トワ様に案内するよう言われたから」
「それでも、私のために時間をとって教えてくれたんだから、ありがとう」
何かをしてもらったら「ありがとう」。誰かに迷惑をかけたら「ごめんなさい」。朝に会ったら「おはよう」だし、ご飯を食べる前には「いただきます」。たった一言だけど、このたった一言が大切なんだなって思う。
落ちることなく着地できて、一息つけた。周りを見る余裕が出てくる。昨日は国の入り口ではなく、城の入り口に降りた。だから、街並みを見るのは今日が初めて。飛ぶ緊張がなくなったと思ったら、今度は知らない場所を探検するっていう緊張が訪れる。知らない場所へ足を踏み入れる怖さより、知らない場所を冒険できる好奇心が勝った。早く、一刻も早く街並みを見たい。歩きたい。
「この門が『月ノ国』への入り口。ショコラの扉は、各国の崖上に繋がっている。私が『月ノ国』の住人だから、ショコラは『月ノ国』の崖上へ、扉を開いたの」
ショコラが〈表の世界〉で開く扉は、どこか一箇所にだけ繋がってるわけじゃなかったんだ。そっか、〈表の世界〉から〈裏の世界〉へ帰るための扉は、ショコラにしか開けない。ショコラの開く扉が七つの国全てに繋がらなかったら、一つの国を経由しないと帰れなくなっちゃうんだ。
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