第2話百足退治

 赤黒い血を垂らす龍は百足を見て露骨に嫌な顔をする。当たり前だ。いきなり突撃を敢行され、それによって傷を付けられたのだ。今から百足が頭を下げて謝ろうとも龍が許すことはないだろう。まぁ、百足にその気がないのは突撃をかましたことから誰にでも見て取れることだが。

「くず虫が。俺を追ってここまで来るか。虫は虫らしく踏まえて息絶えればよいものを」

 龍は皮肉を述べ、それに対する百足の返答は大気を震わす甲高い咆哮であった。百足がシャー、シャーと叫べば黒雲は渦を巻き、やがて、先ほどよりも酷い嵐へと天候は進化する。落ちてくる雨粒は顔に当たるだけで痛く、目を開けていられない。

 商人は今目の前にしている怪物二匹の喧嘩をどこか、虚ろな目で見やる。あまりにも現実離れをしすぎている。今まで、商人として山を越え、川を越え、戦争をする、仕掛ける町まで出向いて武器を売った。齢三十にして戦争は山ほど見てきたはずだ。だが、天候を変えてしまうほどの力を持った怪物同士の争いなど誰が見たことがあろうか。商人は家に残した妻子を思い、現実逃避にくれている。

 しかし、商人が何を想おうと怪物たちには知ったこっちゃない。先に動いた龍が百足の体に噛みつく。しかし、硬い。流石は虫の甲殻と言うべきか。伝説上の生き物の八重歯さえ通さないその強固な甲殻という名の鎧はきっと、何をもってしても壊すことができないのだろうと龍も含めて思わせてしまう。龍にも龍なりのプライドがあるため、どうしても食いちぎろうと食い下がる。だが、それを好機と考えた百足は長い胴体を百足を蠢かせて動かし、龍の体に巻きつく。噂の通り、千里はあろうかというほどの体の長さだ。龍も長い胴体を持っているが、軽々と凌駕する程の肉体を持っている。加えて、全身に龍の噛みつきに易々と耐える鎧を備え付けているどうすれば奴に致命傷を与えることができるのであろうか。絶望するはしかし、商人だけであった。

 がんじがらめに巻きつかれた龍は地面に倒れ、のたうち回るが、まだ希望を捨ててはいない。大百足の体重が合わさることですこぶる重い肉体を無理やり宙に浮かせる。高度はどんどんと上がっていき、龍の作戦に気づいた百足は一目散に退避しようとするが、遅かった。宙を舞うのは龍の力なのだろう。どういう原理かは分かるはずもないが、しかし、自由に体を浮かすことができるということは逆説的にいつでも体を宙から落とすこともできるということだ。逃げ遅れた百足は龍に巻きついたまま、龍と一緒に地面に向かって落ちる。高度何メートルかは分からないが、商人の頭上のはるか上を行き、落ちた衝撃で商人の体が地面から弾き飛ばされる。あまりにも派手であるが実態は何も難しいことのない落下運動により、土煙が舞う。ゆらゆらと土煙から顔を上げるのは……百足であった。

 何ということだろう。あの甲殻はとてつもない高度からの落下でも傷一つ付いていない。それどころか、悠々と起き上がっているではないか。龍の攻撃は無駄であったのかと思ったその時、百足が揺れた。きっと、外側が無傷でも中に衝撃が走ったのだ。百足の内臓が落下の衝撃により悲鳴を上げているのが見て取れる。それを見逃す程、龍も老衰はしていない。

 龍が死んだふりを決め込んだがために油断していた百足の首に噛みつく。押し倒されるは大百足。力一杯に龍は百足を地面に何度も叩きつける。落下のように内側へダメージを与えようとしているのだ。だが、残念なことに落下の衝撃は龍にも入っている。死にかけている龍に対して百足は少々強い衝撃を受けただけだ。ならば、有利不利で言えば圧倒的に百足が勝っている。押していたはずが、逆に百足に押し返される龍。

 息も絶え絶えに龍は思う。何が理由で負けてしまったのかと。確かに、体の長さも硬さも全てが百足のほうが勝っている。だが、それを理由にして負けたと認めるのは癪だ。これでは、最初から勝敗が決まっていたと言っているも同然ではないか。無性に悔しい気持ちを胸に抱き、そういえばと、視線を彷徨わせる。焦点があったのは馬車だ。しかし、肝心の商人がいない。腰が抜けてしまっていた哀れな商人はそれでも逃げることができたようだ。別に、安否を確認出来て安心したなどとは微塵も想ってはいない。だが、あの商人がいてくれれば、何かが変わったのかも知れないな、と人知れず龍は思う。百足の巻きつきが強くなった。抵抗する余力はもう残っていない。これでも様々なものを見聞きした龍はされど、何を思うでもなく目を閉じた。その時だった。

 猛々しい声が僅かながらも耳に響いた。嵐の音を裂くほどの声は段々と大きくなり、やがて、何かが飛んできた。その何かは綺麗に半月の弧を描いて百足の大きな目に突き刺さる。あれほどやっても外側に傷をつけることの敵わなかった百足に対して誰が見ても傷があると分かる場所に深手を負わせた。

 誰が槍を投げたのか。槍が飛んできた方向へ視線を向けると、そこには腰を抜かしていたはずの商人が威風堂々と腕を組んで立っている。あまりの出来事に驚愕した龍は現状を好機と悟り、傷を負ったことで離れていった百足を見やり、思いっきり突進をかます。

 突進を食らった百足は甲高い叫び声を上げ、奥へと吹き飛ぶ。百足が睨むと龍も対抗して睨む。お互いに睨み合って数秒、百足は踵を返して東へと逃げ去って行った。

 渦巻いていた黒雲は晴れ、雨と雷が止むと、薄く霧が出てきた。きっとこれが元のこの山の天気なのだろう。

 霧が出てきたころを見計らって龍は商人の方を向いた。

「おい腰抜け。なぜ逃げなかったのだ? 俺と虫があのままやり合っていたとして十中八九俺が負けていた。そうなれば聞く耳を持たない百足はお前を匹殺してしまっていただろう。今一度問う。なぜ逃げなかったのだ?」

 龍の至極真っ当な質問に、商人は当たり前だと言い返した。

「これは、私にとって商機だと思った。百足の噂はこの山の麓の街にまで広まっている。きっと、この山を越えた先にある街にもある程度広まっているだろう。つまり、噂の中心となっている百足退治に貢献することによって私は武器を売るための宣伝をすることができる。さらに、運が良いことに、先ほど突き刺したはずの槍は百足がのたうち回り、あなた様がぶつかったことで抜けたようだ。それを看板商品、いや、見世物として店頭に出すことで興味をもった武芸者に多くの武具を買い取ってもらえる。こんなにも都合の良いことが目の前に起きているのに、それをみすみす逃す程、私は馬鹿ではありません」

 商人は真面目に言い切った。龍はあまりにも常人が考えるとは思えないような狂気を感じる程の勇気に笑いが止まらなかった。

「フハハ、良いだろう。俺は俺の姿を見たものは全員食っていた。だが、お前を食い、この世からいなくさせてしまうのは実に勿体ない。よって、お前は食わないでおいてやろう」

 龍は笑みを浮かべ、視線を商人の脇にある自らの毛を見て言った。

「その毛に鈴でも付けておけ。良いお守りになるだろう」

 商人は龍の言葉に頷き、深く頭を下げる。

「守っていただき、感謝します」

「お互いさまであろう。まったく、かしこまった奴だ」

 龍は呵々大笑し、空へと飛んで行った。

「さらばだ。一期一会の邂逅であろうが、お前のことは忘れないであろう」

 空へと飛んで行く龍に手を振り、その姿が見えなくなると商人はどっと溜まった疲れが一気に押し寄せ、地べたに座り込んだ。

「さて、これからどうしたものか」

 商人は後ろを振り向いた。そこには馬がいなくなった武具が詰め込まれている馬車が一台ある。これからこれを引いて行くにしてはどうも道が長そうだと、商人はため息を吐いた。余談だが、商人は武具の商売を成功させ、巨万の富を築くこととなった。

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龍と大百足 蚤野ヒリア @NOMINO

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