かぼちゃ天

第1話

7月も半ば、暑さも本格的になってきた。もう19時になろうとしているのに、未だに外が暑い。


「はぁ…。」


バスケットボールの跳ねる音が響く体育館内に思わず寝転び、ため息をついた。

最近は上手くシュートが入らない。厳しい顧問に心配されるほどには、部活に身が入っていなかった。


「どうしたんだよ春樹、最近落ち込んでるじゃねぇか。」

茶化すように声をかけてきたこいつは友達で、僕が落ち込んでいる理由も知っているはずだ。

何人かには、1年間付き合っていた彼女を振った、という事を話しているのだから。


「分かってるんだろ、アカネの事だ。束縛が激しすぎて別れたんだよ。可愛かったし、まだ好きだったのにSNSなんか監視されてちゃ離れる他ねぇよ。」


吐き捨てるように言った言葉に苦笑して隣に剛は座り込んだ。



「でもお前、部活だけじゃなくて勉強もやばいんだろ。昨日、先生に呼び出されてたよな。もう彼女に縛られる必要無いんじゃねぇの?」


打って変わって心配するような反応を示したこいつの優しさにも、今は怒りを感じてしまう。


「まだ高校1年生なんだし、勉強勉強って口うるさく言われる筋合いは無い。何よりお前に関係ねえだろ。」


「冷たいこと言うな。そんな春樹に良い話をしてやろう!」


「良い話し?」


ほんの少しの好奇心に抗えず、イライラをぶつけようとして掴んだバスケットボールから手を離し、耳を傾けた。


「お前、『鏡合わせ』って都市伝説知ってるか?」


「期待して損した。」


先程の好奇心が一瞬で弾け飛び、聞く気を無くした僕は、転がっていったボールを回収しようと立ち上がった。


「まあまあ、聞けって。」


この暑いというのに、肩を組んできた_は中々にしつこいと数ヶ月の付き合いで理解した。


「…はぁ。分かった、聞くよ。」


今日2度目のため息をついた。どうせろくな話じゃないんだろうけど。



「『鏡合わせ』って言うのはさ、まず深夜3時59分に自分の前と後ろに挟むようにして2枚の鏡を置く。

4時になった瞬間に目を開けると、正面の鏡に自分の将来の姿が写ってるらしいんだ。

…ここからが大事なんだけど、『鏡合わせ』を止めたいと思った時、すぐ鏡を伏せたりしちゃだめだ。まず目を閉じて、そのままどちらかの鏡を伏せてから、目を開けるんだ。

急に儀式を止めたやつには、恐ろしい事が起こるらしい…。」




「って話らしい。面白くねぇ?春樹、将来の姿が分かったら勉強する気にもなるんじゃなゃねぇ?」


「やっぱりろくな話じゃなかった。僕は心霊とか都市伝説とか信じてないし、やらないよ。」


「まあ気が向いたらやってみてくれよ。

俺、今日は一緒に帰れねえけどまた明日な!!」


元気に手を振る剛に、ふらっと手を振り返し、カバンに乱雑に荷物をつめ、体育館を出た。



自室に戻って、今日3度目のため息をついた。理由は明白。成績の事で両親に怒られてしまったからだ。


「こんな成績で大学はどうするの」と何度も言われ、今日剛にも同じ事を言われた。

確かに人に軽々しく言えるような点数ではなかった。

1日の中でこう何度も言われると、さすがに不安な気持ちが湧き上がってくる。


「剛に言われた事、試してみるか…?」


普段、都市伝説だとか幽霊だとかは信じていない。しかし、1度湧き上がった不安はすぐには消えず、藁にもすがる思いならぬ、幽霊にもすがる思いで、鏡合わせの方法を反芻した。



3時30分。

疲れきって眠い体に鞭を打つようにして、スマホのアラームで無理やり目を覚ました。

正直、ここまで心霊じみた事に体を酷使する必要は無いのだけれど、何かに取り憑かれたように、僕の体は動いていた。


足音を立てずに、物音を立てて両親を起こさないように、リビングに置いてあるお母さんのポシェットから手鏡を拝借し、三面鏡のある洗面所へ向かった。


3時50分。

「あと9分か…。」

手鏡の蓋を伏せたまま、三面鏡を開いて鏡の前で待機していた。

暗い洗面所で、目が痛くなりそうなほど僕のスマホのブルーライトが光っている。

内心怖がっていて、落ち着かない心臓の音をかき消すように、爪を立てて画面を滑らせている。

別れ話をした彼女とのトーク画面は、見ていて未だに幸せに浸れる。見るのを止めた後はただ虚しくなるのだが。


「あ…もう58分だ。」


学校の体育館より遥かに涼しいのに、体の芯から熱くなってくるような感覚に陥りながら手鏡の蓋を開ける。

鏡を掌で隠し、スマホの時計で59分を待つ。



【3時59分】

目をギュッと瞑った。

手鏡から手を離し、丁度三面鏡に反射する、自分の真後ろの棚へと置いた。


1分間が異様に長く感じる。4時になった瞬間、音楽が鳴るように設定した。

緊張しながら、音楽が流れるのを待った。



【4時00分】

一瞬音楽が鳴り、すぐに止む。

それを合図にして、僕はゆっくりと目を開けた。


「え」


目の前の鏡には何も写っていなかった。

振り向き、手鏡にも目線を向けたが何も写っておらず、落胆と同時に安心した。


「…まぁ、最初から剛の話なんて、信じてなかったしな。」


肩透かしを食らった気持ちになりながら、手鏡を閉じようと手を伸ばした。


「すぐ鏡を伏せちゃダメなんだっけか。」


ふと思い出し、僕は_が言っていた手順の通りにしようと落ち着き払って目を閉じた。



_____ひんやりとした空気を感じた。同時に、肩に人間の手の感触を感じて反射的に目を開けてしまった。


目の前の鏡には、顔面蒼白な僕が写っている。


そして、少し骨張っているが華奢な女の人が後ろに立っていた。


体全体が圧迫されているような感覚に陥りながら、僕は肩に乗っている女の手に目線を移した。

そこには、1年間で何度も見た、見慣れた茜色の鮮やかなネイルが施されている指があった。


「アカネか…?」

震える唇でそう口にする。

それを肯定するように小さく首を縦に動かしたアカネは、厳しい目付きで告げた。


『嘘ついているのを認めてよ。束縛しているのは私じゃなくて春樹だし、振ったのは本当は私。あんたのその自分勝手さに嫌気がさしたの…!』


僕の首に手を伸ばしてきたアカネに危機感を感じた。


「分かった、認めるよ!束縛したのは僕で、振ったのはアカネの方だ!これでいいんだろ!だから手を近づけないでくれ!」

パニックを起こしている頭で必死に考えて勢いよく叫んだ。

綺麗な茜色のネイルは、もう今や恐怖を感じる色でしかなくなっていた。


『自分で言ったんだよ。忘れないでね。』


そう言ったアカネに対して、酷く恐怖を感じた僕は、棚に置いた手鏡を床へ叩き落とした。

耳をつんざくようなガラスの割れる音と共に、不思議とアカネは消えていた。



4時4分

はっはっ と荒い呼吸を繰り返していた。

あの時間は無限かのように感じられたのに、実際は240秒しか経っていなかった。

鏡が視界に入ると気分が悪くなりそうで、割れた手鏡の後始末をしようともせず、僕は階段をかけ上るようにして自室へ向かった。



アカネが夢に出てきそうで、一睡もする事ができず、隈を作ってリビングへ向かうと、手鏡を割ったことはこっぴどく叱られた。いつもなら反抗する気持ちも浮かんでくる。

だけど、今日ばかりはそんな事も考えられず、抜殻のようになりながら説教を聞き流し、学校へ来た。


「おはよ。」

力のこもらない手で教室の扉を開け、そこで違和感があった。


クラスメイトの視線が冷たい。

いつも朝から大騒ぎしている男子は僕が教室に入った瞬間静かになった。

友達と話していた女子は、揃って下を向いた。

居心地が悪い、と感じながら黙って教室を見回した僕は、剛を見つけて、胸ぐらを掴んだ。こいつの言った都市伝説のせいで、僕は嫌な事を思い出してしまった。その怒りをぶつけないと、どうしても満足できる気がせず、口を開いた。


「お前が昨日言った都市伝説なんかのせいで、別れた彼女を思い出しちゃったじゃねぇか!僕が傷ついてるのも知ってるはずだろ!」


頬を赤くして悪口雑言を言う僕を、_は冷たい目で見下ろていた。


「可哀想なのはアカネちゃんの方だろ。束縛されて別れを切り出した挙句、学校では『春樹がアカネを振った』とか嘘の噂流されてるんだから。」


剛の言葉に、他人事のように顔を背けていたクラスメイトがこちらを咎めるような目で見てくる。

でも僕はそんなことも気にならず、_から言われたことを頭の中で反芻していた。


ちがう、ちがう!

だって僕がアカネに振られたことは誰にも言っていない。もちろん春樹にも。

なのに、どうして剛は知っているんだ。

血の気が引いていく。


「お前、嘘つくなんて最低だな。」


その言葉を皮切りに、皆が僕達に向けていた視線が消えた。

それでも吐き気と動悸は消えず、得体の知れない不快感に苛まれている。


嘘なんかつかなければよかった。

噂なんか流さなければよかった。


アカネに言われるまでもなく、忘れることなんてできない。

激しい後悔の念を抱きながら、僕は教室で立ち尽くしていた。


『忘れないでねって言ったよね?』


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かぼちゃ天 @m0unemui

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