第4話 九三一号

 巨大なカプセルから溶液が排出されて一人の青年が現れた。


「ゲハッ……ゲェェ」


 口から吐き出される薄緑色の液体。

 詰まっていた溶液がなくなると無臭の空気が青年の中に取り込まれていく。


『やあ。起きたかい。九三一号』


「……九三一号? 俺は……上冬明士」


『違うよ。君は九三一号さ。クローン人工生命体九三一号。上冬明士は君の基となった素体の名称だね。さっきまで君が見ていた記憶も上冬明士のモノだ。君の記憶ではない』


「俺がクローン人間?」


『人間ではない。君に人権はない。人間とは認められていない。人類が滅んだこの世界で人間が生き残っているのかはボクも知らないけどね』


「人類が滅んだ!?」


 九三一号はようやく顔を上げて声の主を見た。

 半透明のホログラム。

 背はそれほど高くない男性。筋肉が異常に発達している。声もデカい。

 どこかで見た覚えがあるが名前はわからない。


『ボクの名前はミスターウエストリバー。世界消臭計画を主導する世界的な企業のコマーシャルキャラクターだったために人類へのメッセンジャーとして残された人工知能さ』


「人工知能……それより人類が滅んだ!? 世界消臭計画ってなんだよ!?」


『そんなに焦らなくても教えるよ。ボクはそのためにいるんだからね。人類は滅んだ。生き残りがいるかもしれないが文明が崩壊したのは確かさ。あの年の九月三十日。上冬明士が屁をした日にね。上冬明士の臭い屁はゾンビを発生させながら瞬く間に世界中に感染した。人類に情勢を立て直す力はなかった。感染力が強すぎた。屁が臭すぎたんだ』


「そんなことって……」


『世界消臭計画は人類最後の希望だった。各地にボクの分身を設置し、消臭拠点を建てた。でも起動する力がなかった。君も記憶を受け継いだならわかるだろ。臭雲。ゾンビの群れ。あれは災害だ。あれに飲み込まれればすべてが終わる。どれだけ時間が経っても拡散しない。あの中でゾンビは生き続ける。どうも上冬明士の屁には風化を防ぐ力もあるみたいでね。ゾンビは消臭剤で倒さない限り朽ちることはない。建物や文化財が保存されるのは素晴らしいけどね』


「兵器は? ガスなら燃やし尽くせば」


『確かに普通の屁なら燃える。でも上冬明士の屁は不燃性だったらしくてね。電気も炎も効かない。街ごと爆破すればさすがに消えたよ。核弾頭も用いられた。でも破壊の力で滅ぼすのは不可能だった。それを知るために時間と力が費やされた結果として世界消臭計画は間に合わなかったのは皮肉だね』


「……どうして俺が生まれた?」


『ああ。この映像を見てよ』


 ディスプレイに投影される街並み。寂れた建物は残っている。廃墟群のようだ。人間の姿はない。その街並みは早送りされていき臭雲に飲み込まれて大量のゾンビが徘徊する姿に変貌していく。


『この世界でまともに移動できるのが上冬明士のクローン人工生命体九三一号。君ぐらいだ。君だけが世界消臭計画を完遂できる』


「……俺に世界を救えと?」


『それだけの責任はあるだろ。などと責任を押し付けるだけだと嫌われてしまうので少しやる気の出る情報を出そう。人類は上冬明士の父親。臭い博士の上冬夕月こそが今回の件の黒幕だと考えている』


「親父が!?」


『人類は憎しみだけで上冬明士をモルモットにしたわけではない。屁に対する耐性研究が主だったけどわかったことも多い。あの屁は体内で培養されたモノだが、人工的に手が加えられたモノだとわかった。つまり上冬夕月は息子を実験台にしたわけだ。上冬明士も被害者だった』


「なんで!? なんでなんだよ!」


『それは誰にもわからない。けれど上冬夕月も屁に耐性を持っている。まだどこかで生きている可能性が高いとされている。気にならないかい?』


「……俺が世界消臭計画を成功させれば親父に会えるのか」


『それもわからない。君が調べないとわからない。どうする? 拒否して自殺するならばそちらの溶解槽に飛び込んでくれ。ボクは次の九三一号を生み出すからさ』


「九三二号じゃないのか?」


『コードネームだよ。人類が滅んだ九月三十日。上冬明士の名前の由来となった誕生日の十月一日。来なかった十月一日。今は永遠の九月三十一日。存在しない日として扱われている。上冬夕月が仕組んだ日付に意味があるかもしれないからね』


「……皮肉な語呂合わせ出なかっただけマシか。ミスターウエストリバー。どうすれば世界消臭計画を完遂できる。教えてくれ」


『やる気になってくれたんだね! 良かったよ。じゃあ――』


 *


『九三一号は行ったか。まあ彼がどうしようとボクは次の九三一号を製造するだけなんだけどね』


 九三一号は旅立った。

 成否は関係ない。

 人類に生存者がいるかもわからない。

 世界消臭計画を成功させることだけが目的だから。

 そのためにミスターウエストリバーも九三一号も存在するのだから。


『だから君が人類に憎まれようとボクはそばにいるよ。この地球の同じ空の下で。消臭の力を信じて。希望を捨てずにね』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の屁が臭すぎてみんな死んだ めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定 @megusuri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ