第37話 変わる日常
事件解決から半年が経ち、俺は高校三年生になった。今はマリアともアヤカとも連絡をとっていない。
俺はショウと同じクラスになり、前より少しだけ学校に行くのが好きになった。それなりに楽しい日常生活を送っている。
いつもと変わらない通学路を、いつもと変わらない景色を見ながら、とぼとぼと歩いている。太陽の光が眩しい。
事件解決後の事は今でも鮮明に、昨日の事のように覚えている——。
あの事件の後、俺は打撲など自分としては思ったよりも軽症と言える怪我をおっていた。動くたびに鈍い痛みが走り、痛みの一つ一つが事件のこれまでの出来事を思い出させてくる。マリアは骨折もしており重症で、しばらくの間入院する事となった。命に別状はなく、後遺症が残る事もないと人伝いで聞いたので安心はした。
テレビのニュースやSNSではマリアが監禁されていた事が瞬く間に広まっていた。俺のSNSのアカウントにも何も知らないマリアのファン仲間から沢山メッセージが来ていた。「これからもマリアを私達ファンが守って行こう」「マリアが無事で良かった」「マリアに勇気をもらった」などと。マリアが監禁されていた事を初めは信じていなかった人達も、開き直ったように口々にそのような事を言っていた。
ヤマダ先生はあの後、すぐに警察に捕まったそうだ。これでもう危険に晒される事はないと安心した。ヤマダ先生のような教師の皮を被ったとんでもない人もいるものだ。ただ恐ろしいだけではすまない。元々人の心の形と言うものは、不思議で
母さんからすれば子どもの俺が大切だったように、自分の一番大切なものは簡単に人の目に触れさせてはいけないのだと思った。
どこで誰が見ているかわからないのだから。
誰も俺達がマリアを助けに行った事を知らない。ショウがフライだと言う事を知らない。アヤカが裏垢女子だと言う事を知らない。
でもそれでいいんだ。
俺達の事は俺達だけが知っていれば、それで充分だ。
真実を語る事はない。見えない方がいい事、知らない方が良い事だってあるのだから。
見えない物の方が大切で、幸せだって事がわかったのだから。
俺の母さんは警察の人達に取り調べをされ、注意されていた。事件時の写真や様子もSNSにいつものように悪気なく載せてしまい、母さんのアカウントは何万もの「いいね」がつき、バズっていた。勝手に事件の写真を載せた事、これまでのSNSの使い方について厳重に注意されていたようだった。その事があり、母さんはSNSのアカウントを削除した。何度も俺に「ごめんね」と喉の奥から搾り出すような細い声で謝っていた。元気だった母さんの姿はどこにもなかった。
マスコミの目に触れては
事件の後、俺は勇気をだして、学校にまた通う事を決意した。前に進まなければならないと思ったからだ。教室に入るとやはり皆の視線は冷たかった。犯人が逮捕された事により、俺の無実は証明されだがどこか気まずい空気があった。俺より後に登校してきたサトウに「おはよう」と挨拶をした。サトウは一瞬驚いた顔をしたが、やはり気まずいのが軽く頷くと目も合わせずに自分の席へ向かっていった。進級までこの状態でが続くのかと思うとしんどくて、体調にまで影響が出てきそうだと思った。
無理のないように少しずつ頑張ろう。学校に行けただけで偉い。生きているだけで偉い。当たり前の日常を当たり前に送れるだけで偉い。事件を経てそう考えられるようになった。
マリアが退院し、落ち着いた頃にやっと皆で集まる事ができた。マリアが元気になってよかった。精神状態も以前より良くなっているようで、表情も明るくなっている気がする。
しかし、これから何か恐ろしい事が始まるのかと言うくらい、俺とアヤカとショウは顔が強張っていた。重たい空気の中、最初に口を開いたのはアヤカだった。
「マリアに謝らないとってずっと思ってた。ごめんなさい。許してもらえないのはわかってる、私いっぱい酷い事した……アツシくんとショウくんもごめんなさい……ごめんなさいっ……」
「頭、あげてよ」
マリアはアヤカの謝罪にとても驚いていた。頭を下げるアヤカの肩に軽く手を当てて焦った様子で言葉をかけている。
「あげられない。虐めだけじゃないの。警察の人に聞いたかもしれないけど、私、先生に協力もしてた。全部私のせいなの……ごめん……なさい……」
「僕もマリアの力になれなかった。ごめんなさい。もう、知っているかも知れませんが僕は本当はフライなのです。マリアの事全部知っていたはずなのに、何も出来なかった」
「皆は悪くないよ。俺が事の発端だった訳だし。俺のせいで皆を巻き込んで本当にごめんなさい」
そうだよ。俺が原因だった。アヤカもショウもマリアを巻き込んでこんな大事件になってしまった。謝っても謝りきれない。
「いいよ。もう、大丈夫だから。皆ありがとう。皆のおかげで私は今ここにいられるんだよ」
マリアの優しい声に皆が顔をあげる。優しさに甘えてはいけないとわかっているけど、元気になったその優しい声に、近くにいると感じられるその声に、喉が詰まって言葉が出てこない。目頭が熱くなっていく。
「マリアが……皆が生きててよかった……本当に、よかった」
俺はらしくないとわかっていたけどこの時はやっと全てが解決したのだと思えた事と、皆の元気な姿を改めて目にした事で安心して涙を抑えきれなかった。
「アッくん大丈夫?」
「アツシくん、泣かないでくださいよー」
「もう、格好がつかないじゃない!」
そう言いながらショウも泣いている。アヤカもつられて微笑みながら涙を流していた。
「ありがとう。皆、私をずっと探してくれていたんでしょう?私、皆に隠してた事がいっぱいあったのに、それでも探してくれていたんでしょう?本当にありがとう。皆に忘れられるんじゃないかって私ずっと怖かった。ずっと暗闇にいたの。本当に、私はこの世界からいなかった事になって、消えてなくなってしまうんじゃないかって。……アッくんありがとう。私の方こそ酷い事言ってごめんね。何もわかっていないのは私の方だった。私はこんなに想われて幸せだったよ」
マリアは一呼吸置いてまた話始めた。
「アッくん、生きていてくれてありがとう」
その一言で全てが救われた気がした。俺が頑張った事は独りよがりだったかもしれない。それでもそう言われて嬉しかった。マリアにそう言われた事で俺の心が温かくなった。少し前、消えてしまいたいだとか思っていた自分が馬鹿馬鹿しく感じてしまうくらいに。やっぱりマリアは俺にとって特別な存在だ。
「私、SNSのインフルエンサーをやめる事にしたの」
「「「え?」」」
皆が一斉に驚きの声をあげる。
「タナベさんが新しい事務所を立ち上げるって言っててね。タナベさんと仕事の方向性で揉める事があったりもしたけど、今はちゃんと話し合いも出来て、いい関係なの。そこで女優として、頑張ってみようかなって。そりゃお芝居は未経験だし、勉強しなきゃいけない事沢山あるけど。自分が本当は何がしたいのか、このままインフルエンサーとして生きていくのかなって考えた時、小さい頃になりたかった女優の夢を思い出したんだ。高校も芸能コースがある所に転校する」
マリアはもう前に進んでいた。前しか見ていなかった。
「素敵ですね。……実は僕も今後について話があります。僕はこのままフライを続けます。でも性別を男だって公開しようと思っています。自分のように男でもメイクが好きだって人と仲良くなりたいですし。リアルでは言えなくても、ネットだから思い切ってやれる、言えるって事もあると思うんですよね!!より良い方にSNSを活用出来たらなって。将来、僕はやっぱりメイクに関わる仕事がしたいですから」
ショウも前を向いていた。
「私は……モデルになりたい!!身長低いけど、私、可愛いもん!!マリアには絶対負けない!……そしていつかショウくんにメイクしてもらいたいの……」
「あら……アヤカとショウくんって……」
「アヤカがモデルとして活躍する日を楽しみにしていますね」
マリアはショウとアヤカの関係性を目を丸くしながら見ていた。いろいろな事があったけど、俺から見ても今のショウとアヤカはとても仲が良く見える。
ショウは前、マリアへ恋心があると言っていたが、もう吹っ切れたのかまたは新しい想い人ができたのか爽やかな表情で受け応えしていた。
「当たり前じゃない!絶対に有名雑誌の表紙を飾るし、ショウくんに私の事を好きにさせて見せるんだから」
アヤカも前に進もうとしている。
「アツシくんは?」
「俺もSNSをやめようと思ってる」
「私のせい?」
眉を下げ、心配している表情でマリアはこちらを見てくる。
「違うよ。誰のせいでもない。俺が自分で決めた事だよ。前に進む為の一歩として、アカウントを削除するだけ。皆の話を聞いていたら俺も頑張らなくちゃって思ったんだ。まだ皆みたいに、夢とか、やりたい事がある訳じゃないけど、視野を広げていろんな事に挑戦してみたいって思えるようになった。俺も前に進みたい。いつまでも下を見てはいられない。恥ずかしくない自分になりたいんだ。マリアの事はこれからも応援する。マリアがあの日俺にくれた言葉が間違いだったと誰かが言ったとしても、俺の中で大切だと言う想いは、誰が何と言おうと変わらない。今日くれた言葉もずっと宝物だよ。ずっとマリアを推し続けるし、大好きだ」
「アツシくん、大胆な告白ですね」
「あ、いや、そう言うのじゃなくて……」
「そういえば、なんでマリアはアツシくんの事、アッくん呼びなの?」
「だって、SNSのアカウントの名前がアッくんだし、私の中ではアツシくんよりアッくんかなって。ふふっ。私もアッくんと出会えてよかった」
「……俺も、マリアに、ショウにアヤカに出会えてよかった」
それから四人で集まる事はなかった。
最初で最後だった。
マリアが転校するまでは何度か、学校の廊下ですれ違う事があった。しかしマリアの周りは、綺麗なレースのベールで包まれているようなオーラがあり、俺は近づく事を躊躇ってしまった。俺にはその綺麗なベールを破ってまでマリアに近づこうという気持ちはもうなかった。
キラキラした皆の憧れる画面の中の美少女ではなく、夢を見つけ、強い意志を持って前に進もうとするマリアの姿が俺の目にはうつっていた。
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