第4話 憧れの同級生は魔法使い

「いったぁ~い」

 女の子なのに~と泣き言を言いつつ、何度かお尻をさする。ゆっくり立ち上がって、スカートの汚れを払った。お尻は痛いし、スカートは汚れるし、最悪。あと、スカートの汚れは絶対怒られる。お母さんが怒ってる姿を想像して、体が震えた。

 吸い込まれるように光へ入った後、一瞬にして地面の上に放り出された。幸い、十数センチ上から放り出されただけで済んだ。これがビル何階分もの高さだったと思うとゾッとする。生きてて良かった~。今ほど命のありがたさを実感したことはないよ。

 いつもの調子が戻ってきて、周りを見る余裕が出てきた。

「・・・・・・は?」

 予想外の景色に言葉が出せなかった。「は」は出たけど。

 予想外。そう、予想外なのだ。それも、最高に嬉しい意味で。

「やっぱり、『校舎裏の話』は本当だったんだ」

 私が立っているのは崖の上っぽい。ここより上に地面はなく、見下げた先には美しい街が広がっていた。下の街から崖上までは、校舎いくつ分かってほどの高さがある。あまりの高さに喉が鳴ったが、美しい景色に圧倒されて怖さが吹き飛ぶ。

 真っ暗な空には、強い輝きを放つ月と数々の星。崖下には、星の形をした建物が所狭しと並んでいる。その建物群の中央には、満月のように黄色くて丸い、ひときわ大きな建物が建っていた。地面から崖上までは相当な高さがある。それなのに、中央の建物は、崖の上と同じ高さにある。多分、中央の建物だけが他の建物よりかなり高いんだろうなぁ。

 月や星の輝きを受けて、崖下一帯の建物が光っている。中央の高い建物が満月、周りの小さくて低い建物が星、真っ黒な地面が空と、まさしく夜空のよう。

 嬉しさのあまり、笑いがこみ上げてくる。これは叫びたいかもしれない。

「異世界に来れた~。さいっっこ~っ!」

「うるさい」

 叫んじゃった。何よりも望んでた世界が、目の前に広がってる。テストで良い点数取れなくても良い―これは自分の頑張り次第だけど―、恋人ができなくても良い、可愛くなれなくても良い。全てと引き換えにしてでも見たかった世界。

 嬉しさが爆発して大声出しちゃったけど、大丈夫だよね。周りに誰もいないし。

「聞こえているの? うるさいって言った」

 こ、こここ、声っ!?

 首を竦めてゆっくり後ろを振り返る。空耳だと信じて。祈りながら。

「気づくのが遅い」

「きゃ、きゃぁあぁあぁあぁあ~!!!」

 後ろに立っていた人物と目が合ってしまい、壊れた家電製品のような声が出た。息が続く限りの絶叫。目の前の人物は、私の絶叫に顔をしかめて耳を塞ぐ。

 どれくらい経ったか分からないが、意外にも相手は落ち着くまで待ってくれた。一息ついて、目の前の人物を確認する。

 これまた絶叫タイム。一番見られたくない相手に変なところを見られてしまった。

「あ、ああ。も、もももももも」

「桃太郎? それが何」

「桃太郎じゃないです。というか、桃ではなく桃太郎?」

「も」を連呼してしまったのは私だが、そこは普通「桃が何?」って聞かない!? どうして桃太郎?? う~ん、謎。

 違う。大事なのは「も」と聞いて何を連想するかじゃない。

「も、もしかして、黒夢月世さん、ですか」

「ああ。もしかしての『も』」

 私の問いには答えず、一人で勝手に納得してる。黒夢さんってクールな人だと思ってたけど、もしかして天然なのかな。

 黒夢さんの鋭い視線が私を射抜く。美しい月を連想させる黄色の瞳。

「あなた、誰」

「え、誰? もしかして、ご存じないですか」

「初対面でしょ」

 ショックを通り越して、立ち直れない。黒夢さんみたいな人が平凡な私を認識してるわけがないと思ってた。でも、仲良くなれるかな~、なんて考えてた身としては悲しすぎる。あんまりだ。

 ここでめげてる場合じゃない。むしろ、お近づきになるチャンスじゃない。ピンチをチャンスに変えるのが、この私、白時陽菜でしょ。

「私、清華小学校四年生の白時陽菜って言います!」

「同じ、クラス。そう」

 黒夢さんは考え込むようにして、俯いてしまった。

 う、うわぁ。全然興味なさそう。そりゃあそうか。私なんて、黒夢さんからしたら、村人Aだもんね。いや、村人Aどころか雑草になれてるかどうか。

「ねぇ」

「は、はい!」

 俯いていた黒夢さんがスッと前を向く。それに合わせて揺れる長髪。月の光に照らされて、黒夢さんの美しさがいっそう増す。

 さっき騒いでいたこと、絶対怒られる。

「どうして敬語なの」

「騒がしくてごめんなさい。静かにします。一生涯喋りません・・・・・・え」

 怒られ待ちで背筋を伸ばしていたのに、聞こえてきたのは疑問。黒夢さんは、同い年の私が敬語を使っていることが、気になるらしい。

 目をパチパチさせながら、黒夢さんをじっと見る。

「だから、どうして敬語なの」

 え~と、聞き間違いじゃないみたい。怒られずに、普通に質問されてる。

「推しだからと言いますか、同い年の子と同じ接し方ではダメと言いますか、雰囲気が大人っぽくて憧れちゃうからと言いますか」

「よく分からない。私があなたとは違う〈裏の世界〉に住んでるからってこと? でも、〈表の世界〉とそんなに変わらない」

 表? 裏? 世界??

 世界って、日本とかアメリカとかのことだよね。私の知らない間に表とか裏とかいう国ができたわけじゃないよね。誰か教えて。

 あまりにも長い間黙っているからか、いつもは無表情な黒夢さんが段々強張っていく。

「あなた、〈裏の世界〉と〈表の世界〉を知っていて敬語を使ったんじゃないの?」

 正直に頷く。それしかできなかった。

「これは、最大の失態かもしれない。最悪の場合、私の『試練』に関わるかも。・・・・・・くっ、それもこれも、あなたが敬語を使うなんて紛らわしいことをしたから」

 美しく整った顔に睨まれて、ひっと喉から声が出た。まさに、蛇に睨まれたカエル。お母さんに睨まれた子ども。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。あの、黒夢さんの話もどうして怒ってるのかも全然分からないんですけど、ごめんなさい。謝りますから、許して下さい」

「怒ってる理由が分からないのに謝らないでよ。それと、敬語はもうやめて。次使ったら、凍らせて燃やす」

 ひぇぇぇえええぇ。

 凍らせて燃やすって、何そのコンボ。っていうか、凍らせて燃やすってどうやって。冷蔵庫に入れられる、とか? む、無理。死んじゃうよ。

 敬語はやめよう、と自分自身に誓う。ちょっと緊張しちゃうけど、深呼吸すれば大丈夫。

「ええっと、黒夢さん」

「名前」

「なな、名前!?」

 敬語をやめるだけでなく、名前呼びを許可されるとは。嬉しすぎて飛べるかもしれない。照れてしまうが、これだって黒夢さん・・・・・・月世ちゃんのお願いなのだ。

 私はドキドキする心臓を右手で押さえる。

「つ、月世ちゃん?」

「違う」

「? 黒夢月世ちゃんで合ってるよね」

「合ってる。私が言いたいのは、あなたの名前」

 そっちかいな!

 月世ちゃんの口数が少なすぎて、もはや言葉当て大会になってきた。

 名前呼びを勧められて、友達になれると思ったからショック。まぁ、このまま名前呼びにしてしまおう。うん、そうしよう。

「いや、ちょっと待って。さっき名乗ったよね?」

「覚えていたら、わざわざ聞かない」

「で、ですよね~」

 もう泣きそう。同じ教室にいたのに、こんなにも認知されてないとは思わなかった。私は大きく肩を落とす。

 暗い雰囲気になっても仕方ない。明るい笑顔で答えるのが一番。私の長所は太陽みたいな笑顔なんだから。

「もう一回自己紹介するね! 私は白時陽菜。よろしくね」

 せっかくだから、ウィンクもつけちゃう。

 月世ちゃんが凍らせて燃やすのコンボなら、私は笑顔と元気のコンボで勝負しよう。そう思って笑っているが、返事がない。これは、失敗したかな。

「ど、どうしたの? 何か変なこと言っちゃったかな」

「もう一回名乗ったのね」

「え、うん。月世ちゃんが名乗って欲しいって言ったから」

「そう」

 あれ、気のせいかな。一瞬だけ月世ちゃんが嬉しそうに笑った気がする。すぐにいつもの無表情に戻っちゃったけど。

「陽菜」

「わ、私の名前!? え、嘘、呼んでもらっちゃった」

 両手を頬に当てて飛び跳ねんばかりに喜ぶ。脱、雑草。脱、村人A。いつか月世ちゃんと話してみたいって思ってたけど、名前呼びまで叶っちゃうなんて!

「名前、呼んだんだけど」

「うわ、ごめんね。呼ばれたのが嬉しくて、つい。へへへ~」

 月世ちゃんの冷たい視線が刺さる。変な人を見る目を向けられたことで我に返る。せっかく仲良くなるチャンスなのに、変な人認定されたら困る。

 私は緩み切った表情筋を元に戻す。

「今から一緒に来てもらうわ」

「急に??」

 話の流れが掴めない。よくよく考えれば、こんな訳の分からない世界に飛ばされてるのに、どうして月世ちゃんは普通にしてるんだろう。そもそも、どうしてここにいるの? 知らない世界で知り合いに会えた安心感からか、疑問が頭からすっ飛んでいた。

「一緒に行くのは良いんだけど、その前に聞きたいことがあるの。聞いてもいいかな?」

「駄目」

「そっか、ありが・・・・・・え、ダメ!?」

 バッと月世ちゃんの方を向く。拒否されると思わなかったから、次の言葉は質問しか考えてなかった。

「移動するのが先。今から行く場所で、あなたの知りたいことが分かる」

「分かった。月世ちゃんがそう言うなら、まずはついて行くね」

 ニコッと微笑むとなぜだか嫌そうな顔をされた。変なことでも言ったのかな。

「何か気に障ることでも言ったかな? それなら教えて欲しいんだけど」

「どうしてすぐに信用できるの」

「え」

 心底不思議そうに首を傾げている。サラサラな長髪が肩を流れて落ちていった。

 答えはたった一つ。これしかないでしょ。

「月世ちゃんが『移動先で説明する』って言ったなら、私はそれを信じるよ」

「初めて話したのに?」

「うん、信じる!」

「根拠もないのに信じるなんて、変な子」

 あ、まただ。

 月世ちゃんが嬉しそうに目を細めた。見間違えなんかじゃない。今度ははっきりと見えた。友達として、月世ちゃんのことをもっと知りたい。お話したい。

「あそこに城が見えるでしょう」

 月世ちゃんが指差した先を私も見る。細くて長い指の先には、黄色くて丸い、満月のような建物が凛として建っている。あれ、お城だったんだ。

 またもや胸が高鳴る。

 あの建物は、他の建物に比べて大きくて美しい。格が違うっていうのかな? 存在感が桁違いに大きいから、お城と言われても納得できちゃう。

「あの建物ってお城だったんだね」

「今からあそこに行く」

「楽しみだな~。どんなところなんだろ。あ、でも、崖の上からどうやって降りるの?」

 街が広がっているのは崖の下。お城だって、崖までの高さがあると言っても、入口は地面にあるはず。崖の下に降りないことには行動できない。

 周りを見渡しても、道らしい道がない。そもそも、崖の下に降りるための坂らしい場所もない。梯子とか階段もない。

「心配しなくても大丈夫」

「あ、うん? 月世ちゃんがいるなら大丈夫だと思うけど」

 すると、月世ちゃんは両目を閉じて一言も話さなくなった。右手を体の前に出し、何かを念じるようにしている。次の瞬間。

「うわぁっ!」

 月世ちゃんの右手を中心に、小さな竜巻のようなものが出てきた。強い風のせいで、私達の服や髪がなびいていく。

 一瞬だけ、風から守るために目を閉じた。ほんの一瞬だけ。しかし、目を開けた時にはどうしてなぜか。月世ちゃんの右手に箒が乗っていた。周りにはそんな道具、一つもおいてなかったよね!?

「それって、箒?」

「陽菜が想像する箒とは違う」

「違うって言われても・・・・・・」

 視線を月世ちゃんから箒に移す。どうみてもただの箒。給食の後にある、お掃除の時間に使うやつ。月世ちゃんの持っている箒は、小学校の箒と比べて、掃く部分にボリュームがある。でも、違いはそれくらい。

 って、箒に驚いてる場合じゃない。それ以上に驚くことが目の前で起きてたじゃない!

「今、どこから箒を持ってきたの」

 箒を指して驚く私に、月世ちゃんはたった一言。さも当然のように言い放つ。

「出したのよ、魔法でね」

 いきなりこんなことを言われたって、どうしたら良いか分からない。私だけ信じていたと思っていた。お化け、妖怪、UMAなどなど。魔法使いだって、いつかは会いたいと思ってた。

 嬉しさのあまり、言葉に詰まる。

「魔法、使えるの?」

 やっと出た言葉がこれかい。自分にツッコミを入れたくなる。こんなことなら、もっと国語の勉強しとくんだった。

「使える。あなたは『魔法』って言葉が出ても信じるのね」

「もちろんっっ!!」

 前のめりになって、月世ちゃんに詰め寄る。私の方が小さいから、下から覗き込む形になった。

「ちょっと、近い」

「あ、ごめんね」

 パッと顔を逸らす月世ちゃん。私は慌てて後ろに下がった。

「魔法ってことは、漫画みたいに箒で空を飛ぶってことだよね。凄いよ!」

「この世界では当たり前。〈表の世界〉の住人は空を飛べないから不便よね」

 そう言いながら、ゆっくりと箒に跨る。それに合わせて紫色の髪がふわりと舞う。箒に乗る姿も綺麗! 魔法使いって感じ!

 箒に乗る月世ちゃんを眺めていたら、本人と目が合った。顎を小さく動かし、箒を示す。

「乗って」

「へ」

「後ろに乗って。あなたは魔法が使えないし、箒も持ってないでしょ」

「確かに」

 目を輝かせながら何度も頷く私に、月世ちゃんは溜息をつく。

 憧れていた魔法の箒。それに乗って空を飛べる日が来るなんて。空を飛ぶ、良い響き。

 まただ。心臓が高鳴る。わくわくした気持ちを抑えきれず、胸いっぱいに空気を吸い込む。

「それじゃあ、乗るね」

 月世ちゃんは前の方に乗り、後ろに一人分のスペースを作ってくれる。私はそっとそのスペースに乗った。

「しっかり掴まっていて。落ちても知らないから」

「う、うん」

 体がふわっと宙に浮く。月世ちゃんが地面を蹴ると、私達を乗せた箒が少しずつ上がっていった。二人も箒に乗って飛べるのか心配だったけど、真っ直ぐ進んでくれたことに安心する。

「本当に空を飛んでる」

 高い位置で浮いているという恐怖より、空を飛べたっていうわくわく感が圧倒的に勝ってる。全身にあたる風が心地いい。箒から下を覗くと、視界いっぱいに夜空が広がっていた。飛んでるのに、自分の下に空があるって不思議な感じ。まぁ、本当に夜空があるんじゃなくて、夜空に見立てた街なんだけどね。

 一度も話したことない同級生と空を飛んだって人、他にいないだろうなぁ。


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